橙色の旗
「あんな、鎌や鋤しか持ったことのないド素人連中、すぐに蹴散らせ」
知事はテーブルを叩き、地方軍事長官を叱咤した。
「もし城外で決戦を行うとなると、敵の隠れみのとなる街道両側の家屋を、焼き払わねばなりません。司法長官、緊急の破壊措置としてご承認ください。さらに、城外の数万の住民たちを城壁内へ避難させる必要があります。当然、彼らの兵糧も必要です。財政長官、ご承認していただかねばなりません」
地方軍事長官に話を振られ、司法長官と財政長官が顔を見合わせる。家を焼けば、補償金を支給しなければならない。財政長官の承認が必要になる。
知事は数千の兵と聞いても、反乱軍を甘く見ていた。
「とにかく、とっとと片付けるんだ。西安の兵力は1万3000と聞いている。あちらはたかが5000ではないか!」
間髪入れず、地方軍事長官は訂正する。
「1万3000は書類上の数字です。実際は1万です。そして、西安の城壁内にいる兵士は4000。あと6000は軍戸の兵士。普段は城壁の外で田畑を耕している農民です」
「「「農民?!」」」
知事、財政長官、司法長官は、その響きに戦慄した。
軍戸とは、兵役を課せられた家である。城外の6000は、味方としてカウントできない。しかも、すでに招集できる段階ではない。
エリート官僚である彼らは、軍戸の制度を理解しているはずだった。しかし、それが反乱という非常時にどう作用するか、喉元にナイフを突きつけられるまで分かっていなかったのだ。
常日頃から、地方軍事長官は、朝廷が中央から派遣した3人のエリート文官に蔑まれてきた。それでも、西安を守るため、代々続く西安の武官トップとしての矜持を胸に耐えた。反乱軍が急速に勢力を拡大している理由も、彼には痛いほど分かっていた。もしも自分がこのポストに就いてなければ、橙色の巾を頭に被っていただろうとすら考えていたのだ。
中央からの軍事費は3人に阻まれて現場にはろくに届かない。兵士達の給金はまともに出せず、輜重隊は正規雇用ではなく、とにかく安く雇える有象無象。武器の調達にも事欠く有様。極寒の警備や肉体労働を熟す兵士達に薄い雑穀粥しか出せず、苦い思いをしている。それなのに、西安に愛着などないだろう中央からのエリート官僚は、北方の防衛を名目に重税を課し、私服を肥やしている。
「では、出陣します」
地方軍事長官は、湧き上がる怒りを殺し、彼らに頭を下げながら下唇を噛んだ。
そこへ、新しい報告が届く。
「報告! 城壁内南門の前に橙色の巾を被った群衆が押し寄せております、門の警備の兵士達が、橙色の巾を被っています」
知事は扇子を床に投げつけ、地方軍事長官の胸ぐらを掴む。
「何をしておるんだ! 貴様、軍はどうなってるっ」
その罵声に被さるように、宦官が甲高い声で、「藩王殿下がお召しでございます」と伝える。
知事は地方軍事長官をつき放す。普段歩くこともしないだらしない体型の男に、軍で鍛えた地方軍事長官はされるがままだった。屈辱だった。宮廷に赴く間、3人の最後を歩きながら、地方軍事長官は昏い目をしていた。
──西安のために何をした。民を追い詰めただけじゃないか。
宮廷の謁見の間は広く、壇上に座す藩王は宙を見つめていた。太い朱色の柱が立ち並び、天井には鳳凰が舞う。この絢爛たる間は、大盟帝国が建国された初期に建立されて依頼、260年もの間、歴代の王の交代を見守り続けながら、今も変わらぬ優美さで佇んでいる。
4人は、藩王の前、横一列に並んで平伏した。
藩王は決断が早かった。
「もう負けだ。降伏する」
「藩王殿下っ」
頭に血が昇ったままの知事だけが、思わず口を開いた。藩王はそれを一瞥し、淡々と話を続ける。
「負けると分かったときにしなければならないのは、被害を少なくすることだ。私は、この座を明け渡す。もしも私の首で相手が満足するなら、死ぬのは私1人で済む」
「しかし、それは皇帝陛下がなんとおおされるか分かりません」
知事は、藩王ごときに西安の処遇を決める権利はないのだと仄めかす。
藩王は冷徹に告げた。
「敵は一瞬で攻められる場所にいる。帝都までは1000km。権利とかの話ではない。権利がないと言うのであれば、籠城して被害を拡大させる権利もない。聞き及んでいるだろうが、我々を守る兵士はおらん。仮に籠城するなら、西安ではなく、この宮廷のみになる。ムダだ」
「軍がまともに機能しないとはっ。藩王殿下、私は忸怩たる思いです」
知事は無力な被害者のように言い募る。藩王は、知事には視線もくれず最後の沙汰を言い渡す。
「私は覚悟を決めた。第一に西安の人々、第二に宮廷で働く者、第三に家族の処遇を請う。それでだ。知事、財政長官、司法長官、地方軍事長官、逃げるなら、騒ぎに乗じて逃げなさい。反乱軍が税に関して怒っているならば、知事と財政長官は処刑される。この先、己の命は己で守れ」
言葉が終わると、地方軍事長官は床に深く首を垂れ、大きな声を上げた。
「千歳千歳千々歳」
つられて他の3人も床に伏せる。
「千歳千歳千々歳」
藩王は「大義であった」と労った。
知事、財政長官、司法長官は、謁見の間を出ると駆け出す。一刻も早く、逃げる準備をしなければならないからだ。
一方、地方軍事長官は謁見の間に残っていた。
「己のことを考えよ」
そう言った藩王に、地方軍事長官は答えた。
「職務を全ういたします」
「殺されるぞ」
「軍人とはそういうものでございます」
そして、付け加えた。
「藩王殿下。藩王殿下には、反乱軍の人質として生きながらえていただくことを、提案したく存じます」
西安の街は、1800年以上前から長安として栄えた古き都。時代が流れ、王朝が変わり、首都の座を奪われて、今では一地方都市になっている。無数の人々が生き、王朝が興亡し、街は変貌してきた。そして今、新たな歴史が刻まれようとしていた。
午前10時、1人の宦官が、藩王の使者として南門を出た。独特の帽子と制服で、誰にでもそれが分かる。
噂を聞きつけた人々が門前に集まり始める。
10分後、重々しい音を立てて、ついに西安城の南門が内側から全面開放された。
先頭の馬上には宦官。そのすぐ後ろで、治世は大きく鮮やかな橙色の旗を掲げて進む。碧が渡した、色褪せた橙色の巾を被って。そして、アジトに集う同志達が続く。皆、頭には橙色の巾。山の中に隠れ潜んでいたままの粗末でくたびれた服を纏いながらも、その目は強く誇らしげだった。
人々は、拍手を送るものの半信半疑のままだった。
「どうなったんだ」
「宮廷に行くのか?」
「門の外はどうなってるんだ」
「まさか、このまま捕まるってことはないよな?」
「罠とか」
「おい、そんなこと許さん」
不安と期待の混ざったざわめきで、道が埋め尽くされている。
2階の窓から身を乗り出す人、屋根の上で橙色の巾を振る子供達。街中が橙巾党を歓迎している。
「「「橙巾党、橙巾党、橙巾党」」」
叫び声がこだまするように繰り返される中を、11人は馬で進んでいく。元駅卒。脱獄囚&共犯者。
雲一つない青い空に橙色の旗が悠然と翻る。
誰かが「道を開けろ!」と誘導し、人々が左右に分かれ、宮廷への一筋の道ができた。
治世は馬を止めた。
「西安の藩王は、我々に降伏した!」
大声て橙色の旗を振る。
「「「「おおーーっ」」」」
地鳴りのような歓声の中、治世はさらに声を張り上げる。
「均田免賦、2年不納糧」
喝采。
「「「「均田免賦、2年不納糧、均田免賦、2年不納糧」」」」
大合唱が津波のように広がっていく。
碧は歴史の瞬間に鳥肌が立つのを感じていた。何千という橙巾党が門から入り、歩いていく。それに城壁内にいた橙巾党が合流し、街に橙色の川が流れる。その濁流は、西安中央にある藩王の宮廷へ向かっていく。碧もまた、その川に身を任せて歩いた。




