禁鐘
西安周辺では、反乱軍が着々と準備を整えていた。
碧は、略奪禁止を誰に訴えればいいのか困っていた。反乱軍には、明確なリーダーがいない。
中心は、山に隠れ潜んでいる11人、治世と彼を脱獄させた者達だった。さまざまなことは話し合いで決まる。年長者の老人は、世間に通じているが、「やるぞ! ついてこい」というタイプではない。治世は「やりましょう」というタイプだけれど、1番歳下なので三歩引いている。話し合いのときに進行役を務める者は、自分の意見をはっきり言わない。
ただ、最初に駅卒システムで「オレ達の世を創ろう」呼びかけ始めた治世は、一目置かれている。最後の決定を下すとき、誰もが治世を見る。
「誰が何をするか、何をしてはいけないか。それを先に決めましょう。統制がとれません」
話し合いの場、碧は提案した。既に、反乱軍に協力すると言った農民は5000人以上に上る。
「統制?」
「はい。たとえば西安を攻めるにしても、ばらばらに行ってはその都度倒されます。いつ、どの隊が、どの道を通ってどこに陣取るのか。4つの門周辺にどう配置するのか。西安の城壁内に味方がいるなら、その人はどのタイミングで動くのか」
碧の言葉に、皆がざわつく。
「そうか。がーっといって、ずらっと並べばいいと思った」
「馬に乗ってくヤツと歩くヤツとじゃ、ばらばらんなるもんな」
「門は4つ。ただの壁んとこは、それほど人、いらんのじゃないか?」
「全然いらん。上から攻撃されるのに、下からは届かねぇ」
そして、碧は最も言いたいことを訴える。
「略奪は禁止にして下さい! どんな悪徳役人だろうが、商人だろうが、襲わない。それだけ、徹底して欲しいんです」
厳しい顔をした男が腕を組んだまま答える。
「とーぜん。みんな、橙色の巾を被って応援しとる。仲間や」
今、西安の城壁内は、橙色の巾の男で溢れている。女性も橙色の小物を髪にあしらっている。
「みんな橙巾党だ」
いつの間にか反乱軍は、「橙巾党」と呼ばれていた。
碧は知っている。西安はあっけなく陥落する。話し合いの場にいる面々は、城門前の攻め方を考え、成功するかどうか、失敗したら処刑される、そんなことばかり話題にしている。碧は、制圧した後のことを考えていた。西安の自治とその後の反乱軍の進路、そして資金源。
「正門の前で、誰が名乗るん?」
誰もが避けてきた、最も危ない役を決める話に及ぶ。
「城壁の上から真っ先に撃たれるんやろな」
「じゃなくても、捕まったら、処刑確実」
「「「……」」」
それぞれが、視線を合わさないように俯く。
「オレ、やります」
「わん」
治世が、切り株に腰掛け、テーブルから首だけしか出ていない座高のまま言った。当然のように、治世の傍らにいる狼の蘭まで吠える。皆の視線が一斉に治世に集まった。
「殺されるぞ」
「オレの命は、みんなに救われたから。オレ、ここにいる他の誰かが殺されるのが嫌なんです」
大人たちの顔を見上げながら、治世は穏やかに言葉を紡いぐ。
「「「「治世!」」」」
大人達は、死地へ向かう治世に哀しげな目をしたのだった。
稲刈りが終わり、脱穀、籾摺りが終わる。その間に、反乱軍の指揮系統も整えられていく。略奪行為を働いた者には「死」を以て処す、という厳格な決まりも末端まで伝達された。
決行の日の夜明け前、碧は自室のテーブルの上に両親への文を置く。もう、この家には帰らない。
──お母さん、お父さん、行きます。
音を立てず、家の裏手から出ようと扉に手をかけたときだった。
「碧碧」
振り向くと、母親がいた。
「お母さん。ごめんなさい。私、行きます」
そう告げると、母親は目に涙を浮かべる。
「どうしても?」
「どうしても」
母親は、何をしに行くのか、どこへ行くのか、どうして行くのか、尋ねなかった。知っているのだ。
「そう。……玄関から出なさい」
「え」
「堂々と」
「お母さん……」
促され、碧は玄関へ行く。母親も碧の後ろを静かに歩く。
玄関を開けると、まだ夜明け前の青い闇が広がっていた。西安の城壁の外では、すでに橙巾党の皆が闘志に燃えているだろう。けれど、城壁内の街は、まだ静寂に包まれている。
「碧。もし、辛いことがあったら、帰ってきて」
母親の声が震える。
「ごめんなさい。ううん。今まで、本当にありがとうございました」
「何もなくても、いつでも帰ってきてね」
碧はそれに返事をしなかった。今から自分は、国家を揺るがす逆賊になるのだから。
「行ってきます」
繭の中のような優しさを振り切る。碧は闇の中へ大きく一歩を踏み出す。背中に背負った少しの着替えと筆と墨と紙と薬。進む歩速は徐々に増し、いつの間にか走っていた。夜が明ける。
夜明を告げる鐘が鳴る。西安の街と城壁外までを見下ろす鐘楼から、いつも通りのテンポで一つ、二つと音が降る。だが、九つ目。突然、狂ったような激しい乱打へと変貌した。けたたましい鐘の音が街中に轟く。
革命の火蓋が切られた。
南門は騒然としていた。城壁内にいる街の橙巾党が押し寄せ、門前を埋め尽くしている。武器を持つ者も少なくない。西安の街に暮らす人々にも、周辺で暮らす農民達にも、蜂起の刻限は夜明けだと伝わっていた。
急報を乗せた伝馬が藩王の宮廷へ向かう。いつもなら夜明けと共に開けられる西安の城門は閉じたまま。橙巾党の狙いはそこにある。兵糧攻め、外部の軍戸の兵力との分断。
碧は、橙色の巾を被った男達に混じり、待った。ここにいる碧だけは、この日に西安が陥落することを知っている。しかし、時刻までは知らない。
張り詰めた空気は、時間が経つにつれて徐々に弛緩していった。集まっていた人々は、一人、また一人と減っていく。朝食のころになると、ばらばらと皆が帰り始める。碧は、路端の建物入り口の段に腰掛けた。
◇
官庁知事公邸。
藩王は「王」とは名ばかりの飾りであり、実権は朝廷から派遣される知事、財政長官、司法長官、そして、地元の地方軍事長官が握っている。4名は、鐘楼の連打音を聞き、知事公邸に駆けつけていた。
一方、宮廷内。第一報のとき、藩王は、寝所で白い寝着のまま身を起こす。
「西安の城門が囲まれている?」
平伏する宦官の報告に、藩王は眉をひそめた。
「はい」
「敵は誰だ。皇帝か、それとも義弟の誰かの謀反か?」
藩王の反応はもっともだった。このときまで農民の反乱は、裕福な役人の蔵を襲撃する、単発の泥棒行為程度だった。
「は、は、反乱軍です」
「ふん。すぐに知事が始末する。今年は日照りで不作だったから、暴れたいのだろう。始末すれば、少しは人が減って、食べ物が生きている者に行き渡る」
「し、しかし、誰も動きません」
「動かない?」
「敵は南門に2000、北に1500、東に800、西に800。まだまだ集まって来ています」
「何? 地方軍事長官は何をしている。まだ命令を下していないのか。どうして何もしないのだ。知事と財政長官が指示を出さないのか?」
地方軍事長官には、軍を動かすかどうかの権限はない。中央の朝廷から派遣された知事の判断によって全てが決定される。その際、兵糧、武器などに関して、常に財政長官の細かな許可が必要になる。
しかし、宦官は震える声で報告を続ける。
「兵士の多くが橙色の巾を被っています」
「なんだ。その橙色の巾とは」
「夏ごろから、急に流行り出した装いです。橙色の巾を多くの者が被っています。彼らが門のところにも集まっているようです」
「ん? 説明が分からん。軍の風紀が乱れているということか? そのせいで上官の命を聞かないのか」
「いえ。兵士も我々の敵であるということです」
ばさっ
藩王は布団を捲ってベッドから降りた。
「知事らを呼べ、すぐにだ!」
知事公邸の大堂では、激しい怒鳴り声が響き渡っていた。
「数千の軍勢だと?! なぜこうなるまで気づかなかったんだ!」
知事から叱責を受けるのは、地方軍事長官である。その傍らでは、財政長官と司法長官が青ざめた顔で震えている。軍事長官は非難を正面から受け止めながらも、職務を果たそうとする。
「叱責は後ほどいくらでも受けます。知事閣下、今は一刻を争う対処のときです。このまま籠城するか、それとも門を開けて城壁外で迎え撃つか。速やかにご決断ください」




