離れて募る恋もある
北&東の果て、長城の要衝たる山海関。三魁は悩んでいた。茉莉と会えないことが苦しいのである。
西安の街で出会って一目惚れし、駐屯地の再会に運命を感じて結婚したいと願った。しかしそれは、自分の一方的な想い。それに気づいてからは、彼女が関寧鉄騎として励む姿を見守るだけで十分だった。
挨拶も含め、会話した回数、美しい一瞬やキュートな場面を書き留め、若干にやにやしながらも、乙女のように憧れた西安駐屯地での日々。
そして山海関へ異動。ラッキーにも九天玄女と一つ屋根の下で暮らすこととになった。共に起き(時刻だけ)、共に朝稽古をして現場へ向かい、一つ屋根の下に帰る。呉将軍の屋敷は何棟にも分かれているため、厳密には「一つ屋根の下」ではないのだが。それでも毎日会える。
現在、茉莉は帝都へ行って、留守である。山海関の長城前、武術の鍛錬の場にも、その姿はない。
「若、いかがされました?」
千切れたような心を抱えた三魁は、得意の弓すら的を外してしまう。
「いえ。鍛錬が足りないだけです」
「お父上、呉将軍のことなら、きっと大丈夫です。この山海関へ戻したのは皇帝陛下なのですから。それこそが皇帝陛下からの信頼の証」
関寧鉄騎の先輩の言葉は、的外れだった。
三魁は弓を置く。
「先輩、質問があります」
「なんでしょう。若」
「先輩は、この山海関を離れて西安に赴任していたとき、寂しくなかったのですか?」
先輩は妻帯者である。それなのに、西安で三魁を連れて妓楼に行ったのだ。三魁には信じられないことだった。
「寂しい?」
「家族と、奥方と、離れ離れになって、です」
「はなればなれ。って、結婚してしまえば、距離が離れていても、そこまで辛いことはないものです」
「結婚とは、それほどにまで2人を強く結びつけるものなのですね」
「……。あ、ああ。まあ。そーですね」
「では、なぜ妓楼に行かれたのですか? 奥方がいながら」
「いやー。それは、寂しかったから?」
先輩は、まっすぐに自分を見つめてくる三魁から視線を逸らす。語尾まで上がってしまう。
「寂しいと妓楼に行くのですか?」
「勉強だ!」
先輩は強く言い切った。
「社会勉強ということでしょうか?」
「違う。女を喜ばせる勉強です」
三魁は、それはもっともなことだと納得した。武術も兵法も、絵図や書物での説明より実践が勝る。三魁はごくりと唾を嚥下した。
「結婚しても尚、学ばねばならないのですね」
「若、武術も戦術も女も、一生勉強なのです。特に女について学ぶ機会は非常に少ない。学び、家庭円満に役立てるのは、男に課せられた永遠のテーマなんです」
「先ほどは、寂しかったと仰いましたが」
「そ、それもある。なにせ、妻を愛しているのだから」
「あ、い。」
──「愛している」と言葉にできるなんて、さすが先輩は大人の漢。
三魁は感心していたが、その目で見つめられている先輩は、薄寒い思いをしていた。
──げー。くっそ寒いセリフ。言わせんなや。
そして、御曹司があまりに真っ直ぐ育っていることに呆れていた。
「若もいずれ、ご結婚なされば分かります」
続きは「恋愛の賞味期限の短さを」だった。先輩は、その言葉を心の中に押し留め、ふっと小さく笑った。悲哀に満ちたその表情すら、三魁にはひどく大人びて映った。
「結婚。」
「若、結婚したい人でもいるんですか?」
先輩は三魁をからかって遊ぶ。本人は隠しているつもりだろうが、茉莉以外の全ての者に三魁の気持ちはバレている。
「自分が想っているだけです」
頬と耳を染めながら、三魁は正直に告げる。
「想いというものは、鏡のようなものなのです。自分が想っているのと同じように、相手も想ってくれているものです」
自分で言いながら、先輩は、発した言葉がブーメランとなって胸を刺し、妻の顔を思い浮かべてしまっていた。
「そういうものなのですか?」
「そういうものです」
三魁は、その日の帰り道、先輩が自らを反省し、花を買っている姿を見た。
──奥方のことを心から愛しているんですね。
人が少なくなった屋敷は静かだった。茉莉と杏花がお喋りする声がない。杏花を追いかける侍女の声も茉莉の笑い声もない。
そんな折、ぱたぱたと羽音が響いた。2羽が鳩小屋に舞い戻ったのだ。
「若、若! 呉将軍から知らせが届きました。ご無事です!」
三魁は遠く入道雲が顔を出す、遥か帝都のある西の空を眺める。風が汗をさらって行く。父の無事、関寧鉄騎の無事を喜ぶと共に、茉莉に想いを馳せた。
◇
高いドーム型の天井には極彩色の孔雀が描かれ、柱の上部には見事な彫刻が施されている。建物中央の舞台を見下ろすようにぐるりと観覧室が張り出していた。その2階は舞台とほぼ同じ高さの特等席。帝都で今もっとも話題の娯楽の殿堂である。
「きゃー。素敵。イケメーン」
ガイドブックを片手に、呉夫人が歓声を上げる。
「母上、私はあちらの麗人が好きです!」
杏花は舞台の端を指す。
「すごい。美味しい。お肉がほろほろ解けていきます」
茉莉は料理に感動していた。
豪華な料理を食べながらの舞台鑑賞。山海関にはない夢のような豪華な空間に、3人は大満足だった。
呉夫人はうっとり溜息をつく。
「素晴らしい世界だわ。筋骨隆々だけが美学じゃないのよ。このガイドブックを書いた人は、帝都の全ての美少年を知り尽くしているのね。羨ましいぃ」
娘の杏花が、それに水を差す。
「でも、兄上の方が整った顔をしてると思う」
しかし、呉夫人は一蹴した。
「ダメダメ。柔らかさがない。踊れない。歌えない。笑顔のサービスなんてできないわ」
その実直なところがいいのだ、と茉莉は思っていた。
こうして、帝都の最終日は賑やかに過ぎる。
夜、呉夫人は唐突に切り出した。
「義父上のことが心配です。私、もう少し、ここにいることにします」
帝都の屋敷には、軍を引退した呉将軍の父親が住んでいる。戦で足を痛め、名医がいる帝都に留まっているのだった。呉将軍が妻を同行させたのは、「少しでも長く一緒にいたい」と言われたからである。矛盾。しかし、戦場では無敵の名将も、妻の決定に逆らうことは許されない。
「そうか。父を頼んだぞ。私は優しい妻を持って幸せだ」
と、少々顔を強張らせた。数年に及ぶ西安と山海関の別離の末、ようやく一緒に暮らせるようになって新婚気分だったのは、呉将軍の方だけだった。
呉将軍が肩を落としている姿を、杏花、侍女達は無言で眺めた。
翌日、呉夫人は山海関に帰る馬車に乗り込む。呉将軍は、馬車から顔を出す妻に、馬に乗ったまま尋ねる。
「どうしたのだ」
「やはり帰ります」
「そうか! そうかそうか」
将軍は、いきなり破顔。
馬車の中、母娘はこんな会話を交わしていた。
「母上、気が変わったの?」
「ガイドブックのお店、回ってみようと思ってたの。でもね、お高い。もったいないわ。それにね、1人で出歩くのは寂しいじゃない。義父上を連れ回すわけにいかないし。出歩いてばかりじゃ外聞も悪いわ」
こうして、呉夫人は、懐事情と世間体から推し活を断念した。
呉将軍だけは、妻の可愛さにときめいていた。
──やはり、私と一緒にいたいのだな。
夏空にナツアカネが飛び、次の季節を予感させる風が街道を吹き抜けていった。
◇
『自分が想っているのと同じように、相手も想ってくれているものです』
三魁は尊敬する人生の先輩の言葉を思い返す。何よりも強い後押しである。
結果、呉将軍一行が帰ったとき、やらかしてしまった。
「父上、お帰りなさい。ご無事でなによりです」
最初に父親に、そして、一行の列の前から順に関寧鉄騎の面々に帰還の挨拶をしていった。馬車から母親と妹が降りるのに手を貸し、その続きの隊列の者達に言葉をかける。最後尾は茉莉だった。
「茉莉、結婚してください」
「ただいま帰、、えっ」
三魁は、一瞬、自分の口が何を発したのか理解できなかった。言われた方の茉莉は更に面食らった。
しかし、周りからは、どっと拍手が湧き上がったのである。




