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橙色の旗、風の夢〜親友の脚を守ったら、歴史が塗り変わりそうになってます〜  作者: summer_afternoon


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19/66

山海関の海辺

 

 空にウミネコが舞い、海岸に白波が寄せては返す。大きな波、小さな波。藍色のカーブが崩れ、透明の粒になって煌(きら)めく。


 山海関は大盟帝国の東の果てである。現在、北の果てでもある。


「北の果てになっちゃったんだね」


 海を眺めながら、茉莉がぽつりと言った。


「父を任務から外したからよ」


 杏花(シンホア)は静かにうなずく。

 

 茉莉は呉三魁の妹、杏花と海辺を歩いていた。


 呉将軍が西安から山海関に戻されたのは、山海関以北が攻められ、北方民族の領土になってしまったからだった。北の国境付近には何重にも長城があり、かつてはそれぞれの間に、何十km、何百kmの間があったのだ。しかし、呉将軍が西安に赴任している間に敵はその防衛線を悉(ことごと)く突破し、領土を広げた。


「今、北方民族はとても勢いが増してるって聞いてる」


 茉莉の耳にも戦況は届いていた。


「そうなの。そんなときに、父を山海関から動かしたから、大盟帝国はとんでもない被害を被ったの」

「呉将軍は、すごいね」


 茉莉が褒め称えると、杏花は冷静に事実を述べる。


「命令系統がずたずただったの。父の代わりに山海関へ来たのは、呉一族と縁のない方。関寧鉄騎は呉一族の私軍でしょ? だから、使いにくかったのね。父は新しい方に指揮権を与えて西安へ行ったのだけれど、朝廷が『関寧鉄騎に支払う報酬がない』なんて言うから、出陣までに日にちがかかった。国防の危機に人事や中央の顔色を伺うなんて。戦は一刻を争うのに」

「だから杏杏が単独で戦地へ行ったの?」


 身動きできない関寧鉄騎を見るに見かねて、杏花は「私を助けに来なさい」と関寧鉄騎が進撃する大義名分を作った。山海関へ行く途中でその話を耳にし、茉莉は三魁の妹の苛烈さに恐れ慄いていた。頭の中で、馬上で鎧を纏い、槍で次々に敵兵を薙ぎ倒す冷徹な女性を思い浮かべていた。


 ところが、実際に会うと、ぱっちりお目々の可憐な少女だった。ファッションは、鎧どころか、淡い色やふんわり多めだった。


 ──きゃぴきゃぴ系でびっくり。


「帰ってから、母上に頬を叩かれた後、板でも20回ぶたれて、蔵に入れられちゃった」


 杏花は肩をすくめて舌を出す。


 三魁と杏花の母親は、駐屯地のおばちゃん達をそのまま上品にしたような人。とても板を娘に振り上げるようには見えない。が、中身は武官の妻なのだろう。


「関寧鉄騎のみんなは、杏杏がいたから参戦できたってありがたがってたよ」

「当然。」


 杏花は桜色の小さな唇を尖らせた。


 実際、杏花を助ける名目で関寧鉄騎が戦場に現れ、敵が退散した。


「杏杏、痛かった? 蔵で大変だった?」

「そりゃ痛かったわよ。だけど、蔵に閉じ込められたのは、行儀作法や箏の稽古をサボれてラッキー。1日中ごろごろしながら、差し入れのお菓子を食べてロマンス小説を読んでたの。最高の3日間よ」


 可愛い見た目からは想像できない図太さである。


「差し入れしてくれるなんて、優しい侍女がいるんだね」

「だけじゃなくて、関寧鉄騎の人達もいろいろと。おかげで太っちゃって」


 関寧鉄騎としては、目の前の戦に出陣できない理不尽さに憤り、杏花の行動はその突破口になった。それなのに杖刑&監禁。差し入れせずにはいられない。


 そんな話をしながら、柔らかい砂の上をきゅっきゅっと2人で歩く。浜辺には波が繰り返しやってくる。茶色の砂が水の膜で太陽に輝き、波が引くと水を吸った砂肌が現れる。


「杏杏(シンシン)、もう、言っちゃうね。実は私、、、」


 海辺は告白に似合う。何か気まずくなりそうでも、波がさらってくれる。茉莉は、言い出せなかったことを打ち明けた。


「なぁに、姐姐(じぇじぇ)」

「私、杏杏と同じ年なの。姐姐じゃないの」

「そんなこと?」


 茉莉にとって、そこそこ意を決した言葉は、杏花に軽く流された。


「え」

「知ってた」

「そーなの?!」

「きっと、兄以外はみんな知ってる」

「逆に、なんで三魁は知らないの?」


 輜重隊(しちょうたい)に入るとき、茉莉は14歳では断られるだろうと思い、16歳とサバを読んだ。しかし現在は17歳。もう、実年齢など、皆にバレようがどうでもいい。不思議なのは、最も身近な三魁が知らないことである。


「兄は、『同い年だから敬語はいらない』って、嬉しそうにみんなへ言いふらしちゃったの。もう、誰も、本当のことを話せなくなってるの」

「タメ語が嬉しい?」

「姐姐が入るまで、関寧鉄騎では1番下っ端だったでしょ? なのに父の息子だから、みんな、丁寧に接するのよ。その忖度混じりの微妙な空気が嫌だったんじゃない?」


 そこまで聞いて、茉莉は自分の態度を「マズい」と思った。茉莉は、炊事場に現れたり、武術の手ほどきをしてくれたりする三魁が、西安駐屯地のトップの御曹司だと知らなかったのだ。「同じ歳だからタメ語で」と三魁から言われ、そうした。実は御曹司だと知ったとき、急に接し方を改めることができず、今に至る。


「どーしよー、私」

「いいの、姐姐。本人が喜んでるんだから」

「そ? そーかな? 今更言葉遣いを変えにくくて」

「ふふふ。いーんじゃない? そのままで」

「あ、それで、姐姐って呼ばれるのは心苦しくて」


 茉莉は正直に言った。けれど、杏花は両人差し指で×を作った。


「ダーメ。私が姐姐って呼びたいから」


 却下されてしまった。


「なにそれ」


 茉莉は照れ笑いする。


 ──三魁と結婚して「義理の姉」になってほしいからだよね。


 そんな甘やかな期待が、潮風とともに胸をかすめていく。


 お喋りはお洒落や芝居に及び、帝都の話になった。


「帝都にも家(うち)の屋敷があるの。姐姐が一緒にいるなら、私、そっちで暮らしたい」


 杏花は、辺境の地、戦場の隣という立地で流行と無縁であることを嘆く。


「帝都、大都会でびっくりしたよ」


 茉莉は西安から山海関へ移動するときに通った。


 広い道の両側には、灰色の煉瓦に映える極彩色の看板を掲げた店々がひしめき、道を行き交う人の波は、西安の十何倍もの賑やかさだった。瀟洒な馬車が傲然と進む横を、天秤棒を担いだ物売りが甲高い声を出しながら走り、大道芸人の銅鑼の音が響く。大盟帝国中の富を一箇所に集めたかのような繁栄。その一方で、街の片隅には、飢饉から逃れてきたらしきボロを纏った難民や、泥まみれの裸足のストリートチルドレンがうずくまっていた。


 帝都で茉莉は、馬に乗って歩きながら、大通りから脇道の遠くを見つめた。


 ──この街に苑苑がいるかもしれない。


 3年経っても、茉莉の背中は、炎の中で苑を背負った重みを覚えている。それは残酷に茉莉の心に棲みついていた。


「姐姐、どうしたの? 悩みでもあるの?」


 杏花は心配げに茉莉の顔を覗き込む。


「ね、帝都って、人、探せるのかな」


 ついには、そんな言葉が茉莉の口から零れた。


「帝都にいる屋敷の者に頼みましょうか?」

「え。そんなことできるの?」

「話を聞かせて? 姐姐」

「友達なの。すっごく大きなお屋敷のご令嬢だったんだけど、訳あって、家が没落して。噂で、帝都の妓楼にいるって」

「……。妓楼……」

「すごく綺麗な子だったの」

「私より?」


 杏花は目をぱっちりと見開いて尋ねる。


「タイプが違うかな。杏杏はかわいい系。友達は傾国美人」

「かわいい? かわいいって? やった!」


 自分の両頬に手をやって、杏杏はにこにこする。


「あはは。仕草もかわいい」

「もう。姐姐ったら」

「友達は、ウチらと一緒の歳なの。毎日辛い思いしてるのかなって……」

「姐姐、探しましょう」

「名前は「言わないで」


 茉莉が紫苑の名を口にしようとすると、杏花はそれを遮った。


「姐姐、妓女は素性を知られたがらない。出身地も。だから、本名なんて、探す参考にならないの」

「そーなんだ」

「意外と世間知らずなとこあるよね」

「ごめん」

「そこもいーんだけど。ね、それで、同じ歳以外に何かある? 歳もあてにならないもん」

「美人」

「他には?」

「詩を詠じるのが得意。すっごい雅なの。碁も上手かった。楽器も。箏も二胡も。字も綺麗で、すごく優しい話し方で。あ、刺繍もとっても優雅な色使いで綺麗で」


 茉莉の賞賛が止まらない。杏花は、微笑みを浮かべて頷きながらそれを聞いている。


「姐姐は、その友達が大好きなんだね」

「うん!」

「妓楼の調査まではできないけど、帝都の屋敷にいる侍女に文を書いてみる」

「ありがと」


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