均田免賦、2年不納糧
その場の誰もが希望に目を輝かせていた。その中心に治世がいる。橙色の巾を被り、額に汗を右浮かべ、顔や首に痛々しい傷痕を残したまま、誰よりも熱い目をしている。
「まず、田畑を均等に分けて税を減らしたい」
治世の言葉に、「おおーっ」とどよめきが起こる。碧はそれを響きのいい言葉にまとめる。
「均田免賦。どうでしょう」
「よっしゃぁ」
「オレの取られた土地が戻ってくる!」
「もう地主に頭を下げんでええ」
そして誰かが次の発言をする。
「日照りの今年と、来年の税もなしにして欲しい」
「いいな。来年1年のうちに生活を立て直せる」
「それ最高」
碧は迷った。李治世もまた、税を軽くした。だが、それだけで国は続かなかった。
治世は宣言する。
「2年間、税はなし」
ぱちぱちぱちぱち
どこからともなく拍手が湧き起こる。
すかさず碧。
「2年不納糧 」
治世は補足する。
「事を起こすのは、今年の稲刈りが終わった後、税を収める前です」
農民の一年は、田植えと稲刈りが中心にある。農民である治世は、最も農民を分かっていた。
「せやな。今年は不作や」
「それでも税を納めろって言われる」
「その前やな」
「よっし分かった! これを広めよう」
「オレらのしたいことや。均田免賦、2年不納糧」
「「「均田免賦、2年不納糧」」」
手拍子と共に、皆が繰り返す。
「なあ、娘娘、書いてくれ。どんな字や?」
「はい」
碧は大きく「均田免賦」「二年不納糧」と書く。
「おお! これ、貼っとこうぜ」
「じーさん、この部屋に貼っていいか?」
「おうおう。頼む。1番よー見えるとこに貼ってくれ」
現在夏。秋はすぐである。皆が騒ぐ中、寡黙に考え込む治世を、碧はじっと見つめた。
話は次から次へと枝を伸ばしていく。
「できるだけ広めるんや。均田免賦、2年不納糧を」
「こっそり村へ行って広める」
「友達に頼んで、街で兵役に就いとるヤツらにも伝えてもらう」
「字が読めりゃ、伝えやすいのにな」
「アホゥ、書いたもんは見つかったら終わりや」
「噂話が1番」
「じゃ、近所のBBAに頼むか」
場は笑いに包まれる。汁をお代わりし、皆の箸が動き出す。
「馬と武器はあった方がいい」
現実的な話が浮上する。
「使ってない物を掻き集めるか」
「弓なら作れる」
「竹で鎧も作れるぞ」
「刀は古いのを研いでもらおう」
「銃は?」
「猟師や」
誰かが汁をすすり、ふーっと息を吐き出す。
「オレな、正直、どっか、地主の蔵でも襲うのかと思っとった。親父にさぁ、人の道外れたらいかんって言われてきたけど、生きてくためにしゃーないって、腹くくっとった。ありがとうな、治世。そーゆーんやないな、オレら」
治世は「とんでもないです」と首を振る。
「みんながいなかったら、オレは炎天下で死んでました。命の恩人です。オレを助けてみんな、家に帰れんようになった。申し訳ないです。本当にありがとうございます」
そこで誰かが豪快に笑う。
「はっはっは。西安の藩王が降伏したら、オレらは堂々と家に帰れる」
共に食事をして結束する男達の姿に、碧は微笑んだ。斜め向かいに座っていた王梅蘭と目が合い、更に笑った。
食事の片付けをしながら、王梅蘭は言った。
「私ね、ダンナがあんなにかっこいいって知らなかった」
「みんな、かっこいいですよね」
「ね。碧は、治世が好きなの?」
直球だった。
「ぇと。バレちゃった?」
照れながら碧が顔を上げると、梅蘭はとても悲しそうな顔をしていた。
──恋バナなのに。ひょっとして、治世はもう結婚してるとか、彼女がいるとか?
碧が首を傾げると、梅蘭は言った。
「あんな法律、なくなっちゃえばいいのにね」
碧には何のことだかさっぱり分からない。
「?」
梅蘭は続けた。
「同姓不婚」
「!」
碧は、自分がいかに盲目になっていたか思い知った。治世も碧も姓は李。1930年まで、同じ姓の者同士は結婚できないのだ。
──忘れてた。
現代においては完全に廃止されていた法の記憶を、碧はするっと失くしていたのだった。
◇
家に帰った碧は、母親に心配された。
「昨日も今日も。ううん、その前から、どうしたの? やたら服が汚れて」
「大丈夫だよ」
会話の答えになっていない。それでも、気持ちのパスは行われている。
「そう。何かあったら、相談してね」
失恋は、親に話せないものである。現代においては、小っ恥ずかしいという理由だった。この世界では違っていた。まず、恋愛自体がNG。更に脱獄犯。おまけに反乱軍を作ろうとしている。失恋の理由は法律。とても相談などできない。できるとすれば……。
”茉莉へ
お元気ですか? 私も好きな人ができました。もうとっくに何年も前から、茉莉には指摘されていました。李治世です。彼はとても大きな夢を持っています。私は彼の夢が叶うことを願っています。”
脱獄犯、反乱軍、同姓不婚までは文字にしなかった。口でなら伝えられる。けれど、書いて表すには覚悟が必要だった。同姓不婚に関しては、自分が盛り上がっているだけなのに、結婚という段階まで視野に入れていたことが非常に恥ずかしいのだった。
──言えない。
◇
夏の終わり、まだ蝉がけたたましく鳴く夕方。街の中心である宮廷前の広場に、新たな囚人が枷号に処されていた。
碧は、痛ましい光景から目を背けるようにして避けて通った。
茶屋の主人は、たかが桶1つに銀を払った碧のことを覚えていた。
「娘娘、もう人助けはしないのか?」
碧は足を止め、「その節はありがとうございました」とだけ返す。茶屋の主人は橙色の巾に汗を滲ませて笑った。
「いくらワシでも、後味が悪いんだ。食ってきな。ごちそうする」
そう言われ、碧は風が通る外の席に腰掛けた。すでに夕食を用意する時刻。出歩いている女性は少ない。碧は枷号の囚人が見えない方向の席に腰掛ける。出されたのは、涼糕。ふるふると柔らかい食感が優しく、色はうっすら橙色を帯びている。
「いただきます」
「なぁ娘娘。『均田免賦、2年不納糧』って知ってるかい?」
碧は目がまんまるになった。
「それは何でしょう」
「ここだけの話、農民らが新しい国を作ろうとしてるらしい。そこで『均田免賦、2年不納糧』だと。2年税を収めなくていいなんて、ウハウハだ。娘娘は、医館の娘だろ?」
「はい」
狭い街。碧は身バレしていた。
「医館だって、儲かった方がいい」
「うちは人助けです。こちらのお店は、きっとウハウハですね。大広場前の一等地ですから」
「いやいや。間架税(固定資産税)、商税(事業税)、三餉(特別**税)、その他もろもろ、取られまくって、手元に残るのは僅かだよ。それが新しい世になれば、『2年不納糧』。今、街じゃ橙色の巾が流行ってるんだ」
茶屋の主人は「均田免賦」をどこかへ置いて、自分の頭の巾を指差す。
「知りませんでした」
「娘娘、お堅いばかりが女じゃないよ。流行りくらい知っておきな」
言いながら、碧に橙色の巾を手渡す。女性が巾を被る習慣はないのだが。
饒舌な主人は楽しそうにたくさんの巾を見せた。なんと木箱いっぱいにあるではないか。
「ほーら。ここらの商店で配ろうって話になったんだ。2年間の税を考えれば、安いこと。うちはこの先、金木犀の鉢を置いて橙色にするんだ。それで桂花糕を売る。そのうちに柿が出るだろ? そしたら橙色の柿餅や柿の糕が出せる」
思わぬ伏兵である。
碧や治世達の頭の中は、農民が中心だった。しかし、税に疑問を持っているのは農民だけではなかったのだ。拝金主義の多い商売人である。素晴らしい発信力に碧は敬服した。彼らを動かしていたのは、理念よりも損得だった。
碧は、脱獄した者達が探されているのかを尋ねた。「均田免賦」「2年不納糧」を知っているなら、情報通だろう。
「少し前に脱獄した話を聞きました。ご存知ですか?」
恐るべき答えが返ってきた。
「脱獄? よくあることさ。役人はちょっとムカつくと牢に入れる。牢は満員。脱獄なんて日常茶飯事。下っ端役人は、囚人の見張りが楽になっていいんじゃないか?」
元現代人の碧にとって、人間の存在の軽さは、眩暈がするほどだった。




