5:30の城門
脱獄は3日後の夜、実行された。
碧にとって歯痒い状況だった。自分が考えた計画に直接関わることができないのである。若い娘が夜に出歩くことは難しい。結果、一睡もせず朝になった。
「朝市に行ってきまぁす」
この日、碧は仕事を休みにした。できるだけ平静を装い、家を出たのだった。
2日間かけて準備をしてきた。何度も計画を確認し合った。
3:30 竹筒で迷昏香を送り込み、牢の見張りを眠らせる
3:40 潜入 治世を建物の外へ運び出す
枷を壊す
4:00 野菜の荷車に治世を隠す
5:00 開門と同時に朝市に紛れて荷車で西安の城壁から脱出
問題はいくつもある。
① 碧が作った迷昏香はかなり効き目がある。役人達は倒れるように眠るだろう。しかし、助けに入った人間も迷昏香を吸ってしまう。濡れた布で口を覆ったとしても長時間その場にいれば倒れる。
② 外で枷を壊すとき、ミノとトンカチを使う。音で気づかれる可能性がある。治世が怪我をする可能性もある。
③ 西安の街は城壁で囲まれていて、夜間、門が閉まっている。朝5時まで外へ逃げられない。
④ 迷昏香の完全な効き目は2時間。それ以降は状況や人によってばらつきがある。
どこかで手間取ったり、見つかったりしたら終わる。そのときは治世が助からないだけではない。脱獄に加担した元駅卒のメンバーも碧も、全員が処罰される。
計画どおり遂行されていることを祈りながら、碧は城壁の南門へ向かった。質素な服をまとい、朝市の農民に紛れる姿をしている。籠には傷の手当てに使う薬が詰められ、背中に背負われていた。
だが、物事が計画通りに進むことなどない。
待ち合わせは城門の内側に設定されていた。城門を出る際に手間取る可能性があったためである。その場合は碧が対応することになっていた。
人が集まり始めた城門付近に碧の姿があった。
──遅い。何かあったのかも。
しばらくして、碧は朝市できゅうりと茄子を買って籠に入れ、街の中心へ向かっていった。牢の方向である。すると、道の正面から、見知った顔が荷車を引いてこちらへ向かってくる。後ろには、押している仲間が2名いる。
用意していた荷車に、あらかじめ、治世を隠すための野菜が積んであった。正面から来る荷車には大量の藁がある。当初とは荷馬車も異なる。時刻は既に30分ほど遅れている。
迷昏香の効果が確実なのは2時間。スタートは3:30。城門が開くのは日の出、5:00を過ぎたころ。まだ役人がシフト交代のために牢へ当所する時刻ではないが、人々が出歩き始めれば異常に気づかれるかもしれない。
焦燥が碧の背にまとわりついていた。
ガラガラガラ
荷車の音が碧に近づく。
3人の男の顔には確かな覚悟が漲っていた。荷車の中に、間違いなく治世が隠されている。
碧の足が一瞬、動きかける。が、止まった。静かに踵を返し、ふらふらと朝市の方へ戻っていった。
荷車が碧の横を通るとき偶然を装い、並ぶようにして城門へ向かう。当初とは違う荷車に藁がこんもり積まれ、馬糞の臭いを放つ。
西安の守りは堅固である。城壁は門の部分が二重になっており、その内側の城壁は幅が広い。上には兵士達が潜む城楼がある。門扉は3重。見張りの兵士は6人。
荷車は城壁の内側、兵士達がいる最初の門扉を通り過ぎ、暗い城楼の下に入る。周りの人々に合わせ、牛歩の速度で進んでいく。
2つ目の門扉を過ぎ、四方を城壁で囲まれた明るい場所に出たときだった。
「おーい!」
後ろから馬の蹄の音と人の声がする。荷車の男達は顔を引き攣らせる。碧は思わず立ち止まる。荷車は、ゆっくりと進み続ける。馬で来たのは役人だった。早朝に制服姿のままでいるのは、昨晩の当直明けに違いない。
──まさか、牢の役人?!
風が入るなどして迷昏香の空気が入れ替わり、効果が薄れることも考えられる。碧の鼓動が速くなる。動きを乱せば計画は崩れる。2つ目の門扉には、見張りの兵士が2人。
「おーい! 駅卒」
その場で荷馬車が止まる。荷車を後ろから押していた1人が、諦めたように目をぎゅっと閉じる。もう1人は、ゆっくりと振り向く。
「はい」
下馬した役人は、馬から荷物を下ろした。ボロボロになった縄や手綱が大量にまとめられている。
「これも処分を頼む」
それらは藁の上に無造作に投げられる。荷車の中から「ぅ"」という消えそうな呻き声がした。役人は、馬糞の臭いに顔を顰めていただけで、気づかなかった。
「「はい」」
荷車を押す男達が答える。その横で、碧は再び歩を進める。大きく息を吸った瞬間、止まっていた呼吸が戻った。
先に碧は3つ目の門扉を通り過ぎ、外へ出た。
城壁の外でも朝市が開かれ、いつもと変わらない長閑な光景がある。干上がった夏であっても、食べて生きていかなければならない。地方の大都市、西安の胃袋を支える市場は、人々の喧騒で溢れていた。
治世を助けたメンバーは9人。荷車には3人しかいない。けれど、どこかで様子を窺い、雑踏に紛れて城壁の外へ出ることになっている。合流地点は山。元、山賊や商人を襲う反乱分子のアジトだった場所である。呉三魁の初陣の舞台でもある。
ちなみに、呉将軍率いる関寧鉄騎がアジトに到着したとき、アジトにいた人間は素直に捕まり、「山賊だ」と自己申告した。反乱分子なら処刑だが、山賊は牢に収監される。反乱分子であっても山賊と言うに決まっている。
時期はちょうど冬手前。山賊にとって冬は生死の分け目。山を越える者は激減して実入りが減り、食べ物も簡単には手に入らなくなる。おまけにアジトは荒屋。凍死する。なので、捕まって役所の牢で冬を越そうという魂胆の者達が逃げずに残っていたのだ。半分以上は、呉将軍&関寧鉄騎の派手な西安入場の噂を聞きつけて遁走した後だった。
朝市の場から離れ、人通りが少なくなった場所で、やっと碧は荷馬車の近くへ走った。
「顔を。これでは息ができません」
藁を横から掘るように掻き分ける。手が何かに当たった。頭ではなく足の方向で、手に当たったのは鎖だった。
「牢の鍵がなかなか見つからんかった」
「探すのに時間かかってな」
「首の枷はまだちょっと残っとる」
だから遅れたのだった。更に。
「荷車の野菜が盗まれた」
「え」
「野菜がなければ隠せん」
「駅站の荷車持ってきた」
駅站は、国営スピード郵便・輸送センターといったところ。中継所なので、厩がある。使い終わった藁があり、早朝、それを処分するために城壁の外へ運び出すのは日常のことだった。彼らは駅卒の元仕事仲間に頼み、荷車を借りた。
「そこから調べられることはないんですか?」
密告の可能性が碧の頭を過ぎる。
「大丈夫。借りたいとしか言ってない」
「それにな、オレらみんな、役人には頭にきとる」
「そーや。知っとったとしても、喋るわけない」
治世の顔を掘り当てる。その部分だけ藁を退けた。目を閉じ、げっそりと死人のような顔だった。
「みなさんの顔、役人に覚えられてませんか?」
広場で枷号を晒す囚人の見張りをしていた役人は、いつも治世のところへ来る者達の顔を覚えている可能性があった。
「オレらも一旦、山に籠る」
それだけの決意がなければ、犯罪など犯せない。そして、彼らは驚くべきことを告白した。
「駅卒仲間でな、連絡を取り合ってる。帝都、西安、その他の中継地点とも」
「え」
「治世が考えたんや。反乱を起こすなら、数が必要やってな」
「小さな襲撃くらいやと鎮圧されて、処刑されて終わる。大勢でいっせいにやればいい。捕まえることができんくらいの人数で」
「最初は若いガキが大口叩くって思った。でもな、本当に連絡を取り始めた」
「ああ。オレら、給料少ないとか出んとか文句や愚痴だけやった。治世は違う」
「農民の数は皇族や官僚や役人より多いって言う。な」
「兵糧の米を作るのも、武器を作る職人も、オレら側やって」
「おう。兵士も役人も、本当に大きな反乱になったら、自分ら側だってな」
たった17歳の少年の言葉に、既に多くの大人達の心が動いていることは確かだった。




