枷号
碧は文を読み進める。
”西安にいた関寧鉄騎は20人ほどでしたが、山海関は1万人規模です。巨大な軍事都市に、関寧鉄騎やその他の兵士達の住まいがあり、日常の隣に戦場があります。その日常は、とても豊かです。国庫が干からび、国から役人への支払いが減ったり、滞ったりする中、山海関にその影はありません。水に恵まれたこの地には、田畑が広がっています。ここは、呉一族の小さな国なのでしょう。”
関寧鉄騎は私軍。莫大な俸給は呉一族が賄っている。
大盟帝国の国土は、いくつかの藩に分かれている。それぞれに皇族の藩王がいる。彼らはお飾りであり、統治は中央の皇帝である。という名目になっているが、実際には官僚が実権を握る。ところが、北の国境付近は藩ではない空白の領域になのだ。度重なる戦によって国境線は変わり、軍人が大勢暮らす特別な区域。そのような状況の中で、国境に面した山海関は、実質、呉一族の国である。
かつて戦場となった田畑は、帳簿の登録から抹消され、税の対象にならない。戦が終わり、田畑を耕すようになっても、登録を復活させることはない。俸給の少ない役人に賄賂を渡せば、脱税ができあがる。他にも、敵国との密輸の儲けから何割かを取るなど、グレーだかOUTだかな手法によって、関寧鉄騎は養われている。
碧は、そのからくりを老師から教えられた。
碧はそれを聞いたとき「許されるのですか?」と老師に尋ねた。老師は、いつものように長い髭を撫でながら言った。
「でなければ、国が滅びる」
とっくの昔に、大盟帝国の滅亡へのカウンドダウンは始まっていたのだ。茉莉の文には、その具体的なピースが書かれている。西安の李治世がそうであるように、茉莉もまた、大盟帝国滅亡の最前線にいるのだった。
碧は文に目を戻す。
”私は呉将軍の家にお世話になっています。呉三魁は、呉将軍の息子でした。妹がいて、私達と同じ歳。輜重隊に入るとき、年齢を2つごまかしたので、相手は私のことを年上だと思っていて、ちょっと後ろめたいです。姐姐と呼ばれています。
もう1つ。本当は直接会って喋りたい!
好きな人がいます。呉三魁です。とても私を尊重してくれます。今は良き同僚であり、良き友です。三魁の妹に『お姉様になってください』と言われ、意識するようになりました。なんだか書いていて恥ずい。
それでは、これから暑くなりますが、ご自愛ください。 唐茉莉より”
──はあああああ?! ダメダメダメダメ、絶対だめぇぇぇぇ。気をつけろって言ったじゃん。呉三魁はダメ。
文を両手で持ったまま、碧はわなわなと震える。
──第一、妹ちゃんが「お姉様になってください」って言ったのは、意味違うから。兄と結婚して義姉になって欲しいんじゃなくて、莉莉が妹ちゃんに狙われてんの! もう、世間知らず。
なんということか。どうしてこうなるのか。握りしめた部分の紙が破れ、穴があく。自分の目が届かないところへ行ってから、それほど月日は経っていないというのに、この有様。碧は般若の顔で盛大に鼻息を吐いた。
茉莉は長身で鍛え上げられた体躯である。陸上大会で見た筋肉は美しかった。そのアスリートの健康美はこの時代の服の上からでも想像できる。美人。いい子。お姉様という対象に相応しい。いや、それよりも問題なのは、呉三魁を好きになったことである。
碧は「冷静に!」と自身に言い聞かせる。
──17歳の恋が一生続くわけないって。呉三魁のクソヤローが陳円円と恋に落ちる前に、莉莉の気持ちが冷めることを願おう。
──泣くのかなぁ。
碧の脳裏に、現代の最後に見た、茉莉がグランドの土に落とした涙が蘇る。あのとき、碧はその美しさに焦がれた。男で流す涙とは別物。あの涙を流す茉莉に、男などで泣いて欲しくない、と碧は思った。
──心配。
戯曲に残るほどのスキャンダラスな恋をするクソヤロー呉三魁。どのみち茉莉の恋は終わる。そのとき、周りにいるのは関寧鉄騎の軍人ばかりなのではないだろうか。そしてもしも、正妻が茉莉で、愛妾が陳円円になるならば、茉莉の立場は辛すぎる。そのときは、茉莉のそばにいたいと、碧は思うのだった。
墨を刷り、文の返事を書き始める。
「辛いことがあったら何でも言ってね。すぐにでも山海関へ飛んで行きます」と書き、現代のように飛行機などないと思い直す。もし行くならば、西安に帰れない覚悟すら必要なほど、山海関は遠い。
──でも、もう会えないなんて、絶対嫌。
新しい紙に文を書き直す。「何があっても負けない」まで書き、悪いことが起こる前提の内容はよくないと思い直す。恋が成就しないことは、転生して記憶がある、碧だけが知っていること。茉莉は初めての気持ちで胸いっぱいなのだから。碧は再び新しい紙を用意した。
結局、「毎日がバラ色ですね」と綴った。
──いーなー。
先に失恋があろうが、片想いでも好きな人と一つ屋根の下に住み、毎日会える茉莉を、碧は羨む。
碧が李治世の姿を見たのは、春、視線を逸らされたのが最後。それも2年ぶりだった。
1年に1度、会えるかどうかという人に、ここまで気持ちがあるのは、やはり碧が李治世の未来を知っているからなのだろう。
──こっちに来てから、治世のことしか好きになってないかも。
一応、縁談話がある程度に、碧の周りには男性がいる。それはとても面倒臭い。仕事を理由に、全て断っている。最近では、変人のレッテルを貼られ、縁談話の数が減って楽になった。
不思議なことに、現代にいたとき、碧には「好きな男の子」がいなかった。男子の誰もが碧には敬語を使った。年上も同級生も年下も。小さなころから、そういう存在だった。距離があった。
7歳で出会った治世は、珍しく普通に話せた男の子の1人かもしれない。
ちなみに、今いる世界では碧は変人であり、バリバリの男尊女卑社会。敬語などなく普通に扱われている。
◇
西安の街の中央には、この地の領主の城があり、城正面に大きな広場がある。正月に人々がごった返し、有事に軍が招集される、街の中心と言える場所だった。
|治世がいた。
乾いた夏。
鎖に繋がれ、大きな板の枷をつけていた。1m四方ほどの板の真ん中から首を出し、逃げられないよう、片足は鎖で杭に繋がれている。大きな板には、遠くからでも読めるよう「窃盗」「李治世」と大きく書かれた罪状書がぶら下がり、少し離れた日陰に見張りの役人が2人。
遠くからでも彼の異常が分かる。地べたに座り、重そうな板の枷の端を地面で支え、ぐったりしている。
──え、どうして。
盆地にある西安の夏は暑い。炎天下。死んでしまう。碧は一直線に治世に向かう。
ちょうどそのとき、12〜3歳の少年達が見物にきて物を投げようとしていた。碧は急ぐ。何を投げようとしているのか見えない。
ばっ
碧は治世の前に立ちはだかり、服の裾を広げる。カエルや蝉の抜け殻、腐りかけた野菜のクズが弾き飛び、ぼとぼとと地面に落ちる。
「盗人」
「きったねー」
「臭ぇ」
罵りの言葉を発して逃げていく。
首に板を嵌めて罪人を晒す枷号。手が顔に届かないため、家族や知り合いが食事を与えなければ飢え死にする。排泄も人の手を借りなければそのまま。この刑は、人間の尊厳を奪うものである。
西安中が干上がっている猛暑、家族とて、自分が生きるのに精一杯だろう。しかも、治世の家は山の方。歩いて何時間もかかる。
碧の後ろで、治世の意識が朦朧となっている。
──熱中症。冷やさなきゃ。
辺りを見渡し、碧は水を探す。広場に面した茶屋の横に井戸が見える。走った。
「すみません! 桶を貸してください」
茶屋の主人は、碧の衣服に飛び散った泥や生ゴミを見て、服の汚れを落とすと思ったのだろう。
「使いな」
快く桶を貸してくれた。井戸で水を汲み、広場の治世の方へ向かおうとすると、茶屋の主人が慌てて追いかけてきた。
「どこへ持ってくんだ」
「あの人のところへ。暑さで死んでしまいます」
「だって罪人だろ?」
「水をかけるだけです」
「やめてくれ。あんな汚いとこへ持ってくんかい。うちの桶を」
早くしなければ、治世が危ない。碧は懐から小さな銀を出して、主人に押し付けた。
──治世!
碧は急ぐ。




