届かぬ想い
「呉三魁です」
呉という苗字は多い。茉莉は、まさか呉将軍の御曹司だとは思わない。一度会ったことがあるとはいえ、そのとき、茉莉は下を向いていた。なによりも、西安駐屯地のトップの将軍の御曹司は、普通ならば炊事場に来ない。
「おーい、火ぃ起こしたぞ」
誰かが奥から声を上げる。茉莉はそれに、「はーい」と答えて呉三魁の前からいなくなった。
プロポーズ失敗である。しかし、彼は、自己紹介をした達成感と、九天玄女と話した多幸感に包まれていた。
4日経っても息子からの報告がない呉将軍は「どうやって慰めようか」と悩んでいた。即行動に移す漢らしい息子は、とっくにプロポーズして振られたのだと思い込んでいたのだから。
そんな折、駐屯地内で競技会が行われた。
勝ち抜いて上位に残っている5名は、関寧鉄騎ばかり。呉三魁もその中にいる。誰かが言った。
「弓は、唐茉莉が1番じゃないか?」
「そうだそうだ」
「唐茉莉がいないのに1番を決めるなんて」
「莉莉、莉莉」
場がざわめきに包まれる。当の茉莉は、やっと皿を洗い終わり、薪割りをしているところだった。
「おーい、莉莉。呼ばれてるよ」
誰かが茉莉を呼び、弓技に引っ張って行った。
会場には、6つ目の的が急遽用意され、茉莉は弓と矢を渡される。
「え、的に当てるんですか?」
茉莉は弓の引き方は教わったが、的を狙ったことはなかった。すると、観客から「鳩だと思え」とヤジが飛び、皆が笑う。その様子に、弓を射る場に並ぶ関寧鉄騎の面々が訝しげに眉をひそめる。ヤジは更に盛り上がっていった。
「「「莉莉、莉莉」」」
「「「莉莉、莉莉」」」
太鼓の合図と共に、並んだ6人が一斉に矢を放つ。太鼓は5回。
茉莉以外、全ての者の矢が的に当たっている。茉莉だけは矢が1本、地面に落ちていた。
的の中心に近い矢ほど点数が高い。1位2名。それは関寧鉄騎だった。そのうちの1名は、幼少より武術の英才教育を施された呉三魁である。が、観客から大ブーイングが起こった。
茉莉の4本の矢は、中央の1点に集中している。ぎっちぎちに4本が刺さり、最後の5本目の矢は、既に刺さっていた4本に弾かれたのだった。その様子は、全ての者が見ている。
場の空気が悪くなったことを察した茉莉は逃げた。
「まだ薪割りが終わっておりません。失礼します」
夕食準備が始まる前、炊事場に呉三魁が現れ、茉莉を呼び出す。
「はい。あの、輜重兵でなく、関寧鉄騎の方だったのですね」
言いながらも、茉莉の視線はこんがり焼けた鶏モモ入りの紙袋に注がれている。呉三魁は暴れる心臓を宥めながら、話した。
「これは、弓の賞品です。君の方が上手かったから」
「いえ、それはありません。実際に5本目は的に当たっていません。戦なら、矢が1本、無駄になりました」
「戦では、ほとんどの矢が外れるんですよ。雨のように矢を降らせますから」
「そうなのですね」
固い。しかし、これが彼の精一杯。
「では、健闘を称えるという意味で、こちらを差し上げます」
茉莉は嬉しそうに鶏モモを受け取る。
「え、いいのですか?!」
「どうぞ」
「大好きです」
呉三魁は固まった。「大好き」という言葉の破壊力が凄まじかったのだ。もちろん、茉莉は「鶏モモが大好き」なだけである。鳩よりも肉厚で、食べごたえがある。
茉莉はすぐに食べてから仕事を始めなければならなかった。しかし、鶏モモを受け取ったのに、呉三魁はまだぼーっとつっ立っている。彼女は、はっとした。
──せっかく1位だったのに、この人、食べてないのかも。それは申し訳ないよね。
「はい、では、半分」
茉莉は袋の中から自分の分の1本を取り出すと、残りの1本が入った紙袋を彼の手に戻した。
「……」
頭の中を「大好き」という言葉が駆け巡り、呉三魁は身動きできないまま。
「すぐ仕事しなければならないので、ここでいただきますね。失礼します」
茉莉は、ぺろりと食べ、綺麗に骨だけを残した。そして、「美味しゅうございました。ごちそうさまでした」と行ってしまった。残された呉三魁は、しばらく「大好き」の残響に惚けたまま、その場にぼーっと立ち尽くしていた。
西安駐屯地は前線からは遠く、まあまあ長閑。
弓技での騒ぎ以降、関寧鉄騎では茉莉がときどき話題に上った。美しいということではない。本当に九天玄女ではないかと言われ始めた。
「弓が上手い者は、銃も上手いかもしれん」
茉莉は呼び出され、一度撃ってみろと銃を渡された。長銃。火薬が貴重なので、訓練で実際に撃つことは少ない。
「構えて」と言われ、銃身を支えた瞬間、場にいた兵たちの目の色が変わった。教えられてもいないのに、彼女の構えは熟練狙撃手のそれだった。本人に自覚はないが、茉莉は現代からの転生者。祭で射的をしたことがある。VRのシューティングゲームも得意だった。
1発目は外れた。再び火薬を詰め、2回目。弾丸は、見事、藁人形の頭部分を撃ち抜いた。
「「うわっ」」「「すげっ」」
馬にも乗れる。体力はばっちり。剣の腕も日々上達していると聞く。関寧鉄騎の面々は九天玄女と騒いでおきながら、「男だったら関寧鉄騎に引き抜いたのに」と悔しがった。
あるとき、物資を届けるために運搬部隊が兵営を出発した。炊事係の面々は、行軍中の食糧を荷車へ手際よく積み込み、兵士たちへ配っていく。ひと通りの仕事を終えると、埃を上げて進む部隊を見送った。
「あれ? これ、大事なもんじゃない?」
一人の炊事のおばちゃんが、房のついた札を拾い上げる。
「それ、関を通るときに見せる札だよ」
一緒にいたおばちゃんが慌てる。
「あれあれ、こんな大事な物」
「偉い人に言う?」
「そーしたら、落とした人が怒られるよ」
部隊は、関を通るための鑑札を落として行ってしまった。既に最後尾がやっと見えるほど遠くまで進んでいる。
「届けます」
茉莉は、それを手に取り、走り出す。
「「ええっ」」「「莉莉っ」」
おばちゃん達が驚いている間にも、茉莉の姿は小さくなって行く。
茉莉は部隊の最後尾に追いついた。そこで馬に乗っていたのは呉三魁だった。
「すみません。すみませーん」
後方から聞こえる声に振り向けば、九天玄女が走っているではないか。
「どうかしましたか?」
「はぁはぁ……こちらを落とされました。ああ、呉さん」
肩で息をしながら、茉莉は鑑札を手渡す。
「ありがとう。助かりました」
呉三魁はそれを受け取り、茉莉が戻る背中を見送った。もう走らなくてもいいのに、彼女は走っていた。
見送った後、馬を走らせて先頭の関寧鉄騎の先輩に鑑札を渡す。
「唐茉莉が届けてくれました」
「え。走って?」
「はい」
もう1人、傍にいた先輩も驚く。
「あの子、マジで関寧鉄騎入れた方がよくね?」
「オレも思う。とりあえず、帰ったらお礼言って、口説こ」
「難いぞ。周りのBBAのガードが固い」
「はははは」
冗談なのか本気なのか定かではないが、呉三魁にとっては一大事。道中、隊のしんがりを務めながら悩んだ。なんとしても先輩より先に想いを伝えなければいけない。
ただ、彼は、自分が先輩よりも茉莉に近い関係だと思っている。
①同い年(茉莉が歳を偽っていると知らない)
②自分の顔と名前を覚えていてくれた
③一緒に粟を洗った
④一緒に鶏モモを食べた(注:茉莉が食べただけ)
しかし、武勇に優れ、屈強な大人の男である先輩に勝てる気がしない。なんとか先輩よりも先に想いを伝えなければ、九天玄女は先輩の手に落ちてしまう。考えた挙句、文をしたためることにした。そうすれば、先輩が西安に帰る前に想いが伝わる。木々が芽吹いていること、沢の水が美しいこと。
──椿の花を君の髪に差すことができたら。
誰もが眠る中、焚き火の近くで呉三魁は筆を動かす。文にならば、結婚したいと書くことができるのだった。




