もう一つの結末・後編
お姉さんと和解できてもできなくても、まだ幼いクレアに負担をかけないように、今日はこの街の宿に泊まる予定だった。
お姉さんの家を出て、宿へ向かう途中の馬車。
「さっきはすみませんでした。あなたの許可も得ずに勝手な約束をして」
「そんな、気にしないで。ルディの家族にこれからも会わせてもらえるなら、むしろ嬉しいわ」
外国となると頻繁には会えないけど、ルディの家族なら私やクレアにとっても親戚だ。年に一度プレゼントを持って会いに行ける相手ができるなんて、とても嬉しい。
しかし私の何気ない返事に、ルディは「家族……」と呟き改めて口を開く。
「……思えば僕にはちゃんと家族がいたのに、自ら拒絶して勝手に独りのつもりになっていたんですね」
そう思い直したルディは、隣に座る私を見つめて丁寧に感謝する。
「僕が家族を取り戻せたのは、エミのお陰です。ありがとうございます」
「私は何もしていないわ。あなたとお姉さんがお互いを想い続けていたから、また自然にご縁が繋がったのよ」
それは謙遜ではなく本心だったが、ルディは「いえ」と否定して、
「今回背中を押してくれたこともそうですが、昔僕が拒絶した後、姉に話しかけて住所を聞いてくれたでしょう? あれが無ければ、偽名を使って外国で暮らす姉を見つけることは、きっとできませんでした。喧嘩別れのままにならないで済んだのは、やっぱりあなたのお陰です」
そして微笑みながら、こう告げる。
「だから、ありがとう。僕が道を誤らずに済むように、いつも照らしてくれて」
いつの間に彼は、こんなに綺麗に笑えるようになったのだろう? ルディの微笑みは瑠璃色の空に輝く白い月のように清らかで美しかった。
改めて目の前の彼が、自分にとってどんなに特別な存在か思い知りながら、心を込めて感謝を返す。
「それを言ったら私だって、ルディに何度も救われているわ。クロエに殺されずに済んだのもそうだけど、あなたがいなければ、きっとこんなに幸せな結婚はできなかった」
ルディと結婚する前、私が将来の伴侶に望んでいたのは、ただ領主の仕事を誠実にこなしてくれることだけだった。家庭においては私を女性として愛することは無理でも、子どもには優しい人であってくれたら、十分すぎるほどだと思っていた。
家柄以外になんの取り柄もない私が、領主としても夫としても素晴らしい人に愛されるはずがない。そもそもこれはデボラの体で、私はすでに死んだ人間。ルディや領民のためならともかく、他人から奪った体で自分の幸せを求めるなんて許されない。
だからデボラの代わりにルディに償い、領民のためになる結婚をする。デボラになったからには、それが私の果たすべき役割で、存在していい理由だった。
だけどルディが私を求めてくれた。自分にはどうしても私が必要なのだと。それが叶わないなら私を殺して自分も死ぬと、他の全ての選択肢を奪うほどの強さで。
彼のその切実な気持ちが、私に人として正しくあることより大事なものを選ばせてくれた。
いつかデボラとしての人生を終えて、あの世で神様に「お前のしたことは、やはり身勝手で許されない罪だ」と責められ報いを受けるとしても、私はルディと結ばれクレアを授かったことを絶対に後悔しない。
それくらい今この時が奇跡のように幸せだから――
「だから私もありがとう」
万感の想いを込めて告げると、ルディは優しく目を細めて私の肩に頭を預け、独り言のように呟く。
「……生まれてきて良かったです。死を願うほど苦しい時期もあったけど、今はこうしてあなたやこの子といられるから」
その言葉に、原作のルディオンを思い出す。
彼が単にデボラと公爵を殺すだけでなく、関係ない犠牲者を増やしてまで完全犯罪にこだわったのは、無実の身でなければ成し遂げられないことがあったから。
それはお姉さん夫婦の忘れ形見である娘を探し出して、代わりに護ること。ルディオンは身寄りのない子どもが、どんな悲惨な目に遭うか誰よりも知っている。だから自分が保護者になって、お姉さん夫婦の大事な忘れ形見を護ろうとした。
けれどデボラと公爵を排除し、しがらみを断ち切ったルディオンが向かった先。お姉さんが娘を預けた知人夫婦の家に、その子はいなかった。
知人夫婦は最初「勝手に出て行ったんだ。きっと親を恋しがって捜しに行ったんだろう」と言い訳していたが、ルディオンが調べたところ、姪がいなくなった時期に不自然な大金を得ていたことが分かった。
追及したところ風の噂でお姉さん夫婦が処刑されたことを知り、身寄りを失くしたその子を売ったそうだ。養子としてではなく、人を人とも思わぬ者が、なんらかの欲を満たすための『もの』として。
それを知ったルディオンは激情のままに知人夫婦を殺した。それだけなら、彼が罪の意識を覚えることはなかったかもしれない。
ところが彼らの悲鳴を聞いて、
「お、お父さん、お母さん……?」
変わり果てた両親の姿に呆然とする女の子を見て、ルディオンは自らの過ちを悟った。他人の娘を売るような非情な人間にも生活があり家族がいて、その人の死が別の誰かの致命的な不幸になることを。
それでもルディオンは、両親の死体に縋って泣き叫ぶその子を置いて逃げた。売られた姪の生死を確かめるまでは、まだ捕まるわけにはいかないと。
しかしルディオンは街を出る馬車に揺られながら、こう考える。今まで数え切れないほど生まれたくなかったと、自分の人生を呪った。けれど『生まれたくなかった』というのは被害者的な考えだ。自分は本当に被害者だろうか? と。
デボラとの関係だけならルディオンは明らかに被害者だろう。けれど彼がいなければ、お姉さんは弟と会うために危険を冒して夫と共に処刑されずに済んだ。
その悲劇がなければ姪が売られることも、悪人とはいえルディオンには無関係の令嬢たちや、ただ不遇な生まれだっただけのクロエや知人夫婦が殺されることもなかった。ルディオンに両親を殺されて、あの家の子が不幸になることも。
『僕さえいなければ、そもそも悲劇など一つも起こらなかった。生まれたくなかったではない。僕は生まれるべきではなかった』
それが原作のルディオンが夜の馬車の中で独り、最後に辿り着いた悲しすぎる答え。
「どうして泣いているんですか?」
急に涙した私を見て、ルディは戸惑い顔で尋ねた。
原作では自分の生を呪っていたあなたが、悲劇を回避して授かった命に感謝できたことが嬉しい。
けれど、せっかく知らずに済んだ絶望をわざわざ教えたくはない。だから私は涙を拭って、代わりにこう答える。
「私もあなたと、こうしていられることが嬉しくて」
はじめて小説を通じて、あなたを知った時。『生まれるべきではなかった』と自分の存在を否定するあなたの傍に行き、そんなことはないと強く抱き締めたかった。どうか絶望しないで。幸せになってと何千回でも励ましたかった。
それでもし、あなたの心に少しでも光が戻るなら、他の願いは一生叶わなくていいと思うほど強く。
どうしてそれが叶ったのかは分からないけど、偶然に思えたこれが確かに自分が望んだ奇跡だったことに改めて気づいた私は、隣に座るルディを抱き締めて、
「生まれてきてくれて、ありがとう。私もあなたと出会えて良かった」
世界一大切な人と共に在れる今に心から感謝した。




