彼が憎まれる理由
私はこれが変な夢で自然に目が覚めるんじゃない限り、デボラとして生きる決意をした。
今からでもルディオンの心の傷を可能な限り癒し、デボラが引き起こす悲劇を止めて、彼が幸福になれるように最善を尽くそうと。
と言っても、私は加害者で彼は被害者。特に彼がデボラにされたことを考えれば、顔も見たくない相手だろう。
謝罪と補償は必要だけど、
『これまで本当にゴメンね。何かして欲しいことはない?』
と付きまとわれるのは、かえって苦痛なはずだ。
だから使用人さんたちに、
「彼の身の回りの世話を十分にしてあげて。それと、いつか独り立ちするために必要な教育を」
と頼んだ後は、なるべく関わらないようにした。
ルディオンには悪いけど、彼を慰めようと、やたらと高価なものを買い与えるのは、子どもにはかえって毒かもしれない。
だから今は十分な衣食住と教育を与えて、慰謝料は彼が独り立ちする時に、常識的な金銭感覚が備わってから、まとめて支払おう。
デボラの顔など見たくもないはずという配慮は正解だったようで、彼から接触してくることもなかった。
公爵家の屋敷はとても広いので、お互いに会おうとしなければ完璧に避けられた。
ところが、この世界で目覚めてから一か月。
「えっ? ルディオンを家から追い出す?」
父の書斎に呼び出された私は、とんでもない宣告に目を見張った。
「どうしてですか? 彼はまだ十二歳なのに。家から追い出したら、まともに生きていけませんよ」
ルディオンは五年前、父の後妻として嫁いだ姉と共にイヴルハイド家へ来た。
彼も貴族だが、流行り病で両親が亡くなり、親戚に財産を食いつぶされて没落。帰る家はなく唯一の肉親だった十歳上の姉も今は、ある事情からいなくなった。
私の反発に、父は怪訝そうに眉をひそめる。
「いつからそんなに優しくなった? ルディオンの姉が私を裏切り使用人と駆け落ちして以来、置き去りにされたあの子を、気まぐれに嬲り弄ぶための人形のように扱っていたくせに」
父の言うとおり、ルディオンの姉は二年前、彼が十歳の時に使用人と駆け落ちした。しかもイヴルハイド家から金目の物まで持ち出して。
それがデボラの虐待を知りながら、この屋敷の大人がルディオンを助けない理由。
「正直なところ、お前は母親に似て酷く醜い。正攻法で女の喜びが得られることは無いだろう。だから満たされない欲求をルディオンに向けることを許した。それが本来は、この家の人間でないあの子に援助する代償だとな」
けれど私がデボラになってからは、ルディオンに手を出さなくなった。これだと公爵家はただ彼を養っているだけ。ルディオンの姉に裏切られた父はそれが許せず、家から追い出すと言う。
他に行き場のない子どもに対して、衣食住と引き換えに望まぬ関係を強いるなんて絶対に許されない。けれどルディオンにそれを強いたのは父ではなくデボラなので、今は彼女である私が非難するのはおかしい。
そういう非道を抜きに考えれば、いくらお金持ちでも、よその子を養う義理は無いのかもしれない。
しかしルディオンの場合は全くの他人ではない。
「ですが、お父様は彼の姉を妻に迎える時にルディオンを養子にしました。彼女がお父様を裏切ったからといって、イヴルハイド家の籍に入れた以上は養育の義務があります」
父は裏切られるまで、若く美しい妻と彼女に瓜二つな弟のルディオンを愛していた。
けれど結婚しただけではイヴルハイド家の一員になったのは彼の姉だけで、ルディオンは没落貴族の息子のまま。
だから父はルディオンが優秀だったのもあり、彼を養子にして正式に家族として迎えた。
彼との縁は結婚とは別のものだから、後妻が逃げたからといって自然に解消されない。
そして姉が逃げたからと幼い弟を追い出しては、父は非情だと貴族社会で白い目で見られるだろう。
しかし、その問題について父はこう考えていた。
「周囲には病気か何かで死んだことにすればいい。ルディオンの顔はまだ社交界に知られていないから、どこで野垂れ死のうが誰も気づかない」
父はもはや憎しみではなく淡々と、ただ目障りなゴミを片付けるかのように話した。
「お父様。お願いですから、そんな惨いことをおっしゃらないでください」
父が後妻に裏切られて、傷ついた気持ちは分かる。父の最初の妻であるデボラの母も、娘と同様に醜かった。
この人は愛の無い結婚をし、妻が亡くなった後、ようやくルディオンの姉と出会い恋を知った。
けれど若く美しい妻のほうは十六も年上の夫を愛していなかった。そんな美しい姉に、ルディオンは驚くほど似ている。
「お父様が彼女に裏切られて傷ついた気持ちはよく分かります。ルディオンは彼女によく似ているから『なぜ自分を裏切った女の弟を?』と思わず憎くなるでしょう」
父の気持ちに理解は示しつつも、私はその場に膝を突いて慈悲を乞う。
「それでもどうか、ただでさえ実の姉に捨てられて、私に酷く弄ばれて、ボロボロの彼をこれ以上傷つけないでください」
涙ながらに訴える私を、父は不可解そうに見下ろして問う。
「お前は本当にどうしたんだ? 以前は一度癇癪を起こしたら手のつけられない悪魔のような娘だったのに、最近はすっかり落ち着いて。ルディオンどころか私の気持ちまで気にかけるなんて」
「……そういう悪魔のごとき自分の所業に気づいて心底反省したのです。そして叶うなら今からでも犯した罪を償いたいと」
私が犯した罪ではないけど、デボラになったからには彼女が傷つけた人たちを少しでも癒したい。
「ですからルディオンを追い出さないで。これまで傷つけてしまった分、あの子を幸せにさせてください」
どうか聞き入れて欲しいと深く頭を下げるも、父の返事はこうだった。
「お前にいくら頼まれても、私はもうあの子を養育する気は無い」
しかし「お父様」と食い下がる私に、父は背を向けたまま続ける。
「だからどうしてもあの子を育てたいなら、お前がやりなさい。家庭教師や学校の手配。その他、親がするべきことは全て。それができるなら、あの子をどうしようがお前の勝手だ」
自分は関与したくないが、この家で面倒を見ることは黙認してくれるらしい。
ホッとしたのも束の間、父は「その代わり」と怖い顔で警告する。
「ルディオンの姉は結婚の誓いを破ったばかりか、金品まで盗んで逃げた。あの子も大人になれば姉と同じように、お前を誘惑して、この家を乗っ取ろうとするかもしれない。だから何があっても絶対に、ルディオンとだけは結婚するな」
予想外の懸念に、私はやや驚きつつも素直に同意する。
「は、はい。それはもちろん。私はただあの子が落ち着いて大人になれる環境を用意したいだけですから」
「ならばいい」
なんとか話がまとまって今度こそ安堵する。
話が済んだ後、この件はルディオンには秘密にして欲しいと父に頼んだ。
父に疎まれていることを、ルディオンは知っているだろう。それでも家を追い出すつもりだったと聞けば、やっぱり傷つくだろうから。




