起こったことは変えられないけど
もし事件前に介入できていたら決して彼をイジメなかった。
ところが残念なことに、デボラになった時にはすでに手遅れだった。
時は真夜中、場所はイヴルハイド家の豪華な寝室。十三歳のデボラは一つ下の義弟の尊厳を、まさに踏みにじっている最中だった。
そう、おぞましい行為の果てに彼女の意識が飛び、入れ替わるようにして私が目覚めたのである。
二人ともベッドの上で、服は床に散らばっていた。当たり前だけど、彼は泣いていた。
私は慌てて彼の上から退くと、
「ゴメンね! ゴメンね! ゴメンね! 謝って許されることじゃないけど、本当にゴメンなさい!」
そのままの姿でベッドに土下座して、半狂乱で謝った。
悪魔のような義姉の突然の豹変に、まだ十二歳のルディオンは呆気に取られながら身を起こす。
「きゅ、急になんですか? いつもは嫌だと言ってもやめてくれないのに」
「ぐぅっ」
この一言で、これが初めてではないことや彼の意思が踏みにじられ続けていたことが一気に伝わり、心に深刻なダメージを負う。
私は色んな衝撃に震えながら再び彼に謝罪する。
「ゴメンなさい。急にこんなことを言っても信じられないだろうけど、自分がどんなに酷いことをしていたか、唐突に悟ったの……」
こことは違う世界だの、自分はデボラではないだの言っても、ルディオンには意味不明だろう。
だからあくまでデボラとして反省の意思を伝えるも、これまで散々痛めつけられてきた彼が、すんなり受け入れられるはずがない。
「……さっきまで僕の悲鳴を無視し続けていた人に言われても信じられません」
彼はアクアマリンのような美しい瞳に涙を浮かべて私を睨むと、
「また何か僕を痛めつけるための罠なんじゃないですか?」
と拒絶して私の目に触れるのを嫌がるように、背を丸めて自分の体を抱き締めた。
私はハッと気づいて「ゴメンね」とベッドカバーで彼の体を隠して誓う。
「もう決してあなたに触れないし、私からは話しかけない。なるべく顔も見せないようにするわ。それであなたにしたことが帳消しになるわけじゃないけど、もう絶対に傷つけない」
どうせデボラになるなら、どうしてもっと早く替われなかったのだろう? この子は今日まで、どんなに辛かっただろう?
想像すると悲しくて悔しくて、私は泣きながら「だから怖がらないで……」と願った。
まだ幼いルディオンは人形のように整った顔を歪めて重い口を開く。
「……さっきまで悪魔みたいだったのに、まるで人が変わったみたい。気持ち悪いです……」
そうして義姉の変化に嫌悪と戸惑いを表しながらも、淡々と尋ねる。
「……とにかく用が無いなら、もう出て行っていいですか?」
「……ええ。本当にゴメンなさい」
私は自分の肌を隠すのも忘れて、ベッドの周りに落ちていた彼の服を拾って渡した。
ここが銭湯や更衣室でもない限り、本人の許可無く体を見るのは悪いことだ。
ルディオンが服を着直すまで、私はジッと背を向けていた。
彼が去ってから私も服を着ると、大きな鏡のついた化粧台の前に立つ。
初めて見るのに、私はこの姿を知っていた。デボラの目で何度も見たから。
デボラは本当に気の毒なほど醜かった。
前世の私だってお世辞にも美人ではなかったが、髪や肌は健やかで、体型的にもちょっと太めくらいだった。
でもデボラはそばかす顔の肥満児で、顔中に散ったシミを隠そうと寝る時まで濃いメイクをしていた。そんなことをすれば、ただでさえ荒れやすい肌が余計に荒れてしまうのに。
ただ他人ならともかく自分事だと『そばかすはチャームポイント』なんて思えなかった気持ちは分かる。しかもデボラの外見的な欠点はそばかすだけじゃない。
目鼻立ちは良くも悪くも普通だが、口を開けるとガタガタの歯並び。加えて重度の肥満と、メイクと不摂生による酷い肌荒れを抱えていた。
その醜い容姿に反して、髪だけは彼女の激しい気性を表したように真っ赤で、メデューサのようにうねっていた。瞳は炎のようなオレンジ。どちらも容姿に自信の無い女性を彩るには派手過ぎる色。
デボラの容姿がこうも残念なのは、彼女が異世界恋愛ではなく、ミステリー世界の悪役令嬢だからだろう。
異世界恋愛の悪役令嬢はヒロインより美しいことが多い。なぜなら外見だけなら最上級の悪役令嬢に、ヒロインが清く優しい心で勝つのが恋愛の王道だから。
しかしここはミステリーの世界で、本当の主役は主人公のクロエではなく犯人のルディオン。
犯人は幼少期から醜悪な義姉によって、先ほどのように身心を傷つけられてきた。この場合は相手が美しいよりも醜いほうが、犯人の悲劇性が増す。
だからデボラは心だけでなく姿まで醜悪に設定された。この子もある意味シナリオの犠牲者だ。
いや、本当に可哀想なのは彼女に虐げられていたルディオンなんだけど。
自分が死んだだけでも現実感が無いのに、気づいたら小説の世界とか、まるで悪夢のようだ。
前世の私とは違う優雅な口調やこの国の言葉が自然と分かるのは、魂が違っても体はデボラのものだからだろうか。
前世の私は恐らく地震で死んだ。
自宅で就寝中に起きた地震。ちょっと大きいけど、そのうち収まるだろう。明日も仕事だし早く寝なきゃ。
そう考えて寝直すも地震は収まるどころか激しくなり、ベッドで寝ていた私の上に何かが落ちてきた。それが前世の最後の記憶。
私は家族と住んでいたので皆も被災した可能性が高い。どうか命だけでも無事であって欲しいと遠くから願う。
災害でとつぜん命を落としたとはいえ、自分の人生を生き切った私が十三歳の少女の体を奪ってしまったのは申し訳ない。でもデボラに体を返してあげなきゃとも言えない状況だ。
もしこの現象が一時のものでまたデボラに戻ってしまったら、ルディオンへの残酷な仕打ちを今度こそ誰にも止められない。
ルディオンはまだ子どもで、デボラは心身ともに醜い。普通なら強要したところで、成立するはずのない関係。それがどうしてできてしまったかというと、デボラの魔法のせいらしい。
この世界には地水火風の他に光と闇の六属性があり、デボラは火属性だ。そしてこの世界の魔法は、対応する属性を操るだけじゃなく、人間の心身にも影響を与える。
精神を静める作用のある水魔法と逆に、火魔法は心身を高ぶらせる効果がある。通常は戦闘などにおいて、士気を高めるために使われるが、悪用すれば今回のように対象を強制的に反応させられる。
けれど魔法使い同士なら、魔法による精神干渉に抵抗できる。特にルディオンは『水魔法の天才』という設定だ。さらに水魔法は熱情を静めるので、本来ならデボラの魔法を容易く打ち消せる。
しかし、それは抵抗を許される状況ならの話。公爵家の養い子であるルディオンは、大事な一人娘であるデボラに逆らえなかった。
本来ならあり得ない相手に魔法で無理やり蹂躙される。その苦しみと屈辱はいったいどれほどのものだろう?
デボラにもデボラの辛さがあったのかもしれない。けれど、どんな事情があっても他に行き場のない子どもの心と体を、これほどまでに傷つけていい理由にはならない。
加害者の人権に配慮するより、まずは被害者であるルディオンが、これ以上傷つかないように護らなきゃ。
推しとか殺人犯になるからとか関係なく、子どもがこんな惨い目に遭うなんて許されないから。




