長い口づけ
あれ以来、変な事件は起きなかった。加えてクロエと関わらなくなったことで、黒い噂は徐々に下火になった。
といっても、あの不可解な事件は人々の口に上らなくなっただけ。
私には漠然と悪女のイメージがつき、ルディ以外はますます誰も近づかなくなった。
私が本当の十七歳だったら孤独で泣いていたかもしれないけど、中身はもう大人だ。
直接的な悪口や嫌がらせは困るけど、遠巻きにされるくらいなら自由や静寂として受け入れられる。
むしろ私にはボッチ状態よりも、気がかりなことがあった。
「あの、ルディ。休日はいつも私と過ごしているけど、たまには一人で街に遊びに行くとかしなくていいの?」
平日は男子寮と女子寮に分かれて一緒に過ごせない分、休日は必ず王都の宿に泊まって一日中ベタベタしていた。
一方、原作のルディオンはデボラを嫌って、なるべく一人になろうとしていた。
そして休日に一人で街に行った際に、接触のチャンスを窺っていたお姉さんと再会する。
原作のルディオンは、お姉さんが迎えに来てくれたことを、とても喜んでいた。
もしあのままお姉さんの元に行けていたら、彼は罪を犯さずに済んだだろう。
けれどデボラがまたしても、ルディオンを絶望の底に叩き落とす。
デボラはルディオンに監視をつけており、お姉さんとの再会を知っていた。
彼の姉は結婚の誓いを破り、あまつさえ公爵家の金品を盗んで逃げた犯罪者。これが貴族同士なら、捕まっても多額の賠償金か数年の投獄で済む。しかし裏切った側が平民なら、不貞は許されない罪として、被害者が望むだけで死刑にできる。
もとは貴族でも家が没落した時点で、お姉さんの身分は平民と同等。しかもこの国の領主は、自領の判事も兼ねている。そんな父に見つかれば、お姉さんの死刑は確実だった。
デボラはまさにそれをやった。手下にルディオンのお姉さんを捕らえさせ、そのまま父のもとに連行した。それは処刑台に送るのと同義だったのに。
『次に会う時は一緒に逃げましょう』
そう姉弟が約束した日。最低限の荷物を手に待ち合わせ場所に来たルディオンの前に現れたのは、お姉さんではなくデボラだった。
『今日お父様から小包が届いたわ。無事に裏切り者を処刑したとの報告と――ほら』
デボラは青いリボンで束ねた銀髪を、ルディオンの足元に投げ落として告げる。
『ここに来られなくなった待ち人の代わり。あなたのお姉様の遺髪よ』
すでに限界だったルディオンの我慢の糸は、今度こそデボラによって無残に断ち切られた。この最悪の痛手が彼に復讐を決意させた。
でも私がデボラになったからには、もうお姉さんの計画を邪魔する者はいない。
後はルディが一人で王都をぶらついて、彼との接触のチャンスを探っているはずのお姉さんに見つけてもらうだけだ。
けれど、その『一人で王都を歩くだけ』がとてつもなく困難だった。
「一人で街に行って何が楽しいんですか? 姉上が街歩きしたいなら付き合いますけど、一人では行きません」
現実のルディは私にベッタリで、全く離れようとしない。
彼の姉は意地悪なデボラを警戒しているはずだから、私が一緒にいたら出て来られないだろう。
このままじゃお姉さんが、ルディに接触できない。
「そう言わず、たまには一人で行動するのもいいんじゃないかしら? いくら平日の夜は一緒に過ごせないからって、せっかく王都に来たのに毎回私と宿にこもりきりじゃ退屈でしょう?」
やや強引に一人での街ブラを勧めると、ルディはピキッと空気を凍らせた。
あっと気づくも時すでに遅く。
「……つまりこういうことですか? いくら平日の夜は別々だからって、休日のたびに盛るのはいい加減にしろと。こっちは同じことの繰り返しで、もう飽き飽きだと」
ハイライトの消えた目で圧をかけてくる義弟に、私は慌てて弁解する。
「そういう意味じゃないのよ!? たまには違う休日の過ごし方をするのも、気分転換にいいんじゃないかと思っただけで!」
いちおう効果はあったのか、ルディはただの不機嫌顔に回復した。けれど私の提案を聞く気は一切ないようで、こう続ける。
「気分転換に別のことをしたいと思うほど、こちらはあなたが足りていません。それなのに姉上はもっと削れと? そんなに僕が疎ましいですか?」
日々色んな方面からたじたじにされているけど、私は彼が愛おしくて仕方ない。
しかし過去のあれこれのせいで自分を低く見ているルディには、私が彼を嫌って遠ざけようとしているように思えるみたいだ。
「ゴ、ゴメンね? 誤解させるようなことを言って。あなたが邪魔だなんて思ったことないわ。次の休日も、いつもどおり一緒に過ごしましょう」
「……本当に邪魔じゃないですか?」
実の姉に置き去りにされた経験は、どれだけ彼の心の傷になっているのだろう。
ルディの孤独と不安が伝わってくるようで、私の胸も痛くなる。
だから彼の頬に触れながら、
「邪魔なはずがないわ。世界でいちばん大好きよ」
と心を込めて愛情を伝える。
少し安堵したのか、ルディはやや表情を和らげたが、
「……じゃあ、キスしてください」
言葉だけじゃ不安なようで、口づけを求めてきた。
「キスって……。学園でそういうことはしない約束じゃ……」
気まずい話題に声を潜めながら、ソロッと周囲を見渡す。そもそもルディと話す時は人気の無い場所を選んでいるけど、それでも平日の学園。誰がなんの用事でやって来るか分からない。
けれどルディは引くどころか、私の手を取って身を寄せながら口づけを迫る。
「ここには僕たち以外誰もいませんし、一回なら平気ですよ」
「で、でも」
「したいです、姉上。してください」
シンプルに懇願されるのがいちばん弱いかもしれない。不安そうな目をされると逆らえなくて、たじろぎながらもキスに応じることにした。
「じゃ、じゃあ、一回だけね?」
頬や額へのキスとは違って唇へのそれは、たとえ軽く触れるだけでも緊張してしまう。想像だけで全身が熱くなるのは、もう相手を子どもとして見られていない証拠だった。
そんなやましさをなんとか振り切って、少し背伸びしてキスすると、
「~っ、ルディ」
ルディは私の後頭部と腰に手を回して、ギューッと抱き締めながら長々と口づけた。
「い、一回って言ったのに……」
真っ赤になりながら、彼の胸を押し返す。
ルディは素直に身を離すも、少し意地悪な笑みで述べる。
「どれだけ長くても唇を離さなければ一回です」
「そういう油断が命取りになるんだから、二度としちゃダメよ?」
女性ほどではないが男性も、婚前交渉の噂が流れれば評判に傷がつく。相手が私なら余計に、
『あんな不美人をわざわざ相手にするのは、きっと次期公爵の座を狙ってのことだろう』
とルディの人格が疑われてしまうだろう。
そういった悪評は、きっと恋愛でも仕事でも彼の汚点になる。
特に私は彼にいつか幸せな結婚をして欲しいと願っているので、自分がその妨げになることはしたくなかった。
それなのに本人は、
「じゃあ、姉上のほうこそ僕がいい子でいられるように、休日は一人で過ごせなんて二度と言わないでください」
私の髪を一房サラリと掬って口づけながら、
「じゃないと姉上の悪い噂が増えることになります」
自分はそれでも構わないとばかりに微笑んだ。
他人には絶対に心を開かないみたいな顔をして、慣れた人にはむしろ触りたがりなの、なんなんだろう?
私はルディにいちばんの幸せを掴んで欲しい。だから彼が私に求めるのはいいけど、私が彼に求めるのはダメだ。
それなのに、こう「姉上姉上」と擦り寄られると、いつか彼を手放せなくなりそうで怖かった。




