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12話

 カラオケボックスのドアが閉まる。

 薄暗い照明と、エコーのかかった機械音が、いつもの空間に切り替わる音だった。


 七海はリモコンを手に取りながら、当然のように宣言する。


「じゃーん! トップバッターはこのあたしでーす!」


「誰も止めねぇけどな」


「止めないんじゃなくて、止められないの。わかってるねぇ朝倉」


 ドリンクを取ろうと立ち上がった咲が、クスッと笑った。

 その笑顔はいつもと同じで、ほんの少しだけ――安心する。


(……空気、戻った……かな)


 ついさっきまで玲奈とすれ違っていた。

 わずか前のことなのに、もう一つ別の場所の出来事みたいに感じる。


 咲も七海も、何も言わない。

 言わないけど、たぶん、気づいてはいる。


 七海なんて特にそうだ。

 わざと大げさに明るくしてるの、見ればわかる。


 俺はソファに沈み込んで、咲が差し出してくれたドリンクを受け取る。


「ありがと」


「ううん」


 咲はそれだけ言って、隣に座った。


 そして、七海が曲を入れて、歌い始めた。

 軽快なビートに合わせて、いつも通りのノリでリズムを刻む。


 その声が流れた瞬間、部屋の空気が一段軽くなった気がした。






 曲が終わって、しばらくの静寂。

 スピーカーの残響が消えて、誰もリモコンを触らないタイミングだった。


 七海はストローをくわえたまま、ふと口を開いた。


「でさ」


 その一言だけで、なんとなく嫌な予感がした。


「さっき校門で会った子……やっぱ元カノだよね?」


「……は?」


 予感は的中した。いや、ストレートすぎた。


 七海はストローをくわえたまま、ふと口を開いた。


「……ななちゃん」


 咲の声が、小さく割り込んだ。

 でも七海は止まらない。


「白川玲奈って言うんでしょ? 朝倉と付き合ってたって、クラスで前ちょっと噂になってたし」


 七海は、まるで天気の話でもしてるかのような顔で言った。

 さらっと。悪意も興味本位も乗ってない、ただの確認のトーン。


「お前、それ本人に聞くか……?」


 俺が言うと、七海は一瞬だけ目を丸くして――すぐ、にこっと笑った。


「んー……でもさ」


 ストローを指でくるくる回しながら、軽く肩をすくめる。


「変に気を遣って触れない方が、不自然じゃない?」


「……っ」


 ぐぬぬ。

 言い返せそうで、言い返せなかった。

 たしかに、あの場にいて何も感じてないわけがない。

 七海がそれを言わないタイプじゃないのも、知ってた。


「てか、やっぱそうだったんだね。あのときの空気、めっちゃ元カノ感出てたもん」


「……何が元カノ感だよ」


「なんかさ、あの感じ……もう終わってんなーって空気だったよね」


 言い方は軽いのに、なぜか刺さる。

 咲が一瞬だけ視線を伏せたのがわかった。

 でも、すぐに何もなかったみたいにドリンクを持ち直した。


「……まあ、そうだよ」


 俺は短く答えた。

 それ以上、説明も言い訳もするつもりはなかった。


 七海は「ふーん」とだけ言って、ストローを噛みながら視線を横にそらした。


「ま、今さら戻る気もないでしょ?」


「……あるわけねぇだろ」


 その返事に、七海はくすっと笑う。

 どこか納得したような、でも別に驚いてもないような、いつもの気の抜けた笑み。


「うん。言うと思った」


 咲が、小さく頷いたのが目の端に映った。

 それ以上、何も言わなかったけど、その沈黙が妙にやさしかった。


 部屋の中に、微妙な空白ができた瞬間。


 七海がふと思い出したように言った。


「てかさ、あの子――」


「……ああ」


「うん。……なんでもない」


 七海はそれ以上続けなかった。


 だけど、その言わなさが逆に引っかかった。

 いつもなら、遠慮も前置きもなくズケズケ言ってくるやつなのに。

 今回は、なぜか途中で言葉を飲み込んだ。


(……なんだよ、それ)


「……ふーん」


 七海はそれ以上言わず、咲はそれを見て、わずかに首を傾げた。


 スピーカーが空気を震わせて、次の曲が始まる。

 咲がリモコンを手に取って、「じゃあ、私いこっかな」と立ち上がる。

 歌い始める直前、俺の方を見て、ほんの少しだけ笑った。


 その笑顔を見ながら、俺は思った。


(もう、過去に引き戻される理由なんか、どこにもない)


最後まで読んでいただきありがとうございます!

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