もう駄目だ
私たちをあちらも目視にて確認したのだろう。
目の前に広がる惨状にどよめきの声はなく、一人の男が手を挙げると騎馬隊がサッと脇にどく。
これほどの惨状を見ても慌てふためく声を誰一人上げない。
それは異様な光景だった。
「グラニム伯爵か」
自国の社交にすらほぼでない私とは違い、王都有数の貴族であるノアは隣国の貴族名鑑が教養としてきちんと頭にはいっているのだろう。
ノアの表情が一瞬だけ曇った。
その表情がなくとも私にもわかることがある。
これだけの大勢の兵を率いてきたのに、僅かに中央にいるグラニム伯爵が手を挙げるだけで軍の歩みが止まり、そして命令を言葉にしなくともまたも手を掲げるだけで陣が逸し乱れること無く動く。
それは目の前に対峙している相手は使い捨ての傭兵ではなく、きちんと訓練されているのが一目瞭然だった。
そんな彼らだからこそ私たちがずぶ濡れのみすぼらしい格好をしていても急ぎせめてくるような素振りすら見せない。
不当に国に攻め入るために転移スクロールを使えなくしたくらいだ、そのスクロールの販売をしている家名のメンツをあちらさんも知らぬはずもない。
ぎゅっと思わず縋るように握ったノアの服からポタポタト雫が落ちる。
ノアの服は以前濡れたまま。
侵略が目的なのだから魔法の優れた使い手のノアの存在は脅威。
――ノアはここで間違いなく殺されるだろう。
私はもう雨を降らせる魔力すらない。
残ったのはウソとホントを見せるこの目だけ。
隊の後方からいくつも浮かび上がる文字は魔法の詠唱の言葉だった。
なんの魔法を使うかまではわからないが、唱えているのは一人や二人ではないことだけがわかる。
有数の使い手であるノアがずぶ濡れの様子を見てこれは好機と防ぎきれない魔法を唱えこの機を逃すつもりなどないのだろう。
何人もが長い同じ言葉を唱えると、目に見えるほどの魔力の粒子が浮かび上がり空中に魔法陣を描き始める。
目視できるほどの大きな大きな魔法陣。もうどうにもできないことは明らかだ。
「ねぇ、ノア。私あなたのこと結構好きよ」
本心だった。
もしノアが加護を持っていたら、私の文字にまとわりついた真実が見えたことだろう。
絡みつくホント、ホント、ホントが。
「今生の別れみたいにいうね」
こんなときでもノアはいつものように答える。
「ねぇ、スクロールを使って人に見られることなく逃げたのに正直どうやってマクミランだとわかったかだけ教えて。これを聞いておかないときっと一生気になっちゃうわ」
気になってたことを私が聞いたその時ノアの目が大きく見開かれた。
ノアの口から初めて魔法をより具体的に使うイメージを高めるための呪文が紡がれた。
変身魔法すら無詠唱だった彼が、だ。
残りの魔力をより効率よく使うために、そして最後の最後まで残った魔力を振り絞るつもりだろう。
「ノア、もう無理よ」
そんな諦めの言葉が私からもれたそのときだった。
魔力の粒子の粒があつまって空中に描かれた魔法陣か姿を変え始める。
――――なんて才能。
信じられない、最悪なコンディションで魔力の制御権を奪うなんて信じられない。
敵陣からも上がる戸惑いの声が浮かび出す。
「どうなっている?」
「陣が書き換えられています! 制御できません」
「詠唱をすぐに止めて魔力の供給を断て」
こんな土壇場で魔力拡散剤を打たれてもノアはあれだけの魔法陣を無効にするというのか。
しかし、魔法が不発でも騎馬隊がいる。
しかしノアは苦しげな表情とは違いこう言ったのだ。
「十分な魔力をありがとう」
魔法陣は拡散して消えることなく描かれ続ける。
何が書かれているかなんて魔法の学校を出ていない私にはさっぱりとわからない。
けれどただ一つわかったことがある。
魔法陣陣の最後に描かれた古代文字だ。
『マクミラン』
マクミラン? どういう意味。
その時だ!
金の粒子がどこからとも無く現れ別の魔法陣を描き出す。
私はこの光景を知っている。
あらりえない。
それはグラニフも同じだった。
「馬鹿な!? 転移の陣は使えないはずだ。確かに転移魔法の目印になる座標は壊されたのになぜ」
うろたえるグラニフの言葉にまとわりつくホント、ホント、ホントの文字。
私は驚いてノアを見あげた。
その間も空中に金の粒子が次々と現れる。
1つ2つ、そして3つ4つとそしてあっという間に数えきれないほどになる。
そして私でも見覚えのある魔法陣へと次々と姿を変える。
転移魔法を使った時に現れる魔法陣。
「なんだ!? どうなっている」
「確かにマクミランには転移できないことを確かめはずだ」
向こうからそんな声があがるが、そんなことお構いなしに空中に新たに魔法陣から光の粒がこぼれて人の形を作っていく。
最初の陣で現れた人物を私は知っている、というかたぶん他の皆さんも国の要人中の要人くらいご存じだと思う。
齢70近くなりヴィスコッティ家の家督はとうの昔に息子に譲ることはできても、彼は未だに魔法の第一線から引くことはなかったというか、国が引くことを決して許さなかった。
今もこの国で一番の魔道士、ノアの祖父だ……
「ご足労ありがとうございます、お祖父様なら来てくださると思っておりました」
丁寧な言葉遣いでノアが頭を下げた。
「流石俺の孫といいたいところだが、魔力が拡散してるとはヘマをしたな。まぁ、よくやった。さぁて、対人戦は久しぶりだ」
そして次々と陣から人が現れる。
ノアの父である現公爵様、彼の兄弟、ヴィンセント、そしてこんな僻地にくることはないと思っていたあまたの優秀な魔導士たちが次々とあらわれた。
国を挙げて集められたレベルの魔導士たちの登場に勝敗は見えていた。
「いったい、貴様は何をしたんだ」
グラニフがノアに声を張り上げた。
シーンと静まり返った戦場でノアがさらりと答えた。
「私はスクロールがなくとも転移魔法を使える。だから私自身が転移先の座標の計算はできる。後足りないのは転移魔法の座標として機能する依代だけ。それを魔力で一次的に作った」
「そんなもの机上の空論だ」
「私は場に残った魔力の残滓に自身の魔力を足して転移魔法を復元したことがあってね。書き換えられるのではとひらめいた」
「ありえるはずがないーー」
グラニフの咆哮と奮闘は虚しく響いた。




