駆ける光
*クロウ・ナガミネ(アルキュール王国 セダの村)
蓋を開ければ、勝負は一方的なものだった。
防戦に徹さなければ即座に負けというほど、力量差が開いていたからだ。
「吼えろ光なるもの
明晰さこそ真理なり」
男の詠唱とともに、もうもうと跳ね上がる土埃を切り裂いて、いくつもの四足の光が駆けてくる。
全力で回避。触れても駄目だ。
幸いそこまで高度な制御はされていないらしい。
動きは直線で読みやすい。
おそらくは神聖魔術を経由した精霊操作。
詠唱の短さからして、そのごく初歩たる《光矢》だろう。
精霊を操作できるというそれ自体はいい。
精霊魔術と神聖魔術は、基本的にこの世界の異なる相に関わっている。
物質的なものと概念的なもの。
眼前のこの物があるということと、それが何であるかということ。
これら二つは水と油のように区別されるものである。
ただし、この両者には癒着点というか、接合点のようなものがある。
精霊たちは集まると独自の概念を作り出し始めるのだ。
その実例は於くとして、ともあれ、精霊たちにも概念的なものへの志向がある。
この傾向は光の精霊にとりわけ顕著だ。
彼らは明晰なもの、区分されたもの、規定されたものを愛する傾向がある。
それゆえか、神聖魔術による詠唱を通じて彼らを行使することが出来るわけである。
しかし、この《光矢》が曲者だった。
光の獣が背後の家に着弾し、あっさりと壁を貫通。
そのまま背後の家が半分弱吹き飛ぶ。
初級魔術でこの威力。光の高位精霊魔術師と戦っている気分にさせられる。
火力では明らかに勝負にならない。
驚くべき威力だ。
まず、本来、神聖魔術を経由した光の精霊魔術はそれほど強力な威力は出せない。
それほど便利なものではないのだ。
「魔を祓う」という概念を載せる場合は別であり、不死者に対しては強力だ。
しかし、建造物等に対してこれほどの破壊力を発揮することは難しい。
殆どの神聖魔術師は、せいぜい初歩の《光球》程度を使えるに過ぎない。
おそらく、そのタネはあの短杖だ。
考えたくはないが、国宝級の魔術具。
光の霊獣か何かの体の一部か、あるいはそのものを封印しているのだろう。
短杖自体が《光矢》の制御と出力増幅機能を持つ。
そして、霊獣の一部から自由に概念を引き出せる。
そんなところだろう。
いまのこの状況で大きく出力のあがる概念を、《光矢》に付与しているのだ。
相手の使っている概念が読み切れないのが難点だ。
魔術行使の方向か。火に包まれた村という状況か。
勉強不足が悔やまれる。
さすがに霊獣には詳しくないだけに、もっていそうな概念の予想がつかない。
とはいえ、幸いそれなりの魔力消費はあるようだ。
相手も連打してくるわけではないし、制御も甘い。
ならば、勝機はある。
短杖をまず破壊するか、奪取する。
その方向で攻めてみることにしよう。




