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第67話 まだ見ぬ僕の人生のために、母が遺してくれたもの

一人暮らしを始めて二週目は、思いがけない発見から始まった。

どうやら――

僕の叔母さんは、役目を奪われてしまったらしい。

文字どおりの意味ではない。

もし本当にそうだったら、かなり恐ろしい。

おそらく違法でもある。

でも、由紀叔母さんによれば、それと同じくらい深刻な事件が起きたのだという。

僕が自分で食料品を注文できるようになったのだ。

叔母さんに頼らずに。

前代未聞の悲劇だった。

少なくとも、大地叔父さんはそう表現した。

◇ ◇ ◇

月曜日の朝は穏やかだった。

不気味なほど穏やかだった。

カーテンは僕の指示どおりに開いた。

照明も正常に動いた。

パソコンも音声コマンドに応答した。

そして先週作成した家事の予定表によれば、すべて予定どおりに進んでいた。

珍しく――

何も燃えていなかった。

何も壊れていなかった。

誰も冷蔵庫に、自分を皇帝だと宣言するような設定をしていなかった。

素晴らしい出だしだった。

藤沢真由さんが朝の引き継ぎを終えたところで、電話が鳴った。

由紀叔母さんだった。

僕は微笑んだ。

「おはよう!」

「おはよう、春人。忙しい?」

「立派な大人としての、非常に厳しい責務に追われているところだよ」

叔母さんは笑った。

「そう。実は今日、そっちに行こうかと思って」

「もちろんいいよ」

「食料品を少し持っていこうと思うんだけど」

僕はキッチンのほうを見た。

「実はもう全部注文したんだ」

沈黙。

それから――

「……そう」

その一言が妙に気になった。

「由紀叔母さん?」

「何?」

「大丈夫?」

「もちろんよ!」

声は明るかった。

明るすぎた。

僕は目を細めた。

「その声になってるよ」

「どの声?」

「本当は気にしてるのに、何でもないふりをするときの声」

また少し沈黙があった。

それから叔母さんは笑った。

「何を言ってるの」

僕は考えた。

「絶対その声だよ」

◇ ◇ ◇

由紀叔母さんは昼食の少しあとにやってきた。

食料品を持って。

当然のように。

買い物袋が三つ。

僕は袋を見つめた。

それから叔母さんを見た。

「由紀叔母さん」

「何?」

「もう全部注文したって言ったよね」

叔母さんは微笑んだ。

「知ってるわ」

「じゃあ、どうして食料品を持ってきたの?」

「何か必要なものがあるかもしれないと思って」

僕は考えた。

「例えば?」

叔母さんは一つ目の袋を開いた。

「果物」

「果物はあるよ」

「ヨーグルト」

「ヨーグルトもある」

「お茶」

「お茶もある」

叔母さんはためらった。

それから最後の袋に手を入れた。

「クッキー」

僕は少し考えた。

「……それなら歓迎するよ」

由紀叔母さんは笑った。

◇ ◇ ◇

その後の一時間、真由さんが予定された業務を続けるそばで、僕たちは話をした。

叔母さんはアパートのことを尋ねた。

執筆のこと。

新しい隣人のこと。

そして、大地叔父さんがスマートホームシステムの修理に成功したかどうか。

僕は叔母さんを見つめた。

「成功の定義によるかな」

叔母さんはため息をついた。

「やっぱりね」

僕は微笑んだ。

それから、あることに気づいた。

僕が自分で手配したことを話すたび、由紀叔母さんは微笑んだ。

でも、その笑顔は目元まで届いていなかった。

僕のことを喜んでいないからではない。

そんなふうに思うほど、僕は叔母さんを知らないわけではなかった。

何か別のものだった。

もっと静かな感情。

とうとう僕は尋ねた。

「由紀叔母さん?」

「何?」

「寂しい?」

叔母さんは瞬きをした。

「え?」

「僕がここに住んでいること」

由紀叔母さんは視線を落とした。

しばらく何も言わなかった。

それから――

「……少しね」

◇ ◇ ◇

僕は待った。

叔母さんは膝の上で両手を重ねた。

「これが春人の望んでいたことだって、分かってるの」

僕はうなずいた。

「それに、本当に誇りに思ってる」

「ありがとう」

叔母さんはかすかに微笑んだ。

「でも、長い間、私は自分が何をすればいいのか、はっきり分かっていたのよ」

僕は耳を傾けた。

「食料品を注文して」

「家のことを管理して」

「いろいろな手配を手伝って」

「春人に必要なものがそろっているか確認して」

声が柔らかくなった。

「でも今は、春人には自分の家がある」

僕は唾を飲み込んだ。

「うん」

叔母さんはアパートを見回した。

「だから、ときどき思うの。私はこれから何をすればいいんだろうって」

◇ ◇ ◇

僕は叔母さんを見つめた。

それから優しく微笑んだ。

「由紀叔母さん」

叔母さんは僕を見た。

「叔母さんは、これからも僕の叔母さんだよ」

その目に涙が浮かんだ。

僕は続けた。

「叔母さんに僕の人生からいなくなってほしくて、家を出たわけじゃない」

「分かってるわ」

「僕がもっと自分で決められる人生を築けるように、叔母さんと大地叔父さんが助けてくれたから、ここに引っ越せたんだ」

叔母さんは涙を拭った。

「だからって、叔母さんが必要なくなったわけじゃない」

その表情が柔らかくなった。

「ただ、洗剤を注文してもらう必要がなくなっただけだよ」

由紀叔母さんは涙を流しながら笑った。

僕も微笑んだ。

「もっとも、大地叔父さんがまたスマート家電を設置しようとしたら、当局に通報してもらう必要があるかもしれないけど」

叔母さんはさらに笑った。

◇ ◇ ◇

しばらくして、由紀叔母さんは一緒に何か作ろうと提案した。

僕の代わりにキッチンを管理する必要があったからではない。

僕の食事に責任を負っているからでもない。

ただ、料理は昔から僕たちが一緒に楽しんできたことだったからだ。

僕の食事に関する取り決めに合った簡単な料理を選び、叔母さんが調理し、僕が味つけや時間を指示した。

真由さんは必要に応じて僕のケアを手伝い、家族の会話は僕たちに任せてくれた。

途中で叔母さんが容器を持ち上げた。

「胡椒、もう少し?」

僕は考えた。

「少しだけ」

叔母さんは加えた。

「これくらい?」

「完璧」

叔母さんは微笑んだ。

「お母さんみたいなことを言うのね」

僕は静かになった。

叔母さんはそれに気づいた。

それから少し寂しそうに微笑んだ。

「美咲は味つけにとてもこだわる人だったのよ」

僕は小さく笑った。

「本当に?」

「ええ」

叔母さんは首を振った。

「あなたのお母さんは、スープを作ることさえ科学実験みたいにしてしまう人だったわ」

僕は微笑んだ。

「いろいろ納得できたよ」

◇ ◇ ◇

その日の午後は、ずっと母の話をした。

小さなこと。

何でもないようなこと。

料理をしながら鼻歌を歌っていたこと。

本を伏せて置くのを嫌がったこと。

大地叔父さんが何も言わずに物を移動させると、機嫌を悪くしたこと。

「一度、家中の引き出しに名前を書いたラベルを貼るって言い出したことがあったのよ」と由紀叔母さんは思い出した。

僕は笑った。

「聞き覚えがあるね」

「大地は物の置き場所を覚えられないから、信用できないって」

「正しかったね」

由紀叔母さんは微笑んだ。

「たいてい正しかったわ」

それから考え込んだ。

「ねえ、春人。美咲はいつかあなたに自分の家を持ってほしいって、ずっと思っていたのよ」

僕は棚に飾った写真を見た。

「知ってる」

叔母さんはうなずいた。

「あなたが思っている以上に、そのことを話していたわ」

その言葉が心に残った。

僕が思っている以上に。

◇ ◇ ◇

火曜日、一通のメールが届いた。

予想外のメールだった。

これまでの経験を考えると、予想外のメールというだけで、すぐに安心することはできなかった。

僕は慎重に開いた。

地元の文学団体からだった。

彼らはインターネット上で僕の発表した作品の一つを見つけたらしい。

そして翌月に開かれる小規模な作家交流会に、僕を招待したいというのだ。

僕はメールを読んだ。

もう一度読んだ。

さらに三回目も読んだ。

真由さんが僕の表情に気づいた。

「いい知らせですか?」

僕は画面を見つめた。

「……たぶん」

「何があったんですか?」

「文学イベントに参加しませんかって誘われました」

彼女は微笑んだ。

「素晴らしいですね!」

僕は彼女を見た。

「僕もそう思いました」

少し間を置いた。

「でも、人間が参加するイベントだって思い出したんです」

真由さんは笑った。

◇ ◇ ◇

招待は本物だった。

地元の作家たちによる小さな交流会。

物語作りについての話し合い。

質疑応答。

そして、ほかの作家たちと知り合う機会。

普通なら、僕は大喜びしていただろう。

いや――

実際、大喜びしていた。

でも、興奮と同時に疑問も湧いてきた。

建物はバリアフリーなのか。

電動車椅子が通れるだけのスペースはあるのか。

トイレは使えるのか。

移動手段は確保できるのか。

看護の勤務体制に無理なく組み込めるのか。

そして、おそらく最も気になっていたことは――

ほかの作家たちは、僕を一人の作家として見てくれるだろうか。

それとも、まず車椅子を見るのだろうか。

◇ ◇ ◇

僕は佐藤恵美さんに連絡した。

その日の午後、返事があった。

「おめでとうございます、春人さん!」

「ありがとうございます」

「素敵な機会ですね」

「僕もそう思います」

「何か心配なことがありますか?」

僕は考えた。

「いつもの実務的なことです」

彼女はうなずいた。

「バリアフリーのこと?」

「移動手段です」

「看護体制?」

「そのとおりです」

恵美さんは微笑んだ。

「では、一つずつ確認していきましょう」

そして、僕たちはそうした。

会場が僕の必要とする条件を満たしていると思い込まず、主催者に具体的な設備について問い合わせた。

移動手段について話し合った。

既存の専門的な看護の勤務体制の中で、どうすれば安全に外出できるか確認した。

そして参加を決める前に、答えを得る必要がある質問を一覧にした。

まだ何も確定していなかった。

でも、招待はもう不可能なものには感じられなかった。

計画に変わっていた。

◇ ◇ ◇

その夜、僕は葵に話した。

葵は研修先で用意された宿泊施設の机に座っていた。

招待のことを話すと、彼女は目を見開いた。

「春人!」

僕は微笑んだ。

「何?」

「すごいじゃない!」

「どうやらね」

「行くんでしょ?」

僕はためらった。

「今、いろいろ手配してるところ」

彼女は微笑んだ。

「素敵だね」

僕は視線を落とした。

「一つだけ気になることがあるんだ」

「何?」

少し間を置いた。

「もし、ちゃんと相手にしてもらえなかったら?」

葵の表情が柔らかくなった。

「どうして?」

僕は自分の車椅子を見た。

葵も視線を追った。

そして静かになった。

◇ ◇ ◇

「春人」と彼女は優しく言った。

僕は顔を上げた。

「春人は作家だよ」

僕はかすかに微笑んだ。

「分かってる」

「何年も書き続けてきたでしょ」

「うん」

「登場人物も、世界も、物語も作ってきた」

「疑わしいほど大量の架空の殺人事件もね」

彼女は笑った。

「うん。それも」

それから真剣な表情になった。

「車椅子に乗っているからって、そのどれかの価値が減るわけじゃない」

僕は唾を飲み込んだ。

葵は続けた。

「思い込みで判断する人もいるかもしれない」

「気まずい質問をする人もいるかもしれない」

「でも、そこにいる資格があることを、わざわざ証明する必要なんてないよ」

僕は彼女を見た。

「春人は作品を評価されて招待されたんだから」

僕は微笑んだ。

「……うん」

葵も微笑み返した。

「それでも誰かが疑うなら、彼女がものすごく怖い人だって伝えて」

僕は笑った。

「恐ろしいね」

「そうでしょ」

◇ ◇ ◇

水曜日は、隣人が再び僕の作家としての自信を破壊しようとした日だった。

森田幸子さんは昼食の少しあとにやってきた。

ノートを持っていた。

前回より小さなノートだった。

進歩だと思った。

彼女が二冊目のノートをテーブルに置くまでは。

僕は見つめた。

「森田さん」

「こんにちは!」

「どうしてノートが二冊あるんですか?」

彼女は微笑んだ。

「感想を分けたの」

僕は目を閉じた。

「やっぱりそうですか」

◇ ◇ ◇

その日の午後、僕たちは最新の原稿について話し合った。

謎そのものではない。

手がかりでもない。

犯人でもない。

登場人物についてだった。

幸子さんには質問があった。

たくさん。

「どうしてあなたの探偵は、自分の気持ちを誰にも話さないの?」

僕は考えた。

「感情を表に出さない性格だからです」

彼女はうなずいた。

「じゃあ、どうして感情を表に出さないの?」

僕は少し黙った。

「それは……」

彼女は待った。

「そういう性格だからです」

幸子さんは眉を上げた。

「それじゃ説明になってないわ」

僕は見つめた。

「本当に手厳しいですね」

彼女は微笑んだ。

「いい物語には、厳しい質問が必要なのよ」

◇ ◇ ◇

やがて、話題は僕の原稿から離れた。

幸子さんは自分の好きな小説について話した。

影響を受けた作家たち。

自分でも書いてみたかった物語。

そして、何気ない口調で言った。

「私も昔、小説家になりたかったのよ」

僕は彼女を見た。

「本当ですか?」

幸子さんはかすかに微笑んだ。

「若い頃ね」

「どうしてやめたんですか?」

彼女は窓を見た。

「人生よ」

僕は待った。

彼女は続けた。

「結婚して」

「子供が生まれて」

「働いて」

「家族の世話をして」

「そうしているうちに、執筆はいつかまた始めようと思うものになってしまったの」

笑顔が少し寂しくなった。

「でも、その『いつか』は、どんどん遠ざかっていったわ」

◇ ◇ ◇

僕はすぐには何と言えばいいか分からなかった。

それから尋ねた。

「昔の原稿はまだありますか?」

幸子さんは驚いたようだった。

「いくつかはね」

「最近、読み返しました?」

彼女は小さく笑った。

「あら、きっとひどい出来よ」

僕は微笑んだ。

「僕はそれでも書き続けてますよ」

彼女は笑った。

僕は続けた。

「また書いてみたらどうですか?」

幸子さんは視線を落とした。

「もうずいぶん年を取ったわ」

僕は眉をひそめた。

「誰が決めたんですか?」

彼女は瞬きをした。

僕は微笑んだ。

「小説を書くのに、法律で決められた年齢制限でもあるんですか?」

「もちろんないわ」

「じゃあ、問題はないと思います」

彼女は僕を見つめた。

それから笑った。

「本当に生意気な若者ね」

僕はにやりとした。

「よく言われます」

◇ ◇ ◇

帰る前に、幸子さんは昔の原稿を一つ探してみると約束した。

その代わり、僕は探偵の感情的な動機を見直すと約束した。

どちらも、自分に課された宿題にはあまり乗り気ではなかった。

でも、二人とも笑っていた。

◇ ◇ ◇

木曜日は、一枚の写真から始まった。

脅迫めいた写真ではない。

匿名のメッセージでもない。

ただの古い家族写真だった。

僕は引っ越しのときに開封した荷物の一部を整理していた。

その日は黒田夏美さんが勤務していた。

僕が置き場所を決める間、棚の上の品物をいくつか動かしてもらっていた。

その中に、母の写真があった。

高橋美咲。

母は笑っていた。

僕はずっと幼かった。

そして僕たちの後ろには、法律で禁止されるべきシャツを着た大地叔父さんが立っていた。

僕は微笑んだ。

「あのシャツは犯罪だね」

夏美さんが写真を見た。

「叔父様ですか?」

「残念ながら」

彼女は小さく笑った。

僕は写真を見つめた。

それから、あることに気づいた。

額縁が少しずれているように見えた。

「その額縁の裏を確認してもらえますか?」

夏美さんは慎重に調べた。

「何か挟まっています」

僕は瞬きをした。

「え?」

彼女は僕に見せてくれた。

小さな封筒。

古いものだった。

少し黄ばんでいた。

表には手書きの文字があった。

僕の名前。

春人へ。

◇ ◇ ◇

数秒間、僕は何も言えなかった。

夏美さんはすぐに気づいた。

「置いておきましょうか?」

僕は唾を飲み込んだ。

「いいえ」

少し間を置いた。

「もう少し近くに持ってきてもらえますか?」

彼女はそうしてくれた。

僕はその筆跡を見つめた。

覚えていた。

もちろん覚えていた。

母は誕生日カードに僕の名前を書いてくれた。

学校の書類にも。

医療関係の書類にも。

ベッドのそばに残してくれた小さなメモにも。

そして今――

母が亡くなって何年も経った今、またその文字が目の前にあった。

「……お母さん?」

◇ ◇ ◇

夏美さんは静かに待っていた。

僕は封筒を見た。

「開けてもらえますか?」

彼女はうなずいた。

「もちろんです」

僕の指示に従って、慎重に封筒を開けた。

中には折りたたまれた手紙があった。

そして、名前が書かれた小さな紙片も。

藤村恵子。

僕は見つめた。

その名前を知っていた。

元ソーシャルワーカー。

母の友人。

何年も前、母が複雑な制度の手続きを進めるのを助けてくれた人。

でも、どうしてここに名前があるのだろう。

夏美さんは手紙を広げた。

「読み上げましょうか?」

僕は唾を飲み込んだ。

「お願いします」

◇ ◇ ◇

手紙は簡単な言葉から始まっていた。

大切な春人へ。

あなたがこの手紙を読んでいるなら、もしかすると、私がずっと夢見ていた日がやってきたのかもしれないね。

今はもう大人になっているかもしれない。

自分でいろいろなことを決められる場所を見つけているかもしれない。

それとも、どんな人生を送りたいのか、まだ考えている途中かもしれない。

どんな状況であっても、私はあなたをとても誇りに思っているということを知っていてほしい。

喉が締めつけられた。

夏美さんが読むのを止めた。

僕は続きを促すようにうなずいた。

あなたに約束してあげたいことは、たくさんあります。

世界がいつも公平であること。

人々がいつもあなたの声に耳を傾けてくれること。

必要なケアや支援を得るために、決して闘わなくていいこと。

そんなことを約束できたら、どんなにいいでしょう。

でも、現実がそうではないことを、私は知っています。

それでも、一つだけ約束できます。

あなたの人生には価値があるということ。

あなたの選択には意味があるということ。

そして、あなたには自分自身の未来を生きる権利があるということ。

涙で視界がぼやけた。

◇ ◇ ◇

夏美さんは優しく読み続けた。

私はあなたの未来のために、さまざまな準備をしてきました。

複雑なこともあります。

本来ならもっと早く進むはずなのに、時間がかかることもあります。

そして、あなたに必要なものを必ずしも理解してくれない人たちに、頼らなければならないこともあります。

でも、これだけは忘れないでください。

あなたは解決すべき問題ではありません。

あなたは私の息子です。

夢があって、意見があって、才能があって、医療記録だけで決めつけられるべきではない未来を持った、一人の人間です。

僕は目を閉じた。

一瞬、母の声が聞こえたような気がした。

夏美さんの声ではない。

母の声が。

◇ ◇ ◇

手紙は続いていた。

もし、いつか自分の家で暮らせるようになったら、そこを本でいっぱいにしてほしいと思います。

僕は涙を流しながら笑った。

やっぱり。

やっぱり母ならそう書く。

物語を書いてほしい。

友達を作ってほしい。

もしあなたが望むなら、恋をしてほしい。

そして、人の助けが必要であることと、自分の人生を生きられないことを、決して同じだと思わないでほしい。

僕は本棚を見た。

それから、葵と僕の写真を見た。

胸が痛んだ。

◇ ◇ ◇

最後の段落は短かった。

いつか、あなたに話してほしい人がいます。

藤村恵子さんという人です。

私があなたのために始めた計画のいくつかを知っています。

どこまで終わらせられるか、私にも分かりません。

でも、知りたいことがあれば、恵子さんが力になってくれるかもしれません。

何があっても、春人。これだけは覚えていてね。

私はあなたの未来を、全部代わりに決めたかったわけではありません。

ただ、あなた自身が未来を選べるようにしてあげたかったのです。

愛を込めて。

お母さんより。

◇ ◇ ◇

アパートは静まり返った。

僕は手紙を見つめた。

長い間。

夏美さんは何も言わなかった。

どう感じるべきかを教えようともしなかった。

安っぽい慰めの言葉もかけなかった。

ただ、待っていてくれた。

やがて僕はつぶやいた。

「知ってたんだ」

夏美さんが僕を見た。

「母は……」

僕は唾を飲み込んだ。

「僕がこういう生活を望んでるって、知ってたんだ」

僕は部屋を見回した。

アパート。

本。

机。

写真。

長い時間をかけて築こうとしてきた人生。

そして突然――

母がここで僕を待っていてくれたような気がした。

文字どおりではない。

超自然的な意味でもない。

母が遺してくれた願いの中で。

◇ ◇ ◇

僕は夏美さんに、手紙を母の写真のそばに置いてもらった。

額縁の中には戻さなかった。

見える場所に置いておきたかった。

そこにあると知っていたかった。

それから、ケアが必要なときに対応できる状態のまま、少し一人で考える時間をもらえないかと頼んだ。

彼女はうなずいた。

「もちろんです」

夏美さんが少し離れると、僕は写真を見た。

「……できたよ、お母さん」

声が震えた。

「僕、自分の家を持てたんだ」

涙が頬を伝った。

「それに本もあるよ」

僕は小さく笑った。

「多すぎるくらい」

パソコンを見た。

「小説も書き続けてる」

それから、葵の写真を見た。

「恋もしたんだ」

笑顔が崩れた。

「……見てほしかったな」

◇ ◇ ◇

その夜、僕は由紀叔母さんに電話した。

叔母さんはほとんどすぐに出た。

「春人?」

「やあ」

声の様子から、何かを感じ取ったらしい。

「どうしたの?」

僕は唾を飲み込んだ。

「お母さん、僕に手紙を書いたことある?」

沈黙。

それから――

「……え?」

僕は見つけたものについて説明した。

封筒。

写真。

筆跡。

手紙。

そして名前。

藤村恵子。

由紀叔母さんはとても静かになった。

それから言った。

「ああ、春人……」

◇ ◇ ◇

「知ってたの?」

「その手紙のことは知らなかったわ」

僕は待った。

「でも、美咲がいろいろ書き残していたのは知ってる」

僕は唾を飲み込んだ。

「僕の将来について?」

「ええ」

由紀叔母さんは静かにため息をついた。

「自分がそばにいられなくなったとき、春人がどうなるのか、ずっと心配していたの」

僕は視線を落とした。

「恵子さんの名前が書いてあった」

叔母さんは考え込んだ。

「恵子さんは、お母さんをいろいろ助けてくれた人よ」

「どんなことを?」

「ケアの手配」

「支援サービス」

「長期的な計画」

彼女はためらった。

「住まいに関する計画もあったと思う」

僕は手紙を見た。

「その計画がどうなったか、知ってる?」

由紀叔母さんは少し黙った。

「分からないわ」

さらに少し間が空いた。

「でも、恵子さんなら知っているかもしれない」

◇ ◇ ◇

僕は考えた。

「まだ連絡先はある?」

「たぶんね」

叔母さんの声が柔らかくなった。

「春人、大丈夫?」

僕はアパートを見回した。

自分が成し遂げたこと。

母が望んでくれていたこと。

それらを見つめた。

そして涙を流しながら微笑んだ。

「……大丈夫だと思う」

叔母さんは待った。

「ただ、お母さんがここにいてくれたらなって」

声が震えた。

「そうね、春人」

◇ ◇ ◇

金曜日には、別の種類の学びが待っていた。

葵にとっての学びだった。

研修グループは、長期入院のあと自宅へ戻ることを希望している高齢患者について、指導者のもとで行われる事例検討に参加していた。

患者には多くの医療的な支援が必要だった。

自宅には改修が必要だった。

専門職による支援も必要だった。

そして、退院支援の計画は複雑だった。

葵は、チームが安全性や機器、サービスについて話し合うのを注意深く聞いていた。

すると患者が口を開いた。

「そういうことは全部分かっています」

部屋が静かになった。

「でも、どうして私が家に帰りたいのか、誰も聞いてくれませんでした」

◇ ◇ ◇

葵は顔を上げた。

患者は続けた。

「夫が寝室の窓の外に木を植えてくれたんです」

「夫は五年前に亡くなりました」

「毎年春になると、その木に花が咲くんです」

声が柔らかくなった。

「もう一度、その花を見たいんです」

沈黙。

葵は胸が締めつけられるのを感じた。

患者は部屋を見回した。

「助けが必要なことは分かっています」

「いろいろ変えなければならないことも分かっています」

「でも、家というのは、ただベッドが置いてある建物ではないんです」

葵は唾を飲み込んだ。

「私の人生があった場所なんです」

◇ ◇ ◇

そのあとも、葵は考え続けていた。

何日も退院支援について学んできた。

バリアフリー。

医療機器。

専門職によるケアの手配。

緊急時の備え。

どれも必要だった。

どれも重要だった。

でも患者の言葉は、家の意味をチェックリストだけで表すことはできないと、葵に思い出させた。

午後の話し合いで、佳奈が近づいてきた。

「今日は静かだね」

葵はかすかに微笑んだ。

「ちょっと考えてた」

「あの患者さんのこと?」

「うん」

佳奈はうなずいた。

「私も」

葵は彼女を見た。

「大切なことを思い出させてもらった気がする」

「何?」

「その人がどうすればそこで暮らせるかばかり考えていると、どうしてそこで暮らしたいのかを聞き忘れてしまうことがあるんだね」

佳奈は考えた。

それからうなずいた。

「いい指摘だね」

◇ ◇ ◇

その夜、葵から電話がかかってきた。

僕は待っていた。

でも画面に僕の顔が映ると、彼女はすぐに表情に気づいた。

「春人?」

「やあ」

「泣いてた?」

僕はためらった。

「……少し」

葵の表情が変わった。

「何があったの?」

僕は手紙を見た。

「大切なことがあったんだ」

◇ ◇ ◇

僕はすべて話した。

写真のこと。

封筒のこと。

母の筆跡。

手紙。

そして藤村恵子のこと。

葵は一度も遮らずに聞いてくれた。

話し終えると、彼女の目にも涙が浮かんでいた。

「春人……」

僕はかすかに微笑んだ。

「うん」

葵は涙を拭った。

「お母さん、本当に素敵な人だったんだね」

僕は写真を見た。

「そうだよ」

少し間を置いた。

「本当に」

葵は微笑んだ。

「それに、お母さんの言っていたことは正しいよ」

僕は彼女を見た。

「何が?」

「春人には、自分自身の未来を生きる権利があるってこと」

喉が締めつけられた。

◇ ◇ ◇

それから葵は、研修で出会った患者について話してくれた。

木のこと。

夫のこと。

家に帰りたいという願い。

僕は聞いていた。

そして少しずつ――

葵がなぜその話をしてくれたのか分かった。

「家って、ただの場所じゃないんだね」と僕は言った。

葵はうなずいた。

「その場所が、その人にとって何を意味するかなんだと思う」

僕はアパートを見回した。

本。

写真。

机。

小さなサボテンの置物たち。

「うん」

僕は微笑んだ。

「僕も少しずつ分かってきた気がする」

◇ ◇ ◇

土曜日、また驚きがあった。

招待だった。

文学団体からではない。

幸子さんからでもない。

葵からだった。

葵:いいこと思いついた。

僕は微笑んだ。

春人:歴史的に見て、その言葉はトラブルの前触れだね。

葵:面白いこと言うね。

春人:ありがとう。

葵:今夜、みんなで小さなオンライン交流会をしない?

僕は瞬きをした。

春人:誰と?

葵:春人、私、由紀さん、大地さん、幸子さん。それから佳奈も誘おうかな。

僕はメッセージを見つめた。

それから微笑んだ。

春人:僕たちの交友関係をつなげようとしてるんだね。

葵:そうかも。

春人:危険だよ。

葵:どうして?

春人:大地叔父さんと現代技術。

葵から笑っている絵文字が届いた。

◇ ◇ ◇

交流会は七時に始まった。

由紀叔母さんと大地叔父さんは自宅のリビングから参加した。

幸子さんは僕が招待したので、僕のアパートに来ていた。

葵は研修先の宿泊施設から接続した。

佳奈は葵の隣に現れた。

そして五分もしないうちに――

すべてがおかしくなった。

医療的な問題ではない。

深刻な問題でもない。

ただ、人間関係と会話の問題だった。

この家族では、ほとんど避けられないことだった。

◇ ◇ ◇

「こんばんはー!」と大地叔父さんがカメラに向かって叫んだ。

僕は目を閉じた。

「大地叔父さん」

「何だー!」

「叫ばなくても聞こえるよ」

「聞こえてるかー!」

「残念ながら、よく聞こえてる」

由紀叔母さんが画面に顔を出した。

「大地、マイクはちゃんと動いてるわよ」

叔父さんは眉をひそめた。

「じゃあ、どうして俺には聞こえないんだ?」

僕は見つめた。

「スピーカーがミュートになってるからだよ」

沈黙。

それから――

「ああ」

佳奈は声を上げて笑った。

◇ ◇ ◇

技術的な問題が解決すると、自己紹介が始まった。

幸子さんはすぐに佳奈にミステリー小説が好きかと尋ねた。

佳奈はあまり読んだことがないと答えた。

幸子さんは恐ろしいものを見るような顔をした。

「あなた!」

佳奈は瞬きをした。

「はい?」

「それは何とかしないといけないわね」

僕は微笑んだ。

「ようこそ、我が家へ」

葵は笑った。

◇ ◇ ◇

大地叔父さんは、僕のスマートホームシステムを披露することにした。

僕に何も聞かずに。

「春人、照明を見せてやれ!」

僕はため息をついた。

「大地叔父さん」

「ほら!」

僕はカメラを見た。

「皆さん、最初の大惨事を作ったのは僕ではないということだけ、覚えておいてください」

葵はすでに笑っていた。

僕は指示を出した。

「リビングの照明を消して」

照明が消えた。

みんなが拍手した。

それから僕は再び照明をつけた。

大地叔父さんは勝ち誇った顔をした。

「どうだ! 俺が設置を手伝ったんだぞ!」

僕は叔父さんを見つめた。

「技術的には事実だね」

幸子さんは感心したようだった。

「まあ、素晴らしい!」

すると大地叔父さんが言った。

「おはよう!」

アパートのどこかから、自動音声が響いた。

「おはようございます、陛下!」

沈黙。

それから――

大混乱になった。

◇ ◇ ◇

葵は笑いすぎて椅子から落ちそうになった。

佳奈は顔を覆った。

由紀叔母さんはうめいた。

幸子さんは大喜びだった。

「陛下?」

僕は目を閉じた。

「長い話です」

大地叔父さんはにやりとした。

「ほらな! 俺が手伝ったんだ!」

僕はため息をついた。

「そうだね、大地叔父さん」

僕は天井を見た。

「そして叔父さんの罪は、今もこの王国を苦しめ続けているんだ」

◇ ◇ ◇

混乱はあったけれど、その夜は素晴らしい時間になった。

幸子さんは近所の話をした。

佳奈は研修について話した。

由紀叔母さんは僕の恥ずかしい子供時代の話をした。

僕は強く抗議した。

大地叔父さんは自分の技術力を弁護しようとした。

誰も信じなかった。

そして葵は――

ここ数日見ていなかったような笑顔で、そのすべてを見守っていた。

あるとき、画面越しに僕と目が合った。

僕は微笑んだ。

葵も微笑み返した。

言葉は必要なかった。

僕たちは分かっていた。

この人たちが、僕たちの大切な人たちなのだ。

全員が同じ場所から来たわけではない。

全員が同じ関係でつながっているわけでもない。

それでも、つながっていた。

◇ ◇ ◇

全員が通話を終えたあと、葵と僕だけが残った。

しばらく、どちらも何も言わなかった。

それから葵が微笑んだ。

「うまくいったね」

僕は見つめた。

「うまくいったの定義によるかな」

彼女は笑った。

「みんな楽しそうだったよ」

「大地叔父さんが、また国際的な技術事故を起こしかけたけどね」

「それでも楽しかった」

僕は微笑んだ。

「うん」

少し間を置いた。

「楽しかったね」

◇ ◇ ◇

葵は頬杖をついた。

「春人の世界を見られるの、好きだな」

僕は彼女を見た。

「葵もその一部だよ」

彼女は微笑んだ。

「分かってる」

「でも、春人にとって大切な人たちを知ることができるのがうれしいの」

僕は考えた。

「これで文学界の処刑人にも会えたね」

葵は笑った。

「素敵な人だね」

「恐ろしい人だよ」

「両方でもいいでしょ」

僕はうなずいた。

「確かに」

◇ ◇ ◇

日曜日の夕方は静かにやってきた。

僕は執筆机に向かっていた。

母からの手紙は、写真のそばに置いてあった。

文学イベントの招待メールは、パソコンに開いたままだった。

そして由紀叔母さんは、藤村恵子の連絡先を探すと約束してくれていた。

初めて、僕の人生の二つの異なる部分が出会い始めているように感じた。

僕が今、築いている未来。

そして母がかつて、僕のために準備しようとしてくれた未来。

僕は母の写真を見た。

「……忙しかったんだね、お母さん」

写真の中の母は笑っていた。

もちろんだ。

写真とはそういうものだ。

周囲のすべてが変わっても、一つの表情を残し続ける。

◇ ◇ ◇

僕は手紙について考えた。

言葉。

願い。

母が書いていた計画。

そして、遺してくれた名前。

藤村恵子。

恵子さんが何を教えてくれるのか、僕には分からなかった。

古い書類があるのかもしれない。

途中で終わった手配があるのかもしれない。

あるいは、息子の将来を心配していた母についての思い出が、少し残っているだけかもしれない。

それでも知りたかった。

何か隠された奇跡を期待していたからではない。

母が僕の人生のすべての問題を、密かに解決してくれていたと思ったからでもない。

ただ、母を理解したかった。

母が選んだこと。

母が闘ったこと。

母が思い描いた未来。

僕のために。

◇ ◇ ◇

電話が鳴った。

由紀叔母さんからのメッセージだった。

由紀:春人、恵子さんの昔の連絡先が見つかったわ。まだ使われているか確認してから教えるね。

僕は画面を見つめた。

それから微笑んだ。

春人:ありがとう、由紀叔母さん。

少しして、もう一件届いた。

由紀:お母さんは、今の春人をとても誇りに思うはずよ。

僕は写真を見た。

喉が締めつけられた。

それから返事をした。

春人:そうだといいな。

◇ ◇ ◇

その夜、葵からおやすみの電話がかかってきた。

僕たちは普通のことを話した。

彼女の研修。

僕の執筆。

幸子さんの最新の批評。

そして、大地叔父さんがいまだにスマートホームシステムの功労者は自分だと言い張っていること。

やがて葵が微笑んだ。

「春人?」

「何?」

「幸せ?」

僕は考えた。

簡単な質問ではなかった。

本当は。

家族が恋しかった。

葵に会いたかった。

将来への不安もまだあった。

そして、存在すら知らなかった疑問を、母が遺していたことを知ったばかりだった。

でも、僕は部屋を見回した。

自分の家。

本。

机。

写真。

そして母の写真のそばに置かれた手紙。

それから微笑んだ。

「うん」

葵の表情が柔らかくなった。

「本当に?」

「本当に」

少し間を置いた。

「毎秒ずっと幸せってわけじゃないけどね」

彼女はうなずいた。

「もちろん」

「でも、自分が築いている人生に、幸せを感じてると思う」

葵は微笑んだ。

「よかった」

◇ ◇ ◇

通話が終わったあとも、僕はしばらく起きていた。

外は静かだった。

カーテンは閉まっていた。

照明は暗くなっていた。

看護師は近くにいて、予定された夜間のケアを続けていた。

すべてがもう、見慣れたものだった。

少なくとも――

見慣れたものになりつつあった。

僕は母の写真を見た。

それから手紙を見た。

そして小さくつぶやいた。

「お母さん?」

沈黙。

「僕、ようやく少し分かってきた気がする」

僕はかすかに微笑んだ。

「お母さんは、僕の人生がどうあるべきかを決めようとしてたんじゃないんだね」

「僕自身が決められるようにしてくれてたんだ」

目に涙が浮かんだ。

「ありがとう」

◇ ◇ ◇

アパートは静かなままだった。

でも、その静けさはもう空っぽには感じられなかった。

そこには、今まさに続いている人生の、何でもない音があった。

医療機器の穏やかな作動音。

遠くを走る車の音。

夜の中で建物が静かに落ち着いていく気配。

そして、その音の向こうには――

明日の可能性があった。

文学イベント。

新しい友情。

母を知っていた人との会話。

もっと多くの執筆。

もっと多くの失敗。

もっと多くの決断。

もっと多くの人生。

僕は目を閉じた。

何年もの間、僕は自立を目的地のように想像していた。

たどり着かなければならない場所。

開けなければならないドア。

でも今、分かったことがある。

ドアは始まりにすぎなかったのだ。

本当の旅は、そのあとに続くすべてだった。

そして、その旅の途中で、母は僕に一通の手紙を遺してくれていた。

どこへ行くべきかを指示するものではない。

どんな人間になるべきかを教えるものでもない。

ただ、選ぶ権利はずっと僕自身のものであるべきだったと、思い出させてくれる手紙。

僕は微笑んだ。

「おやすみ、お母さん」

そして、自分で選んだ家の天井の下で――

僕は眠りについた。

明日何が起こるのか、正確には分からないまま。

でも、それを自分自身で確かめていいのだと、ようやく理解しながら。

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