第40話 言葉にした想いが、二人の明日をそっと近づける
葵は続けた。
「自分と違う意見を言える関係がいい」
少し間を置いた。
「それでも、安心していられる関係」
春人はうなずいた。
「うん」
葵はかすかに微笑んだ。
「それに、私が自分の人生を持っていることを、喜んでくれる人がいい」
春人は彼女を見た。
「それは当然のことだと思うよ」
葵は小さく笑った。
「そうだよね」
しかし、すぐに静かになった。
「でも、時々……それを口にするだけでも、まだ不思議な感じがするの」
春人は黙って耳を傾けた。
葵は自分の手元へ目を落とした。
「長い間、自分のために何かを望むことは、わがままなんだって思い込んでいたから」
春人の表情が和らいだ。
葵は息を吸った。
「でも、変わろうとしてる」
春人は微笑んだ。
「僕は、かなりうまくいってると思うよ」
葵は彼を見た。
「本当に?」
春人はうなずいた。
「うん」
葵は微笑んだ。
「ありがとう」
一瞬、二人の視線が重なった。
庭園が、いつもより静かに感じられた。
春人は自分の心臓が速く鼓動しているのを感じた。
葵の頬も、わずかに熱くなった。
どちらも、すぐには目をそらさなかった。
やがて、春人がかすかに微笑んだ。
「僕からも、一つ聞いていい?」
葵はうなずいた。
「もちろん」
春人はためらった。
それから、息を吸った。
「僕たちって……」
言葉が途切れた。
「僕たち、お互いに……友情以上の何かを望み始めてると思う?」
葵は動きを止めた。
その質問が、二人の間に静かに漂った。
何かを要求する言葉ではなかった。
愛の告白でもなかった。
ただ、何週間もの間、二人が遠回りしながら向き合おうとしてきたことだった。
葵は春人を見た。
心臓が激しく鼓動していた。
書店のことを思い出した。
写真展。
映画館。
電話で交わした会話。
春人の声を聞くのが楽しみになっていたこと。
スマートフォンに彼の名前が表示されるたび、自然と微笑んでしまうこと。
葵は息を吸った。
「私は……」
少し間を置いた。
「うん」
春人は彼女を見つめた。
それから、かすかに微笑んだ。
「……そう?」
葵はうなずいた。
「そうだと思う」
春人の胸に、温かいものが広がった。
彼は唾を飲み込んだ。
「僕も」
しばらく、どちらも何も言わなかった。
葵は池へ目を向けた。
そして、小さく笑った。
「……さて」
春人はにやりと笑った。
「まったくだ」
葵は緊張したように微笑んだ。
「すごく怖かった」
春人は笑った。
「ものすごくね」
二人は顔を見合わせた。
そして、同時に笑い始めた。
張り詰めていた空気が、少しずつ和らいでいった。
その瞬間が重要ではなくなったからではない。
長い間、二人の間に存在していた気持ちを、ようやく言葉にできたからだった。
葵は息を吸った。
「でも、まだ……これを恋人同士の関係って呼べるかどうか、わからない」
春人はうなずいた。
「それでいいよ」
葵は彼を見た。
「急ぎたくもないの」
春人は微笑んだ。
「僕もだよ」
葵は少し考えた。
「これからも、一緒に時間を過ごしたい」
春人はうなずいた。
「僕も」
葵は微笑んだ。
「それで、もしかしたら……」
少し間を置いた。
「この先どうなるのか、少しずつ確かめていけたらいいなって」
春人は彼女を見た。
そして、微笑んだ。
「僕も、そうしたい」
その瞬間、二人の間にあった距離が、少しだけ縮まったように感じられた。
実際に身体を近づけたからではない。
その可能性が存在しないふりを、もうやめたからだった。
二人は、それを認めた。
慎重に。
正直に。
どちらも、まだ約束する準備のできていないことまで、約束しようとはしなかった。
そして、それで十分なのだと春人は思った。
◇ ◇ ◇
二人はその後も、午後の時間を使って庭園を散策した。
会話は再び軽やかなものになった。
葵は花の写真を撮った。
春人は、いくつかの装飾彫刻について、その芸術的な判断に疑問を呈した。
温室の近くでは、春人が食虫植物の一群に対して、深い不信感を表明した。
葵は笑った。
「食べられたりしないよ」
春人は片眉を上げた。
「そう思わせるのが、奴らの作戦なんだ」
葵は吹き出した。
春人はにやりと笑った。
二人は歩き続けた。
途中、葵が撮影した写真を春人に見せた。
青空を背景に、淡い色の花々が集まって咲いている写真だった。
春人はじっくりと眺めた。
「いい写真だね」
葵は微笑んだ。
「本当に?」
春人はうなずいた。
「うん」
葵は嬉しそうだった。
すると、春人が付け加えた。
「ただ、光り輝く宇宙皇帝が写っていないのが惜しい」
葵はうめいた。
「春人……」
彼は笑った。
二人は微笑み合った。
そうして午後は、親しくなるために、いつも真剣でいる必要はないのだと理解し始めた二人の、穏やかな時間として過ぎていった。
難しい話をすることもできた。
そのあとで、笑うこともできた。
互いに惹かれていると認め合うこともできた。
そのあとで、花について話すこともできた。
未来を想像することもできた。
だからといって、その未来を今すぐ現実にしなければならないわけではなかった。
帰る時間になると、里奈は予定されていた介助を行い、春人の帰宅準備を整えた。
葵は近くで待っていた。
日差しは、少しずつ柔らかくなっていた。
庭園の小道が、午後の終わりの空の下で淡く輝いていた。
春人は彼女を見た。
「楽しかったよ」
葵は微笑んだ。
「私も」
春人は少し考えた。
「クリスタル皇帝がいなかったのに?」
葵は笑った。
「不思議なことにね」
春人はにやりと笑った。
「驚くべきことだ」
葵は微笑んだ。
それから、少し静かになった。
「春人?」
彼は彼女を見た。
「うん?」
葵はためらった。
そして、言った。
「今日、ちゃんと話せてよかった」
春人の表情が和らいだ。
「僕もだよ」
葵は微笑んだ。
一瞬、彼女は春人へ手を伸ばそうかと考えた。
そうする義務があると感じたからではない。
この瞬間には、何か特別な仕草が必要だと思ったからでもない。
ただ、そうしたかったからだった。
しかし、その仕草が二人にとって何を意味するのか、まだわからなかった。
だから、葵はその場にとどまった。
そして、微笑んだ。
春人も微笑み返した。
時間は、これからいくらでもある。
二人が、それを選ぶのなら。
「おやすみ、葵」
彼女はうなずいた。
「おやすみ、春人」
そして、駅へ向かって歩き出した。
春人は、その後ろ姿を見送った。
胸の中が、不思議なほど軽かった。
彼は葵に、恋人になってほしいとは言わなかった。
葵も、春人に恋人になってほしいとは言わなかった。
キスもしなかった。
手をつなぐことさえなかった。
けれど、大切なことを言葉にした。
思っていた以上に勇気が必要なことだった。
二人は、互いに惹かれていた。
どちらも。
そして、もうその気持ちを隠す必要はなかった。
春人は微笑んだ。
それから、里奈を見た。
「さて」
里奈は片眉を上げた。
「何ですか?」
春人はにやりと笑った。
「どうやら、また一つ社交行事を生き延びたようだ」
里奈は笑った。
「おめでとうございます」
春人は厳かにうなずいた。
「ありがとう」
彼は植物園の入口へ目を向けた。
そして、かすかに微笑んだ。
「……いい一日だったな」
◇ ◇ ◇
その夜、葵はスマートフォンに一枚の写真を保存したまま、美香のアパートへ帰った。
そこには、庭園の池が写っていた。
睡蓮。
木々の水面への映り込み。
そして、写真の端には、午後のひととき、春人と話をした小道の一部が写り込んでいた。
葵が帰宅したとき、美香はお茶を淹れていた。
「おかえり」
葵は微笑んだ。
「ただいま」
友人は彼女を見た。
「植物園、どうだった?」
葵は少し考えた。
「綺麗だったよ」
美香はにやりと笑った。
「それで?」
葵は笑った。
「それで、って?」
「春人くん」
葵はため息をついた。
「本当に、かなわないなあ」
美香は微笑んだ。
「よく言われる」
葵はバッグを置いた。
そして、椅子に座った。
しばらく、スマートフォンの写真を見つめていた。
美香はその様子を見ていた。
やがて、優しく微笑んだ。
「何かあった?」
葵はためらった。
それから、うなずいた。
「話したの」
美香は片眉を上げた。
「何について?」
葵は唾を飲み込んだ。
「……私たちのこと」
友人の表情が和らいだ。
「……そっか」
葵はうなずいた。
そして、今日の会話について説明した。
二人が望んでいること。
恐れていること。
春人の介助に関する現実的な問題。
信頼や、専門職としての境界について抱えている不安。
そして、友情以上の何かを探ってみたいという気持ちを、ようやく互いに認め合った瞬間のこと。
美香は黙って聞いていた。
やがて、微笑んだ。
「今、どんな気持ち?」
葵は考えた。
答えは複雑だった。
嬉しかった。
緊張していた。
希望も感じていた。
自分でも完全には説明できない恐怖が、まだ残っていた。
解決していないストーカー事件の捜査は、今も彼女の人生の一部だった。
専門職としての責任も、変わらず重要だった。
そして、かつて自分が担当した患者と恋愛関係へ進む可能性については、これからも慎重に考え続けなければならないことを理解していた。
しかし、それらすべての奥には、とても単純な気持ちがあった。
春人と一緒にいて、楽しかった。
そして、そのことを彼にも知ってほしかった。
葵はかすかに微笑んだ。
「……いい気分」
美香の表情が和らいだ。
「いい気分?」
葵はうなずいた。
「うん」
少し間を置いた。
「怖いけど」
美香はうなずいた。
「でも、いい気分」
友人は微笑んだ。
「それって、前進じゃない?」
葵は小さく笑った。
「そうかもね」
美香は彼女にお茶を差し出した。
葵は受け取った。
そして、窓の外へ目を向けた。
長い間、恋愛の可能性は、背後で扉が閉ざされるようなものに感じられていた。
しかし、今は違った。
それは、一つの道のように感じられた。
自分の意思で進むこともできる。
進まないこともできる。
自分の歩幅で。
自分の人生を、自分自身のものとして持ち続けながら。
葵は微笑んだ。
そして、お茶を一口飲んだ。
◇ ◇ ◇
その夜遅く、春人は手紙を保存しているフォルダーを開いた。
家の中は静かだった。
夜のケアは、必要な介助を受けてすでに済ませていた。
彼はベッドの上で、快適な姿勢に整えられていた。
パソコンも操作できる状態だった。
近くには、母の写真が置かれていた。
春人は写真へ目を向けた。
そして、微笑んだ。
「さて、母さん」
少し間を置いた。
「報告があるんだ」
写真は、当然ながら沈黙していた。
春人はにやりと笑った。
「そんなに興奮しないでよ」
彼は新しい文書を開いた。
母さんへ。
今日は植物園に行ってきたよ。
葵と一緒に。
春人は微笑んだ。
花があった。
木があった。
水もあった。
そして、僕を食べようと企んでいたに違いない植物も何種類かいた。
少し間を置いた。
とても綺麗な場所だった。
そして、彼の表情が柔らかくなった。
僕たちは話をしたんだ。
春人は考えた。
恋愛について。
自分たちが何を望んでいるのか。
何を恐れているのか。
彼は写真へ目を向けた。
僕は、対等な相手として扱ってくれる人がいいって伝えた。
僕を愛することと、僕の人生を管理することを混同しない人。
少し間を置いた。
僕には、これからも介助が必要なんだ。
恋愛をしたからといって、その事実が消えるわけじゃない。
でも、自分の身体的な必要があるからといって、恋人として劣っているように感じずに、誰かを愛したい。
喉の奥が締めつけられた。
彼は続きを書いた。
葵は理解してくれた。
春人はかすかに微笑んだ。
そして、彼女も自分が望んでいることを話してくれた。
信頼。
正直でいられること。
自分で選択する自由。
少し間を置いた。
これまでに起きたことのせいで、彼女はまだ安心する方法を学んでいる途中なんだと思う。
春人は窓へ目を向けた。
そして僕も、誰かが同情ではなく、本当に僕自身を望んでくれるかもしれないって、信じる方法を学んでいる途中なんだと思う。
しばらく、彼は続きを書けなかった。
それから、息を吸った。
僕たちは、ついに言葉にしたよ。
春人は微笑んだ。
友情以上の何かに、お互い興味があるって。
胸が温かくなった。
まだ恋人同士じゃない。
今は、まだ。
ゆっくり進もうって決めたんだ。
少し間を置いた。
でも、ちゃんと言えた。
春人は美咲の写真へ目を向けた。
直接、母さんに話せたらよかったのに。
彼は寂しそうに微笑んだ。
きっと、僕を恥ずかしがらせただろうね。
質問を千個くらいして。
それから、パンケーキを作るんだ。
春人は小さく笑った。
そして、続きを書いた。
仕事も順調だよ。
Miraiが僕の最終報告書を確認してくれた。
また別の仕事を頼まれるかもしれないけど、まだ何も決まっていない。
少し間を置いた。
稼ぐ前から、お金を当てにしないことを学んでるんだ。
彼はにやりと笑った。
実に大人になったものだね。
それから、エッセイのことを考えた。
新しい文章も書き始めたよ。
アクセシビリティについて。
場所やウェブサイトが、形式上は利用可能になっていることと、実際に使えることの違いについて。
春人は微笑んだ。
僕にも、何か伝える価値のあることがあるのかもしれない。
少し間を置いた。
驚きだよね。
彼は京都旅行の資料へ目を向けた。
京都の計画も進んでる。
ゆっくりだけど。
ものすごくゆっくり。
ホテルも介助の手配も、まだ調整が必要なんだ。
予約は何もしていない。
春人はかすかに微笑んだ。
でも、大地叔父さんに、旅行の一部だけでも一緒に来ないかって聞いてみたんだ。
行きたいって言ってくれたよ。
目の奥が熱くなった。
母さんも、きっと喜んでくれると思う。
少し間を置いた。
僕自身が行きたい場所も選んでるんだ。
母さんが保存していた場所だけじゃなくてね。
春人は唾を飲み込んだ。
それでも、いいよね?
そして、寂しそうに微笑んだ。
いや、母さんなら、きっといいって言ってくれるよね。
彼は写真へ目を向けた。
母さんに会いたい。
その言葉が、画面に残った。
単純な言葉だった。
飾り気もなかった。
けれど、真実だった。
春人は息を吸った。
毎日、母さんに会いたいと思ってる。
でも、母さんが僕に送ってほしいと願っていたような人生を、少しずつ築き始めている気がするんだ。
少し間を置いた。
すべてが完璧だからじゃない。
全然、そんなことはない。
アパート探しは、まだ難しい。
仕事も不確かだ。
京都の予約もできていない。
そして、恋愛に関しては、自分が何をしているのか、さっぱりわからない。
春人は小さく笑った。
それから、続きを書いた。
でも、頑張ってるよ。
彼は微笑んだ。
そして今日、ほんのしばらくの間だけど、僕は本当に幸せだった。
春人は窓へ目を向けた。
母さんも、きっと喜んでくれると思う。
そして、手紙の最後に署名した。
愛を込めて。
相変わらず破壊的なまでにハンサムで、仕事では議論好きで、どうやら恋愛について話しても即座に燃え尽きずに済むらしい息子、
春人より。
彼は文書を保存した。
そして、美咲の写真へ目を向けた。
「おやすみ、母さん」
声は柔らかかった。
彼は微笑んだ。
「それと、心配しないで」
少し間を置いた。
「焦らずに進んでるから」
窓の外では、風が庭の木々を揺らしていた。
東京のどこかでは、葵が地域看護と専門研修の新しい一週間に向けて準備をしていた。
彼女の胸には、すべてを一度に変えようとすることなく、確かに何かを変えた午後の、静かな幸福が残っていた。
春人の住居探しは続いていた。
アクセシビリティについてのエッセイは、修正を待っていた。
Miraiから次の仕事が来るかどうかは、まだ不確かだった。
そして、京都旅行は、増え続ける計画、疑問、写真、そして可能性の集まりとして存在していた。
何一つ、簡単になったわけではなかった。
何一つ、保証されたわけでもなかった。
それでも。
かつて病室の蛍光灯の下で出会った二人の若者は、最初に二人を引き合わせた役割を超えて、互いを見るようになり始めていた。
看護師と患者としてではなく。
救う者と救われる者としてでもなく。
ケアを必要とする人と、そのケアを提供することを役割とする人としてでもなく。
ただ、春人と葵として。
それぞれの人生を持つ二人。
それぞれの夢を持つ二人。
それぞれの恐れを抱える二人。
そして、いつか、その人生の中で何かを分かち合えるのかもしれないと、少しずつ望み始めた二人。
二人は手をつながなかった。
キスもしなかった。
永遠を約束することもなかった。
ただ、その可能性へ向かって、これからも一緒に歩いて――あるいは車椅子を走らせて――いきたいという気持ちを認め合った。
そして、今はそれで十分だった。




