第14章 閉ざされた扉の向こうで待っていた春
高橋陽翔は、日本語の中で最も腹立たしい言葉は「少々お待ちください」だと、ずっと信じていた。
その言葉は、どこにでも現れた。
行政機関のウェブサイト、病院の受付、電話での問い合わせ、そして「お客様からのお問い合わせは大変重要です」と繰り返しながら、その問い合わせに答えることには驚くほど無関心な自動音声案内。
ところが、その朝、陽翔は新たな対抗馬を発見した。
アクセシビリティに関するサポートが必要な場合は、サポート窓口までお問い合わせください。
陽翔はパソコンの画面に表示された一文を見つめた。
それから、その下にある巨大な青いボタンへ視線を移した。
ボタンには「次へ進む」と書かれていた。
しかし、キーボードによる操作では反応しなかった。
もう一度試した。
何も起こらない。
手先の細かな動作が難しいときに使っている、別の入力方法を起動した。
画面上のポインターがゆっくりと移動する。
ボタンの上に合わせ、操作を実行した。
それでも、何も起こらなかった。
陽翔は待った。
そして三度目を試した。
ページが再読み込みされた。
それまで入力していた項目が、すべて消えた。
数秒間、陽翔は真っ白になった応募フォームを見つめていた。
「……なるほど」
キッチンから由紀の声がした。
「大丈夫?」
陽翔は車椅子のヘッドサポートに頭を預けた。
「画期的な就職活動の方法を発見したよ」
「あら?」
「アクセシビリティを検証する人材を募集している会社に応募するには、まずその会社のアクセシビリティ担当部署に連絡しなきゃいけないらしい」
由紀が戸口に姿を現した。
画面へ目を向ける。
「この前話してた仕事?」
「そう」
「在宅でできるっていう?」
「そう」
「何か問題があったの?」
陽翔は、パソコンを窓から投げ捨てる行為が職場で認められる合理的配慮に該当するかどうか、真剣に検討している男のような穏やかな笑みを浮かべた。
「全部」
由紀が近づいた。
そのウェブサイトは、東京に拠点を置く小規模なデジタルサービス会社、ミライ・インターフェース・ソリューションズのものだった。
求人広告は魅力的に見えた。
会社は、障害のある人の視点からウェブサイトやアプリケーション、オンラインサービスを評価する、在宅勤務の非常勤ユーザビリティテスターを募集していた。
応募者は事前審査を受け、普段どのような方法でパソコンを操作しているかを示し、アクセシビリティ上の問題について文章で意見を提出することになっていた。
陽翔は広告を三度読んだ。
仕事について調べ始めて以来、初めて自分の経験に本当に合っていると思える仕事を見つけたのだ。
彼は毎日、支援技術を利用していた。
利用しにくいウェブサイトがどれほど腹立たしいか、身をもって知っていた。
文章を書くことも好きだった。
そして、システムが馬鹿げた動作をしている瞬間を見抜くことに関しては、ほとんど超能力と呼べる才能を持っていた。
まるで自分のために用意されたような仕事だった。
残念ながら、応募システムのほうは、アクセシビリティを単なる飾りだと思っている人間が設計したらしかった。
由紀は画面を見た。
「私が押してあげようか?」
陽翔は彼女を見た。
由紀はすぐに気づいた。
「あ……」
彼はかすかに微笑んだ。
「ありがとう。でも、それじゃ意味がなくなっちゃうんだ」
「そうね」
由紀はうなずいた。
「ごめんなさい」
陽翔は再びページを確認した。
「誰かに手伝ってもらえば、たぶん応募できると思う」
「だったら、そうしたら?」
彼はその質問を考えた。
「だって、この会社はアクセシビリティの問題を見つける人を募集してるんだよ」
由紀は彼を見た。
「それで、この応募フォーム自体に問題があるのね」
「そのとおり」
陽翔は空白になったフォームを見た。
「それに、応募するだけで誰かに操作してもらわなきゃいけないなら、実際の検証システムを使うときはどうなるの?」
由紀はゆっくりとうなずいた。
陽翔は新しい文書を開いた。
そして、何が起きたのか記録し始めた。
日付。
ブラウザ。
使用しているオペレーティングシステム。
試した補助入力方法。
反応しなかった操作ボタン。
そして、ページが再読み込みされた際に、入力済みの情報が失われたこと。
由紀はその様子を見守った。
「何をしてるの?」
陽翔は微笑んだ。
「初めての無給業務」
彼女は笑った。
陽翔は入力を始めた。
アクセシビリティ上の問題報告:応募者向け選考システム
それから手を止めた。
「……いや、待てよ」
由紀が片方の眉を上げた。
「どうしたの?」
彼はにやりと笑った。
「これ、報酬を請求したほうがいいんじゃないかな」
すべてを知っているわけではない女性
東京西部では、香川夏美がケア計画書を確認していた。
訪問看護事業所の机には、評価記録と初回訪問の予定表が広げられていた。
地域での看護経験が長い夏美は、利用者の自宅が書類に書かれているほど単純な環境ではないことを、よく理解していた。
病院には規格のそろったベッドがあり、移動しやすい廊下があり、機器を保管する部屋があり、介助が必要になれば対応できる同僚がいた。
一方、自宅には狭い出入り口があり、本人の好みに合わせて配置された家具があり、それぞれ違う予定で動く家族がいた。そして、医療従事者が便利だと思う方法とは必ずしも一致しない、長年の生活習慣があった。
難しいのは、単に別の建物で医療を提供することではなかった。
利用者の家を病棟の延長のように扱わず、その人に合ったケアを提供することだった。
夏美は次のページをめくった。
利用者氏名:高橋陽翔
年齢:22歳
移動手段:電動車椅子。日常生活動作において広範な介助を要する。
評価記録には、移乗、姿勢の調整、食事、身体の清潔保持、その他の日常生活動作に必要な支援が記されていた。
同時に、本人には自分のケアについて指示し、意思決定する能力があることも強調されていた。
夏美はその部分に下線を引いた。
面接のことを思い出した。
横断歩道についての、あのくだらない冗談。
自分が質問に答える間、注意深く見つめていた彼の様子。
そして、自立とは何かを説明したときの真剣な表情。
自分に何が起きるかを、自分で決められること。
夏美はかすかに微笑んだ。
彼の倍の年齢でも、自分の希望をあれほど明確に伝えられない患者を見たことがあった。
そして、その明確さを面倒だと感じる専門職にも出会ってきた。
ドアをノックする音がした。
森山千里が入ってきた。
「おはようございます」
夏美は頭を下げた。
「おはようございます」
「初回訪問の計画は確認しましたか?」
「はい」
千里は向かい側に座った。
「ご家族には、指導者の立ち会いのもとで短時間の訪問を行うことに同意していただきました。長期的な担当について話し合う前に、あなたと高橋さんがどのように協力できるか確認したいと思います」
夏美はうなずいた。
「承知しました」
「日常生活の介助については、引き続き介助サービスの事業者が担当します。あなたの役割は看護計画の範囲内に限られます」
「もちろんです」
千里は書類をちらりと見た。
「それから、もう一つ」
夏美は顔を上げた。
「陽翔さんは短期間に大きな変化をいくつも経験しています。最近お母様を亡くされ、ご親戚のお宅へ移り、まだ慣れない介助者との生活に適応しているところです」
夏美はうなずいた。
「理解しています」
「生活の手順について、細かな希望があるかもしれません」
「当然だと思います」
千里は微笑んだ。
「よかった」
彼女は立ち上がった。
「では、予定どおり進めましょう」
夏美は書類をまとめた。
準備はできていると感じていた。
評価記録を確認した。
訪問で担当する業務の範囲も理解していた。
多くの身体介助を必要とする人への看護経験もあった。
しかし、まだ理解していないものが一つあった。
高橋陽翔という人間そのものだ。
そして、それは書類を読んだだけでは学べないことだと、夏美は知っていた。
どうしてもバリアフリーにならない応募フォーム
正午までに、陽翔は三ページにわたる報告書を完成させていた。
自分でもなかなかの出来だと思っていた。
問題の明確な説明、再現するための番号付き手順、そして応募手続きを利用しやすくするための改善案が記されていた。
さらに、なぜこの問題が重要なのかについても短い説明を加えた。
障害のある応募者が一般的な応募フォームを完成させるためだけに、追加の個人情報を開示したり、他人の手を借りたりすることを強いられるべきではない。
陽翔はその段落を読み返した。
そして微笑んだ。
「悪くないね」
昼休みに書類を取りに帰宅した大地が、テーブルの上をのぞき込んだ。
「それは何だ?」
「苦情申立書」
叔父は文書を確認した。
「ずいぶん詳しいな」
陽翔はうなずいた。
「創作意欲が湧いたんだ」
「何のおかげで?」
「怒り」
大地は吹き出した。
陽翔はにやりと笑った。
それから会社の採用窓口のメールアドレスを開いた。
報告書を添付した。
メールの文章は丁寧だった。
専門的で、礼儀正しい。
そして、朝から口にしていた皮肉の数々と比べれば、驚くほど控えめだった。
在宅での検証業務に興味があるものの、応募システムの問題によって、自力で手続きを完了できなかったことを説明した。
発生した問題を記載し、利用可能な別の応募方法があるかどうか尋ねた。
それから、ためらった。
大地が気づいた。
「どうした?」
陽翔は画面を見た。
「面倒な奴だと思われたらどうしよう」
叔父は眉をひそめた。
「どうしてそう思うんだ?」
「だって、面接も受けてないのに苦情を言ってるんだよ」
大地は少し考えた。
そして微笑んだ。
「陽翔」
「うん?」
「その会社は、アクセシビリティの問題を見つける人を募集しているんだろ?」
「そうだよ」
「そして、お前は問題を見つけた」
陽翔はうなずいた。
「正確には、いくつもね」
「だったら、もう仕事ができることを証明してるんじゃないか?」
陽翔は叔父を見つめた。
しばらく何も言わなかった。
それから微笑んだ。
「意外と頭いいこと言うね」
大地はため息をついた。
「どうもありがとう」
「最近、本でも読んでるの?」
「メールを送れ」
陽翔は笑った。
そして送信操作を実行した。
メールは会社の受信箱へ送られた。
送信完了の表示を見つめた。
なぜか少し緊張していた。
仕事に応募したのだ。
少なくとも、応募しようとはした。
そして、手続きが利用できないからといって黙って諦める代わりに、何を改善すべきなのかを正確に伝えた。
まだ仕事を得たわけではない。
お金を稼いだわけでもない。
面接が決まったわけですらない。
しかし、自分自身のために行動した。
京都旅行の貯金封筒へ目を向けた。
中には、まだ千円が入っていた。
陽翔は微笑んだ。
「さて、母さん」
母の写真をちらりと見た。
「息子はついに、プロの文句屋になりました」
意見の食い違いから始まった訪問
夏美が高橋家に到着したのは、午後二時を少し過ぎた頃だった。
由紀が玄関で出迎えた。
「いらっしゃいませ」
「本日はよろしくお願いいたします」
二人は丁寧に頭を下げ合った。
大地はすでに仕事へ戻っていたが、陽翔はリビングで待っていた。
夏美が入ってくると、彼女へ目を向けた。
「また会いましたね」
夏美は微笑んだ。
「こんにちは、高橋さん」
陽翔は片方の眉を上げた。
「相変わらず堅いですね」
夏美は小さく笑った。
「陽翔さんとお呼びしたほうがいいですか?」
「そっちのほうがずっといいです」
由紀は微笑んだ。
訪問は、予定されている看護業務、使用可能な機器、そして各支援者の役割を確認するところから始まった。
遠藤幸子も同席し、連携を支援するとともに、必要に応じて普段の介助手順を説明した。
陽翔は注意深く聞いていた。
夏美が自分に直接話しかけてくれることを、ありがたく思った。
由紀の説明だけに頼らず、本人の希望を尋ねてくれた。
それに、メモも取っていた。
本当にメモを取っていた。
覚える気もない約束をしながら、曖昧にうなずくだけの人とは違った。
陽翔は、よい兆候だと思った。
最初の意見の食い違いは、姿勢の調整について話しているときに起こった。
夏美はケア計画を確認し、陽翔が座っているときの身体の支え方について、調整を提案した。
陽翔は眉をひそめた。
「その姿勢、好きじゃないです」
夏美は顔を上げた。
「どうしてですか?」
「変なところに圧力がかかるんです」
夏美は記録を確認した。
「評価では、この支え方が身体の位置を整えるのに役立つ可能性があるとされています」
陽翔はうなずいた。
「知ってます」
幸子をちらりと見た。
「前にも似たようなことを試したんです」
幸子は、以前の調整で不快感が生じ、再評価が必要になったことを確認した。
夏美は陽翔を見た。
「そのとき、どんな感じだったのか教えてもらえますか?」
陽翔は説明した。
圧迫感。
数分経つと身体がどのように沈み込むのか。
不快感が生じたあと、自力で姿勢を直すことがどれほど難しいか。
そして、隣に立っている人間から見て正しく見えるという理由だけで、適切な姿勢だと決めつけられることへの苛立ち。
夏美は耳を傾けた。
そして、その情報を考えた。
「わかりました」
陽翔は目をぱちくりさせた。
「……わかりました?」
彼女はうなずいた。
「きちんと評価しないまま、不快感を生じさせる変更を導入するべきではありません」
陽翔は見つめた。
それからかすかに微笑んだ。
「思ったより簡単でしたね」
夏美は微笑んだ。
「以前に試していたことを知りませんでしたから」
陽翔はうなずいた。
「それなら納得です」
彼女は続けた。
「経験されたことを記録して、変更が必要なら適切なリハビリテーションの専門職に相談しましょう」
陽翔は微笑んだ。
「いいと思います」
それから数分間、訪問は順調に進んだ。
しかし、夏美が別の提案をした。
看護業務を効率よく進めるため、日課の順序を変更したいというものだった。
陽翔は聞いていた。
それから首を横に振った。
「それはやめておきたいです」
夏美は動きを止めた。
「理由を聞いてもいいですか?」
彼は彼女を見た。
「俺にとっては、順番が大事なんです」
夏美は考えた。
「提案した順序なら、必要な時間を短縮できます」
陽翔はため息をついた。
「それはわかります」
由紀をちらりと見た。
それから夏美へ視線を戻した。
「でも、今のやり方のほうが楽なんです」
夏美は予定表を確認した。
「一度だけ、別の順序を試してみませんか?」
陽翔はためらった。
理不尽な人間にはなりたくなかった。
専門職からの提案には、検討する価値のあるものもあると理解していた。
しかし、誰かにとって都合がいいというだけで、一時的な変更がいつの間にか恒久的なものになってしまうことも、よく知っていた。
彼は息を吸った。
「一つ聞いてもいいですか?」
「もちろんです」
「変更しなきゃいけない医学的な理由があるんですか?」
夏美は考えた。
「今すぐ変更する必要がある医学的な理由はありません」
「だったら、今のままにしてほしいです」
彼女はケア計画を見た。
一瞬、陽翔は反論されるのではないかと心配した。
しかし、夏美はうなずいた。
「わかりました」
彼は息を吐いた。
「ありがとうございます」
夏美は微笑んだ。
「理由を説明してくださって、ありがとうございます」
陽翔は彼女を見つめた。
それから言った。
「自分でも、細かいことにこだわるほうだってわかってます」
彼女は首を横に振った。
「自分のケアをどのように受けたいか、説明しているだけですよ」
陽翔はかすかに微笑んだ。
「それを面倒くさいって言う人もいるんです」
夏美は少し考えた。
「患者さんに希望があると、困ってしまう人もいますからね」
陽翔は見つめた。
そして笑った。
「すごい」
彼女は片方の眉を上げた。
「何がですか?」
「今の、ほとんど冗談でしたよ」
夏美は微笑んだ。
「あまり期待しないでくださいね」
陽翔は吹き出した。
由紀は口元を覆った。
幸子まで微笑んだ。
部屋の雰囲気が和らいだ。
そして陽翔は、一つのことを理解し始めていた。
夏美がすぐに自分のすべてを理解できるはずはない。
当然だった。
彼女は何年もかけて彼の日課を覚えてきたわけではない。
母がつらい日々を支えてくれたとき、そばにいたわけでもない。
不快な姿勢に苦しむ姿を見てきたわけでも、ほんの小さな調整がどれほど大きな違いを生むのか、学んできたわけでもない。
しかし、耳を傾けようとしてくれていた。
信頼は、そこから始まるのかもしれなかった。
最初から完璧に理解していることではなく。
理解しようと学び続ける、その姿勢から。
昨日から届いた知らせ
水野葵が電話を受けたのは、病院の職員休憩室に座っているときだった。
勤務を終えたばかりだった。
肩が痛かった。
結んでいた髪は少しずつほどけ始めていた。
そして、自動販売機は三度も硬貨を受け付けてくれなかった。
葵は、その自動販売機の態度を個人的な侮辱だと受け取っていた。
そのとき、スマートフォンが震えた。
表示された番号は、嫌がらせの相談を担当している警察の連絡先だった。
葵は背筋を伸ばした。
「もしもし?」
「水野さんですか? 黒田さんについてご提供いただいた情報の件で、お電話しました」
胃のあたりがきゅっと縮んだ。
「はい」
「位置情報が知られた可能性のある経路について、確認したいことがあります」
葵は注意深く聞いた。
警察官によると、拓海が高橋家の写真をどのように入手したのかは、まだ判明していなかった。
しかし、以前共有していたアカウントや端末について葵が提供した情報から、調べる価値のある可能性が浮かんだという。
位置情報の共有設定の中には、二人で使わなくなったあとも、アカウントや端末を通じて有効なまま残るものがあった。
今回それが起きたと確認できたわけではない。
それでも警察は、拓海が以前アクセスできた可能性のあるアカウントを確認し、証拠に影響するような変更を加える前に、関連する情報を保存しておくよう勧めた。
葵はうなずいた。
「わかりました」
警察官は、捜査が引き続き行われていることも説明した。
高橋家の近くで撮影された男性の身元は、まだ確認されていなかった。
拓海本人が葵を家まで尾行したと結論づけるだけの証拠もなかった。
その不確かさに、葵は苛立ちを覚えた。
しかし、証拠以上のことを知っているふりをしない警察官の姿勢には、感謝していた。
通話を終えると、しばらく静かに座っていた。
それから連絡先を開いた。
美香はほとんどすぐに電話に出た。
「もしもし、未来の訪問看護界の伝説さん」
葵はため息をついた。
「美香」
友人の声色が変わった。
「どうしたの?」
葵は説明した。
美香は口を挟まずに聞いた。
そして言った。
「わかった」
葵は眉をひそめた。
「わかった?」
「全部確認しよう」
「全部?」
「全部のアカウント。全部の端末。全部の位置情報共有設定」
葵は額をさすった。
「ものすごく疲れそう」
美香はため息をついた。
「たぶんね」
それから付け加えた。
「でも、お菓子はあるよ」
葵は力なく笑った。
「本当に変な人」
「そのとおり」
二人は、その夜にアカウントを確認することにした。葵が受けた助言に従い、必要に応じて専門的な技術支援も求めるつもりだった。
関連する記録を保存し、アカウントの安全性を高め、接続されている端末を確認する。そして拓海とは直接対峙しない。
さらに、アカウントの情報が漏れている可能性について、千里にも報告することにした。
事業所は職員と利用者の双方に関わる安全性の検討を進めていたため、その情報を知る必要があった。
通話を終えると、葵は背もたれに身体を預けた。
最初は、どれほど普通のことに思えていたかを考えた。
交際中に位置情報を共有すること。
一緒に端末を使うこと。
便利だからとパスワードを保存すること。
小さな信頼の行為。
本来なら、何の問題もないはずのことだった。
それなのに今、そのうちの一つが、誰かに自分を監視し続ける手段を与えてしまったのではないかと調べている。
葵は窓を見た。
外では、病院の敷地を訪問者や職員が行き交っていた。
人々が出入りしていた。
車が駐車場へ入っていった。
配達員が台車を押して搬入口へ向かっていた。
日常は続いていた。
葵は息を吸った。
そして立ち上がった。
まだやるべきことがあった。
そして、自分の人生の静かな時間を一つ残らず拓海に占領されることには、もううんざりしていた。
待ってくれない春
京都旅行についての相談は、翌日の午後に行われた。
陽翔と大地はダイニングルームからオンラインで参加した。
由紀も仕事の予定を調整して加わった。
画面には柴田茜という女性が映っていた。移動や宿泊の選択肢を調べる際、障害のある旅行者を支援することを専門とした、アクセシブル旅行の相談員だった。
彼女は温かく挨拶した。
「こんにちは」
大地は頭を下げた。
「本日はお時間をいただき、ありがとうございます」
陽翔は微笑んだ。
「こんにちは」
茜は彼を見た。
「陽翔さんですね?」
「残念ながら」
彼女は笑った。
「残念ながら、ですか?」
陽翔はにやりと笑った。
「扱いにくい客だって言われてるんです」
由紀はため息をついた。
茜は微笑んだ。
「それなら、きっとうまくやれそうですね」
陽翔は即座に彼女を気に入った。
相談は質問から始まった。
京都についてではなかった。
陽翔についてだった。
車椅子。
必要な介助。
本人の希望。
移動中の体力や負担。
必要な機器。
そして、同行する可能性のある人たち。
茜は、アクセシブルな旅行計画では、思い込みではなく正確な情報が重要なのだと説明した。
ホテルが車椅子対応の客室を宣伝していても、特定の宿泊客が必要とする機器や介助のためのスペースが十分とは限らない。
観光地にバリアフリー経路があっても、混雑する時間帯には通行が難しくなる場合がある。
交通機関についても、実際に利用する車椅子と移動区間に合わせて確認する必要があった。
陽翔は耳を傾けた。
その正確さをありがたく思った。
やがて茜が、いつ旅行したいのか尋ねた。
「桜の季節です」と大地が答えた。
茜は微笑んだ。
「素敵ですね」
陽翔はうなずいた。
「母さんが行きたがってたんです」
相談員の表情が和らいだ。
「そうだったんですね」
それからメモをちらりと見た。
「ただ、その時期は京都への旅行が特に混み合う季節でもあります」
由紀はため息をついた。
「やっぱり……」
茜は、観光の最盛期には、利用条件に合う宿泊施設の確保が特に難しくなる場合があると説明した。
適切な間取りの客室は数が限られていた。
空室状況も変動する。
また、オンラインの掲載情報だけに頼らず、必要な設備について直接確認しなければならない宿泊施設もあった。
資格や経験のある介助者を確保できるかどうかについても、慎重な計画が必要だった。
陽翔はうなずいた。
「どれくらい前から準備すればいいですか?」
「できるだけ早く始めるのがいいと思います。ただ、具体的な時期は、各事業者がいつ予約を受け付けるか、必要なサービスを手配できるかによって変わります」
大地はメモを取った。
由紀は眉をひそめた。
「費用は、どれくらいになるんでしょう?」
茜は少し間を置いた。
「介助体制、宿泊先、交通手段、必要な機器によって変わります」
そして続けた。
「詳しい条件がわからない段階で、金額をお伝えするのは避けたいと思います」
陽翔は感心してうなずいた。
ようやくだ。
適当な数字をでっち上げない人に出会えた。
三人は、考えられる方法について話し合った。
混雑の少ない時期に旅行すること。
訪問する場所を少なめにすること。
予定と予定の間に余裕を持たせること。
価格だけでなく、確認済みのバリアフリー設備を基準に宿泊先を選ぶこと。
そして、家族に過度な負担をかけず、信頼できる介助を確保したうえで旅行を実現できるか調べること。
相談は一時間近く続いた。
終わる頃には、陽翔の手元には数ページ分のメモがあった。
そして頭痛もあった。
通話が終わると、由紀は背もたれに身体を預けた。
「大変ね……」
大地はうなずいた。
「そうだな」
陽翔はノートを見た。
「うん」
由紀は額をさすった。
「やっぱり、延期したほうがいいのかもしれないわ」
陽翔は顔を上げた。
「いつまで?」
彼女はためらった。
「それは……わからないけど」
陽翔は眉をひそめた。
「来年?」
「そうなるかもしれないわ」
「再来年?」
「陽翔……」
彼は叔母を見た。
「それとも、ずっと?」
由紀はため息をついた。
「そういう意味じゃないのよ」
「じゃあ、どういう意味?」
彼女は書類を見た。
「まだ家での介助体制も整えている途中でしょう。家の改修もあるし、人員の手配も、費用の問題も……」
声が和らいだ。
「そのうえ、かなりのお金がかかるかもしれない旅行の話までしているのよ」
陽翔は目を伏せた。
難しい問題があることについては、叔母が正しいとわかっていた。
しかし、「延期」という言葉には、彼を怖がらせる何かがあった。
母も旅行を延期していた。
何度も。
何度も。
そして、もう時間がなくなってしまった。
陽翔は唾を飲み込んだ。
「複雑なのはわかってるよ」
由紀はうなずいた。
「だったら、もう少し待って――」
陽翔は彼女を見た。
「母さんも待ってた」
部屋が静かになった。
大地はペンを置いた。
由紀は彼を見つめた。
陽翔は続けた。
「いろんなことが落ち着いたら行こうって、ずっと言ってたんだ」
声が震えた。
「でも、結局、何も落ち着かなかった」
由紀の表情が和らいだ。
彼はノートを見た。
「もう、あんなふうにはしたくないんだ」
日付を決めなくても守れる約束
その夜、大地は陽翔の寝室を訪ねた。
京都旅行のノートは、ベッドの隣にある低い棚に置かれていた。
母の手紙も、保護用の透明なケースに入れて近くに置いてあった。
大地は軽くドアをノックした。
「入ってもいいか?」
陽翔はうなずいた。
「うん」
叔父は部屋に入り、ベッドの横の椅子に座った。
しばらく、二人とも何も言わなかった。
やがて大地がノートを見た。
「由紀も、お前を傷つけるつもりじゃなかったんだ」
陽翔はため息をついた。
「わかってる」
「心配してるんだよ」
「それもわかってる」
大地はうなずいた。
「お金のことも、準備のことも、安全に全部手配できるかどうかも」
陽翔は天井を見た。
「俺だって心配してるよ」
叔父はかすかに微笑んだ。
「そうだろうな」
陽翔は唾を飲み込んだ。
「無茶なことをしたいわけじゃないんだ」
「わかってる」
「簡単に行けないことも知ってる」
大地はうなずいた。
「もちろんだ」
陽翔は叔父を見た。
「でも、答えがいつも『無理』なのは嫌なんだ」
大地はその言葉を考えた。
そして微笑んだ。
「美咲も似たようなことを言ってたな」
陽翔は目をぱちくりさせた。
「本当?」
大地はうなずいた。
「誰かに難しいと言われると、あいつは決まって聞き返したんだ。『それは不可能ってこと? それとも、ただ面倒ってこと?』ってな」
陽翔は小さく笑った。
「母さんらしいね」
大地は微笑んだ。
「本当に頑固だった」
陽翔はにやりと笑った。
「遺伝だね」
叔父はくすくす笑った。
それから真剣な表情になった。
「陽翔」
「うん?」
「俺は、お前に京都へ行ってほしい」
陽翔は見つめた。
大地は続けた。
「桜を見てほしい。写真を撮ってほしい。美咲がお前にしてほしいと願っていたことを、全部経験してほしい」
陽翔は唾を飲み込んだ。
「でも?」
叔父は悲しげに微笑んだ。
「でも、きちんと準備して行ってほしいんだ」
陽翔はうなずいた。
大地は身を乗り出した。
「だから、計画を立てよう」
「本物の?」
「本物の計画だ」
ノートを指した。
「まず介助体制を整える。信頼できる見積もりを取る。宿泊施設と交通機関の条件を調べる」
陽翔は耳を傾けた。
「それから、貯金の目標額を決める」
彼はかすかに微笑んだ。
大地は続けた。
「最初の旅行を桜の季節に実現するのが難しいなら、別の時期も考えよう」
陽翔は目を伏せた。
「でも……」
叔父は片手を上げた。
「だからといって、桜を諦めるわけじゃない」
陽翔は顔を上げた。
「目標を二つにすればいいんだ」
「二つ?」
大地はうなずいた。
「必要な準備が整ったときに京都へ旅行すること。それから、最初の旅行が別の季節になった場合は、いつか桜の季節にも訪れること」
陽翔は考えた。
そんな発想はなかった。
彼は、母が思い描いていたとおりに旅行しなければならないと思い込んでいた。
京都。
春。
桜。
すべてが完璧な形で。
しかし、あの約束は、特定の一週間についてのものではなかったのかもしれない。
行くこと。
見ること。
生きること。
彼は母の手紙を見た。
何もかも完璧になるのを待たないで。
陽翔はかすかに微笑んだ。
「……わかった」
大地はうなずいた。
「いいのか?」
「うん」
叔父は微笑んだ。
「よかった」
陽翔は彼を見た。
「京都作戦って名前は、そのままでいい?」
大地は笑った。
「もちろんだ」
陽翔はにやりと笑った。
「それから、二冊目のノートを追加してもいい?」
叔父は片方の眉を上げた。
「何のために?」
「桜作戦」
大地は吹き出した。
「お前、本当に変な奴だな」
陽翔は微笑んだ。
「それも遺伝だよ」
不採用を覚悟していた先に届いた面接案内
メールが届いたのは、翌朝だった。
陽翔がパソコンの前に座っていると、通知が表示された。
差出人を確認した。
ミライ・インターフェース・ソリューションズ 採用担当
胃のあたりがきゅっと縮んだ。
メールを開いた。
文章は謝罪から始まっていた。
会社は、応募システムの利用中に陽翔が経験した問題を認めていた。
詳しい報告書への感謝が述べられ、その内容を担当部署へ共有したことが説明されていた。
陽翔は次の段落を読んだ。
そして止まった。
目をぱちくりさせた。
もう一度読んだ。
それから、わずかに身を乗り出した。
「大地叔父さん!」
返事はなかった。
大地は仕事中だったと思い出した。
「……そうだった」
キッチンへ目を向けた。
「由紀叔母さん!」
彼女はほとんどすぐに姿を現した。
「どうしたの?」
陽翔は画面を見つめていた。
「メールが来た」
由紀は眉をひそめた。
「誰から?」
「会社から」
「お仕事の?」
彼はうなずいた。
由紀が近づいた。
「何て書いてあるの?」
陽翔は微笑んだ。
「面接したいって」
由紀の顔が明るくなった。
「本当に?」
彼はうなずいた。
「うん」
会社は、利用しやすい別の応募方法を用意し、オンラインでの一次面接に招待していた。
しかし、それだけではなかった。
アクセシビリティと品質保証を担当する部署の職員が報告書を確認し、陽翔が指摘した問題について話を聞きたいと考えているという。
彼の観察は、社内システムの改善に向けた取り組みにも関係するものだと、メールには書かれていた。
陽翔はその言葉を見つめた。
不採用の連絡が来ると思っていた。
あるいは、形式的な謝罪だけかもしれないと。
しかし、実際には誰かが彼の文章を読んでいた。
誰かが、真剣に受け止めてくれていた。
由紀は微笑んだ。
「陽翔!」
彼は笑った。
「わかってる!」
由紀は彼を見た。
「すごいじゃない!」
陽翔はうなずいた。
それから面接の詳細を確認した。
笑顔が少し消えた。
由紀が気づいた。
「どうしたの?」
陽翔はため息をついた。
「今度は本当に、会社の人と話さなきゃいけなくなった」
由紀は吹き出した。
彼はにやりと笑った。
「文句を言ってるだけのほうが気楽だったのに」
由紀は首を横に振った。
「大丈夫よ」
陽翔は考えた。
「たぶんね」
そして付け加えた。
「会社のサイトがどれだけひどいか説明してくださいって言われなければ」
由紀は微笑んだ。
「それなら、得意でしょう?」
陽翔は笑った。
しばらく、ただメールを見つめていた。
まだ一円も稼いでいない。
採用されたわけでもない。
一次面接が何かにつながるかどうかもわからない。
しかし、誰かが彼の経験を見て、その価値を認めてくれた。
それは大切なことだった。
自分で思っていた以上に。
陽翔は京都旅行の表計算シートを開いた。
そして貯金の合計額の下に、新しい行を追加した。
収入の見込み:未定
彼は微笑んだ。
「さて、母さん」
母の写真をちらりと見た。
「どうやら、文句を言うだけでお金がもらえるかもしれないよ」
パスワードでは守りきれない人生
葵と美香は、翌日の夜の大半を古いアカウントの確認に費やした。
退屈で面倒な作業だった。
接続されている端末、アカウントの復旧方法、位置情報の共有設定、そして拓海と交際していた頃に利用していたサービスを確認した。
必要に応じて、葵は捜査に関係する可能性のある情報を保存してから、セキュリティ設定を変更した。
見覚えのないアカウントの動作については、専門的な技術サポートにも相談した。
拓海が高橋家についてどのように知ったのかを、決定的に示すものは見つからなかった。
しかし、いくつかの古い接続が、葵の思っていた以上に長く有効なまま残っていた。
彼女はアカウントを保護し、変更内容を記録した。
美香は背もたれに身体を預けた。
「……さて」
葵はため息をついた。
「さて?」
「最悪だったね」
葵は力なく笑った。
「同感」
友人は彼女を見た。
「気分はどう?」
葵は考えた。
「疲れた」
「そりゃそうだよね」
「それから、腹が立つ」
美香はうなずいた。
「それも当然」
葵はスマートフォンを見た。
「こんなことまで考えなきゃいけないのが嫌」
美香の表情が和らいだ。
「うん」
葵は続けた。
「何かいいことが起こるたびに、あいつがどうやって台無しにしてくるんだろうって考えちゃうのが嫌なの」
声が震えた。
「新しい場所へ行くのが怖いのも嫌」
美香は近づいた。
葵は唾を飲み込んだ。
「それに、前へ進もうとすると、今でも自分が悪いことをしているような気がするのが嫌」
美香は彼女の手を握った。
「悪いことなんてしてないよ」
葵は目を伏せた。
数秒間、黙っていた。
それからうなずいた。
「わかってる」
息を吸った。
「でも、わかってるだけで楽になれたらいいのに」
美香は手を優しく握り返した。
「時間がかかることもあるよ」
葵はかすかに微笑んだ。
そのとき、スマートフォンが震えた。
二人ともそちらを見た。
葵の胃がきゅっと縮んだ。
スマートフォンを手に取った。
千里からのメッセージだった。
事業所による安全性の確認は引き続き行っています。アカウントのセキュリティに関するご報告も受け取りました。現時点では、担当候補としての状況に変更はありません。新たな動きがあればご連絡ください。
葵は息を吐いた。
美香が片方の眉を上げた。
「いい知らせ?」
「そういうわけでもない」
「悪い知らせ?」
「そういうわけでもない」
美香は微笑んだ。
「ああ。お役所仕事ってやつね」
葵は笑った。
「まさにそれ」
スマートフォンをテーブルへ置いた。
担当が決まるかどうかは、まだ不確かだった。
今後の仕事についても決まっていない。
そして拓海の嫌がらせも、まだ解決していなかった。
しかし、自分を守るために、もう一歩進むことができた。
自立とは、必ずしもすべてを一人で行うことではないと、葵は学び始めていた。
ときには、自分で決める権利を手放さずに、誰かの助けを受け入れることでもある。
その考えが、陽翔を思い出させた。
葵はかすかに微笑んだ。
美香が気づいた。
「何?」
「何でもない」
友人は目を細めた。
「葵」
彼女は笑った。
「本当に何でもないってば」
美香はじっと見た。
そしてにやりと笑った。
「車椅子の彼のこと考えてたでしょ」
葵は目を回した。
「仕事のことを考えてたの」
「はいはい」
葵はクッションを投げつけた。
美香は笑った。
ほんの一瞬、部屋の空気が軽くなった。
望む自分と、なりたい自分の間にある距離
その夜、陽翔は寝室の窓辺に座っていた。
ガラスの向こうでは、街灯の下で街がきらめいていた。
数台の車が道路を通り過ぎた。
近くのどこかでは、電車が暗闇の中を走っていた。
パソコンの画面には、今度の面接の詳細が表示されていた。
すでに準備を始めていた。
検証作業の進め方についての質問。
アクセシビリティ上の配慮についての質問。
報酬の支払い方法と、想定される業務量についての質問。
また、有償の仕事を引き受ける前に、現在受けている給付への影響を確認できるよう、雇用条件を書面で説明してもらえるかどうかも尋ねるつもりだった。
時間はかかるだろう。
それはわかっていた。
しかし、きちんと進めたかった。
パソコンの隣には京都旅行のノートがあった。
最初のページには、今では二つの目標が書かれていた。
1.京都へ行く。
2.桜を見る。
陽翔は微笑んだ。
この区別が気に入っていた。
一つ目の目標は、今すぐ計画を始められることだった。
二つ目は、特定の季節を新たな失望の理由にすることなく、少しずつ目指していけることだった。
貯金の封筒へ目を向けた。
千円。
まだ千円。
しかし、ずっとそうとは限らない。
それから母の写真へ視線を移した。
寝室の暖かな明かりの下で、美咲が微笑んでいた。
陽翔は彼女を見つめた。
「ねえ、母さん」
声は静かだった。
「仕事の面接を受けられるかもしれないんだ」
少し間を置いた。
「いや、正確には面接は決まってるんだけどね」
かすかな笑みが浮かんだ。
「そのあと仕事がもらえるかどうかは、また別の話」
母の反応を想像した。
きっと大喜びしただろう。
千個くらい質問してきただろう。
そして、彼が「クビにするよ」と脅すまで、面接の準備を手伝おうとしたに違いない。
陽翔は小さく笑った。
「わかってるよ」
写真を見た。
「恥をかかないように頑張る」
少し時間が過ぎた。
それから付け加えた。
「保証はしないけど」
窓の外では、風が家のそばの木の枝を揺らしていた。
陽翔は背もたれに身体を預けた。
夏美のことを考えた。
有能だった。
辛抱強かった。
学ぼうとする姿勢があった。
すべての冗談を理解してくれたわけではないが、自分にとって何が大切なのかを説明すると、耳を傾けてくれた。
これからも彼女のことを知っていきたいと思うには、それで十分だった。
葵のことも考えた。
今でも、彼女が自分のケアチームに加わってくれたらいいと思っていた。
しかし、もうすべてがその可能性にかかっているとは感じていなかった。
自分の未来は、一人の看護師よりも大きなものでなければならない。
一軒の家よりも。
母の死以来、ずっとつきまとってきた悲しみよりも。
陽翔は京都の写真を見た。
東京の向こうでは、いつか必ず春が訪れる。
桜が咲く。
電車は走り続ける。
そして世界には、まだ見たことのない場所がいくらでもある。
彼は、その世界の一部でありたかった。
いつか、何もかも完璧になったときではなく。
周りの人たちが、もう大丈夫だと判断したときだけでもなく。
安全に、無理なく、そして自分自身の意思で実現できるようになったら、できるだけ早く。
陽翔は微笑んだ。
そして面接用のメモを開いた。
ページの一番上に、こう入力した。
自分について知ってほしいこと
少し考えた。
それから最初の一文を書き加えた。
私は、アクセシビリティが機能しないときに生じる問題を、日々の生活の中で経験しているからこそ理解しています。
彼はその文章を読んだ。
一度。
二度。
そしてうなずいた。
初めて、誰かに自分の障害を大目に見てもらうための説明をしているのではなかった。
自分の経験が、なぜ仕事に必要な能力につながるのかを説明していた。
そして街の反対側では、水野葵も驚くほどよく似たことをしていた。
自分を傷つけた男によって定義される人間ではなく、これからの人生を自分で決められる看護師として、自分自身を見つめ直そうとしていたのだ。
二人とも、それぞれの道がどこへ続くのかはわからなかった。
これからの数週間に何が起こるのかも、予測できなかった。
それでも、二人は前へ進み始めていた。
そして、ときには、望んでいる人生と、実際に築いていける人生との距離は、たった一度の並外れた勇気によって埋まるのではない。
恐れを抱えながらも下していく、ごく普通の決断の積み重ねによって、少しずつ縮まっていくのだ。
一通のメールを送ること。
守るべき境界線を引くこと。
旅の計画を立てること。
扉を開くこと。
そして、これからも歩み続けようとする、静かな決意によって。




