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私は自身の悪役令嬢としての名声が高まり、第二王子の婚約者にならないで済むことを願いながら、出来立て焼き立てのふわふわのパンケーキにかぶりつく。そうしながら順番にテーブルを巡るジョセフ殿下を眺める。
「あっ!」
甘い香りの中に感じる風味はバニラ!
「まあ、なんて甘い香り!」
「とっても甘いパンケーキだわ」
「この甘い匂いは何ですの!?」
令嬢たちがざわめくがそれもそのはず。バニラはこの世界では超のつく高級品。公爵家でだってそう滅多にはいただけない。でもここは宮殿で、今日は第二王子の誕生日。奮発したのだろう。参加している二十名ぐらいの令嬢と令息のパンケーキはバニラ風味だったのだ。
美味しい。本当に美味しい。バニラ最高……!
幼い私はつい食べ物の虜になってしまうが、そうしているとジョセフ殿下がついに私のいるテーブルに現れた。
いよいよだわ。悪役令嬢とし――
そこで私はガタッと席を立ち、絶叫しそうになるのを我慢することになる。
「どうされましたか、フィッツロイ公爵令嬢?」
ジョセフ殿下が優しく尋ねるが、私は顔を引きつらせ、深呼吸する。
お、落ち着くのよ、私。落ち着いて。
「フィッツロイ公爵令嬢、いかがされたのですか?」
私の推しの妹、エリザベスも、心配そうに尋ねるが……。
エリザベス、あなたの背中、背中!
指摘しようとしたまさにその時、エリザベスの隣に座る伯爵令嬢が「きゃあぁぁぁぁ!」と絶叫する。ジョセフ殿下の近衛騎士が「何事!?」という勢いで、彼を背に庇う。
伯爵令嬢は椅子から転げ落ち、その様子に彼女の隣の子爵令嬢がビックリして、立ち上がる。
「ちょっと! たかが虫ぐらいで何を大騒ぎしているのかしら!?」
私はもう覚悟を決め、仁王立ちで告げる。
「虫……?」
その場にいる全員がキョトンとしているが、そう、虫!
『羊たちの沈黙』という映画のポスターに登場していたメンガタスズメにそっくりな蛾がエリザベスの背中にとまっていたのだ……!
「こんな虫程度で大騒ぎするなんて! 淑女たるもの、これしきの虫で動じるなんて、恥ですから」
私がビシッと告げると、腰を抜かした伯爵令嬢は「そんな……」と涙目になる。
ほら。私は恐ろしい公爵令嬢。伯爵令嬢は泣きそうよ!
「……フィッツロイ公爵令嬢、その虫とはどこに……?」
エリザベスが顔面蒼白で尋ねるので「大丈夫ですわ、ポーレット侯爵令嬢。そのまま座っていればいいのです。私を信じてくださいませ」と告げる。そして何かないかと見まわし、自分が持っている油絵に気が付く。
くっ、しかたない。これを使うしかないわ!
そこで下手くそな油絵を手に、エリザベスをゆっくり椅子から立ち上がらせ、その背にキャンバスを近づける。蛾は飛び立つことなく、絵に乗り移り、ぴたりと張り付く。
奇しくも本当に『羊たちの沈黙』のポスターみたいに仕上がったわ……!
「はい。おしまい。たかが虫ごときで、大騒ぎして。殿下の御前ですのよ。ちゃんと椅子に座ってくださいませ!」
私がぴしゃりと言うと伯爵令嬢は「は、はいっ」と慌てて椅子に座り直す。子爵令嬢も椅子に腰を下ろし、エリザベスは――
キャンバスに張り付いた蛾を見て、両手で自身の口を押さえる。絶叫しそうなのをなんとか我慢したようだ。
「フィッツロイ公爵令嬢、その絵は近衛騎士が預かってもいいですか?」
ハッとして顔をあげると、ジョセフ殿下が優しい表情で私を見て微笑んでいる。
「あ……はい。その……こちらは殿下へのプレゼントの一つでしたが、こうなったら処分してくださいませ」
「処分はしません。とりあえずこの蛾は招かれざる客ということで、退出してもらいますが、絵は後ほど、わたしの方で受け取ります」
「そこまでするような絵ではないかと」
「フィッツロイ公爵令嬢が描いてわざわざ持参してくださったのです。大切にします」
「……は、はい?」
なんでこうなったと思うが、既に油絵は私の手を離れ、近衛騎士の手に渡り、彼は足早にこの場から去って行く。
「みんな、サプライズゲストは終了です。スイーツはまだまだ沢山あるので、ぜひ歓談を続けてください」
ジョセフ殿下の言葉にざわめきが一瞬起きるが、すぐにみんな、歓談に戻る。
「さて。フィッツロイ公爵令嬢、あなたはとても勇敢ですね。わたしでもさっきの蛾は……驚きました。でも声を出さなかったのは、フィッツロイ公爵令嬢が凛とされていたからです。さすがフィッツロイ公爵の自慢のご令嬢ですね」
ニコニコと微笑むジョセフ殿下を見て「違います!」と叫びたくなるが、そこは日ごろのマナーレッスンの賜物で「とんでもございません!」とちゃんと謙遜してしまっている。
ち、違う。ここで「違いますわよ!」ぐらい言えたら、生意気な奴と嫌われたかもしれないのに! なんでお上品になるのよ、私!
「素敵な絵をありがとうございました。フィッツロイ公爵令嬢もスイーツをお楽しみください」
そこでジョセフ殿下がエリザベスの方に視線を向けるので、ハッとして椅子の横に置いていた籠からチェスを包んだ箱を取り出す。
「殿下、こちらが本命のプレゼントです! お父さまが特注で作らせた象牙のチェスセットでございます!」
「象牙のチェスセット! それはとても高価なものを……ありがとうございます! わたしはチェスが大好きなんですよ。今度、一緒にチェスをしましょう、フィッツロイ公爵令嬢」
「はい!」
元気よく「はい!」と答えてから「そうではない!」と私は叫びそうになるのを、これまたマナーレッスンの賜物で呑み込んでしまう。
ここは「わたくし、チェスは得意ではないので!」とお断りすべきだったのに!
実際のところ、チェスは好きだった。だが第二王子の婚約者になりたくないゆえのポーズのつもりだったのに……。結局言えずに終わってしまう。
悪役令嬢としての修練が足りないのだわ。ここぞという時に悪役令嬢として振る舞えないなんて……!
私はハンカチを噛み締め、キーッとしたくなるのを堪えることになった。
◇
「みんな、満腹になったところでしょうか。沢山のプレゼント、ありがとうございます! 御礼の気持ちを込めて、わたしからみんなを人形劇へ招待させていただけませんか。そのまま、噴水前広場へ移動してください!」
ジョセフ殿下の合図で、みんなぞろぞろと噴水前広場へと移動した。するとそこにはズラリと高級そうな椅子が並べられている。
「キャロライン、さっきはよく頑張ったね。遠目で分かるぐらい大きな蛾だったのに。あんなに落ち着いて行動できるなんて、兄として誇らしいよ」
「!? お兄さま、そうではないです! 私は伯爵令嬢を叱りつけ……」
「あの伯爵令嬢はいくら驚いても椅子から転げ落ちてしまうのは……貴族令嬢として少々みっともない。注意されて当然だし、本人も『しまった』と思っているだろう。叱りつけたとは思わない。あの場で必要な注意をしたに過ぎないよ」
兄がそう言うのは身内びいきだろう。実際に注意された伯爵令嬢は私を怖いと思い、そばにいた子爵令嬢もびびったに違いない。
そう思っていたが……。
人形劇は自由席だったので、兄と並んで座ると、なんと空いている右側の席にあの伯爵令嬢と子爵令嬢が腰掛けたのだ。
「フィッツロイ公爵令嬢」
「はい」
「先程はありがとうございました」
「!?」
「あの時、喝を入れてくださったので、私、席に座り直すことができました」
「えっ、ええっ!?」
「それにあのような恐ろしい蛾を目の前にして、顔色一つ変えず、キャンバスに移し……。しかもあの蛾、そこが定位置かというように絵に収まっていましたよね? 不思議なポスターのような絵があの蛾により完成したようでした」
それは確かにそうなのだけど……。顔色変えず? いや、変わっていたと思うのだけど!
「ともかく私、フィッツロイ公爵令嬢のファンになりました!」
「私もです!」
なぜか伯爵令嬢の隣に座る子爵令嬢までそんなことを言い出す。
「なっ、何を言っていますの!? 私のファ、ファン、だなんて!」
「よかったじゃないか、キャロライン。頼もしい友達が出来た」
「えっ、ち、違いますわよ、お兄さま!」
そんなことを言っていると、人形劇が始まった。
お読みいただき、ありがとうございます!
完全にコメディですが、実はこの背中に蛾がいる事件は実体験です……!
あの時、クラスメイトに背中に張り付いていた奴は……
今も鮮明に記憶されています
それはさておき次話は明日の夜頃公開予定です~
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