26
かなり不機嫌な状態でガゼボの中に用意されている椅子に腰掛ける。
確かにちゃんと飲み物と軽食、スイーツは……用意されているわね。
ランタンに照らされた果実水には貴重な氷も浮かんでいる。一口サンドやピクルスなどの軽食も美味しそうだ。フルーツの盛り合わせや焼き菓子なども甘い香りを漂わせている。
「紅茶や珈琲もご用意出来ますよ」
見るといつの間にかメイドがしっかり控えている。
念入りに用意したのね。
メイドにはこの場にずっといて欲しいので、果実水を頂くことにした。
「そうそう、今回の彗星ですが……」
ジョセフ殿下が饒舌に話し始めたので、私は頷きながら、軽食に手を伸ばす。
ジョセフ殿下との彗星鑑賞、乗り気ではなかった。ゆえに夕食もあまり食べていない。
ちょうどいいわ。
私はパクパクと一口サンドを摘む。
そうして噴水前広場を見ていると、続々と貴族たちが集結している。用意されている椅子は次々と埋まっていく。さらに広場の周囲には屋台のように店が出ている。
焼き立てのソーセージ、ミートパイ、濃厚なコンソメのスープの香りも漂う。
パサパサのサンドイッチより、あっちで出来たての料理を食べたい……。
私がそんな風に思っていることなどお構いなしで、ジョセフ殿下は話し続けている。
適当に相槌を打ちながら、推しの姿を探そうとすると――。
「!」
「バカンスシーズンに入ったら、一緒に離宮へ行きませんか?」
ジョセフ殿下がさりげなく私の左手をぎゅっと掴み、振り払いそうになるのを何とか堪える。
「離宮……そういったことはお父様に話して頂かないと。私ではお返事出来ませんわ」
「……それはそうだよね。でもフィッツロイ公爵令嬢も僕と離宮に行きたいだろう?」
「断じて行きたくなどありません」と言いそうになるが、それは呑み込む。曖昧に微笑み、果実水の入ったグラスを手に取る。
「早く……フィッツロイ公爵令嬢と結ばれたいな」
グラスを持つ私の手に重ねるようにジョセフ殿下が自身の手を載せるので、これには思わず悲鳴をあげそうになり、堪えた反動で……。
「あっ」
「!」
「申し訳ありません」
グラスの果実水がジョセフ殿下に思いっきりかかってしまう。
「大丈夫だよ」
本人はあくまで笑顔で大丈夫というが、着ているのは白のテールコート。そして私が飲んでいた果実水は黒カラント。元の世界ではカシスという名で知られる黒い果実! その果実水なのだ。それを白のテールコート姿で被ったら……。
「殿下、着替えられた方がよいかと」
「でも……間もなく彗星が現れるかもしれない」
「今は一旦、彗星のことは忘れ、着替えられた方がいいと思います。……その甘い香りに虫も寄ってきています」
いきなりカシスの甘い香りがぶわっと広がり、小さな羽虫が集まって来ていた。
「分かりました。すぐ戻ります」
「ゆっくりでいいですよ」と言いたくなるが、そこはグッと我慢する。
かくしてジョセフ殿下は近衛騎士と共に宮殿の建物の方へと向かう。
その背中が遠ざかることに安堵し、改めて噴水前広場の方を見ると、歓談する男女の声が軽やかに聞こえてくる。
「何だか楽しそうね。料理も美味しそうだし」
つい、独り言を口走ると……。
「お嬢様、お料理、取ってまいりましょうか?」
控えていたモリーが気を遣ってくれる。
「大丈夫よ、モリー」
「でも美味しそうな香りがここまで漂っていますよね……」
「それは……そうね」
「ちょっと、行って参ります!」
控えていたメイドはこぼれた果実水を拭くなど、片付けに追われ、ガゼボを離れていた。だがそばにはジョセフ殿下が待機を命じた近衛騎士がいるので、モリーは足早に噴水前広場へと向かっていく。
モリーを見送ったまさにその時。
夜空で一際輝いていた星の一つに白く輝くような尾が見える。
「おい、見ろ! ついに彗星が生まれたぞ!」
「本当だ! 本の挿絵にあったのと同じだ!」
噴水前の広場の貴族たちのざわめきがここまで聞こえてくる。
「彗星が遂に現れたのね……!」
彗星は流れ星のようにビュンと流れるものではなかった。
最初は普通の星の一つのように見え、次第にその輝きが増し、やがて尾を引くような光の筋を持ち、夜空をゆっくり流れ始める。
そうか。彗星は一夜限りではなく、何日もかけて、地球を横切っていくのね……!
彗星に誘われるように、私はガゼボを出て、噴水前広場の方へとゆっくり歩み出す。後ろから近衛騎士が距離を置き、ついてくるが、止めることはない。
綺麗だわ。元の世界ほど街灯が多いわけではないから、普通に満天の星空が広がっている。
その星の海の中、彗星がゆっくりと泳いでいるみたいだわ。
夜空を見つめ、この美しい天体ショーについて感動する気持ちを分かち合えたら……と思ったまさにその時のこと。
「この彗星は七十六年前にこの地に現れました。そして再び、戻って来たのです。愛する人に出会うために……そんな風に文学界で言われているのですよ」
落ち着いた穏やかな声。でも男性にしては明るく、快活。耳当たりがよく、ずっと聞きたくなるこの声の持ち主は――。
声の方を見た私は泣きそうになる。
そこには私の想像を超える美しさで成長した推しがいたのだ。
アイスブルーのサラサラの前髪は、真ん中分けされ、そして……その長さは襟足が少し長いが、前世で見た長髪とは違い、短い!
遂に騎士に叙任されたのだろうか。推しはダークブルーの軍服のような装い。背にまとうのは夜空でも分かるアイスブルーのマント。シルバーの宝飾品を身に着け、とても凛々しく、シュッとして長身。筋骨隆々というわけではなく、アスリートのように引き締まり、贅肉のないスリムで素敵な貴公子へと成長していた。
なんて……カッコいいのだろう……!
「フィッツロイ公爵令嬢。お久しぶりです。ウィリアム・ハリー・ポーレット、先日、遂に騎士に叙任されました」
「それは……本当におめでとうございます……!」
「ありがとうございます」
そこでふわりと微笑む推しの笑顔は昔と変わっていない。
その表情を見ると、まるで時が巻き戻ったように感じてしまう。
「私は騎士として、国王に忠誠を誓った身ですが……レディを守るという誓い、それはフィッツロイ公爵令嬢。あなたに捧げてもいいですか?」
推しの言葉に涙腺が崩壊しそうになる。
この世界の騎士道では、君主に忠誠を誓い、その真心を誓うのはたった一人の女性のみ。つまり騎士がその生涯で愛するのは一人の女性のみなのだ。そして推しは……その女性として私を選んでくれた……!
胸がいっぱいになり、言葉が出ない。でも代わりに私は白手袋をつけた手を差し出していた。
「ありがとうございます、フィッツロイ公爵令嬢」
同じく白手袋をつけた推しの手が、十二年ぶりに私の手に触れた。その事実に心臓が飛び跳ねてしまう。
優しく私の手を持ち上げ、その場で跪いた推しは手の甲へと自身の唇を近づける。
その唇は決して私の素肌にも白手袋にも触れることはない。
でも熱い吐息を感じ、私は眩暈がしそうになる。
ゆっくり推しが手の甲から自分の顔を離し、立ち上がったまさにその瞬間。
「フィッツロイ公爵令嬢!」
鋭い呼び声に冷水を浴びた心地になる。
推しはスッとお辞儀をすると、その場から身を引く。
私は深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。
ジョセフ殿下に悟られると面倒だ。夜に乗じて推しは姿を消している。知り合いの令息が挨拶に来てくれたとサラリと流し、殿下の気を彗星に向かわせよう。
私はとっておきの作り笑顔でジョセフ殿下を見た。
お読みいただき、ありがとうございます!
美しい彗星の下での推しとの束の間の再会。
甘い言葉と仕草に胸キュンMAX!
でもすぐに現実を知り――
気になる続きは明日の夜頃公開予定です~
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