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ジョセフ殿下が先走ったことは私の父経由で国王陛下の耳に入る。国王陛下は殿下の勝手な行動にかなりご立腹だったらしい。そして私の誕生日を待たずして、殿下との婚約は公式発表されてしまう。
一方の推しは切れてしまったチェーンを綺麗に直し、水曜日の最後の朗読会の時に私にペンダントを渡してくれた。
「フィッツロイ公爵令嬢。僕がこのペンダントに込めた想いは……変わりません。あなたがあの日、懸命にこのペンダントをその身から外さないようにしたこと。その意味は……痛い程、僕に伝わりました。僕の中でレディは永遠にフィッツロイ公爵令嬢、あなただけです」
ジョセフ殿下のような強引さはなく、あくまで控えめに私にペンダントを返しながら、推しは切なそうにその瞳を震わせ、私に想いを込めた言葉を伝えてくれた。私はそんな推しに対し、ただ無言で何度も頷くことしかできなかった。でもそれだけで伝わったと思う。私も同じ気持ちであることが。たとえジョセフ殿下の婚約者となっても、気持ちは……推しにあると、分かってくれたと思う。
だがこの日が最後だった。
私は王家の一員になる身。婚約者もいる。いくら隣人で由緒正しい侯爵家の令息であろうと、兄とエリザベスが同席していようと、会うことは……禁じられてしまったのだ。
さらに日曜日のチェスの会も終わりを迎える。
ジョセフ殿下の王子教育も私の妃教育も本格的なものになり、日曜日の一部にもレッスンが入るようになったのだ。
推しとの交換日記も……終わってしまった。
「そのメモ帳は良かったらフィッツロイ公爵令嬢が持っていてください」
推しに言われ、私の手元に残ったメモ帳。そこに私は推しへの気持ちを綴るようになる。この世界の言葉ではなく、元の世界の言葉、日本語で。これなら両親や兄、使用人が見ても何を書いてあるか理解できない。
推しとの接点がなくなり、三カ月後、『鍛冶職人スミスの成長記』の本がモリー経由で私に届けられた。添えられている手紙には御礼の言葉のみ。ただ、本に栞が挟まれている。それは私が用意した栞ではない。推しが手作りしてくれた栞、薄い上質なシルクから透けて見えるのは、プリムローズの白い花。
優しい笑顔でこの花をモチーフにしたペンダントをプレゼントしてくれた、推しの顔が瞼に浮かぶ。
どうせジョセフ殿下は心変わりするのに。推しと私は両想いなのに。
推しが捧げてくれた想いを胸に、様々なモヤモヤを抱えながらも、私はその時までを生きることになる。
◇
ピチュー、ピチュー。
鳥のさえずりで目が覚めた。
「お嬢様、おはようございます!」
侍女のマリエットが快活な笑顔で寝室に入って来た。
マリエットの母は、私の乳母だったモリーだ。モリーとバトンタッチするように、マリエットが専属侍女として公爵邸にやって来たのは私が十六歳になった時だ。
十七歳で社交界デビューをするのに合わせ、少し早めにキャロラインには専属侍女がつけられることになった。六歳年上で子爵令嬢だったマリエットは、モリー同様のしっかり者。私の社交界デビューも無事に支えてくれたのだ。
そう、私はこの春に社交界デビューを果たし、十七歳になっていた。そしてこの十七歳の時、ヒロインであるマーイこと、安芸杉 麻井がこの世界に転移してくる。
「お嬢様、今日のドレスはこちらでいかがですか?」
マリエットがラベンダー色のドレスを着たトルソーを指し示す。
「ええ、それでいいわ」
モーニング・ティーを飲みながら応じて、私は新聞へと目をやる。
マーイがこの世界に転移してくる日の前日、彗星が夜空に現れ、人々は「明日は何か起きるかもしれない」と噂していた。そして本当にこの世界では奇跡が起き、マーイが転移してくるのだ。
具体的な日付は記載されていない。しかし舞踏会でマーイとジョセフ殿下が会うのだから、社交シーズン中であることに違いはない。そして今は七月。八月の上旬にはシーズンが終わり、皆、避暑地で暑い夏をやり過ごすことになるのだ。
となると彗星の情報を新聞で確認するしかないが……。
元の世界のように彗星が飛来する日を予想するなんて無理な話。スパコンもなければ高性能な望遠鏡や観測システムがあるわけではないのだ。それでも天文学者は数年もかけ、数式を解き、たとえば「この彗星の周期は七十六年だから、次は1835年だ!」なんて予想を発表しているが……。
では1835年のいつなのか。
「多分、11月頃……?」という見解であり、新聞では春ぐらいから「今年はいよいよ彗星が現れる!」と報じるようになる。そして今回も年が明けてから、「本年度の見逃せない自然現象ベスト10」の中に、彗星のことも触れられていた。以後、新聞には定期的に「そろそろ彗星が見えるか」という記事がぽつぽつ出るようになっていたが……。
一月から今日まで、彗星はまだ現れていない。でも社交シーズンは間もなく終わるのだから、いよいよ彗星が現れ、ヒロインがこの世界に登場するのだわ。
「お嬢様、顔を洗われますか?」
「あ、そうね。起きるわ」
つい新聞をガン見してしまったが、マリエットの言葉にベッドからストンと降りた。その瞬間、背中までのプラチナブロンドの髪がサラサラと胸の前へと移動する。その胸は豊かに膨らみ、元の世界よりもかなりグラマラス! グラマラスなのは胸だけではなく、ウエストはくびれ、ヒップは見事に上向いている。手足もすらりと長く、爪は綺麗な桜色、唇はチェリーのようで、頬はローズ。肌は陶器のようにつるつるですべすべ。
そう、十七歳になったキャロラインは私が表紙絵で見ていたのと同じ、美貌の令嬢へと成長していた。
スリッパを履き、併設されているバスルームへ向かうと、陶器のボウルとジャグが用意されている。ボウルにジャグの水を入れ、まずはつけているペンダントをはずし、宝石箱へとしまう。推しがくれたペンダントは夜、眠る時にだけつけていた。
顔を洗い、ドレスに着替えたら、ジョセフ殿下からプレゼントされた宝飾品を身に着けることになる。
ジョセフ殿下は驚くほどのプレゼント魔だ。事あるごとにキャロラインに花やら宝飾品やら扇子などを贈ってくれるのだ。
こんなにまめに贈り物をしていたなんて。小説を読むだけでは分からなかった。でもこれもそれもいよいよここまで。間もなくヒロインが登場し、ジョセフ殿下は彼女と出会い、キャロラインのことなど眼中からなくなる……。
そのことにセンチメンタルな気持ちになることはない。ずっと昔に悟っていたことだし、転生者なのだ、私は。重要なのは、ジョセフ殿下と婚約解消した後も私が生き残ること。そして家族と推しが変貌しないで済むこと。そのための布石は……想定より前に既に出来ていた。
だから大丈夫。
「ではお嬢様、ドレスへ着替えましょう」
◇
ラベンダー色のドレスへ着替え、ダイニングルームへ向かう。
「おはようございます、お父様、お母様」
「おはよう、キャロライン」
「おはよう、キャロライン。今日も素敵なドレスね。よく似合っているわよ」
三歳上の兄は遊学に出ており、小説通りの進行なら、帰国するのはキャロラインの訃報を知った時となる。
「領地から報告が上がり、今年もミラベルが青い実をつけ始めたそうだ」
「まあ、そうなのですね。では今年も美味しいミラベルのタルトがいただけるわ。よかったわね、キャロライン」
「はい、お母様。とても楽しみです!」
何気ないいつもの会話を交わしながら、朝食のスクランブルエッグを口に運んだところに執事長がやってくる。
「旦那様、王家より手紙が届いております」
「うん!?」
父はスープを飲むために手にしていたスプーンを置き、執事長のセバスから手紙を受け取る。
「……ジョセフ殿下からではないか」
ペーパーナイフで封筒を開封し、手紙を取り出す。宛名は私であるが、王家からの手紙は両親が先に目を通すのが当たり前だった。
元の世界の私なら「プライバシーの侵害!」なんて思うだろうが、この世界ではこれが当然であり、ジョセフ殿下の対応は正直面倒なので、この慣習には実は感謝していた。
「……ふうむ」
父は唸り、母に手紙を渡す。
母は手紙を見て、ため息をつく。
「……そんな彗星なんて……。何時に現れるのか分からないのに」
「でもまあ、殿下は近衛騎士や従者を連れてくるだろうし、こちらも専属侍女と一緒だ。何なら騎士の一人や二人、護衛につけてもいい」
「……仕方ないですわね」
両親の会話に「もしや」と私は思う。
「キャロライン」
「はい、お父様」
「ジョセフ殿下によると、王家お抱えの天文学者が、今晩彗星が現れると予想したらしい。そこで今宵、宮殿の庭園にキャロラインを招待したいそうだ」
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