第78話「それぞれの秋」
時事ネタ?社会風刺?いずれにしろ、この作品はフィクションであり、実在の企業・団体・個人とは一切関係ありません。キリッ
2026年11月初旬。ジブチ。FEPA基地。
田中現場所長が黒田の執務室をノックした。
「——少しよろしいですか?」
「どうぞ」
田中が資料を持って入ってきた。「黒田PMC代表、本社からかなりうるさく言われていまして——追加契約分の支払いをそろそろお願いできますか? 初期工事費は入金されていたんですが、後半の追加工事分——格納庫の転用、宿舎改修、植物園、PX——この辺りの支払いが滞っていまして。仕入れに使っていた資金が枯渇してきてまして」
黒田が少し間を置いた。「マリーニに話してくれ」
「——ありがとうございます」
マリーニが資料を受け取った。しばらく見た後に口を開いた。
「FEPA分は資本準備金から即座に払います」
田中が頷いた。「助かります」
「ただし——」マリーニが続けた。「JDETA分の格納庫転用工場等はJDETAに請求してください」
田中が少し困った顔をした。「——木村技術担当に言っても動きが遅くて」
「——木村さんを呼んでください」
木村が走ってくる。
マリーニが木村を見た。「格納庫転用工場の支払い、なぜ遅れているんですか?」
「——予算の確認に時間が——」
「今日中に処理してください。JDETAの予算は十分あります」
「——了解しました」木村が小さく縮んだ。
マリーニが田中に向き直った。「それと——ついでに追加発注をお願いしたいのですが」
田中が止まった。「——追加発注?」
「そうです。必要なものをリストアップしました」
マリーニが資料を出した。
田中が読み始めた。
「C-2格納庫20棟——An-124格納庫10棟——An-124サイズの倉庫10棟(うち2棟は冷蔵・冷凍区画)——淡水化プラント——病院設備強化(大学病院レベルへ)——宿舎拡張(最大10000室へ)——」
田中がしばらく動かなかった。
「——マリーニさん」
「はい」
「私を殺す気ですか?」
「4割を先払いします」
田中がしばらく資料を見た。「——総額を今から計算してもいいですか?」
「お願いします。契約書をその場で切ります」
田中が手帳を取り出した。電卓を叩き始めた。
しばらく計算が続いた。
「——約3200億円になります」
「分かりました。4割——1280億円を先払いします。残りは出来高払いで」
田中がしばらく黙った後に新しいノートを取り出した。「——契約書、今から書きますね」
「お願いします」
田中がペンを走らせながら言った。「——鹿島建設史上最大の単独現場になりました」
マリーニが電卓を置いた。「それは誇っていいと思いますよ」
田中が少し笑った。「会長の椅子、諦めません」
「——それは鹿島本社にお願いしてください」
契約書にサインをした。
田中がサインを見た後に立ち上がった。窓の外を見た。ジブチの砂漠が広がっていた。
「——10000室か」とつぶやいた。
「そうです」
「病院が大学病院レベルになるんですか」
「そうです。FEPAとJDETAの関係者だけでなく、将来は地域医療にも貢献します」
田中がしばらく窓の外を見た後に言った。「——やりがいがありますね」
「そうだと思います」
田中がノートをしまった。「では、すぐに本社に連絡します」
同じ頃。ホルムズ海峡。
隼11番艦の機関室。
ディミトリ・ヴォルコフが計器を見ていた。
3週間が経っていた。毎日交戦が続いていた。革命防衛隊の高速ミサイル艇、ドローン——毎日来ては駆逐された。
「ヴォルコフ」と艦長が無線を入れた。「今日は静かだな」
「そうだ」とディミトリが答えた。「でも——来る」
「根拠は?」
「エンジンの音が違う」
「——エンジンの音?」
「緊張している時と、穏やかな時で音が変わる気がする」
艦長がしばらく黙った。「——詩人だな、お前は」
「ウクライナ人だからな」
その時、レーダーに反応が出た。
「北方より接近目標——高速ミサイル艇4隻!」
「——来たか」とディミトリがエンジン出力を上げながら静かに言った。
「全速前進!」
LM2500が唸った。
ディミトリは計器を見たまま、3週間前と同じように出力を調整した。でも——動きが違った。3週間前より手が速かった。体が覚えていた。
「——やはり、海は正直だ」とディミトリはつぶやいた。
同じ頃。ジブチ。FEPA基地。
格納庫の一角で、ミハイロが日本語のテキストを読んでいた。
「——む、難しい」とミハイロがつぶやいた。日本語で。
隣でジェイク・パーマーがアニメを見ていた。「ミハイロ、それ日本語上手くなってるぞ」
「ほんとうですか?」
「うん。3ヶ月前と全然違う」
ミハイロが少し笑った。「——ありがとうございます」
「その敬語、どこで覚えた?」
「日本語学校の先生が——」ミハイロが手帳を見た。「『目上の人には敬語を使いなさい』と言いました」
「俺は目上じゃないぞ」
「ジェイクさんは先輩なので——敬語です」
ジェイクが笑った。「——やばい、俺より日本語上手くなりそうだ」
「ジェイクさんは日本語を勉強しないのですか?」
「アニメで勉強してる」
「——それは正しい方法ですか?」
「多分正しくない」
ミハイロがしばらくテキストを見た後に続けた。「——ジェイクさん、『一期一会』ってどういう意味ですか?」
ジェイクが止まった。「——どこで覚えた?」
「日本語学校で」
「——難しい言葉を覚えるな」ジェイクがしばらく考えた。「一生に一度の出会いって意味だ。大切にしろってこと」
ミハイロがしばらく黙った。「——ドネツクから逃げてここに来た。FEPA に来た。これも——一期一会ですか?」
ジェイクがしばらくミハイロを見た。「——そうだな」
同じ頃。ジブチ。FEPA自動車学校。
教官が頭を抱えていた。
「——ドナヒュー少佐、もう少し丁寧に曲がってください」
「狭すぎる!クランクって何のためにあるの!?」
「——狭い路地のためです」
「アメリカに狭い路地はない!」
「ここはジブチです」
「分かってる!でもこの幅は無理よ!」
教官がため息をついた。「——左に寄せてください」
「どっちが左!?」
「——ハンドルの左です」
「それは分かってる!でも車体がどっちに動くか——」
「左に動きます」
「アメリカの車は違う動きをするの!」
教官が静かに言った。「——少佐、アデン湾で50ノットの艦艇を指揮できるのに、なぜクランクが——」
「艦艇には壁がない!!」
教官がしばらく黙った。「——一時停止、もう一度お願いします」
「止まればいいんでしょ——」ケイラが完全に止まらずに通過した。
「——少佐、完全に止まってください」
「これで止まってるじゃない!」
「車輪が動いています」
「——細かい!!」
教官が手帳に何か書き込んだ。
ケイラが後ろを見た。エマとサラが窓越しにこちらを見ていた。
「ママ、頑張れ!」とサラが叫んだ。
「——うるさい!!」
エマが笑っていた。
ケイラが前を向いた。「——もう一回やる」
「——ありがとうございます」と教官が深く頷いた。
夜。ジブチ。FEPA基地。
黒田が地下司令部のスクリーンを見ていた。
アデン湾——第三部隊が警備中。
ホルムズ海峡——第二部隊が交戦中。今日も来た。
掃海第一艦隊——啓開作業継続中。
E-3——12時間交代で監視中。
全部同時に動いていた。
マリーニが入ってきた。「今日の発注分の手続きが完了しました。1280億円の先払いを確認しました」
「そうか」
「田中現場所長から本社への報告も完了したそうです」
「そうか」
「ディミトリの部隊が今日も革命防衛隊を駆逐しました」
「そうか」
「ミハイロが日本語で『一期一会』という言葉を覚えたそうです」
黒田が少し間を置いた。「——誰から聞いた?」
「ジェイクから報告が来ました」
「——ジェイクが報告を?」
「『ミハイロがやばいくらい日本語上手くなってます』と」
黒田が少し笑った。「そうか」
「ケイラ少佐は自動車教習で——」
「それは聞いた」
「——教官が手帳に何か書き込んでいたそうです」
「そうか。何と書いた?」
「『アメリカ人に日本の交通ルールを教えるのは不可能かもしれない』と」
黒田がしばらく黙った後に静かに言った。「——ケイラは海で頼む」
「——了解です」
マリーニが出て行った。
黒田はスクリーンを見たままだった。
ホルムズ海峡でディミトリが動いていた。格納庫でミハイロが日本語を読んでいた。自動車学校でケイラが悪戦苦闘していた。田中現場所長が本社に電話していた。
それぞれが、それぞれの秋を過ごしていた。
冷めたコーヒー——ではなく、黒田は熱いアラビアコーヒーを一口飲んだ。
ジブチの夜は長かった。




