第19話「金曜会」
時事ネタ?社会風刺?いずれにしろ、この作品はフィクションであり、実在の企業・団体・個人とは一切関係ありません。キリッ
2025年3月中旬。東京・丸の内。
三菱商事本社ビル——新丸ビルの最上階に、その部屋はあった。
正面玄関を入ると、案内役の三菱商事の社員が待っていた。エレベーターホールまで先導される形で歩いた。新丸ビルの上層階は、案内人なしではエレベーターにも乗れない。それ自体が、この場所の格を示していた。
案内人がカードキーをかざした。エレベーターのドアが開いた。
四人が乗り込むと、案内人は乗らなかった。
「ありがとうございました」と会釈して、ドアが閉まった。
牧野が小声で言った。
「すごい部屋だな」
城島が黙って頷いた。片桐は窓の外を見ていた。東京駅が見えた。
四人が揃って来たのは、初めてだった。
部屋に入ってきたのは三人だった。
三菱重工業社長。三菱商事社長。三菱UFJ銀行頭取。
三人とも五十代後半から六十代。それぞれ別々に橘たちと話をしてきた顔だった。しかし今日、初めて同じ場所に座った。
そして、その奥に、もう一人いた。
水島義雄——三菱グループ名誉顧問。八十二歳。旧三菱銀行出身。現役を退いて十年以上経つが、グループ内で最も発言力があると言われる男だった。
水島は上座ではなく、窓際の一人掛けの椅子に座っていた。
橘たちが席に着くと、水島が口を開いた。
「橘さん」
「はい」
「橘……正一郎さんの息子さんですか」
橘が静かに頷いた。
「そうですか」水島は少し目を細めた。「あの方には昭和の終わりに随分とお世話になりました。頑固で、融通が利かなくて——」水島は少し笑った。「でも筋だけは絶対に曲げない人だった」
水島が橘を見た。
「似ていますね」
橘は何も言わなかった。
三菱重工の社長が口を開いた。
「城島さんから09計画の話は伺っています。桑原を追浜に出したのも、我々として必要なことだと判断しました」
三菱商事の社長が続けた。
「牧野さんとはUDの技術者の件で話を進めています。調達ルートの整備も並行して動いています」
三菱UFJの頭取が静かに言った。
「倉橋さんから予算の枠組みについて非公式に確認を受けています。資金の手当ては問題ありません」
三人が橘を見た。
「各社と個別に話をしてきました」橘は静かに言った。「今日はそれをまとめてお伝えしに来ました」
三社の社長たちが顔を見合わせた。
三菱重工の社長が言った。
「つまり——我々は最初から、一つの計画の中に組み込まれていたということですか」
「そうです」
沈黙が落ちた。
怒るかと思った。牧野が少し身構えた。
しかし三菱重工の社長は、少し笑った。
「なるほど」
三菱商事の社長も頷いた。
「筋は通っています」
三菱UFJの頭取が静かに言った。
「日産の件も含めて、全体像が見えました。我々として異存はありません」
水島が窓の外を見ながら言った。
「久しぶりに聞く話だ」
全員が水島を見た。
「昭和の頃、官僚というのはこういうことをやった」水島はゆっくり言った。「大蔵省が、通産省が、見えない場所で日本を動かしていた。企業は使われる側だったが、それで国が動いた」
水島は橘を見た。
「バブルが崩壊して、失われた三十年があって——いつの間にか、そういう官僚がいなくなった。省益を守ることと、個人の出世だけを考える人間ばかりになった」
水島は少し間を置いた。
「最近はそういう話を聞かなくなったと思っていたが」
橘が水島を見た。
「09計画、日産、JR貨物、休眠ドック——全部繋がっている」水島は静かに言った。「これは防衛装備の話じゃない。日本の製造業の骨格を作り直す話だ」
「そうです」橘は静かに答えた。
水島が頷いた。
「正一郎さんが生きていたら、喜んだだろう」
橘は何も言わなかった。
ただ、窓の外を見た。
東京駅が光っていた。
水島が立ち上がった。
「三菱グループとして、全面的に協力します」
三人の社長たちが頷いた。
橘は一礼した。
「ありがとうございます」
部屋を出ると、案内役の社員が廊下で待っていた。
エレベーターホールに向かって歩き始めた時——
「橘さん」
水島の声だった。
振り返ると、水島が廊下に立っていた。案内人は一歩下がっていた。
水島が橘に近づいた。声を落とした。
「一つだけ言っておく」
「はい」
「三菱に集中させすぎるな」水島は静かに言った。「三菱が風邪をひいた時に、日本全体が倒れる。信越も、今治も、伊藤忠も——三菱の外に置いておけ」
橘は頷いた。
「承知しています」
水島が橘を見た。
「正一郎さんも同じことを言っていた」水島は静かに笑った。「あの人も、一つに集中させることを嫌った」
水島は踵を返した。
エレベーターに乗り込んだ。
ドアが閉まった。
牧野が小声で言った。
「今の——」
「聞こえていた」橘は静かに言った。
「信越と今治と伊藤忠か」城島が言った。
「最初から入れるつもりだった」
片桐が苦笑した。
「水島さんに確認してもらった形だな」
橘は答えなかった。
ただ、少し目を細めた。
案内人がロビーまで送り届けた。
銀座の空が広がっていた。
片桐が橘の隣を歩きながら小声で言った。
「お父上の話、知らなかった」
橘は前を向いたまま言った。
「関係ない話だ」
「そうか」片桐は少し笑った。「でも水島さんの顔が変わった。あの一言で」
橘は答えなかった。
牧野が言った。
「『久しぶりに本物を見た』って顔をしてたな」
城島が静かに言った。
「そうだったな」
四人は丸の内の通りを歩いた。
昼下がりの空の下、サラリーマンたちが行き交っていた。
橘はコートの襟を立てた。
父のことを思い出したのは、ほんの一瞬だった。




