31.教皇は悩み、
「ッどうなっている……!!」
歯噛みする教皇は、書状を握る手に力を込めながら独り言すらも声を抑えた。
大聖堂内を歩き回りながら、すれ違う神官や修道女、そして子ども達には穏やかに見えるよう振る舞いながらも、白髪と法衣の下では血管を浮き立たせ、本心はこの場で大声を上げてしまいたいくらいに荒ぶっていた。
聖典の捜索が任命されてから、あまりにも聖女の様子がおかしい。
自分への暴力から始まり、せっかく聖女を生かす為に用意した護衛を頑なに断る。立ち入らないようにと厳しく言いつけていた地下聖堂にいるエルフの王子の存在を知り、彼を同行者にするなどという我が儘まで言い出す。
もうそれだけでも今までの聖女の言動から逸脱していた。素直で従順で純粋で善良な聖女はどこに行ってしまったのかと考えた数は知れない。それでもここまでならばまだ心変わりで片付けられた。問題はその後だ。
「町の魔物討伐といいニーロ皇子と魔導師への勝利といい何故それをっ……」
聖女に、できたのか。
その言葉を意識的に教皇は飲み込んだ。つい先ほどまでの礼拝や説教では、信徒にも今日初めて教会に訪れた町人にも「全ては聖女の御業」と胸を張り宣言した後だ。
教会が誇る聖女に、魔物を討伐す力があるのは当然。神聖魔法による御業が罪なき民を救い、悪しき者を滅ぼすのだと何度も言葉だけ言い換え繰り返した。しかしその実、聖女の神聖魔法でそんなことができるわけがないと最もわかっていたのも教皇だった。
それこそ、神の加護があったとでも言われなければ信用できない。そして教皇である自分ですら未だ神の声も受けたことがないのに、たかが聖女にそのような奇蹟が起きるわけもないと思う。
聖女の実力は誰よりも知っている。自分が育てたのだから。幼い頃から神聖魔法の才能を見せた少女を、手塩にかけて聖女に仕立て上げたのは自分だ。神聖魔法の魔導書を幼い頃から読み聞かせ、文字の読み書きを覚えてから魔導書を課し、神聖魔法の修行も毎日欠かさないように優しく言いくるめた。聖女が自分の言った通りに努力を欠かさなかったことも知っていれば、その上で彼女は十六になっても神聖魔法は良くて神官程度であることも知っている。
それなのに急に聖女が、神聖魔法で高位魔法を使えるようになったなど自分は聞いていない。
「!教皇様、今夜も礼拝を行うと聞きましたが……教皇様が直々に説教をしてくださるというのは本当ですか?」
「ああ、勿論だ。お前達も是非参列してくれ」
すれ違う修道女にきらめいた目で尋ねられ、教皇も穏やかに笑って返した。
町の人間は、壇上に聖女が立たないと知った途端に教会を後にしていった無礼者も多かったが、それでも献金が増えたのは喜ばしい。人が集まるところにまた人は集まる。聖女に救われた町人や噂に引かれるように、何でもない日に城下の信仰者達が集まり祈りを捧げ自分の説教をありがたく聞いてくれた。本来ならば聖女を褒めて菓子の一つや二つは与えてやって良かったくらいだが、今回ばかりは教皇も手放しには褒められない。
あまりに無謀を繰り返す彼女に、聖典を得るどころか聖典の旅に出る前に些末なことで死んだらどうするのかと、説教したい気持ちを隠すのが精一杯だった。
たかが町一つではない、聖女には世界を救済する大任があるのだから。聖女が何故、そんな危険を犯したのかと憤りと戸惑いの方が大きかった。しかし今は理解もする。聖女には神聖魔法で勝てるだけの自信があったのだと。彼女はラウナとニーロとの決闘で、最高位魔法を使ってみせたのだから。
─ ニーロ皇子もここまで来て厄介なだけで役にも立たぬ……!!
そう、今度は思考だけで歯噛みした。
自分と皇帝との打ち合わせや密談の関係で、幼い頃から聖女と接触していた皇子。第四皇子とはいえ皇子であることには変わらない。最初は皇族との関係をより円滑且つ親密にするのに都合が良いとむしろ押し付け見守り許していたが、やはり〝聖女〟の傍に異性である男児を許すべきではなかったと今は思う。
皇子である間はまだ良かった。しかし城から出て剣闘士など野蛮な職へ落ちた後も教会にズカズカと乗り込んで聖女に関わってこようとしたニーロが、教皇はここ数年煩わしくて仕方が無い。近年は聖女に関わってくることが減り安堵していたほどだ。
神聖なる清き聖女に王子では無い変な虫が付き、噂でも立てられれば、何年もの苦労して作り上げた聖女が台無しになる。
それでも、ニーロが聖女の同行者に選ばれた時には安堵した。聖女が心を許すニーロが一緒ならばすんなり旅に合意すると思った。そしてもう一人腕に実力のある女魔導師を付ければ、聖女の純血も守られる。
それなのに。
「教皇様……!お忙しい中申し訳ございません。件の、地下聖堂ですがやはり魔法陣自体に問題はなく、なにかしらの要因で解除されたと考えるべきだと……!」
神官に駆け寄られ、耳打ちされながら教皇を顔は更に強ばり顰める。
何故。聖女が突然高位以上の魔法を使えるようになったのか。何故、聖女があのエルフの王子に肩入れするのか。そして教会最大の浄化封印をどうやって解くことができたのか。その疑問三つが結びつかないほど教皇は馬鹿ではない。
しかし、結びついたとしても理解には及ばない。聖女が見せた最高位魔法はあくまで結界の一つだけである。まさか教会に伝わる結界封印を解けるなどあり得ない。
そしてあの結界は、アクセルが一生出られるものではない筈だった。
先代教皇から聞いていた。アクセルの半魔は魔物の呪いではなく、混血であると当時の神官が鑑定したと。神官の力を集約した結界で浄化できない時点で呪いではないことは明らかだった。しかしその事実を話せば、人ならざるエルフが王族への誤診と侮辱だと喚いて逆恨みするに決まっている。
だからこそ〝浄化〟と名付け、エルフの王子を永久に地下聖堂に封印することを決めた。時間の流れが人間と異なるエルフの王族は何十年でも、上手くやれば何百年でも王子の浄化を信じ、教会に謝礼金を払い続ける。
教会を金銭的に支える尊き人柱としてエルフの王子を可能な限り長らくそして人知れず封印し続けることこそが、大聖堂の方針だった。
食事も飲み水も必要ない封印の中で、皇子が望むものをただ提供すれば良い。浄化や聖典に関する書物ばかりを望むエルフの王子は、犬猫よりも世話は楽で気長だった。時間の経過もわかりづらい地下で何年も馬鹿のように大人しく本を読み続け、この百年間一度も外に出たいと主張しなかった。聖女には半魔の浄化どころかあの結界から連れ出すことすら叶わない筈だった。
それなのに、たったの百年で封印は解かれてしまった。その上、解放されたアクセルは明らかに半魔のままであるにも関わらず聖女の旅に同行すると主張し出した。
またニーロと同じ王族、そして異種族、しかも穢らわしい闇の化身との混血が聖女と二人で旅など到底認められるものではない。聖典どころか間違いが起きて聖女が妊みでもすれば何年もかけて築き上げてきた聖女の神聖さまで失うことになる。それはそのまま教会とそしてその頂点にいる教皇である自分への信用も貶める。
聖女はあくまで高潔で純粋で洗練され清くなければならない。自分の作った理想用の聖女とはそういうものだ。
今ではアクセルは、教皇にとってニーロ以上に厄介な害獣でしかなかった。
できることなら再び地下聖堂の魔法陣に封じたい。いっそ殺しても良い。この百年間国に閉じこもり、面会謝絶にするまでもなく一度も王子の様子を見に来ないで謝礼金だけを送ってくるエルフ相手にならばもう百年程度は死んでも隠し通せると教皇は本気で思う。それくらい、聖女とアクセルと二人だけの旅は阻止したい。せめて女性であるラウナだけでも同行させたい。
「!教皇様、聖女様にご用ですか?」
「ああ、皇帝陛下から書状が届いてね」
お疲れ様ですと、無邪気な笑顔を向けてくる孤児の頭を撫で歩を進める。とうとう聖女の部屋へと上がる階段まで辿り着いた。屋根裏部屋である聖女の部屋は、窮屈で段差も急で古びた階段を登らないといけない為、滅多に教皇は行かない。それよりも自分の部屋に聖女を呼ぶ方が楽だった。
しかし今回は最初から自分の足で訪問することを決めた。聖堂にも食堂にも裏庭にも孤児達の部屋にも姿を確認されない聖女は、自室にいるしか考えられない。そして今の反抗的な聖女では、呼びつけたところで結局は大聖堂の外に逃げられてしまう可能性の方が高かった。
だからこそ自分の足で彼女の部屋へと向かう。軋む階段を登り続け、ようやく屋根裏部屋の前まで辿り着いた。
狭く短い廊下の先にぽつんと薄い木製の扉が佇んでいる。あまりの静かさに、無駄骨だったかとも考えつつ教皇は最初に扉に耳を当てた。声を潜ませて会話している可能性を鑑みたが、それでもやはり何も聞こえない。仕方なく諦め、コンコンとノックを鳴らしても直前には反応もなかった。「聖女よ私だ。いるか?」と尋ねても無音だったが……ほんの二秒後、突然不意を突くような物音と悲鳴が扉越しに飛び出した。
聖女による無音魔法が解かれた瞬間、教皇の耳にも本来の騒ぎが正しく届く。
「ッアクセル駄目です駄目です落ち着いてください!!!!」
ドンガラガッシャン!!と、冗談のような物音と悲鳴に、教皇は背中を反らし目を見開く。
聖女が襲われているのかと思い扉を開けば、そこには椅子を倒し立ち上がったばかりのエルフの王子と、そして彼の胴回りにしがみついて止めに入る聖女の姿があった。
てっきり逆の状況を想像していた分、教皇も虚を突かれる。しかもアクセルの鋭い魔眼は、聖女にではなく扉を開いたばかりの教皇へ刺すように向けられていた。その赤黒い眼光と合ってしまえば、直後には尋常ではない殺気まで溢れ出す。
ギリギリと歯軋りまで鳴らし今にも自分へ攻撃魔法でも向けてきそうな手の構えをするアクセルに、教皇も手をかけていた扉を閉じるべきか悩む。「一体どういう……?」と状況の説明を求めようにも、聖女の「駄目です駄目です!!」の繰り返しに自分の声は塗りつぶされる。その聖女の声を更に上濡れるのはアクセルだけだ。
「ッなにしにきやがったジジイ!!テメェまさか聖女の部屋に通ってやがんのか?!」
「?!なっなにを仰いますか!誤解ですアクセル王子殿下!今日は聖女に大事な手紙を渡しに来ただけでして……」
良いお年をお過ごしください。
来年もよろしくお願い致します。




