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おひとりさま歴33年、白髪の忌み子に転生しました  作者: 花金男爵


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第九話 残された言葉


 ディアルが手を離すと、白い魔獣は名残惜しそうに頭を上げた。


 近くで見ると、やっぱり大きい。頭に生えた一本角も、足元の爪も、そのままだ。けれど、真っ白なたてがみから電気が弾けることは、もうなかった。


 ディアルが一歩動く。


 魔獣も一歩ついていく。


 ディアルが止まる。


 魔獣も隣で止まった。


「本当についてくるね」


「そうだな」


 俺が横から手を伸ばすと、白い鼻先が指の匂いを確かめた。少し待ってから頭に触れる。逃げない。


 指をたてがみへ入れると、思った以上に深く埋まった。


「おお……」


 これはいい。


「わたくしも」


 アリスが隣に並び、同じように手を伸ばした。


 魔獣はその手を一度見て、ディアルの反対側へ顔を向ける。


 アリスの手が、何もないところで止まった。


「どうしてですか」


「今はディアルがいいんじゃない?」


「フィルは触っているではありませんか」


「それは、そう」


 理由を聞かれても、俺にも分からない。


 アリスが頬を膨らませる横で、魔獣はディアルの手へ鼻先を押しつけた。


 ◇◇◇


 広場の周りを確かめていたイーサックが戻ってきた。


「里の者にけがはない。家も無事だ」


「こちらも問題ございません」


 アリソンが障壁を解く。


 広場には砕けた岩壁や、爪で抉られた地面が残っていた。二つの泥沼も、そのままだ。


 さっきまで夢中だったけれど、改めて見るとひどい有様だ。人や家まで巻き込まずに済んだのは、周りを守ってくれていた三人のおかげだった。


「ありがとうございます」


「礼より先に、次はもう少し周りも見ろよ」


 イーサックが俺の頭へ手を置く。


「さて。あちらも確かめねばならんな」


 ハーバード様が、大岩を見上げた。


 まだ浮いている。


 模様を薄暗く光らせた岩の下には、暗い入口が開いたままだった。


「まず、わしらが中を見る。少し待っておれ」


 ハーバード様が入口へ向かい、イーサックとアリソンが続く。


 待っている間、ディアルが魔獣の首元を撫でていた。アリスはその手を、少し羨ましそうに眺めている。


 ほどなく、入口からイーサックが顔を出した。


「入っていいぞ。足元には気をつけろ」


 中は外よりひんやりしていた。


 アリソンが灯した魔法の火が、短い石の通路を照らしている。奥ではハーバード様が待っていた。


 俺たち三人にウルスナとカリーナが続き、最後にイーサックが入る。白い魔獣も、ディアルの隣を歩いてきた。


 通路の先は、小さな部屋になっていた。


 壁の表面がところどころ剥がれ、床には細かな欠片が落ちている。


「何か描いてあります」


 アリスが指さした先に、色の残った壁画があった。


 白い髪を持つ人物が、片腕を前へ向けている。その先から伸びた光は、ひび割れを越えたところで途切れていた。


 何かを攻撃しているように見える。


 そばに描かれているのは、樹の幹と枝の一部だ。隣の人物と比べると、途方もなく大きい。


 俺は壁へ近づき、光の先を目で追った。


 けれど、その先は表面ごと欠けていた。何を攻撃しているのか、相手がどんな姿だったのかも分からない。


「白い髪……」


 つい、小さく呟いた。


 ウルスナとカリーナも壁画を見上げていた。二人とも、何も言わない。


 ハーバード様が俺たちへ振り返った。


「伝承については知っているな」


「はい。白い髪を持つ男が神を殺し、この世に災いをもたらした」


 俺が答えると、ハーバード様が頷く。


「その災いって、もう終わったんですか?」


「大地が裂け、街が失われるほどの災いじゃったと伝わっておる。じゃが、それがいつまでも続いたわけではない。人々は長い年月をかけ、街を建て直し、暮らしを取り戻したそうじゃ」


「じゃあ、今はもう何も?」


「何も残らんわけではない。その時にできたとされる深い谷や、人の戻らぬ廃墟もある。そして、白い髪への恐れもな」


 ハーバード様の視線が、俺の髪へ一度向いた。


「もっとも、わしも伝えられた話を知っておるだけじゃ。あの絵が何を描いたものかは、まだ分からぬ」


 俺も壁画へ目を戻した。


 白髪の男が災いを起こした。その話なら、何度も聞いたことがある。


 けれど、今ここに残っているのは、相手すら分からない絵だった。


「こちらにも、文字がありますよ」


 アリスが壁際に屈み込んでいた。


 その前に、低い石碑がある。表面には埃が積もっていたが、深く刻まれた文字は残っていた。


 入口の大岩にあった、読めない文字とは形が違う。少し崩れた形を目で追えば、俺にも読むことができた。


『白き髪を憎むな、たとえ再び刃を向ける日が来ようとも。』


 俺は、もう一度最初から読んだ。


 読み間違いではなかった。


「白い髪を、憎むな……?」


 さっき聞いた話と、目の前の文字を交互に考える。


 神を殺し、街を壊すほどの災いをもたらした男。


 その話を知っていて、この言葉を残したのだろうか。


「ハーバード様。これは、誰が書いたんですか?」


「分からぬ。誰へ向けた言葉なのかもな」


 ハーバード様も石碑の前に屈み、端まで確かめた。書いた人の名前らしいものは、見当たらなかった。


 ディアルが俺の隣に立つ。


「何か分かる?」


「いや」


 ディアルも、刻まれた文字をじっと見ていた。


 その足元で魔獣が座り、長い尾を体へ寄せる。


 俺は顔を上げ、壁画と石碑を見比べた。


 同じ白い髪の話なのだろうか。それとも、別の誰かへ向けた言葉なのか。


 分からないことばかりだった。


 ただ、憎むなという文字だけは、欠けずに残っている。


「ここは閉めておこう」


 立ち上がったハーバード様が言った。


「岩を動かした途端に、あの騒ぎじゃ。確かめもせず、人を入れるわけにはいかん」


 俺たちは通路を戻り、外へ出た。


 広場へ差し込む日差しに、思わず目を細める。


 全員が出たことを確かめてから、イーサックが入口の前へ立った。土と岩がせり上がり、暗い穴を塞いでいく。


 大岩は、その上で浮いたままだった。


「フィル。行くぞ」


 ディアルに呼ばれ、俺は歩き出した。


 白い魔獣がその隣に並ぶ。アリスはまだ諦めていないらしく、反対側からそっと手を伸ばしていた。


 俺は一度だけ、塞がれた入口を振り返った。


 たとえ再び刃を向ける日が来ようとも。


 そこまで書いて、それでも憎むなと言ったのは、誰だったのだろう。

白き髪を憎むな…



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