第十話 にぎやかな帰還
アストールを発つ朝、俺は借りていた部屋で鞄を閉じた。
忘れ物がないか、寝台の下を覗き込む。棚の上も確かめてから、最後に刀を腰へ差した。
窓の外には、白い魔獣が座っている。
真っ白なたてがみを風に揺らし、家の入口をじっと見ていた。ディアルが部屋を出ると、すぐに顔を上げる。
「お前も来る気なんだね」
俺が外へ出た時には、もうディアルの隣に並んでいた。
「出発の準備は、一番早かったみたいだ」
「荷物がないからな」
ディアルが答え、頭を撫でる。魔獣は目を細めた。
俺もたてがみへ手を伸ばそうとしたところで、後ろから声がかかる。
「フィル様。ご自分の荷物をお忘れです」
ウルスナが、部屋に置いたままの鞄を持って立っていた。
「……ありがとう」
忘れ物は確かめたのに、その荷物を忘れるところだった。
◇◇◇
里の入口には、ハーバード様が見送りに来ていた。
俺は腰の刀へ手を添え、頭を下げる。
「刀の使い方を教えていただき、ありがとうございました」
「うむ。まだ余計な力が入る時はあるが、来た時よりはましになったぞ」
「最後くらい、素直に褒めてもらえるかと思いました」
「はっはっは! 続きは次に来た時じゃな」
次に来るまでに、直されたことをどこまで減らせるだろう。
刀は前より手に馴染むようになった。けれど、教わった通りに振れたと思う時と、そうでない時は、まだある。
帰ってからも練習しよう。
ハーバード様は笑いを収めると、俺の顔を見た。
「それから、フィル。エルフの王、フェリックスには気をつけるのじゃぞ」
「エルフの王様に、ですか?」
「あやつは、強い者や珍しい力を見れば、自分の目で確かめたがる。おぬしの刀が姿を変えたと知れば、放ってはおかんじゃろう」
俺は腰へ目を落とした。
「見るだけでは終わらない、ということですか」
「まず、それだけでは済まんじゃろうな。悪い男ではないが、相手を試すのが好きな男じゃ」
その言い方には、妙な実感がこもっていた。
「会うことがあれば、気を抜くでないぞ」
「分かりました。まあ、まだ知られてはいないでしょうし……」
「あ、それでしたら」
カリーナが口を開いた。
「刀が変化したことは、実家への手紙に書きましたよ」
「……もう送ったの?」
「はい。こちらへ出発する前に」
返事が早い。
「フィル様がいらした時から、時々お話ししていたんです。立派な刀になりましたから、きっと驚くと思いまして」
カリーナは、嬉しそうに俺の刀を見ていた。
家族に近況を知らせただけだ。そう思えば、何もおかしくない。
ただ、今の話を聞いた直後だと、少し気になる。
「ご実家から、どなたの耳へ届くかは分かりませんね」
アリソンが穏やかに言った。
「今、それを言わないでほしかった」
「備えておくに越したことはございません」
もっともなことを言われてしまった。
ハーバード様が、俺の背中を軽く叩く。
「知られる前から心構えができたと思っておけ」
「できれば、もう少し気楽に帰りたかったです」
その時、後ろから声がかかった。
「ディアル様」
振り返ると、ヴェルツが立っていた。
背には荷物を負い、腰には剣を下げている。俺たちと同じ、旅支度だった。
「その荷物は何だ」
「王都まで同行させてください。俺を、あなた様の騎士団へ加えていただきたいのです」
ヴェルツは背筋を伸ばしていた。荷物の紐を握る手に、力が入っている。
ディアルが向き直る。
「理由は?」
「あなた様のそばで、強くなりたい」
答えはすぐに返ってきた。
ディアルから目をそらさず、次の言葉を待っている。
しばらくその顔を見ていたディアルが、イーサックへ視線を向けた。
「イーサック。どうだ?」
「ここにいる間、稽古は見てきた。まだ教えることは多いがな」
イーサックは腕を組み、ヴェルツを見る。
「見習いからなら雇ってやる」
「はい!」
大きな返事に、イーサックが少し笑った。
「では、一緒に来い」
ディアルが言うと、ヴェルツは深く頭を下げた。
「ありがとうございます!」
「王都へ着いたら、まず俺のところだ。分からないことを勝手に決めるな。聞け」
「分かりました」
イーサックの言葉を聞き、ヴェルツが荷物を背負い直す。
さっきまで固かった顔に、ようやく笑みが浮かんだ。
「じゃあ、帰りは一緒だね」
「はい。よろしくお願いします」
俺にまで勢いよく頭を下げるので、つられてこちらも頭を下げてしまう。
横でアリスが小さく笑った。
ハーバード様への挨拶を済ませ、俺たちは竹林の道へ足を向ける。
来た時より、一人と一頭増えていた。
◇◇◇
帰りの森では、ヴェルツがイーサックの少し後ろを歩いていた。
休憩の場所が決まると、自分の荷物を下ろし、すぐにイーサックのそばへ行く。
「何かすることはありますか」
「そうだな。水を配ってくれ」
「はい」
ヴェルツが杯を並べる。俺が受け取ろうと手を伸ばすと、横から白い鼻先も近づいてきた。
「お前には小さいよ」
俺の手にある杯へ、魔獣が鼻を寄せる。
たしかに、この口では少し飲みにくそうだ。
「大きな器なら、こちらにございます」
アリソンが出してくれた器を、ヴェルツが受け取った。ディアルのそばへ置いて水を注ぐと、白い魔獣もそちらへ移る。
ひとまず俺の水は守られた。
「お前も飲めよ」
一通り配り終えたヴェルツへ、イーサックが声をかける。
「まだ平気です」
「休める時に休むのも仕事だ」
ヴェルツは少し姿勢を正してから、自分の杯を持って腰を下ろした。
「はい」
「返事はいいな」
イーサックが隣へ座る。
俺は水を飲みながら、二人を眺めた。
王都へ着く前から、もう見習いの生活は始まっているらしい。
◇◇◇
森を抜けた後は馬で街道を進み、やがて王都の城壁が見えてきた。
行きには遠く感じた道も、帰りは見覚えのある景色が一つずつ増えていく。
門の兵士は白い魔獣を見て身構えたが、イーサックが前へ出て事情を話した。兵士はディアルの隣でおとなしく待つ姿を確かめ、それから道を開けてくれた。
街を抜け、王宮へ入る。
馬を下りて見慣れた中庭へ足を踏み入れた時、ようやく肩の力が抜けた。
「帰ってきた」
「お疲れになりましたか?」
ウルスナに尋ねられ、俺は首を振る。
「少し。でも、楽しかった」
「それはようございました」
ウルスナが、ずれていた俺の鞄を直してくれる。
「ヴェルツ。荷物を置く場所へ案内する。その後で、詰所へ行くぞ」
「はい、イーサック様!」
ヴェルツは初めて見る建物を見上げていたが、呼ばれるとすぐに後を追った。
ディアルのそばでは、白い魔獣が中庭の地面を嗅いでいる。
その隙に、アリスが反対側からそっと手を伸ばした。
あと少しで、白いたてがみに触れる。
指先で、ぱちっと小さな音がした。
「きゃっ!」
アリスが手を引っ込める。
魔獣は顔を上げ、何事もなかったようにディアルへ身を寄せた。
「今、びりっとしました」
「見えてたよ」
「どうして、わたくしだけ……」
アリスが指先をさすっていると、カリーナが隣にしゃがみ込んだ。
「いいですか? こういうのは、こちらから愛を持って接すれば応えてくれるのです」
そう言って、両腕を広げる。
魔獣が顔を向けた。
カリーナはにっこり笑い、その白いたてがみへ抱きついた。
「ほら、怖くありませんよ。仲良くしま――」
ばちん、と先ほどより大きな音がした。
白い毛の間で青白い光が弾ける。
「ひゃあっ!」
カリーナが両腕を離し、勢いよく飛び退いた。
何度も手を開いたり閉じたりしてから、自分の指先を見下ろす。
「……お返事が、少し強いですね」
「今のは、嫌だって言ったんだと思うよ」
魔獣は追いかけることもなく、ディアルの隣に座った。たてがみに、もう電気は見えない。
ディアルが頭へ手を置くと、気持ちよさそうに目を細める。
「ディアル様には、何もしないのですね……」
カリーナが呟いた。
その隣で、アリスが小さく頷く。
「愛だけでは駄目みたいです」
「まだ、一度目ですから」
「もう一度はやめておいた方がいいと思う」
俺が言うと、ウルスナも静かに頷いた。
帰ってきたばかりの中庭で、アリスとカリーナが並んで手をさすっている。その前では、ディアルが白い魔獣を撫でていた。
帰ってきた場所は同じなのに、ずいぶん賑やかになった。
明日からも、退屈せずに済みそうだ。
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