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おひとりさま歴33年、白髪の忌み子に転生しました  作者: 花金男爵


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11/13

幕間 ヴェルツの決意


 ディアルたちがアストールを発つ前夜、ヴェルツはハーバードのもとを訪ねた。


 開いた窓から、竹の葉が擦れる音が聞こえていた。


「こんな時間にどうした」


「お聞きしたいことがあります」


 ハーバードは手元の杯を置き、向かいの椅子を示した。


 ヴェルツは礼をして腰を下ろす。膝へ置いた手を一度握ってから、口を開いた。


「あの魔獣との戦いを、見ていました」


「そうか」


「ですが……何が起きていたのか、ほとんど分かりませんでした」


 声にすると、思っていたよりも情けなく響いた。


 里へ来たフィルに手合わせを求め、敗れた。以前にはディアルにも負けている。


 二人が自分より強いことは、認めていた。


 それでも、剣を振り続ければ、いずれはもう少し長く打ち合える。そう考えていた。


「フィル様が刀を振ったのは見えました。でも、刃がどこを通ったのかは追えませんでした。ディアル様の方を見れば、もう別の場所に岩が出ていて……」


 思い返しても、浮かぶのは途切れた光景ばかりだ。


 砕ける岩。舞い上がる土煙。地面に刻まれた溝。


 その間を、二人と魔獣が動いていた。


「いつ魔法を使ったのかも、次に何をするのかも分かりません。目を離さないようにしていたのに、気づいた時には魔獣が泥へ落ちていました」


 ハーバードは、途中で口を挟まなかった。


 ヴェルツは顔を上げる。


「あの二人は、いつもあのような戦いをするのですか」


「相手次第じゃな。稽古で見せるものが、あやつらのすべてではない」


 ヴェルツは膝の上の手を見下ろした。


 稽古でさえ、ついていけないことがある。その先に、まだ知らないものがある。


「それでも、二人はまだ幼いです」


 低い声が出た。


「あれほど大きな魔獣なのに、誰も止めませんでした。イーサック様も、アリソン様も。怖くはなかったのですか」


「何がじゃ」


「二人が、戻ってこなくなることです」


 ハーバードがヴェルツを見た。


 その目を受け止めながら、ヴェルツは続ける。


「俺には、飛び出していくのを見るだけでも恐ろしかった。なのに、皆様はすぐに二人の指示で動いていました」


「普段から、あの二人の力を見てきた者たちじゃ。戦えると判断したからこそ、任せたのじゃろう」


「任せる……」


「ただ眺めておったわけではないぞ。危うければ、わしが割って入るつもりでおった」


 魔獣が人家の方へ向いた時、広場を横切ったハーバードの姿を思い出す。


 あの時は、また誰かが動いた、と目で追うだけだった。


「おぬしは、広場の周りも見たか」


「はい。家は、どこも壊れていませんでした」


 あれだけ地面が抉られ、大きな岩が砕けたのに。


 戦いの跡を見た時、ヴェルツには、その境目がひどく不思議だった。


「アリソン様の障壁に、何度も石が当たっていました。雷もです。それでも、外へは出てこなかった」


 飛んでくるものを見つけるたび、肩が強張った。だが、アリソンの姿に、同じような慌てた動きはなかった。


「あの方は、二人の方を見ていました。飛んでくる石だけを見ていたわけではありません」


「周りを守る役目を引き受けておったからな」


「イーサック様もです。あれほどの岩壁を作って、人家の前から動かなかった。俺には、どちらを見ればいいのかも分からなかったのに」


 里にいる間、何度も剣を見てもらった。


 踏み込みを直され、構えを崩され、何度打ち込んでも届かなかった。


 そのたびに強い人だと思っていた。けれど、剣を教わるだけでは、あの人が何を守れるのかまでは分からなかった。


「俺は二人を見るだけで精いっぱいでした。あの方たちは、何を見て動いていたのでしょうか」


「二人と魔獣、それから守るべきものじゃろうな」


 短い答えだった。


 ヴェルツはすぐには頷けなかった。


 そんなに多くのものを、同時に見る。


 自分には追えなかった戦いの中で。


 窓の外で、竹の葉が鳴った。


 ハーバードが杯を手に取る。ヴェルツは、その指先をぼんやり見つめてから、もう一度顔を上げた。


「アリス様の魔法も、初めて見ました」


「回復か」


「はい。花びらが、傷を治していました」


 魔獣が小さくなり、静まった広場へ近づいた時のことだった。


 アリスが二人へ手を向けると、桜色の花びらが舞った。


 触れたところから傷が癒えていく。ヴェルツがその光景に見入っている間に、フィルは礼を言い、アリスは得意そうに胸を張っていた。


「二人のそばへ行くことにも、迷っていませんでした。俺はまだ、魔獣が動くのではないかと気になっていたのに」


「あの子にとっては、けがをした兄と弟がおったのじゃ」


 言われてみれば、それだけのことなのかもしれない。


 それでも、自分にはできないことだった。


「フィル様は、いつものように話していました。ディアル様も、あの魔獣の頭を撫でていて……誰も、大騒ぎしていませんでした」


「無事に済んだからの」


「はい。でも、俺には、それも信じられなくて」


 ヴェルツはようやく、自分が何に戸惑っていたのかを掴みかけていた。


 ディアルとフィルだけが、遠いのではない。


 二人の周りにいる者たちも、自分には想像のつかなかったことを、ごく自然に行っていた。


「強いというのは、剣が届かないことだけではないのですね」


 ハーバードが、わずかに目を細めた。


「見えるものが増えたようじゃな」


「追えなかったものばかりです」


「何もかも見えたつもりでおるよりは、よほどよい」


 ヴェルツは黙った。


 胸の奥に残っているのは、恐ろしさだけではなかった。


 あの時、どこを見ればよかったのか。どうすれば、あれほど速く動けるのか。


 聞きたいことが、まだいくつもあった。


「悔しいです」


「うむ」


「ですが、見なければよかったとは思いません」


 ハーバードは、しばらくヴェルツの顔を見ていた。


 そして、静かに頷いた。


 ◇◇◇


 礼を言って外へ出ると、夜風が頬に冷たかった。


 明日になれば、あの一行は里を発つ。


 ヴェルツは家へ向かって歩いた。


 何度も通った道だ。暗くても、曲がり角に迷うことはない。稽古を終えた日は、いつもこの道を通って帰った。


 家の窓に、明かりが見えた。


 戸口で一度足を止め、腰の剣を見下ろす。


 柄には、握り続けて馴染んだ跡があった。


 ヴェルツは顔を上げ、扉を開けた。


 母がこちらを向いた。卓についていた父も顔を上げる。


 二人の前まで進み、背筋を伸ばした。


「父さん、母さん。俺、明日この里を発つ」

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