第八話 阿吽の呼吸
「泥沼を作るなら、こちらに合わせろ」
魔獣と向かい合ったまま、ディアルが少し怒った声で言った。
「まだタイミングが掴めないんだよ」
「俺が合わせるから、好きなタイミングで作れ」
こちらへ向けられた一本角の周りで、青白い電気が弾ける。
考えている時間は長くない。
俺は広場へ視線を走らせ、ディアルを見た。
「あそこでいい?」
ディアルは俺が見た方角を一度だけ確かめる。
「ああ」
それだけ答えると、魔獣の正面へ踏み出した。
俺も刀を構え直した。痺れの残っていた指は、もう動く。
魔獣の青紫のたてがみが逆立つ。
低い唸り声の直後、五メートルの巨体が地面を蹴った。
ディアルはぎりぎりまで引きつけ、横へ跳ぶ。一本角が服の端をかすめる距離で通り過ぎた。
すれ違いざまに片手を振る。
「風斬・烈刃」
鋭い風の刃が魔獣の首元へ走った。
魔獣は前脚で地面を蹴り、巨体をひねる。完全には避けきれず、青黒い肩へ新しい傷が刻まれた。
魔獣は着地すると同時に、ディアルへ前脚を振り下ろした。
爪が地面をえぐる。
その前脚が離れる前に、俺は横から刀を振った。
「風斬・薄刃」
刃から走った風を、魔獣が跳んでかわす。風はその下を抜け、地面に長い溝を刻んだ。
空中からこちらを睨んだ獣の角が、青白く光る。
地面から岩壁を出した次の瞬間には、その岩壁は強い衝撃と共に亀裂を生んだ。
着地した魔獣の左右から、岩の柱が突き出す。
左から来た一本を魔獣が爪で砕く。右の一本は肩を狙っていたが、身を低くして避けられた。
砕けた石が広場へ飛ぶ。
アリソンの障壁が破片と放電をまとめて受け止めた。
「周囲はお任せください」
ハーバード様は人家側へ抜けようとした魔獣に合わせ、広場を横切った。獣がディアルへ向き直ると足を止め、構えた剣をわずかに下げる。
魔獣が再び跳んだ。
今度は角ではなく、二本の前脚を広げてディアルへ襲いかかる。
ディアルは足元から岩板を立ち上げた。
爪が岩板へ食い込み、表面を大きく削る。魔獣が力任せに前脚を振ると、岩板は半分に割れて横へ倒れた。下にあった石まで巻き込み、土煙を上げる。
その陰から、ディアルが低く踏み込む。
風の刃が魔獣の前脚を狙った。
魔獣はすぐに脚を引き、尾を振る。房のついた尾がディアルの肩を狙い、風の刃とぶつかった。
青紫の毛が舞う。
ディアルは止まらない。
右から風の刃を放った直後、魔獣が避けた先へ岩をせり上げる。岩を跳び越えれば、着地点へ別の風が走った。
魔獣も一つずつ見切り、前脚で弾き、身を沈め、時には大きく跳んでかわしていく。
反撃も速い。
角を向けた突進を避ければ、すぐに体をひねって爪が来る。ディアルが岩壁で爪を止めると、壁の端から放電が回り込んだ。
ディアルは地面を蹴り、電気が届く前に距離を取る。
その足元で、岩壁が音を立てて崩れた。
土煙が広がり、魔獣の下半身を隠す。
魔獣は煙を突き破り、ディアルへ迫る。
ディアルが片手を払うと、地面から斜めに岩の槍が伸びた。
魔獣は走る向きを変える。
広場の端には、先ほど作った泥沼が残っていた。魔獣はそこへ踏み込まず、泥の手前で大きく跳ぶ。
その判断は速かった。
けれど、跳んだ先にはディアルの風が待っている。
風の刃が青紫のたてがみを切り、魔獣は空中で体をひねった。着地すると、すぐディアルへ角を向け直す。
ディアルの袖は放電にかすめられ、端が少し焦げていた。腕を振るたび、その切れ端が揺れる。
魔獣の肩にも傷が増えている。だが、脚は止まらず、まとった電気も弱まっていなかった。
魔獣の爪がディアルの前へ落ちた。
ディアルは体を半歩だけずらし、脇を抜ける。すれ違いざまに風を叩き込み、魔獣の巨体を横へ押した。
魔獣は四本の脚を地面へ食い込ませて踏みとどまる。
そこへ岩の槍が突き出した。
魔獣は身をひねって槍をかわし、ディアルへ飛びかかる。鋭い爪を仰け反って避けたディアルが、すぐに膝を曲げた。
後ろへは下がらない。地面へ片手をつき、獣の腹へ岩を突き上げる。
腹をかばった前脚が岩を砕いた。砕けた岩が、倒れていた岩板へぶつかる。
ディアルのすぐ目の前に、魔獣の顔がある。
ディアルは跳ね起きながら、その首へ風の刃を振り上げた。
魔獣が横へ跳ぶ。風はたてがみをかすめ、青紫の毛を散らした。
魔獣は着地のため、前脚を伸ばしかける。
その頭が、急に下を向いた。
伸ばしかけた前脚が縮まり、爪が空をかく。
「気が付いた? でももう遅いよ」
薄い土煙の下で、泥の表面が鈍く光っていた。
魔獣の前脚が、その中へ落ちる。
跳躍の勢いが巨体を押し込み、踏ん張ろうとした後ろ脚も沈んだ。濁った泥水が高く跳ね上がる。
俺は詰めていた息を吐き、岩壁から身を起こした。
さっき作った泥沼は、離れた場所にそのまま残っている。魔獣が踏み込んだのは、もう一つの泥沼だった。
倒れた岩板と、風の刃が刻んだ溝。その間で泥が大きく波打っている。
獣の目が、ようやくこちらを向く。俺は刀を鞘へ戻し、左手を地面へ向けた。
「土水混合・沼地。やっと決まったね」
「土縛・岩牢」
ディアルの声と共に、泥沼の縁から岩がせり上がり、沈んだ四本の脚へ絡みつく。
「油断するな」
「今やろうと思ってたんだよ」
その間に、俺は岩を厚く重ねる。
岩が爪先まで囲み、魔獣の動きを止めた。
「あとはよろしく」
ディアルが魔獣へ片手を向ける。
風の刃が、魔獣の喉元へ向かって伸びた。
その瞬間、魔獣が攻撃の姿勢を解いた。
前脚から力が抜け、角が下がる。逆立っていた青紫のたてがみも伏せられ、全身を走っていた放電が弱まった。
魔獣は迫る風の刃ではなく、ディアルだけを見ていた。
「ディアル?」
風の刃が喉へ届く直前で止まる。
ディアルと魔獣は、数秒の間、何もせず見つめ合っていた。
俺は岩の拘束を解かないまま待つ。
ハーバード様は泥沼の縁で立ち止まり、剣を構えたまま様子を見ている。
何が変わったのかは分からない。
ただ、広場を満たしていた攻撃の気配が、少しずつ薄れていく。
魔獣の体を走っていた放電が、一筋ずつ消えた。
青黒かった巨体も、ゆっくりと縮み始める。
五メートルほどあった体は、二メートルに届かない大きさになった。青黒い色は白から淡い青へ変わり、長いたてがみも真っ白になる。
額の一本角も、鋭い爪も残っていた。それでも、さっきまでの威圧感は消えている。
白い姿には、一筋の電気もまとっていなかった。
「もう、戦う意志はないようですね」
「はい。ちっちゃくなると可愛いですね」
市民の誘導をしていたウルスナとカリーナが、なぜか戻ってきていた。
「2人とも怪我をしています」
一緒に戻ってきたアリスが、俺達へ話しかけてくる
「癒桜」
アリスの回復魔法が、桜の花びらとなり、俺とディアルに触れる。
「助かる」
「アリスの魔法は綺麗だよね」
ドヤ顔で胸を張るアリスを横目に、俺は魔獣を腹の下へ岩を出し、ディアルが拘束を解く。
小さくなった魔獣は岩の上へ脚を引き上げ、体を起こした。逃げようとも、暴れようともしない。頭を低く保ち、ディアルを見つめている。
「攻撃する様子はないね」
「ああ」
ディアルが風の刃を消し、俺が広げた岩の上を、ゆっくり近づいていく。
「気をつけて」
「分かっている」
魔獣の前で立ち止まり、手を伸ばした。
白い魔獣はその手へ鼻先を寄せる。ディアルは急がず、同じ高さで手を止めて待った。
魔獣が白いたてがみのある頭をさらに下げ、ディアルの手へ額を寄せる。
ディアルがその頭を撫でた。
魔獣は目を細め、房のある尾を一度大きく振る。もっと撫でてほしいと言うように、頭をディアルの手のひらへ押しつけた。
「ディアル、気に入られたみたいだね」
「そのようだ」
さっきまで雷をまとっていた白い魔獣は、嬉しそうにディアルへ身を寄せていた。
ウルスナとカリーナはヒヤヒヤしながら見てました。
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