第六話 動かない岩
「刀の修行はどうだ」
昼食の途中、向かいに座るディアルが尋ねてきた。
アストールへ着いてから数日。朝から体を動かした後の食事はおいしくて、俺は口の中の肉を急いで飲み込んだ。
「前より扱いやすくなったよ。刀も、こっちが魔力を止めれば、おとなしくなってくれるし」
「基本の方は?」
「手首を固めるな、足が先に止まっておる、振り終わって安心するな。ハーバード様は一度に三つくらい直してくれる」
「祖父上らしいな」
「一つ直したら、少しくらい褒める時間があってもいいと思うんだけど」
隣で聞いていたハーバード様が、豪快に笑った。
「はっはっは! 褒めてほしければ、同じところを二度直されぬことじゃな」
「それだと、褒めてもらえるのは少し先になりそうです」
「自分で分かっておるなら上出来じゃ」
今のは褒められたことになるのだろうか。
刀は腰の鞘に静かに収まっている。魔力を少し流して止めれば、今は同じように反応も収まる。何を考えているのかまでは分からないけれど、前より付き合いやすくなったのは確かだった。
◇◇◇
昼食を終えると、ハーバード様はアリソンとイーサックに話があると言って、その場に残った。
俺とディアル、アリスは、ウルスナとカリーナに付き添われて里を見て回ることにした。
竹林に囲まれた里には、王都より低い建物が並んでいる。道具を手入れする人、干した薬草を取り込む人。すれ違う人たちはディアルとアリスへ礼をし、俺へは見慣れないものを見るような顔をした。
「もっと怖い人ばかりいるのかと思ってた」
「どうしてですか?」
アリスが首を傾げる。
「ハーバード様の稽古についていける人たちだから」
「里の方が全員、お祖父様の稽古を受けているわけではありませんよ」
「それなら安心した」
俺が胸をなで下ろすと、カリーナが笑う。
「フィル様も、楽しそうに稽古をなさっていますよ」
「楽しいのと大変なのは、一緒にできるんだよ」
それは本当だ。できなかった動きができるようになるのは面白い。直されるところが次から次へ出てくるだけで。
里の外れまで歩くと、竹が途切れた先に広い場所があった。柵もなく、里の道からそのまま入れる。
その中央に、大きな岩が鎮座している。
俺たちよりずっと高く、横幅も大人が何人か並べそうなくらいある。表面には古い文字と模様が刻まれていたけれど、ところどころ薄れていた。
「何だろう、これ」
近づいて見上げても、文字は読めない。
「わたくしも見たことがありません」
アリスが模様を目で追う。
ディアルは岩の横へ回り、反対側を確かめた。ウルスナとカリーナも知らないらしく、何もない広場と岩を静かに見比べている。
「ここに置いたにしては、大きすぎるね」
「運んできたのかも分からないな」
ディアルが岩へ手を触れる。
「押しても動きそうにない」
「ディアルでも?」
「力だけで動かせる大きさに見えるか?」
「見えないから聞いたんだよ」
岩の周りを眺めていると、竹林の道から声がした。
「そこにおったか」
話を終えたらしいハーバード様が、アリソンとイーサックを連れて歩いてくる。
「ハーバード様、この岩は何ですか?」
「さてな。わしが生まれるより昔から、そこにある。刻まれた文字の意味も、なぜここにあるのかも分かっておらん」
「動かしたことは?」
「里の者が何度か試したそうじゃが、誰にも動かせなんだ」
俺は岩を見上げ、それからディアルへ顔を向けた。
「これを浮かせた方が勝ち?」
「望むところだ」
ディアルの返事は早かった。
「道中の勝負は、まだ続いていたのですね」
アリソンがいつもの笑顔で言う。
「おいおい。試すなら周りはよく見ろよ」
イーサックが広場を見回す。近くに人がいないことを確かめ、俺たちから少し離れた。
先にディアルが岩へ手を向ける。
魔力が岩の周りへ広がった。道端の石ならもう浮いている頃なのに、大岩は地面に張りついたままだ。
「動かないな」
「次は俺」
同じように魔力を向けてみる。
岩を包むところまではできる。けれど、持ち上げようとしても手応えがなく、岩は少しも動かなかった。
「本当に動かない」
「だから言ったじゃろう」
ハーバード様は腕を組み、岩を見上げている。
俺は岩とディアルを交互に見た。
「二人なら?」
「勝負にならないぞ」
「浮かなかったら、どっちも負けたままだよ」
ディアルは少し考え、岩へ向き直った。
「分かった。合わせる」
俺たちは岩を挟むように立った。
「せーの」
声に合わせ、二人で魔力を向ける。
小石を浮かせた時と同じつもりで、岩を包み、上へ持ち上げようとした。
けれど、大岩は地面に張りついたままだ。
「浮かないな」
「諦めたらそこで試合終了だよ」
「これは試合なのか」
「いいから。もっと力を込めるよ」
岩を押し上げるつもりで、俺は魔力を強めた。ディアルの力も、それに重なる。
岩の周りを、色の違う二つの淡い光が包んだ。
二つの魔法が触れ合う境目が少しずつ曖昧になる。色が混ざるのかと思った瞬間、どちらの色もすっと消えた。
大岩が、音もなく地面を離れた。
岩の下に細い影が生まれ、少しずつ隙間が広がっていく。
「浮いた」
思わずディアルと顔を見合わせる。向こうも少し口元を緩めた。
ハーバード様が組んでいた腕をほどき、大岩を見上げている。
岩は俺の頭より高いところまで上がり、ぴたりと止まった。俺は手を下ろし、しばらく眺めていた。
下りてくる気配がない。
「いつまで浮かせている」
ディアルが言う。
「そっちだと思った」
「俺はもう魔力を使っていない」
「俺もだよ」
それなのに、岩は地面へ戻らない。
空中の同じ高さで、見えない台に載せられたように止まっている。
表面に刻まれた模様が、一度、二度と淡く点滅した。
「下がれ」
イーサックの声に、俺たちは岩から距離を取る。
次の瞬間、岩から強い光があふれた。
目を閉じても白さが残る。やがて光が弱まると、岩の表面だけが淡く輝いていた。岩は浮いたままだ。
その下には、さっきまで岩に塞がれていた暗い入口が開いていた。
「入口……?」
俺が近づこうとすると、ウルスナの手が肩を止めた。
「お待ちください」
「皆さん、空が暗くなっていませんか?」
アリスの声に顔を上げる。
竹林の向こうまで晴れていた空が、灰色の雲に覆われ始めていた。
雲は見る間に広がり、昼の明るさを消していく。
ウルスナが俺の肩に手を置いたまま、ディアルにも近くへ寄るよう促す。カリーナはアリスの肩を抱き寄せた。
イーサックは剣の柄へ手をかけ、岩と広場の周囲へ視線を走らせる。アリソンの笑顔も消え、空を見上げていた。
「全員、岩から離れよ!」
ハーバード様の声に従い、広場の端へ下がる。
雲の奥で、低い音が鳴った。
白い光が空を裂く。
岩に近い広場の一角へ、太い雷が突き刺さった。先ほどまで俺たちが立っていた場所から、そう離れていない。
腹に響く音と衝撃が、ほとんど同時に押し寄せる。
光が消えた後も、落雷した地面の上を細い放電が走っていた。
その向こうから、獣の咆哮が轟いた。
弟に張り合う兄。いい関係ですね
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