4話 こんなことで悦ぶはずがありません
連れてこられたのは、薄暗い地下室。
ひんやりとした空気が肌にまとわりつきます。
壁際には、見たこともない道具がいくつも並べられていて――そのどれもが、用途を想像するだけで不安を煽るものでした。
そんな場所で私は、あの小説の中の姫と同じように、天井から垂れた鎖に両腕を繋がれたのです。
手首に食い込む冷たい鉄の感触。
足は床にギリギリつくかつかないかの位置で、ほとんど身動きがとれない状態でした。
「な、何をするつもりですかっ!」
震えそうになる声を必死に押し留めながら、私は彼をきっと睨みつけます。
「言っただろう? 躾だと。反抗的なお嬢様にはお仕置きをしなければな」
〝お仕置き〟という言葉に、私の身体は無意識にびくりと震えました。
――まさか、あの姫と同じように……。
脳裏に、先程目にしてしまった挿絵が蘇ります。
鞭を振るわれ、痛みに歪む表情。
乱れた衣服の隙間から覗く、白く無防備な肌には、いくつもの赤い痕が刻まれていて――。
「……っ」
顔から血の気が引いていくのが分かりました。
あんなことをされたら絶対に痛い。
とても耐えられる気がしない。
想像するだけで嫌なのに。
それなのに、同時に昨夜も経験した、身体の内側から奇妙な感覚が迫り上がってきたのです。
男は無言のまま壁際へと歩み寄り、その中から鞭を手に取りました。
鞭と言っても、小説で登場した長い形状のものではなく、乗馬に使われる短鞭。先端が平たくなっているタイプのものです。
私は少し安心しました。
——大丈夫、あれなら耐えられる。耐えるのよ私。あの姫はもっとひどいもので打たれていたんだから。
心の中で、何度も自分に言い聞かせます。
男は短鞭を手でしならせながら、私の背後にまわりました。
そして——。
パシンッ!! となんの前触れもなく、私の臀部を叩いたのです。
「……!」
乾いた音とともに衝撃が走ります。
びくりと身体が跳ね、叩かれた部分がじん、と痺れるように熱を帯びていきました。
それでも想定していた通り、耐えられないほどの激痛ではありません。
ですが一つだけ問題が……。
叩かれた際の音です。
予想以上に大きくて、先程も思わず反応してしまいました。
——だめ、こんなことではあの男の思うつぼ……っ。
反応すればするほど、相手を喜ばせるだけ。
——大丈夫。さっきは初めてだったから……ただ驚いただけ。
だからこれ以降は毅然とした態度を保ち続けてみせます……!
そう意気込んだのですが……――。
そんな決意とは裏腹に、鞭が振り下ろされるたびに、ある感情がじわじわと膨らんでいきました。
羞恥心。
あの音が鼓膜を震わせるたびに、否応なく自覚させられるのです。
自分が今、何をされているのかを。
こんなこと、幼い頃でさえされたことはありません。
恥ずかしさと情けなさが込み上げてきて、じわりと視界が滲んできます。
「——このくらいにしておくか」
このままでは涙が溢れ落ちそう——となったところで、不意に男の手が止まりました。
ああようやく終わった。
張り詰めていたものが一気にほどけ、力が抜けました。
泣きそうになったものの、声は抑え続けました。
一発の刺激は些細なものとはいえ、何回も同じところを叩かれれば痛みは蓄積していきます。
そんな中で声を出さなかったのは及第点と言えるでしょう。
と、胸中で己を褒めていた最中——。
唐突に男の手が首に、ゆっくりと這うように添えられたのです。
「な……っ」
予期していなかった接触と刺激に身体が強張りました。
そんな困惑する私をよそに、男は首筋へと顔を寄せ——。
深く、牙を突き立てました。
「っ、あ……!」
鋭い痛みが走り、声が思わず零れてしまう。
血を吸われる感覚が、じわりと広がっていく。
力が抜けていくような、抗えない感覚。
——どうして……こんな……。
思考がぼやけていく中、ただその状況を受け入れることしかできませんでした。
数秒後、腹が満たされたのか、牙がすっと離れていきます。
「これに懲りたら、これからは態度に気をつけることだな」
フッと笑い、男はパチンと指を鳴らしました。
その音と同時に、私を繋いでいた鎖が解け、支えを失った身体はそのまま力なく崩れ落ち、私はその場にへたり込みました。
荒い呼吸を繰り返しながら、床に手をつきます。
男はそんな私を一瞥することなく、部屋を出ていきました。
取り残された静寂の中で、私は立ち上がることすらできません。
膝がガタガタと震えています。
ですがこれは痛みや恐怖によるものではなく、高揚感によるもの。
気付いてしまったのです。
薄々、どこかで感じてはいたこと。
けれど決して認めたくなかった事実に――。
私は。
彼にひどいことをされることに、悦びを覚えている。
——そんな……私が……。
頬に熱が帯びていくのが分かります。
信じたくない。
受け入れられるはずがない。
自他ともに認める、真面目で堅物な私が――。
こんなことで、こんなふうに。
これではまるで変態ではありませんか。
私はぎゅっと目を閉じ、首を横に振りました。
違う。こんなの、何かの間違いです。
こんな場所にいるから。
こんな異常な状況に置かれているから。
きっと、そう錯覚しているだけ。
——ここから抜け出せば……きっと……。
元の生活に戻れれば。
あの頃の自分に戻れれば。
このおかしな感情も、全て消え失せるはず。
だからその日まで。
逃げ出せる機会が訪れる、そのときまで。
私は、この少し刺激的な新生活を。
絶対に耐え抜いてみせます——!




