2話 屋敷の主は吸血鬼でした
男の容姿を確認した後に、ようやく気が付きました。
彼の手に握られているものに。
鋭い光を放つ、抜き身の剣。
「……っ!」
息を呑んだ次の瞬間、ひたりとその切っ先が喉元へ向けられました。
僅かに動けば、容易く肌を裂かれてしまいそうな距離。
「どこの差し金だ」
冷えきった声が、静かに突きつけられました。
ひくりと震える喉。
心臓が激しく打ち鳴らされ、耳の奥で嫌な音を立てています。
彼は何か大きな勘違いをしているようです。
早急に誤解を解かなければ。
けれど恐怖で声がうまく出ない。
早く何か言わないと。
このままでは、本当に殺される。
「ち、違いますっ! 私は……ただ、追われていただけで……っ」
震える声を必死に絞り出し、私は途切れ途切れに事情を話し始めました。
義母に命を狙われ、家から逃げ出したこと。
そして森に迷い込み、この屋敷に辿り着いたことを。
全てを語り終えたとき、息は上がり、指先は冷えきっていました。
私が話している間、男は終始無言でこちらを見下ろしていました。
「……なるほど。義母に命を狙われている、か」
赤い瞳が細められる。
まるで、私の言葉の真偽を見極めようとするかのように。
張り詰めた空気の中、私はただ、彼の次の言葉を待つことしかできませんでした。
「完全に信じたわけじゃないが……まあいい。ハンターじゃないのは本当のようだしな。家に置いてやろう。丁度新しいのを迎えようと思っていたところだ。――お前にはメイドとして働いてもらう」
思いがけない言葉に、身体の力が一気に緩みました。
「あ……ありがとうございます」
掠れる声で礼を告げ、助かったと――そう安堵しかけたそのとき。
「それと、もう一つ——」
低く落とされた声と同時に、照明の光が遮られました。
彼が私の上に覆いかぶさるように馬乗りになってきたのです。
「え……っ、あの……!?」
逃げようにも、枷に繋がれた身体では身じろぐことしか出来ず。
焦っている間にも男の顔がゆっくりと近付いてきます。
そしてチクリ、と。
首筋に鋭い痛みが走りました。
「……っ、あ……!」
噛みつかれたのだと理解したときには既に遅く。
じわり、と身体の中から何かが抜けていくような、不思議な感覚が広がっていきました。
——血を……吸われている……?
頭がぼんやりと霞み、力が抜けていく。
しばらくして、すっと口が離れ――。
彼はゆっくりと顔を上げました。
その口元は、私の血で少し濡れていて。
僅かに覗いた唇の内側には、人のものとは思えない――鋭く伸びた牙が、はっきりと見えたのです。
「――今日からお前はメイド兼、俺の食事だ。逃げたら承知しないからな」
にやり、と男は愉しげに口角を吊り上げました。
――そんな……この人、吸血鬼だったなんて。
ほとぼりがさめたら今度こそ隣の領地へ向かおうと思っていたのに。
このままではこの男に死ぬまで飼い殺されてしまう。
「お前、名前は?」
「べ……ベラです……」
震える声で名乗ると、彼は小さく頷きました。
「そうか。明日から早速働いてもらう。湯浴みの用意はしてある。それが終わったら、今日はもう休め」
ぱちん、と。
彼が指を鳴らした途端、手首と足首を縛っていた枷がひとりでに外れました。
「風呂は奥の部屋だ。救急箱もそこに置いてある。——じゃあな、おやすみ」
それだけ告げて、男は背を向け部屋を後にしました。
残されたのは、私ひとり。
首筋に残る生々しい痛み。
先程の出来事を思い返して、自分を抱きしめるように両腕をさすりました。
怖い。
あまりにも怖い。
けれど――。
身体の内側から、じわじわと湧き上がってくるこの感覚はなんなのでしょうか。
恐怖とは違う。
熱にも似た、奇妙な高揚。
まるで毒に侵されたかのように、得体の知れない感情が、静かに私を蝕んでいくのでした。




