第74話 独占欲の限界:波紋を呼ぶ光
夕陽が沈みかけた部室棟の前で、私は静かに立っていた。星野 翔の練習を遠くから見守るつもりで、少し離れた場所に腰を下ろす。数週間前に彼の告白を受けてから、私たちの関係は密になった――Lineでも日常でも、甘い言葉と視線のやり取りで繋がっている。
でも、彼はまだ公の場では距離を保っていた。目の前でバットを握る星野 翔は、緊張と集中で眉間に皺を寄せ、汗が額を濡らしている。私はそっと息を呑んだ。こうして彼を見守るだけで、心は満たされると同時に、なぜか胸の奥がざわつく。
「遥さん……」
突然、私の肩に声がかかった。振り向くと、そこには佐倉明里が立っていた。偶然を装った冷静な笑みを浮かべ、けれどその目には確かな鋭さが光る。
「星野 翔くんの練習を見守っているの? あなたと彼の関係は、私にも少し伝わっているわ」
明里の声は穏やかだが、言葉の端々に冷たい刃が隠されていた。
「ええ……ただ、応援しているだけです」
私は平静を装いながら答える。だが、彼女の視線が私の胸の奥にまで届くようで、胸の鼓動が速まった。
明里は少し間を置き、私に近づいた。視線は星野 翔に向けられたままだ。
「でもね、遥さん。あなたの存在は、星野 翔くんのプロとしての集中に、少なからず影響を与えていると思うの」
私は一瞬言葉を失う。彼の練習中、時折視線がこちらに向くのは確かだ。それが彼の集中力を乱している――明里の指摘は、冷静ながらも正確だった。
「例えば、このわずかな視線の揺れや、Lineの返信のタイミング……。彼のパフォーマンスは、ほんの一瞬でも外部の要素に左右されるものよ」
明里の言葉には無駄な感情がなく、事実だけが並べられている。私はその正確さに息を呑む。
「……でも、私はただ、彼を応援しているだけです」
私の声は震えた。応援しているつもりでも、私の存在そのものが、彼に負担をかけているのではないか――そんな不安が胸を締め付ける。
明里は一歩近づき、低く、はっきりと告げた。
「遥さん、星野 翔くんの公的な世界は、私たちが守るべきものよ。私的な幸福に留まる愛では、彼の未来は不安定になる。プロとしての彼の光を維持するには、公的な安定が必要。あなたの愛は、素晴らしいけれど――それだけでは、彼の夢を支えきれないわ」
その言葉に、私は胸がざわつく。自分の愛が、彼の夢にとって負担になりうるという罪悪感が、一気に押し寄せた。私は、彼のプロとしての未来に、自分が混ざることを許されているのだろうか?
「……わかりました」
小さな声で答えるしかなかった。明里は微笑んだが、その目には私を試すような光が残っていた。
「大切なのは、愛そのものではなく、その影響よ。あなたの愛が、彼の集中や決断に影響を与えているなら、どれほど純粋でも、それは甘くも毒にもなりうる」
私は深く息を吐いた。彼の愛を受け入れることは、同時に彼の夢の重さを背負うことでもある。七年間の片想いを経て、ようやく手にした私たちの幸福。しかし、その幸福は、星野 翔のプロとしての光の上に築かれるべきものだという現実。
私は視線を星野 翔に戻した。彼は汗で濡れた額を手でぬぐい、バットを握りしめている。小さな揺れも見逃さない集中力。けれど、私の存在が彼の光に、影を落としているのかもしれない――その事実に胸が痛む。
「明里さん……」
「大丈夫よ。あなたの愛は、彼にとって大切なものよ。でも、覚えておいて。彼の夢は、私たちの手で守られる公的な光の上にある」
彼女は微笑んだまま立ち去る。その背中を見送りながら、私は胸の奥で新しい責任感と不安を抱えた。私の愛は、彼の夢を壊すための毒ではない――でも、無力である可能性もある。
「私は、彼の支配を拒否した。でも、彼の夢を壊すことはできない」
そう心の中で繰り返す。私の愛は私的で、自由で、激情に満ちている。しかし、星野 翔の光は、公の世界において守られるべきものだ。私の存在が、その光に影を落とす可能性がある。
夕陽が練習場をオレンジ色に染める中、私は静かに立ち上がった。星野 翔の練習を妨げないよう、少し距離を置きながらも、彼を見守る。私の心は焦燥と愛情で揺れ動くが、それでも彼を支えるためにここにいる。
私の愛は重く、時に甘く毒にもなる。それでも、私は彼を選んだ――公的な不安定に巻き込まれながらも、私的な幸福を守り続けることを決めた。七年間の片想いは、今、責任と愛の形として、新たな光に照らされている。
「星野 翔……私は、あなたの光を壊さない。だけど、私の愛も消えない」
心の中でつぶやく。明里の冷たい声は、私的な幸福という名の夢を現実へ引き戻したが、それでも私は、この愛を選ぶ。彼の光を支えつつ、私の影も光を持つ――その覚悟を胸に、今日も私は彼のそばに立っているのだった。




