第66話 刻まれた名と決意
目を瞑っているナクティスの頬を撫でる。硬い皮膚は太陽の熱を集めてポカポカと温かい。さっきまで少しお話ししていたけれど、いつの間にか眠ってしまったようで規則正しい呼吸が聞こえるようになった。
突然竜舎に巡視員が来たあの日から一週間が経っている。
あの日は、巡視員達が去った後、竜舎にレイドと戻るとみんなにとても心配された。しかし話の内容を全て伝えることは当然できない。それが余計に心配を生んでしまったようだが、団長とヴァイツさんだけにはどんなことがあったのかを事細かく説明した。
竜の力の話が広まっていることと、力のことをわたしから聞き出そうとしたことが、陛下に容認されているものなのか確かめなければいけない。もしこれが陛下の知らないところで起きているのならば、巡視員達は勝手な行動をしているわけで、陛下のことを軽んじていると捉えられる。
レイドがはじめに、陛下の了承を得ているかと質問した時には、自分たちの判断だと捉えられる言い方をしていた。これは立派な言質だ。とっさにその質問をしたレイドはすごいと思う。わたしには思いつかなかった。
わたし達の話を聞いた団長もヴァイツさんも怒りが隠せない様子で、二人揃って陛下へ報告しに行った。
結果として、巡視員達の行動は、陛下のあずかり知らないことだった。
上司の軍事大臣に気に入られて秘密の話を聞き、気が大きくなった彼らは、竜の力が本当にあることと軍事的に使えることを確かめたかったらしい。
わたしは竜騎士であり、彼らの管轄下だ。自分達の下に、ひいては軍事大臣の下に従えられると考えてしまったのだ。
このことをわたしに伝えてくれた団長は、眉間に深い皺を寄せて「愚かだ。」と呟いていた。
わたしもそう思う。
彼らは考えの足りない行動のせいで、自分達だけでなく彼らの尊敬する軍事大臣を窮地に追いやった。後悔しても遅い。
しかし、彼らの目をくらませ、考えを鈍らせるほど、この力は魅力的に映ったのだろうか。
今までに関わってきた動物達のことを思い浮かべる。
たまにお話ししてくれる小鳥達、孤児院で飼育していた馬達、街の広場のベンチでくつろいでいた猫、誘拐事件の時に私達を助けてくれたネズミ達…。
あんなに純粋な存在が、武器として使われるなんてことがあってはならない。そして、それがもしわたしのせいだったら、いくら国のためと言われても耐えられない。巡視員達との話の中では脅しであんなことを言ったけど、絶対にわたしはしないし、できない。
これから先も似たようなことが起きないことを願うばかりだが、竜の力のことがどこまで広まってしまっているかはまだ調査中とのことだった。
ため息を吐きながら幼竜達を見る。
枝を無邪気に取り合ったり、ナクティスにくっついてウトウトしたり、のびのびと過ごしている。わたしの足元をつつく幼竜の頭を撫でると嬉しそうにキュウと鳴いた。
「…あなた達のことも、守るからね。」
癒されるとともに、このこ達のことも守らなくてはと強く思う。わたしの言葉の意味が分かったのか、それとも分かっていないのか、『うん!』と元気よく返事をした。
そのまま幼竜を撫でていると、幼竜舎の扉が開いた音がした。少しだけ心臓が跳ねる。入ってきた人を見た幼竜が二頭嬉しそうに駆けて行った。その人は、遊んでと足元で甘える幼竜達を構ってから、わたしを見た。
「やあ、ロゼッタ。」
ルーカス殿下とお会いするのはあの時以来だ。
少しの気まずさと、緊張を覚えていたけれど、ルーカス殿下らしい柔らかな笑みを見たらそれが少し和らいだ。
「お久しぶりです。ルーカス殿下。」
立ち上がって挨拶を返す。殿下はわたしに微笑みかけた後、幼竜達をぐるりと見渡した。
「幼竜達は大きくなったね。何頭かはそろそろ一般の竜舎に交えても大丈夫そうだ。」
そう言って幼竜達の中でも発育の良い数頭を見た。その横顔は穏やかで、幼竜達の成長を喜んでいるのが伝わってくる。それはいつもの穏やかな優しい殿下で、少しも気まずさなど感じないことにホッと胸を撫で下ろした。
殿下は、しばらく幼竜達の愛らしい様子を見つめてからりくるりとわたしに振り向いた。
「では早速だけど行こうか。」
「はい。」
わたし達は今日ここで待ち合わせをしていた。
幼竜舎の外へ出ると、近衛兵と見覚えのある従者が控えていた。ルーカス殿下が次の王位継承者として公表されてから付き人が増えたようだ。多くの人を引き連れるようにして、わたし達は目的の場所…陛下の執務室へと向かった。
陛下の執務室の扉の前には近衛兵が控えている。わたし達を見て扉を開けるとルーカス殿下が入室し、わたしもそれに続く。陛下はソファに座っていて、わたし達を見ると一つ頷いた。
「かけてくれ。」
促されて着席すると、侍女が紅茶を淹れてくれる。真っ白なティーカップとソーサーには金色の縁取りがされていて、品が良い。トクトクと心地よい音と共にふわりと香りが広がった。用意が終わって侍女が下がると、陛下は口を開いた。
「すまなかった。」
「…!陛下…!」
突然の謝罪に驚く。驚いて、ルーカス殿下を見ると無言で首を横に振った。何も言わず、謝罪を受けてくれということだと思う。でも、国の一番上の存在が謝るなんてとんでもないことだ。
慌てることしかできないわたしを見て、陛下は口を開いた。
「ロゼッタに謝らなければならないことがたくさんある。まずは、白銀の町のことだ。」
それを聞いて思わず唇に力を入れる。あの時のことを思い出すと悔しさや悲しさが今でも胸に溢れることがある。
「…あの町に、始まりの王弟一族がひっそりと暮らしていることは知っていた。王となった者しか知らない話だ。しかし向こうから援助を断ったのはもう何代も前のこと…。秘密を守る立場として直接的に介入することはできなかった。それゆえ大きくなった不満を見逃してしまい民を危険な状況に晒してしまった…。」
目線を落として時々言い淀みながら話す陛下の姿は、なんだか少し弱々しく見える。堂々としている姿しかわたしは見てこなかったから、普段と違う姿に胸がキュッとする。でも、王弟一族があの町で暮らしていることはやはり把握していたんだ。少し驚いたのは、援助をしていたということだ。それを王弟一族が断った背景には複雑な思いが絡んでいるのだろうけれど…。
陛下は伏せていた目線を上げて、その金色の瞳でわたしを見た。
「アイラと王弟一族は無念だっただろう。すまないことをした。…弔ってくれて、ありがとう。」
膝の上に置いた手を握りしめる。
現王家からの謝罪はアイラさんが望んだものの一つだ。
始まりの王が王弟を辺境へ追いやりその存在すら無かったことにしたのは、陛下にはもうどうしようもないことだ。それに対する形だけの謝罪より、目の前で起きたことへの謝罪の方が、誠実さを感じる。
「…はい。そのお言葉でアイラさんも少し慰められたと思います。」
「…そう思ってくれるか。」
陛下のその言葉には、少しだけでも許されるかと希望が滲んでいるようだった。わたしはただ、頷きを返した。
「彼女はもう一つ、真実を明るみにして欲しいと要求したそうだが、それはできないことを理解してくれ。国の根幹となっているものの血生臭い裏話など、民が知っては混乱を招く。…混乱は争いを招く。」
そのの言葉に頷いて返事をすると、陛下は少しだけ表情を緩めた。
真実を明るみにすることはアイラさんや王弟一族の悲願ではあるけど、それはもう現実的ではないとわたしも思う。望みは叶えてあげたいけど、そのために悲しいことが起きてしまってはいけない。
わたしができるのは、これ以上悲劇を起こさないためにどうすればいいか話し合うことだ。
「これからの話をしてもよろしいでしょうか?王族にだけ伝えられてきた力の秘密を、後の世代には伝えないということを…。」
わたしは言った。陛下はゆっくりと頷いた。
「ああ…。公爵から話は聞いている。私達の秘密を後の世代には語らず、ここで途絶えさせるということだな。」
陛下はそう言って大きく息を吐いた。
それからしばらくの間、沈黙が落ちた。
「力を持たないというのは苦しいものだ。」
独り言のように呟かれたその言葉の意味を考えるより前に、ルーカス殿下が声を上げた。
「陛下。」
ルーカス殿下は眉間に少し皺を寄せて、陛下を見つめている。しかし陛下は首を横に振った。
「いいやルーカス、責めたり非難するつもりで言うのではない。ただ、少し知っておいて欲しいのだ。」
「……。」
陛下の言葉を聞いてルーカス殿下は唇を結んだ。やや前のめりになった姿勢を戻したところで、陛下は話を続ける。
「私達は紛れもない始まりの王の一族だ。だがかつて存在したはずの力はこの身には無く、金の目と髪だけがここにある。…形だけの、空っぽな存在だと思ってしまうのだよ。」
陛下はそう言って自らの手のひらを見つめる。そこに流れる血潮を透かして見るように目を細めた。
わたしはふと、アイラさんがわたしに言ったことを思い出した。
"王族の色を持たない私達が竜の力を持っていて、王族の色を持つ人達が力を持っていないなんて、皮肉ね。"
そう言った彼女はどんな表情をしていただろうか。
「王族だけが知っている秘密とそれを語る特別感は、虚しさを紛らわせてくれた。心の拠り所の一つだった…。」
手のひらを見つめながら自嘲気味に笑うその顔が痛々しい。金色の瞳も髪も残っているのに力は無く、秘密を密かに語り継ぐことで虚しい心を支えてきた。その気持ちは分からなくもないが、わたしはそもそもそんな思いを抱く必要はないと考えている。
「恐れながら、虚しさなど感じる必要はないのです。陛下は陛下です。ルーカス殿下もわたしも、それぞれが皆、かけがえのないただ一人の人です。自分の存在意義を問う必要なんてどこにもありません。」
「……。」
陛下はぼんやりとわたしを見た。眼前に挙げられていた手がゆっくりと下げられていく。長年心の中を占めていたしこりがわたしの言葉で簡単に無くなるなんて思っていないけれど、わたしの思いは少しでも伝わっているだろうか。
「陛下。」
ルーカス殿下が少し身を乗り出した。
「過去に縋って得られる慰めよりも、生まれる悲劇の方に向き合わなければなりません。忘れていくことが必要です。」
陛下を真っ直ぐ見据えてルーカス殿下は言った。
長い沈黙が落ちた後、陛下はゆっくりと頷いた。口元に緩く笑みを浮かべながらも、寂しそうな目をしていた。
それから、わたしに接触してきた巡視員達や、その上司の軍事大臣の処遇について話があった。彼らの危うさは見過ごすことができず、厳しい処分を受けるそうだ。
経済大臣も、軍事大臣も…腹心だった大臣の思惑が暴かれて、陛下が精神的につらい思いをされていることは察するにあまりある。ふとした時に暗い表情を浮かべながら話す陛下のことを、ルーカス殿下はただ淡々と見つめていた。
陛下との話が終わり、「送るよ。」とルーカス殿下がわざわざ一緒に歩いてくれた。その道中、殿下はおもむろに言った。
「もしまだ時間があれば、案内したい場所があるんだ。どうかな?」
「はい、もちろんです。」
特に急ぐ用事はない。返事をすると、殿下はにこりと笑ってわたしを案内していく。通ったことのない場所なのは、この辺りが王族の居住区だからだ。こんなところを通って行くなんて、目的地はどこなのだろう。そんなことを考えながらルーカス殿下について行った。
しばらく歩いて扉をくぐると、屋外に出た。両脇に花が植えられた石畳の道が続いていて、よく整備されている。今までとは違う雰囲気に、なんとなくここが特別な場所なのだと感じる。
そしてわたしの直感は正しかった。
「…ここは…。」
「始まりの王とその竜の墓所だよ。」
石畳を歩いた先、雨を凌げる屋根の下、立ち止まったその場所には一枚の岩があった。よく磨かれて美しく、文字が刻まれているそれは、一目見て立派な墓石だと分かる。
墓前に供えられた白い花は、まだ新しいようだ。
その花を見て、ルーカス殿下は目を細めて微笑んだ。
「ここは、歴代の王が管理しているんだ。」
「そんな大切な場所に、わたしが来て良かったのですか?」
「勿論だ。本当はすぐにでも案内するべきだったね。」
ルーカス殿下は墓石の後ろに回った。わたしもそれに続いて後ろに回ると、そこにはたくさんの文字が刻まれていた。
これは、名前…?歴代の王の名前だろうかと見ると、その中に知っている名前を見つけてハッとする。
「これはもしかして、王弟一族の名前ですか?」
「その通りだ。始まりの王弟からその最後の子孫…アイラまでの名前が刻まれている。」
刻まれた名前達の最後には、ハッキリとアイラさんの名前が刻まれていた。それは一番くっきりしていて、最近掘られたことが分かる。
「歴代の王達が、亡くなった王弟一族の名を把握してここに記した。贖罪と追悼のために。アイラの名前は、彼女が亡くなってすぐに陛下が指示して刻まれた。」
「贖罪と、追悼…。」
刻まれた"アイラ"の文字を指でなぞる。
歴代の王だけが王弟一族の存在を把握していて、過去に祖先がしてしまったことの贖罪と、儚くなった命を追悼していたのだ。
王となった者だけが知る、罪とその償い。それを知らされた時、歴代の王は何を思いながらここに通ったのだろうか。
「私は陛下を…父上を誤解していた。」
ルーカス殿下は深く息を吐いた。
「王弟一族の存在を私に伝えなかったのは、都合が悪いからだと思っていた。やがて王弟一族が潰えることを望んでいるのだと思った。しかし、アイラが亡くなったことを伝えて初めてここに連れて来られた時…、父上は、深く、深く祈りを捧げていた。その横顔が忘れられない。」
目を細めて墓石を見つめるルーカス殿下はその当時を思い出しているようだ。
「支援を断られても話し合う機会だけは失わないように努力するべきだった。名前を刻んで祈るだけではなく、彼らに対して行動を起こすべきだったんだ。…今となってはもう、どうにもならないが…。」
わたしは知らなかった。王家が自分達の特別さだけではなく、過ちも語り継いできたことを。贖罪と追悼の思いを継いできたことを知らなかった。
「知りませんでした…。」
呆然と呟く。
「ああ。私も知らなかった。…秘密が多いことが今の王家の悪いところだね。私が父上に対してそうであったように、知らされないことで誤解と憶測を招いた。今回のことは、家族と、そして自分自身と向き合うきっかけになった…。」
ルーカス殿下はそう言って、困ったように眉を下げて笑う。つらい思いをたくさんされたはずだけど、それらも糧にして進もうとしているのだ。
「ロゼッタ。」
言葉に詰まっていると、ルーカス殿下はわたしの名前を呼んだ。改めて殿下を見ると、竜によく似た金色の瞳が真っ直ぐにわたしを見つめた。
「私は必ず良い王になってみせる。だからロゼッタは、君の愛する人の隣でそれを見ていて欲しい。」
決意を込めたその言葉に胸を打たれる。その瞳と言葉からルーカス殿下の心の熱が伝わってくる。
…でも、殿下。あなた一人だけに頑張らせるようなことはしません。そんな思いを込めて口を開く。
「ルーカス殿下はきっと素晴らしい王様になられます。わたしも国の騎士の一人として、側で支えさせてください。」
わたしだけじゃない。ルーカス殿下を慕う人はたくさんいる。団長をはじめとした竜騎士のみんな、少し離れてわたし達を見守る殿下の側近達、陛下、そしてきっとイリオス殿下も。みんながルーカス殿下の力になる。
「…ああ。ありがとう。」
わたしの言葉を聞いて、ルーカス殿下は穏やかに微笑んだ。
わたし達の間には爽やかな風が吹く。立場は違えど同じ血を受け継ぐ者として、また同じ国を守る者として、力を合わせて進むことを誓った。




