閑話 失恋と見えてきたもの
碧の国 ジュナ視点
溜め息ととともに、たった今まで読んでいたものをそっと机の上に置いた。
これを読み返すのはもう何度目だろうか。どんなに読んでも内容が変わるわけではないと分かっているのに、何度も、何度も、繰り返し読んでは溜め息を吐いている。
…………………………
レイド様から返事のお手紙を受け取った日、私はそれはもう嬉しくて舞い上がった。待ちわびたそれには色良い返事が書いてあるものだと信じて疑わなかったから。だから、手紙を手渡した侍女が浮かない顔をしていたことには気付かなかった。
シンプルだけど品の良い封筒を開けて、宝物を取り出すような気持ちで便箋を広げた。わたしが読む前に検閲が入るから、一番に読めないことことは残念だけれど。
胸を高鳴らせながら読み進めていたのだが、文字を追うごとに胸の熱が冷めていった。
だって、そこにはこう書いてあったのだから。
ジュナ様のお気持ちは嬉しいです。
しかし私には既に婚約者がおります。
婚約者を悲しませることはできません。
「…は?」
何、何よこれ。
だってレイド様には決まったお相手はいないって、みんな言っていたじゃない。これじゃあ私、横恋慕しただけの哀れな…。
頭に血がのぼって手紙を持ってきた侍女を睨みつける。
「どうなっているの!だって、レイド様にお相手はいないって…!こんなの、聞いていないわ!」
「その…、私共もそのように伺っておりましたので…。」
「そんなの、ただの情報収集不足じゃない!なんで、なんで!」
侍女は萎縮するばかりで私の気は収まらない。
この話は、おじい様の後ろ盾があるって言っていたじゃない。それなのに知らなかったなんてどういうことなの。
それに、婚約者のいる男性に迫っただなんて恥だわ。愛や恋のためには女性だって積極的に動くのがこの国の良いところだと思うけど、さすがに他人のものに手を出すことはしない。
…そうは思いつつも、膨れ上がった恋心は邪な思いを私に抱かせる。
ギリギリと奥歯を噛みしめながら侍女頭を見る。
「…そのお相手は、どなたなの。」
さすがに調べているわよね?と視線を送る。
私は国王の孫娘だ。身分で言えば私より高貴なお相手はそうそういないはずだわ。結婚とは家同士の繋がりを深めるものだもの、もっとよく考えていただければお返事を変えてくださるかもしれない。
そう思いながら迫ると、視線を泳がせた侍女頭は言いずらそうに口を開いた。
「お相手は公爵家のご令嬢だと伺っております。王兄殿下のお孫様だとか…。レイド様と同じ、竜騎士であらせられるようです。」
それを聞いて拳を握りしめる。
思っていたよりも高い身分だ。それに、女性の身でありながら竜騎士だなんて。あの国で竜騎士といえば特別な存在なのだと聞いている。
でも、身分だけで言えば私とほぼ同じじゃない…!
「それなら、国交を深める意味で私の方が…!」
思った言葉がつい口を出ると同時に、ノックの音が響いた。
誰なのこんな時に…!
返事をする前なのに、衝立の向こうで人が入ってくる気配がする。今はお帰りいただくように声をあげようとした時、入ってきた人を見て目を見開いた。
「おじい様…!」
驚いて椅子から立ち上がる。国王であるおじい様が自ら私の部屋にいらっしゃるなんて。侍女達は慌てて皆一斉に深く頭を下げた。
おじい様は私が握りしめている手紙に視線を向ける。
「あの若者から手紙が来たそうだな。」
「…!はい…。」
まさかおじい様も中身をご覧になったのだろうか。だとしたら、私が婚約者のいる方に迫ったことを知っているわけで、恥ずかしくて顔から火が出そうだ。
何を言われるのだろうと身構えていると、おじい様は溜め息混じりに言った。
「儂に相談もせず、大切な孫娘に関わる手紙を他国へ送った者がいるらしい。」
「……え?」
それは、私の話?
もしかして私に関わる手紙というのは、レイド様へのお手紙のこと?
ハッとして侍女達を見回す。
「どういうことなの?」
侍女頭へ声をかける。あなたよね、わたしが書いた手紙を預かったのは。
彼女は頭を下げているからその表情は見えないけれど、お腹の前で重ねられた手が震えていることに気が付いた。
まさか…。
愕然としながら侍女頭へ問いかける。
「レイド様の部屋に行くように言ったのは?その後、私を励まして手紙を書くように言ったのは?…おじい様や、お父様も応援なさってるって…言ったわよね…?」
彼女は震えるばかりで何も答えない。
それが答えなのだと理解した。
おじい様は侍女頭の前に立った。
「お前の独断か、他に協力者がいるか…。連れて行け。聞かなければいけないことがたくさんある。」
びくりと震える侍女頭を、おじい様の衛兵が連れて行く。
「他の者達にも、後ほど一人一人聞く。覚えがあるものは早めに申し出ろ。」
侍女達を見るその目はギロリと鋭い。
一人、また一人と衛兵に連れられて私の部屋を出て行く。信頼していた侍女達が震えながら歩いて行くのを呆然と見ていることしかできない。
ふと、私の肩に温かい手が置かれた。見ると、それはお母様の侍女の一人だ。
「お側に。」
優しく微笑まれてほんの少しだけ息をつく。連れて行かれる侍女達の代わりに私に付いてくれるらしい。
侍女達が全員連れ出された後、おじい様は私を見た。
侍女に侮られるなんて恥ずべきことだわ。何を言われても受け入れなければとギュッと目を瞑った。しかし意外にも、かけられた声はとても優しかった。
「悲しい思いをさせたな。」
ハッと顔を上げると、私を見るおじい様は優しい目をしていた。
「あの若者と相性が良ければと、宴で隣の席を勧めたのは儂だ。それが余計な憶測を生み、余計なことをする輩が出てしまったか…。」
おじい様はそう言うけれど、それは単なるきっかけに過ぎない。そこに余計な思惑を抱いて私を踊らせたは、おそらくあの侍女頭。他の侍女達も協力していたのかもしれない。
「侍女達を管理できなかったのは私です。彼女達を思い上がらせたのは、私の器量が足りなかったからですわ。」
自分で言いながら、悔しさと情けなさで目に涙が浮かぶ。こんなことにおじい様まで巻き込んで…。
「ジュナはまだ若い。これからまだまだ成長できる。自分を守れるように精進しなさい。」
失望されてもおかしくはないのに、おじい様は温かい言葉をかけてくださった。私は手紙を握りしめながらこくこくと頷くことしかできない。何か言葉を口に出せば、おじい様の前だというのに泣き出してしまいそうだから。
そんな私を見て、おじい様は私の肩をポンポンと優しく叩き、部屋を出て行った。
…………………………
思い出して深く溜め息をつく。
あのことがあって私の侍女が入れ替えられた。私は自分が情けなくてどうしようもなかったけれど、時間が経って少しずつ心が落ち着いてきた。
甘やかされて育った自覚はある。それに、兄弟やいとこがいっぱいいて、自分が国として重要な位置に立つなんて思ったことはなかったから、未熟なまま直そうともしていないところが沢山ある。レイド様は私のことを幼いと仰ったけど、その通りだと身に染みて思う。
その上、私を思い通りに動かそうとしている誰かがいると忠告していただいたのに、結局は侍女頭に丸め込まれてしまった。今思えば、普段からあれやこれや言われて、うんうんと従っていた気がする。そんなにも、私は世間知らずで騙されやすい。
今回のことで、自分自身の未熟さが浮き彫りになった。おじい様が言ったように、自分を守るために、そして、大好きなおじい様やお父様、お母様の顔に泥を塗らないために、たくさん勉強が必要だ。
テーブルの上の手紙へ視線を向ける。最初は投げ捨てようとさえ思ったから、手紙には皺がついてしまっている。それを丁寧に指で伸ばすようになぞりながら、胸のチクチクする痛みと向き合う。
たとえ侍女達に焚き付けられたものだったとしても、レイド様への想いは本物だ。想いが実らないことがこんなにつらく苦しいことだなんて知らなかった。私から手紙を出した時はただ浮かれて、レイド様のところへ嫁いで、向こうの国で暮らすことまで夢想してた自分が馬鹿に思える。
…でも、夢を見るくらい好きだったんだわ。
言いづらいことでも私のためにはっきり言ってくださって、今までそんな人はいなかった。涼やかな目も、鼻筋の通ったお顔立ちも、私とは違う男性らしい身体つきも、全てが素敵で…。これは紛れもない恋だった。
チリチリと痛む胸に手を当てながら溜め息をつく。
まだ胸の中に想いが燻っているけれど、良い経験だったって笑えるくらい強くなりたい。これを乗り越えて、強くならなくてはいけないのだわ。




