第67話 甘い感情
王族の居住区から出て、寄宿舎へ戻る道を歩く。
陛下やルーカス殿下との話はとても重いものだったけれど、わたしの心はどこかすっきりしていた。
わたしもルーカス殿下のように自分にできることをもっとよく考えたい。
しばらく歩いているうちに、城の敷地内で働く人達がよく使う通路に来た。ここまで来れば自分で帰れる。後ろを振り返って、わたしを送ってくれたルーカス殿下の従者を見る。
「ここまでで大丈夫です。送っていただきありがとうございました。」
髪を撫で付けたきっちりした印象のその人は、本当はイリオス殿下の従者だそうだ。今は、イリオス殿下に代わってルーカス殿下を支えているという。
従者はちらりとわたしの後ろを見て、またわたしに視線を戻した。
「寄宿舎までと思いましたが、たしかにこちらで大丈夫そうですね。お迎えの方がいらしています。」
「お迎えの方…?」
何のことだろうと通路に視線を戻すと、柱の近くにとても見慣れた姿を見つけた。向こうもわたしに気が付いたようで、柱に寄りかかっていた姿勢を戻してわたしを見つめている。
午後のやわらかい光がレイドの銀色の髪を照らしている。陽が当たる部分はやわらかく、影になる部分は少しだけ鋭利な印象を与える。陽の光が映り込むことで、ルビーのような瞳が一際綺麗に見える。
そこだけ絵画を切り取ったような光景だ。
周りには他にも人がいるのに、私にはレイドの輪郭だけがはっきりとして見える。
…ずるいなぁ、立っているだけでこんなに格好いいなんて。
少しだけ見惚れている間に、若い女の子二人組がレイドに声をかけた。レイドの性格上、無視なんてできないのはわかっているけど、わたしに向けられていた視線が外されて胸がチリチリする。
送ってくれた従者にお辞儀をして別れ、レイドの元へ駆け寄った。
「私達経理課で、もしよかったら…。」
「レイド!」
彼女達の話を遮るようにレイドの名前を呼んだ。紅い瞳が再びわたしを見たことに安心する。
「待っていてくれたのね。嬉しいわ。」
「ああ。無事に終わったようで良かった。」
わたしが気落ちした様子のないことを確認したのか、レイドは安心したように表情を緩めた。
すると、すぐ隣で小さく、きゃあと女性らしい可愛い歓声が上がった。それになんだかムッとしてしまって、彼女達を振り返る。
「こんにちは。お話を邪魔してしまってごめんなさい。レイドに何かご用ですか?」
「え、えっと…、あの…。」
わたしが意識したのは淑女の微笑みだ。それと、レイドの名前を親しげに呼ぶこと。
案の定、彼女達はしどろもどろになる。
「な、何でもないです。では…。」
あははと誤魔化すような笑みを浮かべて踵を返した。足早に去って行く彼女達の後ろを姿を見ながらホッとすると同時に、ひどい自己嫌悪に陥る。今のわたし、とても意地悪だったわ。彼女達はただレイドに声をかけただけで、それがなんだか嫌だって思って…。声をかけるくらい彼女達の自由なのに。
思わず小さくため息を吐いてしまう。
すると、下を向いたわたしの視界に、大きな手が映り込んだ。
え?と思ったのも束の間、そのままわたしの手をとって歩き出そうとする。一瞬ぽかんとしたものの、ここは人の目があることを思い出して顔が熱くなる。
「あっ…レイド待って!ここでは…。」
「嫌か?」
すぐさまレイドに問われる。わたしの意思を聞く反面、手はより強く握り込まれた。心臓が小さく跳ねる。
「嫌じゃないけど…。」
「じゃあいいな。」
短く返事をしたレイドは、そのままわたしの手を握って歩き出した。うるさいくらいの胸の鼓動も、わたしの気持ちも、繋がれた手からレイドに伝わってしまいそう。
すれ違う人達に視線を向けられている気がするけど、それを確認する度胸はない。
下を向いて手を取られるまま歩いていると、やがて歩く速さがゆっくりになった。気がつけば周りに人はいなくなっている。レイドはわたしの少し前を歩いていたけど、速度を落として今はすぐ隣にいる。
「すまなかった、手を引っ張って。痛くないか?」
「ううん、大丈夫よ。…レイドどうしたの?」
わたしがそう言ったのは、レイドが少し眉間に皺を寄せていたから。なんだか不機嫌に見える。会ってすぐはそんな気配はなかったのに。
「…ロゼッタが現れた途端、周りの連中がみんなロゼッタを見ていたから。」
予想外の言葉に驚く。
「え?そんなことないわ。…レイドこそ、女の子達の視線を集めていたじゃない。それでわたし、あんな意地悪を…。」
自己嫌悪と恥ずかしさで、繋いでいる手と逆の手を頬にあてる。あんな態度はまずかったよね…。
「意地悪って何だ?ロゼッタはただ…、笑顔を振り撒いていただろう。」
「えっと…そんなつもりはなかったんだけど…。」
笑顔を振り撒いたつもりはない。女の子達をレイドから遠ざけたいと思って淑女の微笑みという武器を使ったのだ。思惑の通り、女の子達はレイドから離れて行った。わたしの記憶とは少し違うことを言われて首を傾げていると、レイドは小さくため息を吐いた。
「なあロゼッタ、もっと自分の魅力を自覚してくれ。あんまり可愛く笑顔を振り撒いていると、どうしたって夢中になるやつが出てくるんだ。その度に俺は嫉妬する。」
「かわいい?…嫉妬…?」
わたしをからかっているのかと思ったけど、その表情は真剣そのものだ。可愛いとか、嫉妬するとか言われて顔に熱が集まる。でも、わたしにだって言いたいことがある。
「それは、わたしの台詞だよ!レイドったら背は高いしかっこいいし、どうしたって視線を集めちゃうんだから!わたしを待っていてくれて嬉しかったけど、その間にもいろんな女性に声かけられたんじゃないの?そんなのわたし…。」
そこまで言ったはいいものの口籠る。話しているうちに、恥ずかしいことを口走っているような気がしてきたのだ。
「そんなの…?」
視線を泳がせているとレイドが続きを促してきた。その顔は、さっきまでの不機嫌さとは一転、機嫌が良さそうに見える。口角を少し上げてちょっと意地悪に見える表情だ。
そんなレイドにムッとしながらも、ここまで言ってしまったのだからと口を開いた。
「し、嫉妬、しちゃうわ…。」
恥ずかしくなって言葉尻が小さくなってしまう。顔が熱くて隠したいけど、でもそれも変かなと思って、せめて目線を逸らす。
しかし、勇気を出して言ったのにレイドは何も言ってくれない。レイドが話の続きを促したくせに、ずるいわ。
沈黙にいたたまれなくなって、覚悟を決めてレイドを見上げると、とても優しい微笑みが向けられていた。
「好きだ。」
「…えっ!」
形の良い唇から唐突に言われた言葉に、思わず素っ頓狂な声を出した。レイドはそんなわたしを見て少し笑った。
「ロゼッタのことどんどん好きになる。可愛すぎて、どうしたら良いか分からなくなる。」
「…!」
…甘い。甘すぎる。
いつもクールな彼の口からこんな言葉が出てくるなんて。想いが通じ合ったらこんなに甘くなってしまうの?知らなかったレイドの一面に驚きつつも、それ以上に嬉しさとレイドへの気持ちが溢れる。
わたしこそ、こんなに好きな気持ちが溢れてどうしたら良いの。
胸の奥がきゅうっと締め付けられる。
おもむろに、繋いだ手に力を込められて、大袈裟なほどビクリと反応してしまった。
レイドはそんなわたしにまた少し笑って、繋いだ手をグイッと引っ張った。突然のことに抵抗もできないわたしはそのままレイドの胸にもたれかかり、そして温かい手が背中に回された。一瞬ぽかんとしてやっと、レイドに抱き締められていることに気が付いた。
「レ、レイド…?」
声が上ずる。レイドとのハグは初めてじゃないけれど、今のこれはいつもとは意味合いが違う。うるさいくらいの鼓動がレイドにも伝わっているんじゃないかと恥ずかしい。
…?あれ?
くっついたレイドの胸からトクン、トクンと規則正しい心音が伝わってくる。でもそれは、少し早い。レイドもドキドキしてるんだと気が付いて、更に顔に熱が集まっていく。
「ロゼッタは大切な話をしてきたのにな。いろいろ聞きたいところなんだが…、今は少しだけ許してくれ。」
耳元で囁かれるくすぐったさにぶるりと震える。心地の良い低音は身体の奥を震わせる。わたしは初めての感覚に戸惑って、こくこくと頷くことしかできなかった。
心臓がドキドキしすぎて息苦しささえ覚える。服越しに伝わる熱と、心地良いレイドの匂いに包まれて、ずっとこのままでいたいけどこの苦しいほどのドキドキから逃れたいような、不思議な気持ちになる。
そうしてどれくらいの時間が経っただろうか。
レイドは細く長く息を吐くと身体を離した。離れてしまった熱を寂しく思ってしまう。
「今度こそ寄宿舎まで送るよ。その間にいろいろ聞かせてくれ。」
「う、うん…。」
いつもと変わらない声の調子で言われて、こんな気持ちなのはわたしだけ…?と少し落ち込む。
そんな思いでレイドを見上げて、驚いた。耳が赤くて少しだけ目が潤んでいる。その反応は嬉しかったけど、何故か、これ以上見てはいけないような危うさを感じて目を逸らした。
それから、二人並んで寄宿舎までの道を歩いた。
白銀の町のことで陛下から謝罪があったこと、これからの王族のあり方について話したことを伝えた。レイドも当然思うところがあるようで、相槌を打ちながら真剣に話をきいてくれた。
…始まりの王の墓所での出来事は話さなかった。本来なら王となった者だけの秘密だから。
話していたらあっという間に寄宿舎に着いてしまった。多くの人が下宿しているので朝や夕方は出退勤で人が多いけど、今は中途半端な時間だから、ほとんど人がいない。
女子用宿舎は男性立ち入り禁止だから、ここでお別れだ。
「迎えに来てくれてありがとう。話も聞いてもらえて、少し整理がついたわ。」
「ああ。何かあったらすぐに頼ってくれ。些細なことでも。」
「うん。」
レイドの言葉が嬉しい。わたしを優しく見つめてくれる紅い瞳を見ているととても心が落ち着く。ただこうしているだけで幸せだ。
そうしてレイドを見ていると、少しずつ考えてきた私の夢の話を聞いて欲しくなった。
「わたしね、ナクティスにもっと仲間を作ってあげたいの。」
「仲間を?」
「そう。幼竜達はナクティスを恐れずに屈託なく接してくれるでしょう?それはあの子達が大きくなっても変わらない気がするの。そんな幼竜達と過ごすナクティスも嬉しそうに見えるわ。」
「そうだな、幼竜達は怖いもの知らずだと思ったが、ロゼッタのパートナーがそれを望んで受け入れているようにも見えた。」
レイドにも同じように見えていて嬉しい。
「ええ。ナクティスは思いやり深くて愛情深いのよ。」
アイラさんのパートナーだった、盟友のリータスに対してそうであったように、仲間をとても大切にしている。
強いために孤高の存在であるナクティスだけど、本当はそばにいてくれる仲間を望んでいるように思えるのだ。
「ナクティスのことを変わらず『おじいちゃん』と呼ぶような仲間がいれば、彼の心を満たしてくれるわ。それが、わたしのそばにいたいと言ってくれるナクティスへ、わたしがしてあげられることだと思うの。」
やがてナクティスが儚くなった時、ナクティスのことを覚えてくれている存在がたくさんいれば良いなと思うのはわたしのエゴだ。
「…そうか。仲間や大切なパートナーのロゼッタと一緒にいられればきっと幸せだな。」
レイドはそう言ってから視線を落とした。少しの沈黙の後、話を続ける。
「…ロゼッタは、竜とそれを取り巻くものに翻弄されてきた。それでも竜とともに在りたいと思うか?」
それはわたしも一度考えたことだ。竜と人がともにあることは本当に幸せなことなのだろうかと。王弟一族の悲劇と、竜の力への王族の執着を目の当たりにして悩んだが、それでもやっぱりわたしは…。
「竜とともに在りたいと思うわ。」
レイドの目を見てはっきり答えた。
アルとその兄弟を助けたことも、ナクティスと出会ったことも、わたしの祖先が竜を愛したことも…。わたしの人生と竜は切っても切り離せない関係だ。それに振り回されたことは事実だけど、それでもわたしは竜が好きだ。これは、レイドへの愛情とはまた別の愛情。
「竜とともに生きる幸せな道を探したい。それは絶対に不可能なことじゃないから。…わたしはただ、彼らと…竜とともに眠りたいの。」
その存在を感じながら、心に寄り添いたい。不安も孤独も全部無くして、ただ穏やかに一緒に過ごしたい。一緒に食事をするのも話すのも、それは愛だと思う。しかし、一緒に眠ることこそ大きな愛だとわたしは思う。
「…俺もだ。」
レイドはそう呟くように言って、穏やかに微笑んだ。レイドも竜を愛する一人としてこの気持ちを分かってくれると思っていた。
竜を愛する者として、竜に愛された者として、彼らとともに生きる道を探したい。そう思っているのはわたし達だけではないはず。だから、絶対に大丈夫。
これからの未来に期待を寄せて私達は見つめ合った。




