第59話 恋心と親心
わたしの胸中は穏やかじゃなかった。
今日の午後、アルベロさんに言われた通り執事長に相談しながら、ルーカス殿下へお断りの手紙を書いた。こういう畏まった手紙はあまり書く機会がないのでとても悩んだし、緊張で手が震えた。なんとか書き終えると夕方になっていて、手紙は執事長が預かってくれた。明日の朝に王城へ出すことになっている。
手紙を書いている間、あの時のルーカス殿下のことを思い出さずにはいられなかった。パートナーの竜のこと、兄のイリオス殿下こと、これからの生き方のこと…。人生の大きな局面にいるルーカス殿下の苦しむ顔を思い出すたび胸が痛んだ。
そして、プロポーズされた時の殿下の真剣な目も思い出してしまった。竜によく似た金色の瞳が、わたしを真っ直ぐ射抜くように見つめていたことを思い出す。できれば考えないようにしていたことも考えざるを得なくて、手紙を書き終えるととても疲れてしまった。
しかし、わたしの心を乱したのはそれではない。
自室で一人休んでいると、突然目が熱くなった。いや、本当は熱くない。体温の高い掌に両目を覆われたようなじんわりとした温かさだ。冷静になればそう分かるのだけど、びっくりして温かさを過剰に見積り、熱いと感じてしまう。
そして、わたしはすぐに、それはナクティスとの視界の共有だと分かった。
わたしがここで過ごし、ナクティスの所へ行けなくなってから、ナクティスはたまにわたしと視界を共有するようになった。
白銀の町で初めてこれが起きた時はとても緊迫した状況だっただけに、最初はとても緊張したけれど、ナクティスは何でもないような日常をわたしに見せた。
柔らかな陽が差し込む幼竜舎で、ナクティスに戯れついたり側で寝ていたりする幼竜達の可愛らしい様子。
管理人のガランさんが掃除をしたり、水やご飯を運んだり、みんなのお世話をする様子。
暗い夜でも、窓から溢れた蜂蜜のような月明かりが幼竜舎内を照らして、静かで幻想的な景色を作り出している様子。
こんなに遠く離れても視界の共有ができることにとても驚いたけれど、離れていても近くにいるように感じさせてくれて、わたしが心の安寧を保てたのはナクティスのおかげだ。
今日もまた気まぐれに視界の共有が始まったので、何を映してくれるのだろうと集中すると、そこにはレイドとラルフの姿があった。
わたしの代わりにナクティスの様子を見に来てくれているみたいだ。ナクティスのことに心を砕いてくれて嬉しい。
二人はこちらに背を向けるように座っていて、ナクティスが目を開けていることに気が付いていないようだ。
ずっと二人に会えなくて寂しかったから、こうして姿を見れて安心する。二人が話している内容は分からないけど、元気そうで安心した。
思えば、訓練生時代から、こんなに二人と会っていないのは初めてだ。いつも明るいラルフに、冷静なレイド。二人がすぐ隣にいることが当たり前になっていたんだなと改めて思う。
…早く、会いたいな。
そういえば、わたしが休んでいる理由は家の都合と説明されていると聞いたけれど、ルーカス殿下とのことは知られていないよね?二人に…特に、レイドに知られてしまうのはなんだか恥ずかしい。勘違いを産んだり、変に気を遣わせてしまったら気まずい。
そんなことを考えていると、頭の中にナクティスの声が響いた。
『碧の国の姫と、結婚か…。』
「えっ…。」
思わず声を出してしまった。ナクティスの視線はレイドに向けられている。
心臓が早鐘を打つ。
まさか、碧の国のお姫様と、レイドが結婚…?
ナクティスに説明を求めようとした瞬間、蝋燭の火を消すように視界の共有が途絶えた。
「え…、えっ…!?」
動揺して、わたしからナクティスへ呼びかけようとするけど応答はない。まさか、寝てしまった?こんなに不安になることだけをわたしに残して?
突然心が宙ぶらりんになって、もどかしい気持ちになる。
それに、胸に嫌なドキドキを覚える。
レイドは碧の国を訪問していた。わたしは出国の見送りの時以来レイドに会っていないから、碧の国でどんなことがあったのか何も知らない。もしかして、訪問中にお姫様と何かがあったの?だって、いきなり結婚だなんて話が出るはずがない。
混乱する頭に浮かんだのは、レイドが知らない女性と並んで歩いている姿だ。仲睦まじそうな二人を想像して、胸がぎゅうっと苦しくなる。
苦しさと同時に、レイドと一緒に過ごした今までの日々が頭を駆け巡る。
最初の印象こそ良くなかったけれど、初めてちゃんと自己紹介した時の気まずそうな顔。
普段は澄ましているのにラルフといたずらっぽく笑い合う時の年相応の男の子の顔。
竜を見つめ、竜が好きだと言う慈しみに溢れた顔。
白銀の町でお互いの無事を喜んだ時の顔…。
今までにいろいろな場面で見たレイドの顔と、その時に抱いた感情を思い出す。レイドの近くでその表情を見て言葉を交わすことは当たり前のことで、漠然と、これから先も続くんだと思っていた。
でも、レイドにとって唯一の人が現れたら。
レイドにとっての一番近くはその人になって、わたしが見たことがないような表情を見せるのだろうか。
あの紅玉のように綺麗な瞳を、他の誰かへ向けるのだろうか。
…嫌だ。
ドキドキというか、ズキズキする。軋むような痛みと重苦しい不快感が胸に広がって、思わず胸に手を当てる。
深く考えなくても分かる。これは、嫉妬だ。
見たこともない碧の国のお姫様に、わたしはどうしようもないほど嫉妬してしまっている。レイドが遠くに行ってしまうかもしれないのが怖い。
長く一緒に過ごしているから離れるのが寂しくて相手に嫉妬している訳ではない。ラルフとも同じだけの時間を過ごしているけど、同じことがあったとして、離れるのが寂しい気持ちはあっても嫉妬はしない。ラルフと相手が望んだことなら心から祝福できると思う。
でも、レイドには。もしレイドと相手が望んだことだとしても、わたしはきっと祝ってあげることができない。考えただけで暗くて重い感情に呑まれそうになる。
こんな状況になってやっと自分の気持ちが分かった。
わたしは、レイドのことが好きなんだ。
いつから好きになったかなんて分からない。気が付いたら好きだった。レイドの隣にいるのは誰かじゃなくてわたしがいいし、わたしの隣にもレイドがいて欲しい。あの紅い瞳を一番近くで見るのはわたしでありたい。
自分の心を自覚した途端、レイドへの想いと自己中心的な我儘がとめどなく溢れ出す。
わたしはこんなに欲張りだったんだと驚く。
こうしている間にも、レイドの結婚の話が進んでしまうかもしれない。
どうしよう、どうしよう…。
自覚した恋心に甘く酔う暇も無く、不安と焦る気持ちばかりが募る。
意味もなく部屋の中をウロウロと歩き回る。そんなことをしてもどうにもならないのに。
すると、ノックが響いた。
ハッと時計を見ると、いつもの夕食の時間を少し過ぎていた。時間になっても来ないわたしを呼びに来たのだ。
一度深呼吸をしてから返事をすると扉が開き、侍女が入って来た。
「失礼致します。お夕食の準備が整いましたので…。…えっ!お嬢様?どうなされたのですか?」
侍女がわたしを見て驚き、すぐに心配そうな顔をしてそばに駆けてきた。なぜそんな反応をされるのか分からなかったけれど、ふと鏡に映った自分を見ると、眉を下げて今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「大丈夫、なんでもないです。」
「ですが…。」
侍女は理由を尋ねようとするけれど、嫉妬して泣きそうになっていましたなんて、子どもみたいで恥ずかしい。
誤魔化すように口角を上げて微笑みかけると、何か言いたそうにしたものの、それ以上は追及されなかった。
夕食はいつもアルベロさんと食べている。ゆっくりいろいろなことを話すことができるのでわたしの好きな時間だ。
でも、今日ばかりはどうしても言葉少なくなってしまう。さっきの出来事をつい考えてしまって、心が宙に浮かんでいるような状態だ。
アルベロさんはわたしの様子が変なことに気がついているけれど、無理に聞き出すような素振りは見せない。穏やかに、時々会話を交えて食事を進めている。
しかしこれは、わたしだけでいくら考えたところでどうにもならない問題だ。わたしは少し遠回りをしてアルベロさんにたずねた。
「わたしはいつから仕事に戻っても良いのでしょうか。」
「断りの手紙を出してその返事が来るまではここにいた方が良いだろうな。余計な介入をされることがないはずだ。
…早く仕事に戻りたいかい?自分の竜のことも心配だろう。」
もちろん、仕事に穴を開けてしまっているので早く戻りたい気持ちはある。ナクティスとはたまに竜の目を通して交流しているが、本当は直接会いに行きたい。
「はい。仕事のこともパートナーのことも心配です。でも、あの…。」
ちゃんと言わなきゃ。意を決してたずねた。
「あの、アルベロさんは、わたしの同期のレイドと、碧の国のお姫様との結婚の話をご存知でしたか?」
アルベロさんならもしかして知っているかもしれない。もしそうなら、詳しく教えて欲しい。そう思いたずねると、アルベロさんは驚いたように目を見開いた。
「…いいや、初耳だ。それは一体どこから聞いたんだい?」
ずっとこの家にいたわたしが知っているなんて不自然だろう。アルベロさんには、たまにナクティスと竜の目を通してコミュニケーションを図っていることは伝えていない。
「あの、実は…。」
竜の目を通して知り得た情報であることを話した。
「そんなことまでできるのか…。本当に驚かされてばかりだよ。それでロゼッタは落ち込んでいたんだね。」
アルベロさんは続ける。
「そうか、レイドか…。優秀な竜騎士だと聞いている。彼はロゼッタにとって大切な人なんだね。」
"大切な人"
改めて言葉に出されると恥ずかしくて頬が熱を持つ。でも、その通り、レイドはわたしにとってかけがえのない人だ。
自分の恋愛事情を家族に知られるのは恥ずかしいけれど、これは伝えなきゃいけない大事なことだ。アルベロさんの言葉に頷いて肯定し、表情をうかがうと、柔らかい微笑みを浮かべている。
「レイドの結婚の話がこうしている間にも進んでしまうかもしれなくて…。わたし自身も大変な話の最中にいるというのは分かっているのですが、でも、どうしても、レイドに会いたいんです。」
「分かったよ。ロゼッタがレイドに会って話ができるように手筈を整える。だから、安心しておくれ。」
アルベロさんの言葉を聞いて胸を撫でおろす。
とりあえず、レイドには会えそうだわ。
「ありがとうございます。」
お礼を言うと、アルベロさんはわたしを見つめたまま言った。
「私は、ロゼッタが望んだ人と、望んだ幸せを手にすることを願っているよ。」
真っ直ぐに伝えられた言葉にとても嬉しくなる。アルベロさんはいつもわたしの幸せを願ってくれている。そしてそれは、ヴィオラさんやこの家の使用人の人々もだ。
あたたかい言葉をかけられて泣きそうになるわたしを見て、アルベロさんは「まあ、しかし…」と続けた。
「相手がルーカス殿下となると強敵だ。ロゼッタを強引に連れ去るぐらいの気概を見せないといけないな。」
そう言って、冗談めかして笑った。
………………………………………
〜アルベロ視点〜
夕食を終えてロゼッタは自室に帰っていったが、私は食後酒を嗜んでいた。
執事長がグラスにワインを注ぐ。トクトクと心地よい音ともに鮮やかな赤色がグラスに流れていく。口に含めば、果実の爽やかな香りと熟成されたコクのある甘みが広がる。度数は高いが、食後の腹と心を落ち着けるのにぴったりだ。
深く息を吐いて膝の上で手を組む。
「今回のことはどうにも引っかかると思わないか?」
執事長のカーティスへ話しかける。
彼は私が若い頃…それこそまだ王城に住んでいた時から仕えてくれている。
私はもともと呪いがこびりついた王座になんて興味はなかった。自分の容姿が王家の理想とされるものとは違ったから、目にも髪にも金色を纏った弟の誕生とともに諦めたというのもある。しかしそれは私にとってすんなり諦められるほどのものだったのだ。
今の領地へ行くことになった時もカーティスは私に着いてきてくれた。些細なことから重要なことまで、私の良き相談役となってくれている。
「…と、申されますと?」
低く穏やかな声で話の詳細を促される。話しやすい雰囲気で聞き上手の彼には、いつも考えの整理を手伝ってもらっている。
「ロゼッタはルーカス殿下から求婚された。そして、レイドは碧の国の姫君から求婚されている。タイミングが狙ったようだと思ってね。レイドと姫君の婚姻を結ばせることでロゼッタから遠ざけるような…。」
「お二人を遠ざけようとするほど、仲が良いのは周知の事実だったのでしょうか。」
顎に手を当てて少し考える。
「もしかしてロゼッタは、ずいぶん前からレイドのことを気にしていたんじゃないか。それを周囲の人間も何となく察していたかもしれない。ロゼッタとレイドの距離が近付くことを危惧して、離れるような状況を作った。そして、ロゼッタとルーカス殿下との婚姻が結ばれる可能性を上げようとした…。」
レイドはシルバー家の次男で優秀な竜騎士だと聞いている。ロゼッタの同期にはもう一人、ラルフという白銀の町出身の青年がいて、三人はとても仲が良いと聞く。
「他国の王族まで巻き込んでというのは、ずいぶん大がかりな話ですね。」
「ああ。…もしそんなことができるとすれば…。」
意図して他国の王族を巻き込むようなことができるのは、誰か。
自分の中では答えはすでに出ている。
それは、私の弟だ。弟がロゼッタを王家の中枢に取り込みたがっているのは言われなくても分かる。そのためにルーカスとの婚姻を画策した。それが少しでもスムーズにいくように、他国まで巻き込んで障害となりそうな者を取り除こうと考えたのではないだろうか。
胸がもやりとして、グラスを煽る。
もし本当にそうだとしたら狡いやり方だ。自分の思い通りに事を進めるように地位にものを言わせて手を回している。国の平和を保つためにそれが必要なこともあるだろうが、私には今回のことが私欲だと思えてならない。
計算外だったのは、ルーカスがプロポーズの前置きとして、断ってもいいとロゼッタへ明言したことだろうか。弟のやり方にルーカスも疑問を抱き、思い通りにはならないという意思を持って行動している気がする。
ルーカスはとても賢く、自分の役割をしっかりと分かっている子だ。兄のイリオスが次の王位を継ぐと囁かれていたが、ルーカスは自分が継がないのであれば、他国や、国内の有力な貴族との結びつきを強くする役割を果たすと理解していた。そこに悲観も怒りも抱かず、欲のない、自分のことを客観視しすぎるくらいの子だ。
「実の息子のルーカスにも負担を強いて…。」
自分が思っていたよりも低い声が響いた。
イリオスと自分のパートナーの竜のことで心に傷を負い、その上で次の王位が決まるというプレッシャーや、ロゼッタを手に入れようとする王の私欲に振り回されて、どれだけ心に負担がかかっているだろうか。その心情を考えると気の毒でならない。
「…何にせよ、ロゼッタ様を悲しませることは私共も許せません。」
「ああ。ロゼッタの未来はロゼッタ自身が決める。私にできることなら何だってしよう。」
ロゼッタはシンシアによく似ている。容姿が似ているのはもちろんだが、清らかでひたむきな内面も似ている。
一度失っているからこそ、ロゼッタが健やかでいてくれることのありがたさが身に染みていて、その幸せを強く願う。
私とヴィオラからロゼッタを奪わせはしない。そして何より、ロゼッタの自由を奪わせはしない。あの子は、竜のように気高く自由に、どこまでも飛べるのだから。




