第60話 通じる想い
食事を終えて寝支度も整えた。
湯船に浸かった身体はまだ少し火照る。窓を少し開けると、ひんやりとした夜の風が頬を撫でていく。深呼吸すれば清浄な空気が肺を満たして心地良い。
鏡台の椅子に腰掛けて、鏡を見ながらブラシで髪をすく。ここで侍女にすすめられたヘアオイルはいつも使っているものより質が良いようで、髪の毛の状態が良い気がする。
いろいろなことが起こって知らず知らずのうちにストレスが溜まっていくけれど、こうして自分をケアする時間がわたしは好きだし、ストレス発散にもなっている。どうしたって日々の積み重ねで心に傷が付いていくのだから、小さなことでも癒しを見つけて自分の機嫌をとることが大切だと思っている。
鏡に映る自分に向けて笑いかかれば、少しだけ大丈夫だって思える。
ふと、鏡越しに、さっき開けた窓のへりに鳥がとまっているのが見えた。羽の内側を嘴で毛繕いしていて、小動物特有の忙しなさが可愛らしい。
ブラシを置いて、鏡越しに鳥を観察していると、もう一羽が飛んできて隣にとまった。クリクリとした可愛い目でわたしを見て、ピチチと鳴いた。
『誰かいるよ。』
「え?」
何のことだろうと思って、椅子から立ち上がり窓へ向かう。わたしに話しかけてきた鳥も、さっきまで毛繕いしていた鳥も、そろって同じ方向を見ている。その視線の先にはバルコニーがある。
鳥達の様子から、そこに何かいるのかもしれないと思って少し怖くなる。鍵を閉めていから破られない限り入ってくることはないだろうけど…。
迷ったけど、このまま分からないものに怯えるよりは確かめた方がいいと覚悟を決めた。バルコニーに続く窓のカーテンを握りしめる。大丈夫、ほら、リスとか動物がいるだけかもしれないし。そう自分を勇気付けて、一気にカーテンを開けた。
「…!」
シャッと勢いよくカーテンを開けて、目に入ったものに驚いた。それが誰か理解した時には、考える前にわたしは扉の鍵を開けていた。
開けた扉と共に夜風がふわりと部屋に入り込む。
「レイド!どうしてここに…!」
驚いて声を上げる。しかしレイドは声をひそめるようにと、口元に人差し指をあてるジェスチャーをした。慌てて口をつぐむ。
そんなわたしを見て、レイドは申し訳なさそうに眉を下げた。
「会いに来るのがこんな形になってすまない。とても無礼なことだとは分かっているんだが、他に思い付かなかった。」
レイドに言われて気が付いたけれど、夜に女性の住む部屋のバルコニーに忍び込むなんてあまり褒められたことじゃないわ。紳士的な彼らしくない行動だ。
「どうしたの?どうしてここに?」
声をひそめてたずねると、レイドはわたしをじっと見つめた。それは時間としては短かったのだろうけど、会いたくてたまらなかったわたしにとってはとても長く感じた。
「攫いにきた。」
レイドは言った。
「…え?」
わたしは聞き返した。
何を言われたのか分からなかったから。
頭の中でレイドの言葉を反芻して、やっとそのままの意味で理解した時、今までにないくらい心臓が大きく早く動き出した。急に血液が巡って顔が熱くなるのを感じる。
本来なら物騒な意味合いの言葉だけれど、心を寄せる人に言われると背徳的な響きとなってわたしの心を揺さぶる。
赤い顔で動揺するわたしを見て、レイドは少し笑った。
「参ったな…。そんなに可愛い反応をしてくれるなんて。」
その言葉にも動揺する。
目の前にいるのは本当にレイド?面と向かって可愛いなんて言われたことなかったじゃない。
嬉しいけど恥ずかしい気持ちと、少しの疑いの気持ちでレイドを見るけれど、彼はただ微笑んでいる。その耳が少し赤く見えるのはわたしの見間違いだろうか。
少しの沈黙の後、レイドは真面目な顔になった。
「ロゼッタに会いたくて公爵宛に手紙を出したんだ。会う許可を頂かなければと。」
レイドの言葉に驚く。
「え?でも、アルベロさんそんなこと一言も言ってなかったわ。」
もし手紙が来ていたらアルベロさんはわたしに伝えてくれるはずだわ。さっきの夕食でもわたしの幸せを願ってくれると聞いたばかりだし、レイドからの手紙を隠すなんて考えられない。
「…やはりそうか。何らかの理由で手紙が届かなかったらしい。これではもうどこで妨害されているのか分からないから、直接会いに来たんだ。」
妨害…?レイドとわたしを会わせないようにしたいと思う人がいるの?
その理由を考えた時、ある可能性に気がついて胸が苦しくなる。服の胸元を握りしめながらレイドヘ言った。
「妨害される理由って、もしかして、レイドが碧の国のお姫様と結婚するから?」
自分で聞いておいて悲しくなる。
するとレイドは驚いた顔をした。
「どうしてロゼッタが知っているんだ。」
この期に及んで否定されることを願ったけれど、レイドの反応は結婚の話を肯定するものだった。やっぱり、ナクティスが言ったことは本当だったんだ。
「やっぱり、そうなんだね。じゃあ今日はお別れを言いに…?」
レイドの顔を見れなくて俯きながらたずねる。これ以上聞きたくないけど、おめでとうって言わなくちゃいけないよね…。
胸の前で組んだ手にギュッと力を入れて胸の痛みに耐えていると、レイドが焦る気配があった。
「それは違う。結婚の打診があったのは本当だが、俺はあの人と一緒になる気は無い。」
レイドはそう言って、お姫様への気持ちをきっぱりと否定した。そして続ける。
「俺はむしろ、ロゼッタの方の事情で妨害されているのだと思ったんだが…。」
「わたしの事情…?」
レイドを見上げて聞き返す。何のことを言っているのかよく分からなくて首を傾げると、レイドはわたしから視線を逸らして言った。
「ルーカス殿下との婚姻の話が出ているんだろう?ルーカス殿下が兄様に伝えて、一部の人は知っている。」
「…!そう、レイドも知っていたのね。」
ルーカス殿下自らヴァイツさんに伝えるなんて思わなかった。ヴァイツさんに伝わったら団長やレイドの耳にも入るだろうし、もしかしたらラルフも知っているかも。少し気まずくて、わたしは言葉を重ねる。
「でもね、結婚する気は全く無いのよ。ちょうど今日お断りの手紙を書いて、明日に出すつもりなの。…そもそも、ルーカス殿下がわたしに断って良いと言ったのよ。」
そう言うと、レイドは驚いたようにわたしを見た。
「ルーカス殿下とわたしを結婚させたいのは、陛下の思し召しなの。…わたしが竜の力を持っているから、わたしの血を王家の中枢に取り込みたいらしいの。」
殿下から聞いたことを伝える。自分でも酷い話だと思うが、話を聞いたレイドはあからさまに眉間に皺を寄せる。
「…やはり、そんな話を進めようとしていたのか。」
低い声も強い眼差しも少し怖いけど、レイドはわたしのために怒ってくれている。
「殿下はそれがおかしいことだって思って、形だけはプロポーズされたけど、わたしを逃がしてくれようとしているわ。」
「…そうか。」
レイドはそう呟いて視線を下げた。考え込んでいる様子だ。少しの沈黙の後、再び口を開いた。
「俺の話も、陛下が仕組んだことだとは考えられないか?」
「…レイドとお姫様の話も?それは、碧の国を巻き込んでということ?」
まさか…と思いつつ、ありえない話ではないとも思う。話が思わぬ方向に大きくなってしまい嫌な汗をかく。
「その姫はジュナ様と言うんだが、思えばずっと様子がおかしかった。周りから何か吹き込まれて行動しているように見えたんだ。それに、そもそも今まで竜を国内で大切に囲っていた陛下が、突然国外に見せびらかすようなことを要求してきた。…どう考えても変だ。」
違和感を覚える出来事が次々に起きている。それぞれは少しの違和感でも、集まると大きな疑念になる。
「わたしのことはルーカス殿下と結婚させるように、レイドのことはジュナ様と結婚させるように仕組んでいたということ?レイドからの手紙が届かないようにしたのは、わたしとレイドが接触しないように?」
今出た話をまとめて、合っているか聞くと、レイドは顎に手を当てながらゆっくり頷いた。
これではまるで、わたしとレイドの関係を徹底的に断とうとしているようだ。
「でもどうして、わたし達を離そうとするの?」
疑問を口に出すと、レイドが答えた。
「どうしてもロゼッタを王家の中枢に入れたいからだろう。それを一番邪魔する可能性のある俺を遠ざけたかったんじゃないか。」
わたしが王家の中枢に入ること…ルーカス殿下と結ばれるのを阻止することは、レイドの中で決定事項かのような言い草だ。
それは、何故?
王家の勝手な事情にわたしが巻き込まれることを良く思わなくて、わたしの自由と権利を尊重してくれているから?
それとも、それ以外に、ルーカス殿下とわたしが一緒になるのを許せない理由があるから?
「それって…。」
理由をたずねかけて口を閉じる。
後者の理由だったらいいなと思ってしまった。
愛とか恋とか、そういう類の感情が絡んでいたらわたしにとって都合が良いから。
…なんて、自分勝手な話よね。
レイドへの恋を自覚したばかりの心は自分に都合が良いことばかり望んでしまう。
視線を下げて考える。
レイドの一番近くが他の誰かのものになってしまう状況になってやっと、自分の気持ちが分かった。これを口に出すのは少し怖いけど、わたし達を離れさせようとする力が働いているのなら、次はいつ会えるか分からない。伝えるなら、今しかない。
再び視線を上げると、紅い瞳がわたしを見つめていた。ああ、好きだなって思って、心臓がキュッとした。
「…ねえレイド。わたし、レイドに伝えたいことがあるの。」
意を決してそう言うと、すぐにレイドが言った。
「待ってくれ。俺から先に言ってもいいか?」
心臓が小さく跳ねる。
いつもわたしの話を最後まで聞いてくれるレイドが、このタイミングで止めるなんて。レイドの言葉を期待してしまうのは、やはり自分に都合の良いことを考えようとしているからだろうか。
「…うん。」
覚悟を決めるような気持ちで頷くと、わたしの手をレイドの大きな手が掬った。その温かい指先に触れて、自分の手が緊張で冷たくなっていたことに気がついた。
そのまま、レイドが跪く。
一度見たことのある光景だ。
でもあの時と違うのは、大好きな紅い瞳がわたしを見つめているということ。夏の虫が灯りに惹かれるように、わたしも真紅の瞳に惹きつけられる。
「ロゼッタ、好きだ。」
まっすぐな言葉が、甘く優しく心に響く。
触れる指先に思わず力が入る。
「ロゼッタにとって一番近くにいるのは俺でありたい。この先もずっと一緒に歩いていこう。」
心臓が大きく鼓動する。でもそれは嫌な響きじゃない。体温が上がって、頬が高潮するのに合わせて目が潤む。名前を呼んでもらえることが、好きだと言ってもらえることが、涙が出そうなほど嬉しい。それは他でもない、レイドから贈られたものだから。
「レイド。」
微笑みながら名前を呼ぶ。
レイドの熱い体温を感じる指に力が込められた。
「好きよ。ずっと、ずっと、レイドの隣にいさせて。」
レイドの引き結ばれていた唇がわずかに震えて、ゆっくりと微笑みを浮かべた。今まで見たなかで一番優しい瞳をしていて、レイドがわたしと同じ気持ちならば、それは愛しさに溢れた眼差しだ。
レイドはゆっくりと立ち上がり、いつもの視線の高さになる。その顔に浮かぶ面映そうな表情は、想いが通じ合った嬉しさと恥ずかしさのせいだろうか。そんなことを思うわたしも、同じ表情を浮かべている自覚がある。
今はどんな言葉も表情も特別で、1秒でも長くレイドを見つめていたい。
そう思っていた時、ガチャリと扉が開く音がした。
「!」
驚いて振り返ると、部屋にアルベロさんが入ってきていた。
咄嗟にレイドを隠そうと身体が動いたけれど、レイドはわたしの両肩にそっと手を置いてわたしの動きを止めた。顔を見上げると、首を横に振った。
「このような無礼、誠に申し訳ございません。誓ってお嬢様には何も…。」
「いや、謝らなくていいよ。君がそんな人間ではないことは分かっている。」
固い声で弁明しようとするレイドをアルベロさんは遮った。その顔は意外にも優しい笑みを浮かべている。そして、わたしとレイドを交互に見た。
「悪いが途中から話を聞かせてもらっていた。私は、互いを思いやる若者を邪魔するようなことはしないよ。」
アルベロさんの言葉に胸を撫で下ろしたけど、やり取りを聞かれていたことは恥ずかしい。
「夕食での話を覚えているかい?ロゼッタを強引に連れ去るくらいの気概を見せなければと話したが、本当のことになるとはね。」
思い返せば、アルベロさんは冗談混じりにそんなことを言っていたわ。レイドが言った「攫いにきた」という言葉を思い出す。本当に似たようなことが起きるなんて。
「中に入ってくれ。少し話そう。」
侍女がわたしの肩にカーディガンをかけてくれる。
私はレイドの手を引いて部屋に招き入れた。




