第53話 祝福か、呪いか
レイド達が碧の国へ出発した翌日、わたしはアルベロさんの別荘を訪れていた。ここはアルベロさん達が王都に滞在する時に利用する家でわたしも一度来たことがある。今日明日はお休みなので今夜はここに泊まることになっている。
浮き立つ心を抑えながら門をくぐる。よく手入れされた花壇にはこの暑さにも負けずに花が咲いていて風に乗ってふわりと香った。
エントランスの前で使用人達が出迎えてくれた。荷物を持ってくれたり、恭しく部屋へ案内してくれたり、こういうお嬢様扱いはまだ慣れない。でもこちらが変に気を遣ってしまっても困らせてしまうだけなので、こういう時はできるだけ堂々とすることを心がけている。
「旦那様はお仕事が少し立て込んでいるようです。もうすぐ帰って来られると思いますのでお寛ぎください。」
目の前のテーブルに花の模様が入ったティーカップとソーサーが置かれ、お茶請けの焼き菓子が並べられた。
「こちらはヴィオラ様からぜひお嬢様にと送られたものです。」
「ヴィオラさんが…。」
紅茶から立ち上る湯気がいい香りだ。口に含むと、フルーティーな甘さがふんわり広がる。香りに癒されて思わず笑みを浮かべてしまう。
焼き菓子はフルーツのジャムを使ったものやナッツがたっぷり入ったもの等種類が豊富だ。見ているだけでもワクワクする。ジャムを使ったクッキーをかじると、甘い生地がほろほろと崩れてほんのり酸味のあるジャムと相性が良い。
ヴィオラさんがわたしのことを想って選んでくれたという事実が嬉しい。どうしてこんなに、わたしの好きそうなお茶やお菓子が分かるのかしら。
わたしはしばらくの間、穏やかなティータイムを過ごした。使用人の人達も穏やかにそばにいてくれて落ち着く時間だ。
しかし、少し部屋の外が騒がしくなった。アルベロさんが帰られたのだろうか。少しするとノックが響き、扉前にいた侍女が外へ出た。何かやりとりをしているようだ。
「…が、こちらに…。」
「それは…!……ご案内を…。」
耳が良い自信はあるけど断片的にしか聞こえない。でも、驚いているような、困惑しているような雰囲気が伝わってくる。
また少し時間をおいて、次のノックで入室したのはアルベロさんの侍従長だった。アルベロさんと同じか少し上くらいの年齢でとても上品な雰囲気がある。
「アルベロ様がお戻りになられました。お手数ですがお部屋を移動しますので、私と参りましょう。」
やわらかく微笑みかけられて、その後に続く。慌てず騒がず穏やかなその様子を見ていると、さっきまで使用人の皆さんを慌てさせていた何かがあったことを忘れてしまいそうになる。
屋敷の中を少し歩き、案内された部屋の扉を抜けると、そこにはアルベロさんがいた。
前に見た時と変わらない、優しく微笑む顔を見てとても嬉しくなる。お会いしたかった。
お話ししようとして、アルベロさんの奥に控えていた人物に気が付き目を見開いた。
「やあロゼッタ。突然すまないね。」
「…国王、陛下。」
そこにいたのは国王陛下だった。
予期せずお会いしたことにとても驚いて固まってしまったが、すぐにハッとしてご挨拶の礼をとる。
「そう畏まらなくて構わない。今日は兄とその孫娘に会いに来ただけだ。」
陛下は椅子に座り悠然と構えて言った。畏まらなくてよいと言われても、滅多にお会いしない最高権力者を前にしてそれは無理な話だ。アルベロさんに促されてわたしも着席したけれど落ち着かない。
それからは他愛もない話をした。
今出されているお茶の香りの良いとか、ヴィオラさんはお変わりないかとか、王都は相変わらず暑い日々が続いているだとか。お二人の会話に相槌を打っていると、おもむろに陛下がわたしのことを話題に出した。
「ロゼッタは竜騎士としてとても頑張っているようだね。同じ竜騎士達からの評価も高いと聞いている。」
「勿体無いお言葉です。」
わたしはまだまだ未熟なのに、頑張りを褒められて嬉しい。だけどどこか落ち着かず、机の下で何度も手を組み直してしまう。陛下は続けて話す。
「ルーカスとも仲良くしてくれているようだね。」
「仲良くだなんて。でも、ルーカス殿下はお優しいのでわたしにも気を配ってくださいます。」
ルーカス殿下は優しい笑顔と言葉でその場の雰囲気を和らげてしまう春の太陽のようなひとだ。わたしに限らずみんなのことを気にかけているように思う。
久しぶりに幼竜舎の前でお会いした時は少し違和感があったけど、その次に職場で会った時はいつもの殿下だった。あの時はいつも通りの笑顔を見てホッとした。
「そうか…。実はねロゼッタ、近々、ルーカスを正式に王位継承者として発表する予定なんだ。」
「…えっ。」
今までの他愛のない話と同じくらいあっさりと話された。突然重要な話をされて驚く。おめでたい話だけど、ルーカス殿下にはお兄様がいらっしゃる。その方は…と思ったが、わたしが口を出せることではないとすぐに思い直す。
「それはおめでとうございます。」
「陛下、まだ口外しないはずでは。」
アルベロさんが諌めるように言うが、陛下はわたし達を見て「ここに限っては良いさ。」と、なんでもないことのように笑う。そしてまた口を開いた。
「それともう一つ、ルーカスの兄…」
「陛下。」
陛下の話の途中で、アルベロさんはガタンと音を立てて立ち上がった。まるで陛下からわたしを隠すように。人の話を遮ったり、音を立てるほど急に立ち上がったり、こんなアルベロさんは見たことがない。机に置かれた手はギュッと握りしめられている。
「ロゼッタに聞かせる内容ではありません。」
「…私はそうは思わない。彼女にも関係ない話ではない。それに竜を大切に思う彼女には聞いておいて欲しい。」
え…?竜に関係することなの?
「竜を大切に想っているからこそ、聞かせるべきではない。」
何かを伝えるべくアルベロさんを説得しようとする陛下と、その何かを私に伝えたくないアルベロさん。その気迫は、もはや睨み合いと言っても過言ではない。
「ロゼッタは誰よりも王家の血を継いでいる。文字通り血生臭い話でも聞かねばならない。それに、優秀な竜騎士として彼女に相談したいことがある。」
陛下は淡々と話される。アルベロさんは一瞬だけぐっと体に力を入れたが、やがてゆっくりと椅子に座った。もう止める様子がないのを確認し、陛下は話し出した。
「知っての通りルーカスには兄がいる。第一王子イリオスだ。真面目が取り柄だったのだが…してはならないことをしてしまった。」
陛下はそう言うとティーカップを口元へ運び紅茶を飲んだ。ティーカップの中へ視線が落とされ、その表情は暗い。
「イリオスはルーカスの白竜に刃を向けたのだ。」
驚きのあまり目を見開く。ルーカス殿下のパートナーに刃を向けるなんて、一体何があったというのだろうか。
「一体、どうして…。」
「イリオスは幼い頃から始まりの王の物語を好んでいた。私はせがまれて竜に愛された祖先の話を何度も繰り返し聞かせた。」
どこか遠くを見てその当時を懐かしんでいるように見える。
「だがイリオスは竜の力を発現することはなく、竜の声すら聞こえなかった。鬱屈した思いは爆発して、そして考えてしまったのだ。始まりの王がどうやって力を得たのかを。」
どうやって?
竜に愛されその祝福として竜の目と竜の耳という力をもらったと聞いている。王と王弟を愛した竜は、二人に自らの…。
そこまで考えてハッとする。ある可能性に気がついてしまい、急に鼓動が早くなり、嫌な汗が背中を伝う。まさか、イリオス殿下は…。
「イリオスは、白竜を襲い、その血を奪おうとしたのだよ。」
「…!」
嫌な予想が当たってしまった。もしかしてとは思ったが、実際にそれを聞いてしまうとショックを受ける。サッと血の気が引いて、胃から苦いものが上がってきそうな感覚に思わず口元に手を当てる。
「ロゼッタ。」
アルベロさんがわたしを心配して名前を呼ぶ。
だめよ、まだ話の途中だわ。しっかりしなくては。
目を瞑り深呼吸して自分を落ち着かせる。
後ろに控えていた侍女がわたしの背中をさすって冷たい水を差し出してくれた。水を嚥下すると冷たさがスッと喉から胃に通っていっていくらか楽になる。
大丈夫、大丈夫。
目を開けて再び陛下を見据えた。
「失礼いたしました。お話の続きをお願いします。」
そう言うと、陛下は満足そうに頷いた。
「では続ける。…傷つけられそうになった白竜は怒り、ルーカスがなんとか止めたがイリオスは精神的に弱ってしまった。…私はこの暴挙を許すことができない。よってイリオスを王位継承候補から外した。」
やっぱり聞いていて気持ちの良い話ではない。イリオス殿下が白竜を傷付けようとしたことはわたしも許せないし、その血を欲しただなんて考えただけでも寒気がする。白竜も、ルーカス殿下も、どれほどショックを受けただろうか。
「イリオス殿下はどうなってしまうのですか。」
陛下へ問いかける。
「今は謹慎処分としている。だがこれからは…。」
陛下はアルベロさんを見た。
「イリオス殿下はしばらく私の領地でお預かりする。…精神的にとても参ってしまっているんだ。罰を下せる状態ではない。」
そう言うアルベロさんは苦しそうな顔をしている。おそらくイリオス殿下にお会いしてその状態を見たのだろう。
「私の領地へは昔、イリオス殿下が避暑地として来たことがある。静かで豊かな農地を気に入っていたから、少しは心の拠り所となろう。」
わたしはイリオス殿下をよく知らないけれどアルベロさんにとっては甥にあたる。殿下の本来の人となりを知っているから、こんなにも悲しく辛い思いをされているんだわ。
陛下はイリオス殿下のことを真面目が取り柄とおっしゃった。真面目な故に思い悩んでしまったのだろうか。
ここで、わたしが思い出すのはアイラさんのことだ。始まりの王の物語とその血に翻弄されながら儚くなってしまった彼女と、イリオス殿下が重なる。
そして、どうしようもない悲しみに襲われる。
一体いくつの悲劇を作るのだろうか。過去にも、未来にも。竜に愛された血は、きっと始まりの竜すら本意ではない呪いに近いものになっている。
しばらくの沈黙の後、陛下はわたしに言った。
「ロゼッタに頼みたい。白竜の様子を見てやってくれ。」
この血が紡ぐ悲劇に対してわたしは自分にできることが分からない。
でも、傷つけられたものの力になれるなら…。
わたしは陛下からの頼みを承諾した。
陛下が帰られて、わたしとアルベロさん二人だけになった。新しく入れ直された紅茶がぼうぼうと湯気を立てている。ふわりと香るそれに口をつけることもなく、アルベロさんは言った。
「ロゼッタ、本当にすまないね。」
突然の謝罪に慌てる。アルベロさんにそんな顔をして欲しくない。
「アルベロさんが謝られることなんて、何も…。」
イリオス殿下がしてしまったことも、白竜やルーカス殿下を傷付けてしまったことも、その結果の処分も。もう全て起きてしまったことだ。アルベロさんはわたしにこの話を聞かせたくなかったようだし、巻き込んでしまったと思っているのだろうか。
「私はこの血が起こしかねない争いを十分理解していたつもりだ。今の領地を治めることになった時も、その後のどんな不幸も受け止めた。何も欲さない…、それが平穏を保つために私が徹底していたことだった。」
アルベロさんはそう言ってテーブルの上で組まれた手にギュッと力を込めた。
「だがロゼッタのことを知って、欲しくなってしまったんだ。いなくなったはずの自分の孫が戻って来たことがとても嬉しかった。私の愛する孫だと大きな声で言いたくなった。…その結果、ロゼッタをこの血の因果に巻き込んでしまった。」
「それは違います!アルベロさんのせいではありません。」
わたしの力のことは最初にヴァイツさん達に会った時に話してしまっていたし、それはすぐに陛下にも伝えられたはずだ。誘拐事件の時に力のことがより確実になって、王家の血を引いていることが認められたと聞いている。そして調べるうちに、わたしはアルベロさんの孫だと分かった。だから、アルベロさんが巻き込んだんじゃない。最初から巻き込まれていただけだ。
「それでも、私の孫だと認めて公爵家に引き入れたのは私だ。
…今も陛下からイリオス殿下のことを伝えられたように、知らなくて良いことを知らされて、どんどん王家の深いところへ引き摺り込まれてしまう。陛下とその周りはロゼッタをもっと王家の中枢に取り込みたいんだ。」
「王家の中枢に取り込むって…どういうことですか?」
「…ルーカス殿下とロゼッタの婚姻を結ぼうとしているんだ。ロゼッタの持つ竜の力を中心に組み込むために。」
え…?
全く予想していなかったことに驚く。
「どうしてルーカス殿下とわたしを…?」
「ロゼッタの子や孫に、竜の力が受け継がれる可能性があるからだ。傍流の家ではなく、家督を継ぐ本家にその力が欲しいのだと思うよ。」
「…!」
それを聞いてしまって、とても嫌な気持ちになる。
なぜそこまで竜の力に拘るの?
わたしのことも、ルーカス殿下のことも、自分の計画の駒だと考えているとしか思えない。わたし達には感情も、考える力もあるのに。
悲しくて、悔しくて、膝の上で手を強く握りしめる。
「明日、白竜のところに行った時におそらくルーカス殿下にも会うと思う。そして、婚姻を持ちかけられるだろう。…行くのをやめてもいいんだよ。」
アルベロさんは優しい。わたしを心配して言葉をかけてくれる。わたしがどうしたいかを聞いてくれる。
でもここで逃げても、陛下の中で決定事項であればまた違った手でアプローチされると思う。そして何より、わたしはルーカス殿下と話さなければいけない。
「いいえ、行きます。ルーカス殿下にも会います。きちんと話さなくてはいけないと思うのです。」
俯いていた視線を上げてアルベロさんを見た。
「そうか…分かったよ。」
アルベロさんは心配そうな表情を浮かべながらも頷いた。




