第52話 青天の霹靂
レイド視点
出立の朝となった。
ここへ来る時は到着時間を合わせるために竜騎士達は後から出発したが、帰る時は皆一斉に出発する。
青く晴れた空の下に地上を行く馬と馬車、騎士達が整列し始めている。それを見送りに来た碧の国の宮殿の人々も並ぶ。
俺達竜騎士は少し離れた場所で待機している。離陸する時にはどうしても風や砂埃が舞うので周囲の人々に危険が及ばないようにするためだ。竜と器具の点検を行い、問題ないことを確認した。
見送りに集まった人々は思っていたよりも多い。国王は席を外しているが、王太子をはじめ貴族と見られる身分の高そうな人達と、その護衛が集まっている。半分野次馬で来ている気がしなくもないが、ネロに我慢してもらうのももう最後だと自分に言い聞かせる。
興味深げにこちらを見る人々の中に、見覚えのある顔を見つけた。
ジュナ様だ。
緑地に金の刺繍の入った服を品良く着こなしていて、行儀良く澄ましている姿は王族然りとしている。彼女は俺を見ていたようで目が合うと頬を赤く染めた。
そして、周りに声をかけると護衛を二人連れてこちらへ駆け寄ってきた。
こんなに人目が多い所で変なことはしないだろうと思いつつ、少し警戒していると俺の目の前で立ち止まる。ジュナ様はそわそわと瞬きを繰り返すと、俯き加減で言った。
「あの…。…私の心配をしてくださり、ありがとうございました。お礼を言いたくて。」
たしかに彼女の身を案じたが、わざわざお礼を言われることではない。むしろ、あの夜追い返されたことに文句の一つでもあるのかと思った。
「滅相もございません。過ぎたことを申したかと反省しておりました。」
そう言うと、弾かれるように俺を見た。
「そんなことありませんわ!あんなに真っ直ぐ仰ってくれたのは貴方だけです。だから、私…。」
勢いよく話し始めたが、だんだん尻すぼみになっていく。続く言葉を待っていると、緊張した面持ちで俺を見た。
「お手紙、出しますから。」
それだけ言って元の場所へ戻って行った。
やや要領を得ない会話だったが、心配してくれたことへの感謝と、今後の付き合いの社交辞令だと受け取った。
ジュナ様が離れたことでこっそり息をつくと、今度はフォードさんがそっと近付いてきた。
「レイド、いつの間にお姫様と仲良くなったんだ?」
事情を知らないフォードさんは小声で困惑気味に聞いてくる。あの日酔い潰れていたフォードさんには特に詳細を話していなかった。フォードさんは口が軽いわけではないが、見方によってはジュナ様の醜聞にも捉えられるのであまり言いたくはなかった。ジュナ様とは別に仲良くなったわけでもないし、返答に迷ったが、「宴で隣の席だっただけです。」と答える。フォードさんは腑に落ちないようだったが、「ふーん。」と言うと俺から離れた。
そうこうしていると、自国の騎士の代表と話していたダイスさんが戻ってきた。そろそろ出発すると告げられ、ゴーグルを着けてネロの背中に乗る。
空を見上げるとすっきりとよく晴れていて気持ちが良い。視界は良好、良い飛行ができそうだ。
地上部隊の方で掛け声が上がる。それを見てダイスさんも合図をし、俺達は碧の国を出発した。
高度を上げて進み地上を観察すると、ここに来た時も見た運河が見える。船が行き交うそれを交通や物流の要として見ていたが、碧の国の蛇神にまつわる物語を垣間見た今では違った見え方をする。
蛇神とそれにまつわる人々の流れ着く先には何があるのだろうか。
青空の下、特に問題なく飛行して王都に帰ってきた。
ネロの背中から降りて頬を撫でると気持ちよさそうに目を細める。
『楽しかった。でも少し疲れてしまったなあ。』
水場は心地良かったようだが慣れない土地で過ごしたことや、多くの人の目に晒されたこと、ここまでの飛行の疲れもある。いろいろな疲れが重なっている様子だ。ネロは若くはないし早々に休みたいはずだ。
「ありがとうネロ、たくさん頑張ってくれて。ゆっくり休んでくれ。」
そう言ってすぐに器具を外すと眠そうな目をしながら池へ向かう。これはしばらく寝そうだ。
ゆっくりと池に入り、木漏れ日が差す水の中で目を瞑った。安心して眠るネロはまるでゆりかごに揺られる幼子のようで、見ていると穏やかな気持ちになる。自分よりずっと長く生きている生き物なのに不思議なことだ。
その光景をいつまでも見ていたかったが、まだ報告が残っている。それぞれのパートナーを休ませたダイスさん達と一緒に詰所へ向かった。
詰所に入ると、みんなが「おかえりー!」「お疲れ様でした!」と迎えてくれる。見慣れた顔と声、紙とインクとコーヒーの匂い、先輩達の乱雑なデスク。いつもの場所に戻ってきた実感が湧いてホッとする。
返事もそこそこにそのまま団長室へ向かい、中で待っていた団長へダイスさんが無事に任務が終わったことを報告する。
「そうか、ご苦労だったな。無事に帰って来れて良かった。」
報告を聞いた団長はそう言って、それから俺を見た。
「特にレイドと水竜のことは心配していた。ヴァイツも心配していたぞ。」
優しい目を向けられてくすぐったい。
全く何もなかったわけではないが、無事に帰ってこられた。
そのまま四人で何気ない雑談を交わしていると、突然扉が開いて兄様が入ってきた。その表情には焦りが滲んでいる。
「ヴァイツ?」
ダイスさんが呼びかける。ダイスさんも兄様のいつもとは違う様子に違和感を覚えたようだ。
「どうした?何か急用か?」
団長が聞くと、兄様は頷いた。
「お話し中申し訳ございません。取り急ぎご報告を…。ルーカス殿下の立太子が発表されました。」
その言葉に全員が驚く。
まだ立太子こそされていなかったが、第一王子が王位を継ぐものだと思っていたからだ。ルーカス殿下と歳の離れた第一王子は妃も迎えていて、いつ立太子が発表されても不思議ではなかったのに。
「驚いたな。だから最近こちらへいらっしゃらなかったのか。」
落ち着いたら祝いでも…と話す団長に、兄様は告げた。
「もう一つお伝えしたいことがあります。」
その表情は硬い。兄様は俺をチラリと見た。
「これは…公にされていませんが…。ルーカス殿下からロゼッタに婚約の話があったようです。」
「!!」
ルーカス殿下からロゼッタに、婚約の話…?
一瞬何を言われたのか分からなかったが、理解した途端に心臓が嫌な音を立てる。胸の中心がジリジリと燻る。
前触れのない、降って湧いたような話だ。
今までそんな素振りは少しも…と考えて、少し前に見たいつもと違う様子の殿下を思い出す。暗い目をした殿下がロゼッタに近づいたあの時、俺は漠然とした危機感を抱いたのだ。
「公にされていないと言ったな。その情報はどこから?」
団長が兄様へ問いかける。
「…ルーカス殿下本人からです。本日ロゼッタはもともと非番ですが、ルーカス殿下より、しばらく休ませて欲しいと申請がありました。その際に、ご本人から話がありました。」
「ルーカス殿下本人から、か…。」
団長は腕を組み、目を瞑って考え込む。
第二王子の婚姻にまつわる話なんておめでたいことこの上ない。祝福されて然るべきなのに誰もが黙り込むのは、何か裏があるとしか思えないからだ。
王家に嫁ぐに相応しい家柄の女性は他にもいるし、候補として挙げられていた方もいるはずだ。それをわざわざ血の近いロゼッタを選ぶとはどういうことか。降って湧いたような不自然な婚約なんて、ロゼッタの力を狙ってのことなのかと勘繰ってしまう。
それに、王族が婚約の話を持ちかけると言うのは、相手にはほぼ拒否権はない。つまり、ロゼッタがルーカス殿下の婚約者となるのはほぼ決定事項だということだ。
拳をきつく握り締める。
胸が焼けつくように痛むのは、焦りと嫉妬だ。隣でやわらかく微笑んでいたロゼッタがいつのまにか俺の手の届かない場所へ行ってしまいそうになっている。
その手を引いているのはルーカス殿下だ。
殿下の考えが読めない。王族という身でありながら竜騎士団の最前線で一緒に戦ってきた、勇敢で優しいお方だ。そんな人がこんな無理矢理なことをするなんて考えられない。だとすると、その後ろにいる人物…、陛下やその周りが仕組んだことなのではないか。
「婚約の話ってだけで、まだ決定しては無いんですよね。」
この場には沈黙が落ちていたが、おもむろにフォードさんが言った。
「ああ。だが王族からの話が持ちかけられたとなると…。」
兄様が苦い表情で言い淀む。みなまで言われずともその先に続く言葉は分かっている。王族にかけられた声を無視することはできない。
しかしフォードさんは続ける。
「それはそうですけど、でも、ロゼッタは竜騎士です。それも古竜をパートナーにしてる。無理強いなんかしたらどうなるか分からないじゃないですか。」
この場に似つかわないほど軽い調子の言葉だった。
しかしそれを聞いて、目から鱗が落ちる思いだった。
町の民でも偉い人には従うという考えは当然にある。しかしそれ以上に、貴族として王族の言葉には逆らえないという考えが刷り込まれていた。
言われてみればその通りだ。
国にとって貴重な竜騎士を無碍に扱うことはしないだろう。そして、ロゼッタを大切に想うあの古竜が、彼女を傷付けられたとして怒らないはずがない。古竜の力と恐ろしさは、陛下も白銀の町の件で十分に理解しているはずだ。
「フォードお前…、いいことを言った。」
ダイスさんが口元にうっすらと笑みを浮かべて言った。フォードさんは「え?」と一瞬固まったが、褒められて嬉しそうに笑った。こんな時なのに、いつもの調子のフォードさんを見ていると、胸の重みが少しだけ軽くなる。
そうだ。大切なのはロゼッタの気持ちだ。
彼女が殿下のことを、婚約の話をどう思っているのか。ロゼッタの意思を確かめたい。会って、話がしたい。
…そして、我儘を言うのであれば。
彼女の笑顔を一番近くで見るのは俺でありたい。




