第54話 愛の吐露
翌日、ルーカス殿下のパートナーの元へ向かった。
色付きの竜舎に来ると、その扉の前には幼竜舎の管理人であるガランさんと、見知らぬ男性が一人立っていた。髪を綺麗に撫で付けた品の良い方だ。
「おはようございますガランさん。こちらの方は…。」
挨拶をして、見知らぬ男性へと視線を向ける。
「ルーカス殿下より遣わされました。ルーカス殿下のパートナーは今こちらにいません。私が案内いたします。」
口元に笑みを浮かべてはいるが、どことなく機械的な言い方だ。ガランさんは普段通りの雰囲気だから、従者の方が悪い人じゃないのは分かるのだけど。
お二人に案内されて後をついて行くと、城の敷地のはずれに自然をそのまま残したような場所があった。こんなところにまで来たことがなかったから知らなかった。
細い木々や背丈の高い草が生い茂り青々とした香りが広がる。その一部は踏み倒されて獣道のように奥へと続いている。白竜が歩いた道なのだろう。この奥に…と思い、足を踏み入れると低い唸り声と共に威圧感が襲った。
今までどんな竜に会った時もこんなに警戒されることはなかった。
「案内していただきありがとうございます。」
「ええ。…お気をつけて。」
心配の眼差しでわたしを見つめるガランさんにお礼を言い前へ進む。ガランさんと従者の方はここまでのようだ。
緊張感に胸元を握りしめ歩いてゆくと、一番奥に白竜はいた。
顔だけを上げ身体は伏せた体勢でこちらを見ている。その目はギラギラと光っていていつでも襲えるぞと言っているように感じる。わたしを認めると少しだけ和らいだが、それでもひどく警戒していることに代わりはない。
わたしが知っている彼女はとても穏やかで凛とした竜だ。それが今は、傷つけられたショックで周りを信用できなくなっている。彼女が受けた心の傷の大きさにが伝わってきて、胸が痛い。
そのまま唸る彼女のそばへ行き、地面へ膝を抱えて座る。わたしが彼女にかけてあげられる言葉なんて分からない。でも、彼女が抱える怒りも、悲しさも、怖さも想像することはできる。
本当に人間のことが嫌いになったならその翼を広げて遠くへ飛んでいってしまえばいい。だけどそれをせず、城の端っこのこんなところにいるのは、人間を嫌いになりきれないからじゃないかな。パートナーのルーカス殿下を心配する気持ちもあるんだと思う。こんなことになっても彼女は優しさを失ってない。でも前よりも人を信用できなくなってしまった。誰も信用できないから、こんなところで独りでいるしかないんだ。
膝に顔をうずめて何も話さず、ただ彼女とこの空間を共有する。彼女の心に一番寄り添えるのはパートナーであるルーカス殿下だ。だけど傷を癒すのには時間も必要だ。独りよがりかもしれないけれど、そのうちのほんの少しの時間でも一緒に過ごして、貴女の味方は他にもいるよって伝えたかった。
どれくらい時間が経っただろうか。
気がつけば唸り声は聞こえなくなっていた。
顔を上げて白竜を見るとただ地面に伏している。金色の目は細く開かれてどこか遠くを見ているように感じる。
「ロゼッタ。」
おもむろに聞き覚えのある声に名前を呼ばれた。振り向くと、そこにはやっぱりルーカス殿下がいた。その後ろには先ほど会った従者が控えている。
「来てくれたんだね、ありがとう。」
殿下は白竜に目を向けた。その瞳が柔らかく細められる。
「少し落ち着いたみたいだ。ロゼッタが一緒にいてくれたからかな。」
白竜にのすぐそばまで来ると白竜も顔を上げて殿下を見た。よく似た金色の瞳がお互いを優しく見つめている。その光景がなんだか切なくて、胸の中心がキュッと苦しくなる。
「とても辛い思いをされたのですね。」
「…そうだね、辛くて悲しくて怖かったと思う。」
白竜の頬を撫でながら殿下は言う。白竜はその手を受け入れ、心地良さそうに目を閉じた。
「ルーカス殿下もです。辛くて、悲しくて、怖かったのでしょう。」
殿下の瞳が揺れた。表情の変化を隠すように顔を背け、白竜を撫でていた手は力無く下げられた。
「…うん。パートナーを傷つけられそうになって怒りに震えたよ。あんなに怒ったのは初めてだ。…それに悲しかった。まさか兄上が、あんなことをしてしまったなんて。」
殿下は、ゆるゆると力なくわたしの隣に座り込む。髪がかかって影になった横顔は苦悶の表情をしている。
「自分の感情とディアナの感情が混ざり合って制御が効かなかった。身体の内側から焼かれるように苦しかったんだ。…なんとか、場を収められたけど…。」
"パートナーと自分の感情が混ざり合う"
それは、竜と絆を結んだための恩恵であり弊害だ。精神的な結びつきが強くなることはわたしも理解している。白銀の町では、わたしとナクティスそれぞれの悲しさや怒りがいっぺんに胸に渦巻いた。今思うと、あんなにも激情に駆られたのは、絆を結んでいることが一因だったのだろう。
殿下はポツリと言った。
「兄上はね、優しくて実直な良い人だったんだよ。それが、あんなことをしてしまうくらい追い詰められているなんて気が付けなかった。家族なのにね。」
殿下は自嘲気味に笑う。
「兄上のしたことは許せないけど、それでも、実の兄へあれほどの怒りを抱いてしまった自分のことも怖かったんだ。」
そう言う横顔は、今まで見たことがないくらい弱々しい。こんなことがあった上に、混乱も落ち着いていない中でイリオス殿下の王位継承権剥奪とルーカス殿下の立太子が決まった。全てのことがめまぐるしく変わっていき、気持ちの整理もつかないはずだ。
今のルーカス殿下はみんなを優しく照らす王子様ではなく、人生に翻弄され苦悩する一人の人間なんだと気が付いた。
「…ごめん、こんな話は楽しくないね。違う話でもしようか。」
一転、殿下はそう言ってわたしに笑顔を向けた。でもそれは明らかに無理をしている。
わたしはみんなを和やかな気持ちにさせてくれる殿下の笑顔が好きだ。いろいろな我慢や苦しさを隠すための笑顔ではなく、自然な笑みが溢れるようになって欲しい。
「殿下は立派すぎる方です。わたしなんかが想像できない程重いものを抱えているのに、いつもそんなことを感じさせないくらい気丈に振る舞われていらっしゃる。でも、いつか重みに潰されてしまうんじゃないかって、心配で…。」
わたしと殿下では立場も責任もまるで違う。それでも同じ血を継ぐ者同士、つらさや悲しさを分け合うことができたなら。
「無理して笑わなくて良いんです。わたしにも殿下のつらさを分けてください。」
殿下の瞳が揺らいだ。少し顔を伏せて黙り込んだ後に口を開く。
「…少し前に幼竜舎で会っただろう?あの時は幼竜達の様子を見に来たと言ったけれど、本当は違うんだ。本当は、ロゼッタに会いに行ったんだ。」
「わたしに会いに…?」
「ああ。あそこに行けば会えるんじゃないかって思ったんだ。別に何か話したいことがあるわけじゃなかった。ただ、顔を見て安心したかった。」
「安心するのですか?わたしを見て。」
殿下は顔を上げた。金色の瞳がわたしを見つめる。
「うん、安心する。」
そう言われてドキリとする。わたしを見つめる殿下があんまり優しい顔をしていたから。
「でも実際に会ったら怖がらせてしまったけれどね。あの時は本当にすまなかった。」
困ったように笑ってわたしに謝った。やっぱりあの時にはもう大変な騒動に巻き込まれて環境が変わっていって、平常ではなかったんだわ。
「いいえ。殿下はあの時からずっと苦しんでこられたのですね。誰にも言えず…、どんなに苦しかったでしょう。」
わたしの言葉を聞いて、殿下は泣きそうな顔で笑った。
しばらくの沈黙の後、殿下が言った。
「ロゼッタに伝えておかなければならないことがあるんだ。…私達の婚姻の話が進められそうになっていることは聞いているかい。」
聞いてはいたが、本人の口からその言葉が出るとドキリとする。掌が緊張で汗ばむ。
「はい。アルベロさんから伺いました。」
動揺を見せないように落ち着いて返事をすると、殿下は一つ頷いて言った。
「この話は断ってくれていい。」
予想もしていなかった言葉に驚く。
陛下からの命令に近い提案らしいのに、そんなことを言って大丈夫なのだろうか。わたし達から少し離れてルーカス殿下の従者が待機しているけど、今の発言は聞かれても大丈夫なのだろうか。
わたしがチラリと従者の方を見たことに気がついて、ルーカス殿下は言った。
「彼なら大丈夫、心から信頼の置ける従者の一人だよ。私の考えを理解してくれている。」
ルーカス殿下がそう言うのなら大丈夫なのだろう。普段、殿下が従者を連れているところをあまり見なかったから、監視役なのではないかと心配していた。
そして、断ってくれていいという言葉に少しだけホッとした自分もいる。殿下の苦痛を和らげたいとは思っていても、一緒になる未来は想像できていなかったから。
「私には無理強いする気はない。ロゼッタには古竜もついていることだし、例え断ったとしてもロゼッタが不利益を被ることはないよ。他に心に決めた人がいると断ってくれて構わない。」
「心に決めた人なんて…。」
そんな人はいないと言おうとして、言えなかった。だって、頭の中にはある人の顔が浮かんだのだから。
いつも一緒にいてわたしに優しく微笑んでくれる人。その宝石のような瞳に見つめられると胸が高鳴ることを最近知った。愛とか恋とかわたしにはまだよく分からないけど、この先もずっと一緒にいれたらいいなって思う人。
そんなわたしに殿下は微笑む。
「やはり、思い当たる人がいるんだね。」
動揺して目を合わせることができない。
これでは、言葉にしなくても好きな人がいるって言っているようなものだ。
おもむろに手をとられてハッとする。
「これは断ってくれていい。でも伝えておきたい。」
大きな手に促されて立ち上がり、反対に殿下はわたしの手を取って跪く。驚いて理解が追いつかないままのわたしに殿下は言った。
「私はロゼッタのことが好きだ。誰かに言われたからじゃない。ロゼッタの人となりを見て好きになったんだ。…これから先、ずっと私の隣にいて欲しい。」
真剣な表情で最後まではっきりと伝えられた。金色の瞳は光を宿して、胸を射抜かれるような錯覚に陥る。顔に熱が集まる感覚があって恥ずかしくて隠したいのに、甘い痛みを伴う衝撃を受けて、動けない。
殿下は真剣な表情でわたしを見つめていたが、それがフッと和らいだ。
「君にそんな顔をさせられたなら十分だよ。」
出口まで送ると言われて、二人で並んで道を歩く。歩きながら殿下は言った。
「すまないがプロポーズをしたということは陛下に伝えさせてもらう。しばらくした後に手紙で断ってくれ。そしてこれも謝らなければならないが、しばらく仕事は休んで、アルベロ公爵のところに居てくれ。その方が安全だ。」
プロポーズとはっきり言われてしまい、落ち着いていた鼓動が再びうるさくなる。わたしの動揺はきっと殿下には伝わってしまっているけれど、平静を装って質問する。
「安全って…、何か危険なことがあるのでしょうか。」
「様々な考えを持った人達がいるからね。私のせいでロゼッタが傷付くようなことがあったら耐えられない。」
殿下の言葉は淡々としている。でも真っ直ぐだ。
ルーカス殿下はわたしを守ろうとしている。返答の言葉がうまく思い浮かばなくて、わたしはただ頷いた。
竜舎の近くまで来て、足を止めて向かい合った。
「では、また。」
「…はい。また。」
殿下に合わせてわたしも微笑む。そのまま歩き出したが、後ろを振り向くことはできなかった。殿下の顔を見たら、いろいろな感情が混ざり合って泣いてしまいそうだったから。優しい殿下はきっとわたしを心配してしまう。
悶々とした思いを抱えながら帰り道を歩いた。




