第49話 碧の国
レイド視点
王都を出発して西へ向かう。空は吸い込まれそうなほど青く、白い雲の形をかたどっている。ネロは水の中を好むが、こうしてのびのびと羽を広げて飛ぶことも心地良いようだ。飛び方や息遣いからそれが伝わってくる。
ネロの背中から地上を観察すると、碧の国に近付くにつれて大きな運河が見えてきた。そこは大小さまざまな船が行き交い、物流や交通において重要な役割を果たしていると分かる。
運河に沿ってしばらく飛ぶと塀に囲まれた都市が見えてきた。その中央には宮殿が位置していて、今回はその離れに着陸することになっている。
目的地の上空を三頭で旋回していると、地上に出てきた人が旗を振って俺たちに合図する。それを確認したダイスさんが笛を鳴らして着陸体制に入った。誘導に従って着陸した場所は広くスペースが取られていて、竜の離着陸用に造られたようだった。そばには竜の待機場所も用意されている。
ネロの背中から降りるとネロが小さく鳴いた。その視線の先には大きな池があるようだ。ネロは嬉しそうに池を見ていて、中に入りたい気持ちが伝わってくる。ネロには生きた年数を感じる達観した部分がある一方で、子どものように純粋な一面もある。知れば知るほどその魅力に気付かされる。
「そちらはお招きした竜達のためにご用意したものです。どうぞお使いください。」
ネロの様子に気がついた衛兵がそう説明すると、さっそくネロは嬉しそうに池へ向かった。ネロに続いて池を覗き込むと、水は底が見えるほど透明度が高く美しい。ゆっくりと水に身体を浸して心地良さそうにしているネロの姿はとても微笑ましい。心地良い、嬉しい、といった感情が伝わってくる。
ダイスさんもフォードさんもそれぞれの竜のチェックを行い、問題ないことを確認した。休ませる準備が終わった頃、衛兵が俺達へ声をかけた。
「それでは皆様はこちらへ。」
誘導されて宮殿内を歩く。
ここは水の国の異名の通り、本当に多くの水場が設けられている。案内されて向かう道にも景観のための水路やカスケードが造られており、濁りなく流れる水越しに、水路に貼られた色とりどりのタイルを見ることができる。うちの国にはあまり見られない趣向で興味深い。
…ロゼッタがいたならば、これを見てとても喜んだだろうな。彼女はこういった綺麗なものが好きだから見せてあげたかった。
見慣れない風景を楽しみながら着いた部屋には自国の外交官達がすでに到着していた。俺たちを見て微笑む。その隣にいる男性は、自らを碧の国の外交官だと名乗った。
「お越しくださりありがとうございます。今夜ささやかながら宴を用意しておりますので、それまでこちらでお休みください。」
そう言って、外交官同士でにこやかに一言二言交わすと退出していった。
そして夕方、宴は宮殿の離れで行われた。
ここにもネロが入っても問題ない広さの水場が設けられており、ネロもこちらへ移動して身体を休めている。宴をしながら水竜を眺められるようにこの場所に移してほしいと言われた。
やはり見せ物じゃないか…と思っても、口や態度に出すことはできない。
「すまないネロ、少し我慢してくれ。」
小声でそう言うと、ネロは『大丈夫、任せてくれ。』と頷いた。本当に大らかな竜だ。
そこへ、国王陛下が現れた。国王は高齢で口周りに白い髭を生やしている。頭髪も白くなっているが、その目の力強さは健在だ。国王の後ろには王太子と王太子妃が控えている。
「ほう、これが水竜…。」
国王は水竜を見るなり感慨深そうに言った。
側近が、そばにいる俺を水竜のパートナーだと紹介すると、国王は俺を見た。
「君がこの竜の騎手か。名前はレイドと言ったね。」
「はい。名前を覚えていただき光栄です。本日はお招きいただきありがとうございます。」
国王はふむふむと頷いた。そして再びネロに視線を向ける。その優しい横顔に内心驚く。直接お会いしたことはなかったが、新聞等でたまに見るこの方の顔はどれも威厳に満ちたものだった。ここに現れた時も厳粛な雰囲気のあるお方だと思ったが、このような、まるで孫を見るような目をネロに向けるとは。その目に敵意等の悪いものは一切感じないことにほっとする。
ネロも自分を見つめるその目に敵意がないのを確認して、悠然と構えている。
…ネロはとても美しい。普段は透き通るような水色の身体をしている。だが今は、茜色の夕陽が当たる部分は瞳と同じような金色に、影となっている部分は深い青色となって見え、その存在を際立たせている。神秘的な美しさは見る者を圧倒させ、そこに言葉は必要なかった。
国王はしばらくネロを見つめた後に宴の会場へ入り、他の者もそれに続いた。
ネロがいる池の近くに大きなガゼボが建てられていて、真っ赤な絨毯の上に低い座椅子やたくさんのクッションが置かれている。自分の国ではあまり見ない広さのガゼボだが、こちらではこのようにして野外で食事を楽しむ文化があるのだろう。ネロが見える半円形に席が設けられ、半分は国王、王太子、王太子妃、外交官と碧の国の方々が並ぶ。もう半分は自国の外交官とダイスさん、フォードさん、俺が座った。周りには衛兵や給仕がたくさん控えている。
座椅子に合わせた低いテーブルの上にはさまざまな料理が並べられている。瑞々しい果実はこの国の特産であり高級品だ。テーブルに並ぶ品々から、この国の豊かさが見て取れる。
宴は和やかに進んだが、その後は文化の違いに驚かされることになった。
食事が進むと音楽が鳴り始めた。いつのまにか太鼓や笛の奏者がガゼボの周りにいて、軽快なリズムが響く。催しを用意してくれたのだと見ると、中央にきらびやかな格好の女性達が登場して踊り始めた。
「なんか、すごい服着てる…。」
踊り子達を見てフォードさんが呟く。
彼女達が身につけた美しい装飾品は動きに伴って揺れ、きらきらと光を反射している。身に纏っているのは布をたっぷり使ったゆとりのある衣装だ。そこまでは何ら問題はないのだが、その衣装は照明に透けて体のラインや肌を魅せるものだった。肌を隠しているようでいて、これでは露出が高いものと何ら変わりない。文化の違いだとはいえ目のやり場に困る。
「こんばんは。」
戸惑いつつ食事をしていると、ふと柔らかい声が聞こえた。それと同時に、ふわりと香水が香る。重厚な甘さとスパイスの混じった独特な香りだ。こちらの地方で好まれている香水だろう。
隣へ座ったその人を見ると、豊かな赤い髪と目尻が上がった翡翠の瞳が目に入った。彼女は細かい刺繍の入った一目で質の良いと分かる布地の服を身に纏っている。
「私は国王の孫のジュナと申します。」
自己紹介される前にまさかと思ったが、やはり彼女は王族だった。
「私達のために宴を用意していただきありがとうございます。私はレイド・シルバーと申します。」
「ふふ、存じておりますわ。水竜様のパートナーですわね。」
にこりと笑うと、彼女は俺のパートナーに目を向けた。
「お話しには聞いておりましたが、想像していたよりもずっと美しい生き物ですわ。」
嬉しそうにネロを見つめ、うっとりと呟く。
あまり注目を浴びるのはネロにとって負担になるのではと心配だが、本人はそんなことは気にせず大人しく水場で過ごしている。ネロは言われるまでもなく美しい竜だが、パートナーを褒められて悪い気はしない。
「ねえレイド様、お酒は召し上がって?」
ジュナ様はくるりと俺に振り返り言った。動きに合わせて耳飾りが揺れる。
「いえ、俺は…。」
もともと酒はあまり好きではないし、何かあった時に備えて飲まないようにしている。
「あら、うちの国のお酒は特別美味しいと自負しておりますわ。ぜひ召し上がってくださいな。…私も一人で飲むのは寂しいですもの。」
上目遣いで微笑む彼女の手には酒が入ったグラスが握られている。
示し合わせたかのように給仕が酒を注いだグラスを俺にも手渡してくる。気は進まないが、社交の場では飲むのも仕事のうちだとはさすがに理解している。それに相手は王の孫娘でもあり邪険にはできない。
促されて一口飲むと、すっきりとした甘さで飲みやすい。だが酒が通ったところが熱くなるのを感じて、飲みやすいが度数も高い酒だとすぐに分かる。
チラリとダイスさんやフォードさんを見ると、いつの間にか彼らの隣にも女性が座っていて俺と同じような状況になっている。目があったダイスさんは苦笑いしている。
「ふふ、どんどん召し上がって。長い夜を楽しんでくださいな。」
ジュナ様自身も少しずつ酒を飲み下し、俺を見つめると妖艶に微笑んだ。照明に照らされたその瞳は獲物を狙う鷹のようにキラリと光った。
宴が始まってどれくらい経っただろうか。
高齢の国王は体を冷やしては良くないと早々に住まいへ戻られ、王太子妃もそれに付き添った。王太子は外交官達と楽しげにお話しされている。
手元に目を移すと、酒瓶が数本空になっている。ずいぶん飲んだなと思う。
ジュナ様は俺の側から離れることなくどんどん酒を勧めた。俺は断りきれないまま飲み進め、やがて…。
「どうして、レイドさま、よわないの?」
隣のジュナ様は完全に出来上がってしまった。呂律も怪しい発語で、俺が酔っていないことを不思議がっている。
酔っていないことはないが、俺はいわゆるザルだ。酒を飲んでもあまり楽しい気分になることはないし、飲む必要性を感じなくて普段は飲まない。兄も同じ体質だからこれは遺伝だろう。
ジュナ様の後ろには頭を抱えるフォードさんが見える。酔うと眠くなるタイプだが、王族たちがいる場だからと一生懸命耐えているようだ。
更に奥のダイスさんに目を向けると…、飲み始める前と比べて全く様子が変わっていない。いつものニコニコした笑顔を浮かべていて、対する女性は今にも倒れ込みそうだ。さすがにダメだと判断したのか、別の女性に介抱されて席を離れていった。そんな様子を見て、次にダイスさんの隣に座ろうとする猛者は現れなかった。
「ジュナ様、お水を飲んでお休みになりましょう。」
心配した侍女が声をかけるも、ジュナ様は首を横に振る。
「まだだめよ…、このままじゃ…。」
何事かをブツブツと呟いているが、呂律も回っていないし聞き取れない。
なぜ揃いも揃って酒で酔い潰そうとしてくるのか。こちらの醜態を晒させようとしているのかと勘繰ってしまう。溜め息を飲み込んで、ジュナ様へ言う。
「ジュナ様、お加減が優れないようですのでお休みになった方がよろしいかと。」
心配して声をかけたが、ジュナ様は不満そうに眉間に皺を寄せた。
「よわないならしかたないわ。…でもレイドさま、わたくしをみて何も思わないの?」
そう言われて、改めてジュナ様を見る。
酒にあてられて紅潮した頬、潤んだ瞳。王族が客人の前でこんな姿を晒して大丈夫かと心配になる。
「俺は心配です。」
「え?」
「ジュナ様は尊い身であり年若い女性です。無理してまでお酒を飲むものではありません。もっとご自分を大切になさってください。」
年頃の女性であり、王族である自覚持って欲しいと伝えたつもりだ。俺の言葉を聞いたジュナ様は一瞬ポカンとして、次に目を見開いた。そして、もともと頬は赤かったが耳まで真っ赤になった。
…これはいよいよ酔いが回ってしまったんじゃないか。
熟れたりんごのようになってしまったジュナ様を侍女が支えて連れて行く。
嵐が過ぎ去ったようで、やっと息をつけた。




