第47話 眼差し
「最近、ルーカス殿下いらっしゃらないわね。」
飲みかけのティーカップを置いてミラさんは物憂げにそう呟いた。それに対してうんうんと大きく頷いてヴァネアさんも同意する。
「麗しのお姿が見られなくて残念だわ。お忙しいのかしらね。」
そう言って、不満げな顔をしながらクッキーをつまんだ。
詰所の外の休憩スペースで、わたし達三人はティータイムを楽しんでいる。カップに注がれた紅茶はヴァネアさんの、白い平皿に盛り付けられたクッキーはミラさんのお土産だ。この前もらった休暇で二人ともショッピングを楽しんだらしい。
ミラさん達の言う通り、最近ルーカス殿下の姿を見ていない。それはおそらく、王族としての務めが関係しているのだろう。竜騎士団に所属してはいるものの一国の王族として公務もこなさなければならない。
「あんまり忙しくて、体調を崩されないと良いですけど…。」
わたしはティーカップの中身を見つめながらそう言った。揺れる琥珀色はレモンが香る。さっぱりとしていて今の季節にぴったりだ。
「そうねえ…真面目なお方だから心配だわ。辛くなった時に支えになる方はいるのかしら。」
ヴァネアさんが言いながら顎に手をあてて考える仕草をする。わたしもミラさんも少し考えたけれど、答えは出そうにない。
「側近の方には頼るでしょうけど…。まあそこは、私達には分からない世界ね。」
ミラさんの言葉に頷くしかなかった。
当然と言えば当然だけど、そういえばわたし、ルーカス殿下のことほとんど知らないな。一部の人以外には秘せられているけれど、わたしにとってルーカス殿下は親戚にあたる。もう少しゆっくり話してみたいなと思うのは、おこがましいだろうか。
今日の仕事も終わって帰り支度をする。同じように退勤するみんなに続き詰所を出て、寮へ帰る途中でみんなとは別方向へ行く。
「ではお疲れ様です。」
前を歩いていたミラさんとヴァネアさんに挨拶をする。
「うん、お疲れ様!また明日ね〜。」
そう言って、ヒラヒラと手を振って二人並んで帰っていく。同じように先輩達に挨拶をしたレイドとラルフと合流し、三人で歩き出した。向かう先は、幼竜舎だ。
帰る前にナクティスの様子を見に行くのが最近のルーティンになっている。あまり状態は変わらないけど、一日一回は見に行ってあげたい。
心配して会いに行きすぎかなと思ったけど、竜騎士のみんなは竜を大切にしているだけあって理解してくれる。
わたしははじめ一人で通おうとしていたけれど、一人で出歩くのをレイドとラルフが心配して着いてきてくれている。
二人こそ過保護だと思うんだけどな…。
でも、三人で今日の出来事や何気ないことを話しながら歩く時間が好きだ。それは以前からのことだけれど最近は特にそう思う。何気ない日常が当たり前ではないことに最近気付かされたことがわたしの中で大きくなっているからだ。
それは言わずもがな、白銀の町での出来事が影響している。
レイドがもう目覚めないのではないかと心配になったこと。ラルフが知らない人のようになって離れていってしまったように感じたこと。わたし自身も氷の亀裂に落ちて帰ってこれない可能性があったこと。…アイラさんと白銀の竜のこと。
思い出すと胸がキュッとして寂しいような切ないような気持ちになる。
青々と茂る草木が夕陽のオレンジ色に染まる様子を見ながら、これから先の葉が色づく時期も、葉が散って雪が舞う季節も、ずっとこんな時間が続けばいいのにと願ってしまうのだ。
わたしがナクティスに会う間、レイドとラルフは竜舎にいる自分のパートナーに会いに行く。わたしとナクティスがゆっくりできるようにと配慮してくれているのだろう。竜舎前で「また後で」と別れて幼竜舎へ向かう。
幼竜舎はより奥まったところにあって、木々や生垣に沿って歩くと到着するようになっている。不審者がこんなところにまで入ることはあり得ないけれど、幼竜達を守る場所でもあるので、あからさまな道にならないように設計されている。
慣れた道を歩いて目印の木を曲がると、幼竜舎が見えた。しかしわたしはそこで足を止めた。そこには先客がいたのだ。
遠目からでも分かる、艶やかな金色の髪のその方はルーカス殿下だ。幼竜舎の扉の前に立ちその取っ手に手をかけたままでいる。
動かない殿下を見て首を傾げる。
鍵を忘れてしまったのかな?ルーカス殿下でもそんなことがあるのかしら。
そんなことを思いながら、再び歩き出し幼竜舎に近付いていく。ちょうど昼間にルーカス殿下のことを話していたばかりだ。久しぶりに姿を見れて安心した。声をかけようと思って近付いたけれど、その横顔を見て思わず足を止めた。
ルーカス殿下、よね…?
そう思ってしまうのは、目の前のその人の雰囲気が、わたしの知っているルーカス殿下とあまりにも違ったからだ。
ルーカス殿下はどんな人か。
そう聞かれた時、わたしは春の日差しのようなあたたかな雰囲気と、柔らかな微笑みが頭に浮かぶ。幼稚な表現かもしれないけれど、絵本に出てくる王子様そのものの姿を思い浮かべる。
しかし、今目の前にいるその人の横顔からは、いつもの柔らかさは伺えない。感情を一切読み取れない無表情で、その目は何かを考えるようにやや下を見つめている。いつもの明るさとは反対の、仄暗さを感じさせる。
そんな様子に驚いて動けないでいると、わたしの気配を感じたのか殿下がこちらを振り向いた。
「…!!」
殿下はわたしを見ると、目を見開いてビクリと肩を揺らした。こんな殿下の反応は初めて見たが、なぜだかとても驚かせてしまったようだ。だけどすぐにいつものルーカス殿下らしい微笑みがその顔に浮かんだ。
「やあロゼッタ。…すまない、少し考え事をしていて。」
困ったような笑顔を浮かべ、取っ手から手を外して体をわたしに向き合わせた。
「お久しぶりですルーカス殿下。幼竜達に会いに来てくださったんですか。」
「…ああ。最近来れていなかったから様子が気になってね。」
笑顔の中に疲れが滲んでいるように見える。
殿下は国内外の身分の高い方と常日頃接していて、公務一つとっても注目される。わたしには分からない世界だけれど、それはとても心が疲れてしまうと思う。
わたしが身分の高い方とお会いしたのは初めて出席した交流会くらいだったが、その時に笑顔は立派な武器になるとヴァネアさん達に教えてもらった。それと同じように、常に浮かべる柔らかい微笑みは殿下なりの自分を守る術なのではないだろうか。
「最近お見かけしなかったので心配していました。それに…お話ししたいなと思っていました。」
「お話し?」
殿下は不思議そうに聞き返す。
本当に辛く思っていることでも、そうじゃなくてなんでもないような話でもいい。誰かと話すことで気分が紛れたり心が軽くなったりすることはわたしも身にしみて理解している。
「内容はなんでもいいんです。お互いのこともっと知れたらいいなって。」
「…ロゼッタは私のことを知りたいと思ってくれるのかい?」
「もちろんです。…ああでも、詮索したいとかそういうことじゃなくて…殿下さえよろしければ、お話ししたいというか…。」
もしかしたらいろいろ聞かれるのは嫌かもしれない。お優しいから話には付き合ってくださるだろうけど、負担になってしまっては元も子もない。それを伝えようとするけれど上手く言えなくて少し焦ってしまう。
しどろもどろするわたしを見て、ルーカス殿下は少し笑った。
「ありがとう。ロゼッタは本当に優しいね。…心配になってしまうくらいだよ。」
言葉の最後、少しだけ声のトーンが下がった。
「優しさは美徳だよ。だけど、誰かにつけ入られてしまったら大変だ。」
口元には笑みが浮かんでいるけれど、その視線は少しずつ下がっていく。その様子と、穏やかでない話の内容に少し不安になる。
生暖かい風がわたし達の間をビュウと吹き抜けていく。
「つけ入られるなんて、そんな、誰に…。」
そんな心配はありませんよと言おうとしたが、わたしの言葉に被せるように殿下は言った。
「たとえば、私に。」
暗い声音ともに再び金色の瞳がわたしを見た。
その奥がギラリと光った気がして心臓が跳ねる。まるで、捕食者に睨まれて動けなくなった獲物のように、わたしの身体も固まる。
動揺して動けないわたしの方へ、殿下が一歩ずつ近付いてくる。口元に薄い笑みが浮かんでいるがその目は笑っていない。わたしの二、三歩先まで来るとその足を止めた。
その右手がゆっくりと持ち上がりわたしの左頬に触れた。暑い外気に晒されていたはずなのに、その指先はとても冷たくてビクリとする。
本能的に、逃げなければと思うのに、足が棒のようになって動けない。心臓の音だけは大きく早くなっていく。
一瞬だけ、金色の瞳はわたしから視線を外した。
わたしの後ろを見たのだと理解した時、頬に当たっていた手が髪をかすめてパッと離れた。
「葉が付いていたよ。」
優しい声にハッとすると、もう、いつもの殿下に戻っていた。柔らかく微笑まれて、やっと深く呼吸ができた気がする。
指に摘まれた葉は指を離されてハラハラと落ちていく。
「ありがとう、ございます。」
なんとかお礼の言葉を伝えたが声が掠れてしまった。緊張して喉が張り付くほど乾いていた。
「私もロゼッタとはゆっくり話さなければと思っていたんだ。…でも、それはまた今度、時間がある時にしようか。」
パタパタと後方から足音が聞こえる。
「じゃあまた。」
ルーカス殿下は軽く手を挙げて踵を返し、向こうへ歩いて行ってしまった。
遠くなっていく背中をぼんやり見つめていると、名前を呼ばれてハッとした。
「ロゼッタ、大丈夫か?」
気が付けば、レイドが隣にいた。後ろから聞こえた足音はレイドだったんだ。
「さっきのルーカス殿下だよな?何かあったのか?」
レイドは殿下が去った方をチラリと見てわたしに聞いた。
「何も…。でも、まるで殿下じゃないみたいだったわ…。」
ぼんやりとそう答える。レイドはどこから見ていたのだろう。少し様子の違った殿下のことは見えていただろうか。
「…頬、触られたのか?」
「え?なんで…。」
何故分かるのだろうと考えて、今の自分の体勢に気がつく。さっき殿下に触れられていたところに無意識に指先を当てていたらしい。レイドの言葉にコクリと頷き肯定すると、レイドは眉間に皺を寄せた。
そして、そっとわたしの頬に手を添えた。
さっきの冷たさを思い出して、思わずビクリと反応してしまう。だけど、レイドの大きな手はじんわりと温かくて、その気持ち良さに目を細める。知らず知らずのうちに張り詰めていた心がほぐれ穏やかな気持ちになっていく。
レイドの手の上にわたしの手を重ねて深呼吸すると、心の波が完全に凪いだ。
「ありがとう。もう大丈夫だよ。」
そう言って重ねていた手を離すが、レイドの右手はまだわたしの頬を包んだままだ。
「…レイド?」
伺うように見つめると、レイドもまたわたしを見つめている。宝石のような赤い瞳はいつ見ても綺麗だなと思うけれど、じっと見つめられると流石にそわそわと落ち着かない気持ちになってくる。
目を逸らしたいような、でもこのまま見つめていたいような、相反する感情を持て余す。
長く、長く感じたその時間を終わらせたのはすぐ近くで聞こえた咳払いだった。
「…ごめん、黙っていようかと思ったけどやっぱり気まずいや。」
その言葉通り、いつの間にか近くに来ていたラルフは気まずそうな顔をしていた。
「…〜!」
わたしは一気に我に返って、慌ててレイドと距離を取る。恥ずかしくて両頬に手を当てると熱を持っていた。
「えっと、まだナクティスに会えていないの!様子見てくるね!」
赤い頬を誤魔化して逃げるようにそう言い、慌てて幼竜舎の中に入った。後ろ手に扉を閉めて深呼吸するけど、なかなか頬の熱が引かない。
わたしを見つけてパタパタ集まった幼竜達が不思議そうな顔をして見上げてくるけれど、説明できるわけもなくて曖昧に誤魔化す。
そのままナクティスのところへ行けば、彼はうっすら目を開けていた。
「ナクティス!」
嬉しくて駆け寄ると、彼はわたしをしばらく見て、そして少し笑った。
「え?なあに?」
『いいや…。青いなと思っただけだ。』
青いって…。
もしかしてさっきのやりとりが聞こえていた?
それともわたしの気持ちを読み取った?
流石に何があったか見えたわけではないだろうけど、それでも、見透かされて恥ずかしい。
恥ずかしさを誤魔化すようにわざとムッとした顔をすると、ナクティスは吐息を交えてまた笑った。そしてすぐに、再び寝る体勢に入ってしまった。
久しぶりにナクティスとやり取りができて嬉しい気持ちと、青いと笑われてしまった恥ずかしい気持ちと…、なんだかとても複雑だ。
せめてもの抗議で、その固い皮膚をツンツンとつついた。
______________
〜ラルフ視点〜
「ねえ怒ってる?ごめんて。」
さっきは良いところを邪魔して悪かったと謝る。
レイドと俺は今、ロゼッタがパートナーに会っている間、幼竜舎の前で彼女を待っていた。
「別に怒っていない。」
…本当か?
さっきロゼッタがびっくりして離れた時、ジトっとした目で俺を見た気がするんだが…。
「そんなことより、さっきのルーカス殿下見えたか?」
「いいや、遠かったし俺はあんまり。そんなに様子が変だったのか?」
二人で竜舎を出て幼竜舎に向かい、木々越しにその建物が見えてきた頃、突然レイドが走り出した。何も言わないで走り出したものだから、呆気に取られて俺は立ち止まった。
そしてすぐに、もしかしてロゼッタに何かあったのかもと追いかけた。焦ったけど、幼竜舎の前にはロゼッタとルーカス殿下しかいなかったから俺は歩を緩めた。
レイドめ、殿下に嫉妬してるのか?
なんて、ニヤニヤしながら歩いていたけれど、殿下が離れて行ってもなんとなく様子がおかしいロゼッタが気になった。
その後レイドに追いついた頃には、すでに二人の空気が出来上がっていて完全に出る幕を失っていたのだが。二人を邪魔しないようにとは思ったけど、目の前の空気にいたたまれなくなったのは俺が悪い…のか?
「何か違和感を感じて走ったんだが、殿下は向かって来る俺に気付いて一瞬こっちを見たんだ。その様子が…、上手く言えないが、なんだか危険な気がした。」
「危険って…。殿下に限ってそんなことあるのか?」
ルーカス殿下を頭に思い浮かべると、いつだって王子様然りといった穏やかな姿が浮かび上がる。
「…分からない。殿下の疲労が溜まっていて、たまたまそう見えただけだと思いたいが…。」
「…。」
レイドの言うような姿は想像できないが、ロゼッタも殿下に違和感を抱いたと言っていたことが気になる。
見間違いや気のせいではないとして、レイドが危険だと感じるほどの何かがルーカス殿下にあったとしたら、それは一体何なのだろうか…。




