第44話 その瞳が
ゆっくりと地上へ降り立っていく白銀の竜を、ナクティスは凪いだ瞳で見つめている。盟友とまで呼ぶ大切な存在を傷つけて、傷つけられて…、痛むのは身体だけではないはずだ。竜は感情を表す手段が人間とは違うため、外見からは感情が分かりにくいと言われている。しかし、わたしはナクティスと絆を結んでいる。その心の内がわたしの胸にも流れてくる。彼の傷ついた身体から流れる赤い血が、わたしには涙のように感じられた。
「ナクティス…。」
早く彼のところに行かなくちゃ。
そう思うのに、体が重くてずるずると座り込んでしまう。
「ロゼッタ…!」
ラルフがわたしを少しでも温めようと背中をさする。身体が濡れて体温が下がっているのもあるけれど、竜の目と言われるものを使ったからか、ナクティスの心情が流れてきたからか…。とても疲れてしまった。ラルフの肩を借りて少し目を瞑ると、バサリバサリと羽ばたく音が近付いていることに気が付く。顔に当たる風で目を開けると、二頭の青い竜が近くに来ていた。
「ロゼッタちゃんよく頑張ったね。」
ダイスさんに抱えられて、一緒に竜に乗る。暖かい上着で包まれて直接当たる風が少なくなった分、少し楽になった。ラルフ達のそばにはヴァイツさんがいる。アイラさんがもう抵抗できる状態ではないこと、そしてラルフが歯向かう様子がないことを確認している。しかし念の為か、二人は後ろ手に紐で縛られるようで、その光景を見て胸がキュッとする。彼らを横目に見ながら、ダイスさんは竜を飛ばした。
「洞窟の中に、町の人が…。」
まだ助けなくてはいけない人達がいる。そのことを伝えようとすると、ダイスさんはわたしを安心させるように優しく笑った。
「そっちも大丈夫。ヴァイツが情報を持ち帰ったから、騎士達が向かっているよ。古竜達がおさまってくれたから、今頃保護に入れているはずだ。」
「よかった…。」
洞窟に取り残された竜達についても、今動ける人間と竜で救出する算段が整っているという。みんな無事に洞窟を抜けられそうで安堵する。
少しだけ飛んで、すぐに地上へ降り立った。そこには多くの人がいて、テントや焚き火が準備されていた。ダイスさんに抱えられて焚き火の近くに降ろされると、ヴァネアさんとミラさんが迎えてくれた。
「ヴァネアさん…!目が覚めたんですね。」
白い顔で横たわっている姿を見たのが最後だったから、頬に血色が戻った顔が見れて安心する。さすがに疲れが滲んでいる様子だが。
「ええ。団長もフォードも気が付いたわ。それより、早く暖まらなくちゃ。」
そう言うと、すぐそばのテントにわたしを運んでくれた。服の着替えを手伝ってもらって、濡れて肌に張り付いていた重い服を脱いだだけでも少し楽になる。新しい服はほんのり暖かい。焚き火で温めてくれたのだろうか。ミラさんはわたしの濡れた髪を解いてタオルで拭いてくれている。
世話を焼いてもらいながら、二人に問いかける。
「レイド…。レイドは無事ですか?」
「だいぶ無理をしたみたいだけど大丈夫よ。今はフォードが見てくれてる。」
今すぐ顔を見に行きたい。
しかし、そう思ったのが伝わったのか、ミラさんに優しく肩を抑えられた。
「…ロゼッタ。心配するのはもっともだけど、まずは自分のことを考えて。こんなに身体が冷えているのよ。」
その声が少し震えていることに気が付きミラさんを見ると、目にはうっすら涙を浮かべている。その顔を見てハッとした。わたしがレイドを心配するのと同じように、みんなもわたしのことを心配してくれていたのだと、やっと気付いた。
…そうよね、自分のことも考えてあげなくちゃ。
でも一つだけ譲れないことがある。
わたしにもレイドにも、そばについてくれている人がいるから大丈夫だ。しかし、彼には…。
「はい。…でも、一つだけお願いです。ナクティスの所へ行かせてください。」
傷付いた彼の姿が頭にこびり付いている。彼はまだ白銀の竜のそばにいるはずだ。その心を支えるのは、わたしでなくてはいけない。
その思いを、同じ竜騎士である二人は分かってくれた。わたしに休んでいて欲しい気持ちもあるのだろうが、二人ともゆっくりと頷いてくれた。
テントから出て、ミラさんに支えられながらナクティスの元へ向かう。
少し歩いたところにその姿があった。そして彼のすぐそばには白銀の竜の姿も。
二頭の竜は他の騎士達から遠巻きに見られていたが、団長だけは近くで彼らを見守っていた。団長がわたしに気が付くと、安心したように微笑んでくれた。そして何も言わずただ頷き、二頭の元へ行くようにと促す。ミラさんも離れ、一人で彼らのところへ歩を進める。
目を瞑ったまま佇む白銀の竜を、ナクティスは見つめている。降り積もった足元の雪は、点々と赤く染まっていた。
「ナクティス。」
呼びかけると、その金色の瞳がわたしを見た。
彼は息を細く吐いた。そして首をもたげて、その温かい息が掛かるほどに近付いてくれた。頬の硬い皮膚をなぞると彼は目を細める。わたしもそっと目を閉じて感じる、怒り、悲しみ、悔しさ…。私達の間に言葉は無くとも、お互いの心が分かった。
『アイラ…。』
不意に、透き通った声が聞こえて顔を上げる。
声の主は言わずもがな白銀の竜だ。
『…長い眠りから覚めて目の前にいたのは、かつての主人の末裔だとすぐに分かった。呪いに蝕まれた可哀想な子…。助けてあげたかった。その結果が分かっていたとしても。』
開かれたその瞳は、ただただ優しい眼差しをしていた。洞窟の中ではアイラさんを見る時以外には全く感情が読み取れず、まるで氷のような瞳だったのに。しかし今は、雪の降る道をランタンが優しく照らすのを見るような、不思議な温かさを感じる。これが、本来の彼なのだろう。
『あの子はもう、長くない。』
その言葉を聞いて目を伏せる。
もともと身体が弱いアイラさんだが、今回のことで相当無理をしたのだと気付いてはいた。しかし、絆を結んだ竜がそう言うということは…。
胸が締め付けられるが、わたしは彼の言葉を聞かなければいけない。再び顔を上げると、彼は言った。
『私の可愛いアイラを、許しておくれ。』
__________………
ミラさんに連れられて焚き火の方へ戻る。
ミラさんはナクティス達の元から戻ってきたわたしを見ても何も言わなかった。ただ一度わたしを抱きしめてから、わたしの手を引いてくれた。
焚き火のそばに戻って来ると、ミラさんに促されて簡易的な丸太の椅子に腰かける。炎の熱が少しずつ体を温めていく感覚が心地良くて深く息を吐いた。
「ロゼッタ!」
わたしの名前を呼ぶ声が聞こえた。
その聞き慣れた声にハッとして見ると、そこにはレイドがいた。
「レイド…!」
彼の名前を呼ぶと近づいて来たレイドにふわりと包み込まれた。安心したように深く吐かれた息をすぐ近くで感じる。その胸に耳を寄せれば、規則正しい心音が彼の存在をより感じさせてくれた。
わたしを包む腕の中から顔を上げて、彼の頬を両手で挟む。まだひんやりとしていて疲れも滲んでいるけれど、血色は悪くないことに安心する。そして何より、彼の綺麗な紅玉の瞳がわたしを映していることが嬉しい。
「よかった。すごく怖かった。」
もともと冷えていた身体に、ヴァイツさんを庇って冷気を浴びたレイド。霜を被った身体、血の気を失った顔…。あの時の光景と恐怖は今でも鮮明に思い出せる。二度とその瞳を見ることができないのではと怖かった。だからこそ、その瞳がわたしを見つめていることが嬉しいのだ。
おもむろにレイドが右手でわたしの頬に触れた。その瞳が柔らかくわたしを見つめる。
「俺も怖かった。ロゼッタが無事でよかった。」
その優しい声音と瞳に、胸が詰まって何も返答できない。代わりにゆっくりと頷いた。
レイドは穏やかに微笑んでいたが、わたしの首に目をとめた。そこはラルフのナイフが掠った場所だ。着替えの時にミラさん達に手当してもらっている。
すると、途端にレイドの瞳が怒りを孕んだ。
「あいつ…!」
レイドはラルフが裏切ったと誤解したままかもしれない。そう思って、慌てて弁解する。
「違う、違うの。ラルフは裏切ったわけじゃなくて…。」
アイラさんを油断させようと、寝返った風を装っていたこと。同じ力を持つわたしの言葉ならアイラさんが聞いてくれるかもしれないと考えたことを説明する。しかし、レイドの表情はゆるまない。
「だがあいつはロゼッタを傷付けた。辛い思いだってさせた。…ロゼッタが許しても、俺は許せない。」
「レイド…。」
わたしから視線を逸らしたレイドは暗い表情をしている。
「おいおいレイド、ロゼッタを困らせてどうする。」
そんな雰囲気を振り切るように、いつの間にかそばに来ていたフォードさんが明るい声を出した。その言葉を聞いたレイドはハッとしたようにわたしを見て、バツが悪そうな顔をした。
「フォードさん!よかった、ご無事で…。」
すでに目覚めていたと聞いてはいたが、その姿を確認することができて安心する。フォードさんはわたしの言葉にニッと彼らしく笑って応えると、先程までとは一転し穏やかに言った。
「今お前達に必要なのは、身体を休めることだ。…喧嘩なら後でするといい。話し合う時間ならこれからたっぷりあるんだから。」
フォードさんの言葉に同意するようにミラさんも頷き、レイドも座るように促される、並んで座った私たちを見て、ミラさんは優しく笑う。
「二人はここで休んでいて。何かあったらすぐ周りの人に声をかけてね。」
そう言って、フォードさんと一緒に他の騎士に合流していった。フォードさんも目が覚めたとはいえまだ万全ではないはずなのに。いつものように明るく振る舞って、まずはわたし達を休ませてくれて…、先輩の強さを感じずにはいられない。身体が心配だけれど、優しい先輩達の言葉に甘えて少し休むことにした。
パチパチと焚き火の薪が爆ぜる音を聞きながら、レイドは言った。
「さっき、俺のパートナーと話した。寒い中ロゼッタを水に濡らしてしまったと落ち込んでいたんだ。…許してやってくれるか?」
「許すも何も、レイドのパートナーは私たちを助けてくれたんだもの。あのままだったら本当に危なかったわ。むしろお礼を言わせてね。」
水竜が水を操る力を使わなければ、わたしもアイラさんも亀裂の中に落ちていた。氷漬けになって目覚めたばかりなのにとても冷静に判断してくれたと思う。
「そうか。水竜も喜ぶよ。」
そう言って、しばらく沈黙が落ちる。
燃える薪はゆらゆらと不規則に炎を揺らし、時折、パキッと薪が爆ぜて火の粉が舞う。
それをぼんやりと見ながら、さっき別れたばかりのミラさん達のことを思う。慌ただしく動く騎士達に合流して、すぐに次の仕事に取りかかっていた。この焚き火へ戻る道の途中でも、周りを見渡せばみんながバタバタと動いていた。
今回の主犯とその竜の脅威は去ったが、町の人々の保護や、洞窟内に取り残された竜達の保護が残っている。その後は、雪に埋もれてしまった町の復興や住民の支援など、やるべきことは沢山ある。
少し休んだら、わたしも加わらなくちゃ。
そうは思うものの、焚き火から伝わる熱が冷えた指先や頬を温めるのに比例して身体が重怠くなっていく。毛布越しに触れるレイドの体温が心地良い。ゆらゆら燃える炎を見ていると、少しずつ瞼まで重くなってきた。
まだやらなきゃいけないことがいっぱいあるのに…。アルのことも心配だし、ナクティスのそばにもいてあげたいし。それに、考えなければいけないこともある…。
襲いくる睡魔に抗っていたが、ふと、頭を撫でられる感覚があった。その優しい手に柔らかく撫でられるたび瞼が重くなっていって、気が付けば彼の肩にもたれかかっていた。
「だめだよ。まだ…まだいっぱい…。」
やらなければいけないことが…。
「頑張りすぎだ。…おやすみ、ロゼッタ。」
優しい声音が耳に心地良い。瞼とともに考える力も落ちていくけれど、レイドの声も、匂いも、体温も心地良くて、ああなんて安心できる場所なんだろうと思う。全てが温かいこの場所で、睡魔の誘いに抗うことはできなかった。




