第43話 守りたい
ヴァイツさん達が外へ出て、ここにいるのは四人だけとなった。アイラさんは座り込んだ彼女のお母さんの背中に手をあてて、深呼吸するように促している。
「母さんしっかり。大丈夫、あの竜は外へ出ていったわ。」
アイラさんの言葉に頷くが、その顔は真っ青だ。よほど怖かったのだろう。
「アイラ、おばさんは休ませよう。ここは冷たいし、どこか休める所はないか?」
ラルフが提案するとアイラさんは頷く。
「この洞窟の中に、町のみんなが待機している場所があるわ。そこなら多少暖かいはずよ。…母さん歩いて行ける?」
「…あなたを置いて、行けないわ。」
具合の悪そうな顔でアイラさんを見つめ、ふるふると首を横に振る。手も震えているのに、その目にはアイラさんへの心配が滲んでいる。
「私の心配なんていいのよ。ラルフもいてくれるし。…町のみんなに何か言われるようなら、私が竜を使って脅したと言って。」
この町の人達がいる場所はここよりも環境が良さそうで少し安心する。だけど、アイラさんの物言いが引っかかる。まるで、自分一人を悪者にするような…。
「そんなに具合が悪そうな人に詰め寄る奴なんてこの町にはいない。おばさん、休んできたほうがいいよ。」
ラルフにも言葉で背中を押されて、アイラさんのお母さんはやっと頷いた。アイラさんの手を借りてよろよろと立ち上がり、来た道を戻っていく。ここに来る途中にあった二股の道の片方が、町の人達がいる場所だったのだろうか。
アイラさん達は穏やかに会話していたが、ラルフは私の首にナイフを向けたままだ。
アイラさんは私を見ると、一歩近付いてきた。
「…竜の力を持っていると聞いていたけれど、目も髪も王族の色じゃないのね。さっきの一瞬だけは金色の目になっていたけれど…。」
そういうアイラさんは髪の色は茶色で、その瞳は薄い黄色をしている。瞳だけは金色に見えなくもないが、王族の色とは程遠い。
「王族の色を持たない私達が竜の力を持っていて、王族の色を持つ人達が力を持っていないなんて、皮肉ね。」
「……。」
アイラさんはわたしに笑いかけるが、わたしは何も答えない。みんなに酷いことをした人と話す気になんてならない。
「…大人しくしていてくれれば傷つける気はないわ。要求が通るまで時間がかかるでしょうし、お話ししていましょうよ。」
尚も私の応える気がない様子を見て、アイラさんは深く溜息を吐いた。
「アイラ大丈夫か?顔色が良くないぞ。」
「大丈夫よ。…少し疲れただけ。」
ラルフの言葉通りアイラさんの顔色は悪く、疲労が溜まってきているようだ。もともと身体が弱いというのに、こんな状況できっと無理をしているはずだ。
その時、ドンッという衝撃音が聞こえた。
「!!」
続けて、ナクティスと白銀の竜の咆哮が響く。
けたたましい音と響くような振動で理解した。始まってしまったのだ…二体の古竜の戦いが。
ナクティスによって開けられた穴からは二頭がぶつかり合っている姿が見える。ナクティスは白銀の竜のことを盟友と呼んでいた。そんな大切な存在と戦わなくてはならないなんて…。
彼の心の内を思うと胸が苦しくなる。
「アイラさん、今すぐこんなことはやめて。二頭はわたし達のために争っているわ。こんなこと、本当はどちらも望んでいないはずよ!」
わたしは必死にアイラさんへ呼びかけたが、彼女は表情ひとつ変えずぴしゃりと言い切る。
「私の望みはリータスの望みよ。さっきから言っているじゃない、邪魔しないでって。あなたの竜を傷つけたくないのなら、あなたの竜に大人しくするように伝えて。」
大切なパートナーが身も心も傷付こうとしているのに、アイラさんは何でもないことのようにそう言う。そんな飄々とした態度を取られて悲しいし、悔しい。
「動くなロゼッタ。…怪我したくないだろ。」
ラルフがわたしを掴む手により力を込めた。掴まれたまま後ろを振り返る。ラルフ!あなただってこんなことは間違っていると思うでしょう…!そんな気持ちを込めてラルフを見つめるけれど、視線は合わない。
アイラさんやそのおじいさん、ご先祖さまの無念を思うと胸が痛くなる。辛く悔しい思いをしてきたのだと分かる。でもそれは、誰かを傷つけてもいい理由にはならない。大切な人達を、大好きな竜を、傷つけていいはずない。
再び衝撃音と、悲鳴のような声が聞こえた。
ハッと空を見て、目の前の光景に息を呑む。
ナクティスの黒い身体から真っ赤な血が流れている。アイラさんの竜も、その白銀の身体を血に染めている。
そんな状態でもギラギラ光る金色の瞳が互いを見ていて、決着がつくまで止まらないという意思を感じる。
「ナクティス!!!」
だめよ!どちらももうやめて!
傷つけ合う二頭を見ていられない!
思わず前に踏み出そうとしてチリッと首に熱さを感じた。ナイフが掠ったのかもしれない。
「っ!ロゼッタ…!」
ラルフに強く腕を引かれ、無理に動こうとしたわたしを再度拘束する。腕や肩が痛いけど、今そんなことはどうでもいい。
「ラルフ離して!これ以上見ていられない!ナクティスも白銀の竜も傷つけ合う必要なんてない!!」
わたしが絞り出した声は悲鳴にも似ていて、やっとラルフと目が合った。わたしを見るその瞳は揺れていて動揺しているのが分かる。苦しい顔で、奥歯をギリリと噛み締めている。
二頭は戦いたくないはずなのに、わたし達人間のせいで争わせている。
今ナクティスとは離れているけど、彼の燃えるような怒りや悔しさ、胸の底に穴を開けてしまいそうな悲しさが伝わってくる。
痛くて苦しい感情に襲われながら、ナクティスが言った、いつだって竜を狂わせるのは人間だという言葉を思い出す。わたし達人間が互いに争うから、それぞれの方へ手を差し伸べた竜までその争いに巻き込まれている。
「アイラさん!あなたもあの竜と絆を結んでいるなら分かるでしょう?嫌だ、苦しいって、悲鳴を上げているわ!」
アイラさんは口を結んで何も言わない。
でも、竜達が傷つけ合っているこの状況に何も思っていない訳ではないことは分かる。だって、わたしは気が付いた。二頭が血を流しているのを見た時、動揺したようにわずかに表情が歪んだのだ。
畳み掛けるように声をかけ続ける。
「…わたしは竜が好き。その姿も気高い心も、尊くて素敵な生き物だと思うわ。絆を結んで、もっと彼の心に近付くことができて…、彼がわたしを守ろうとするように、わたしも彼を守りたいと思ってる。それはアイラさんも同じでしょう?大切なパートナーに傷ついて欲しくないと思っているはずよ。」
硬く結ばれたアイラさんの唇が震えて、感情を押し殺したような声音が響く。
「…そんなこと当たり前よ。でも私と私のパートナーは、傷付いても望みを叶える選択をしたの。望みを叶える覚悟を決めたの。」
震える声は彼女の心の中の激情を表しているようだ。手が白くなるくらい強く握りしめていて、彼女の意思の強さを知る。
だけど、彼女のやり方は間違っている。竜も人も傷付けるようなやり方が正しいとはどうしても思えない。
「…ねえ、ロゼッタ分かって。」
何もできない現状に歯噛みするわたしへ、アイラさんは懇願するように言った。今まで憮然とした態度を貫いてきた彼女から、初めて聞いた弱々しい声だった。
「私達はもう、後戻りなんて…。」
揺れる薄黄色の瞳がこちらを見た時、突然、バキンッと大きな音が聞こえた。アイラさんがよろめいたかと思うと、その足元の氷に亀裂が入った。
「きゃあっ!」
「アイラ!」
亀裂の先の暗闇に吸い込まれそうになったアイラさんの右手を駆けつけたラルフが掴む。
そしてもう片方の手はわたしが握った。
「貴女…。」
アイラさんはわたしに握られた手を驚いたように見る。わたしとラルフがそれぞれ手を握っているものの、彼女の足は宙に浮いた状態だ。
ひとまず、アイラさんが落ちてしまわなかったことに安堵する。ナクティスがこの洞窟に空けた穴から、亀裂が入ったのだろうか。ここはとても頑丈そうに見えたのに。
…ううん、今はとりあえずアイラさんを引き上げないと。更に亀裂が深くなるかもしれない。
ラルフを見ると、彼もこちらを見ていた。互いに一つ頷き、力を込めてアイラさんを引っ張り上げる……はずだったのだが。
パキンッ
「アイラ!ロゼッタ!」
氷に更に亀裂が走り、ラルフと私達を引き離した。ラルフは落ちることは免れたが、物理的に距離を取らされてその手はアイラさんから離れてしまった。
「うっ、んっ…!」
二人で支えていたアイラさんの体重をわたしが引き受けることになり、ギシギシと腕や肩にかかる負荷に思わず呻く。
なんとかアイラさんを引き上げなきゃいけない。だけど腹這いになった体勢ではうまく力が入らない。訓練生の頃からわたしの課題は体力だったけれど、それをこんなに恨めしく思ったことはない。アイラさんを落とさないようにと、両手で彼女の腕を掴んでいることで精一杯だ。
ラルフがこちらに来ようとしてくれているが、彼の前にも深い溝ができているようだ。
「…離して。」
「え…?」
この状況をなんとかしなくてはと思案しているところへ、ポツリと声がした。声の主を見ると、アイラさんは睨むようにわたしを見ていた。
「離してって言ったの!貴女に助けられるくらいなら、このまま落ちた方がましよ!この手を離して!」
アイラさんは怒鳴りつけるように叫んだ。
彼女が叫んだ後ここには、大声を出した彼女の荒い息遣い、ラルフが息を呑む音、アイラさんを支える私の短い呼吸が響いていた。
だけど私には、この氷の洞窟がシンと静まり返ったように感じられた。
死に瀕した状況で、それでもわたしに助けられるなんて許せないと…。その結果待っているものは死だということを理解した上で、彼女は言った。
その言葉に込められた鋭利な刃が胸を刺し、冷たい重みが更に胸を潰すようだ。
キィンと耳鳴りがして、わたしはうまく呼吸できていないことに気がついた。
うまく息を吸えなくなった肺でやっと呼吸すると、胸の重みはそのままだが少し頭がすっきりした。
そして、わたしは彼女の目を見て言う。
「嘘よ。」
短く告げた言葉に、アイラさんは目を見開く。その薄黄色の瞳が揺れている。
彼女の手に触れて分かったことがある。
氷の亀裂に落ちる時、咄嗟に掴んだその細い手はとても冷たくて、じっとりと汗ばんでいた。わたし達の前で余裕のある態度をとっていたけれど、その心の内はそうではなかったことをありありと示している。彼女の青白い顔も、震える唇も、寒さのせいだけではない。彼女はこの状況を怖いと思っている。
何か言いたそうに、唇を小さく開いては閉じてを繰り返す彼女へ呼びかける。
「ラルフから聞いてるわ。アイラさん、あなたは本当は優しい人よ。手を離せばわたしを巻き込まないで済むって考えたんでしょう?手を離して、なんて嘘だわ。」
彼女は細い喉をゴクリと鳴らした。
会ったばかりの彼女のことを完璧に推し量ることなんてできない。仄暗い思いを抱えて、村の人々や竜騎士の仲間達に酷いことをしたのは事実だ。許されることではないと思う。
でも、ラルフから聞いてきた彼女の思い出や、白銀の竜が彼女を見つめていた目からは、どうしても優しい人物像が浮かび上がるのだ。
「仲間にも、竜にも、酷いことをした貴女を許せない。…それでもわたしは、この手を離すことなんてできない。」
「なんで…。」
瞳を揺らすアイラさんは、まるで幼子のように弱々しく見えた。わたしの体力も限界に近づいて、手は震えるし汗も滲んでいて、安心できる状況ではない。それでも、震える彼女を安心させるように優しく微笑みかける。
「あなたは大切な友達の、大切な人だもの。…それに、こんな状況じゃなかったら、私達…」
言いかけて、すぐそばでパキリと音が鳴った。
それと同時にぐらりと視界が傾いたことで、更に広がった亀裂にすべり落ちているのだと理解した。
ラルフの声が遠くに聞こえ、流れる視界がとてもゆっくりに感じる。アイラさんがギュッと目を閉じるのが見えた視界の端で、何か動いたような気がした。
「!」
それが何なのか理解する前に、落ちる方向とは逆の力に体を押し上げられ、気がつくと氷の床に打ち上げられていた。
何?どうなったの?
混乱する頭で周りを見ると、真っ先に目に入ったのはアイラさんだ。繋いだ手の先に彼女が横たわっている。目を瞑ったままの彼女に、まさか、と焦って指先で手首に触れ…、安堵する。じんわりとした温かさと、規則正しい脈が、彼女が生きていることを知らせてくれる。
しかし安堵したその途端、わたしの身体がブルブルと震え出した。亀裂の中の暗闇に落ち、命を落としかけて怖かったから…ではない。とてつもない寒さに襲われていることを自覚したからだった。服も髪もびっしょりと濡れ、それ自体の冷たさと、外気に体温を奪われてとても寒い。
「ロゼッタ、アイラ!」
いつの間にかラルフがそばに来ていた。わたしを見て意識があるのを確認し、次にアイラさんを見て呼吸と脈を確かめた。その顔が安堵に染まる。
「何が…起こったの?」
震えの止まらない唇で何とかたずねると、ラルフの後ろから返答があった。
『私だよ。乱暴なことをしてすまなかった。』
声の主を見てハッとする。答えたのは、レイドの水竜だった。
他の竜達と一緒に氷の中に閉じ込められていたけれど、氷が割れて抜け出せたようだ。団長、フォードさん、ラルフの竜、そしてアルも氷から出ている。彼らはまだ目覚めていないけれど、その胸は呼吸に合わせて上下している。
「水流を引き起こして、アイラとロゼッタを引き上げてくれたんだ。ああ、寒いよな、上着を…。」
ラルフが上着を脱ぎ出したのを見て、わたしはアイラさんを指差した。身体が弱いアイラさんはわたしより辛いだろう。ラルフは申し訳なさそうにわたしを見て小さく頷き、上着でアイラさんを包んだ。
「早く外に…。ナクティス達を止めなくちゃ。」
震える体を叱咤して起き上がる。ふらつく体をラルフが支えてくれた。腕の力を借りて立ち上がり、彼の目を見て問いかける。
「もう、いいよね?…アイラさんを止めて欲しかったのよね?」
「!……ああ、そうだ。」
ラルフはわたしの言葉に一瞬驚いた顔をして、すぐに辛そうな表情になり頷いた。
ナクティス達が戦い始めてしまった時、思わず身を乗り出したわたしを見て、ラルフは焦ったようにナイフを引っ込めた。刃がわたしの首に掠ってしまったのを見て、一瞬表情を歪めていた。その時に、ラルフは本当はわたしを傷つける気はないと理解したのだ。
「アイラにはもう、俺の言葉は届かない。でもロゼッタなら…、同じ力を持つロゼッタの言葉なら、聞いてくれるんじゃないかと思ったんだ。」
優しいラルフは、大切な幼馴染をなんとかして止めたいと一生懸命考えたのだろう。
ラルフがわたしを正面から見た。いつものハツラツとした彼とはかけ離れた、弱々しい瞳をしている。
「騙して、傷つけて、ごめん。」
ラルフが悪いことをしたなんて思えない。彼はただ、アイラさんを守りたかっただけだ。その想いは、彼が幼い頃からきっと変わらない…アイラさんへの愛情故にだ。
「いいの。…もういいの。みんなの所に行こう。」
アイラさんは気絶しているようで、もう抵抗することはできない。ラルフは彼女を抱えて歩き出し、わたしもレイドの水竜に支えられながら前へ進む。早く、早くと焦る心とは裏腹に、思うように動かない身体をなんとか動かして、ナクティスによって開けられた穴にたどり着いた。
洞窟の外から吹き込む風が身体を冷やし、身震いする。襲い来る寒さに耐えながら上空を見上げれば、二頭の竜達はいまだ争い合っていた。こんなこと、本当はどちらも望んでいないはずなのに…。
「ナクティス!リータス!もう止めて!」
精一杯声を出して二頭に呼びかける。
もういいの、争う必要なんてないの。
そんな思いを込めた言葉は彼らに届いた。二頭の金色の瞳が私達の姿を捉える。
"リータス"は、アイラさんが呼んでいた白銀の竜の名だ。わたしには教えられていない彼の名を呼ぶことは憚られたが、彼にも聞いてほしかった。
彼は私達と意識を失った主人の姿を認めると、そっと目を伏せた。そして、ゆっくりと地上へ降下していく。力なく項垂れるその姿からは、もう、戦う意思は感じ取れない。
ナクティスは、そんな彼をただ見つめていた。




