第41話 永禄8年、始めました
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第41話 永禄8年、始めました
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永禄8年1月。
昨年末のことだが、伊東義祐が降伏した。
ゆっくり確実に締め上げた結果だ。
伊東義祐はがんばった。
がんばり過ぎた。
最初に野戦で負け、籠城した。
伊東義祐は城をとっかえひっかえして籠城戦を繰り返した。
こちらが我慢できずに引き返していくのを期待していたのかもしれない。
だが、こっちは数年だって戦えるだけの継戦能力がある。
我慢すればなんとかなると思ったら、大間違いだ。
そして、抗い続けることができなくなって、降伏した。
伊東義祐は長い戦いに疲れているように見える。
一戦もせずに従属しておけば、今も日向の国主だっただろう。
だが、無駄に戦いを長引かせたことから、10分の1以下の宮崎郡の一部に15,000石のみ安堵に終わる。
こちらのかかった費用と歳月によって、従属した者に安堵する領地を決める。
もし東部方面軍に大きな被害があったら、15,000石さえ安堵してなかっただろう。
ああ、そうだ。
国分直頼が死んだそうだ。
追放後、どこかを頼ろうとして移動中に心臓発作を起こしたようだな。
鍋寿丸が死んでよかったと言うヤツだから、罰があたったんだ。
さて、昨年の収支だ。
銭の鋳造は200,000貫。
鐚銭の造り直しは2割ほどになっている。
椎茸は40,000貫。
明との直接交易が可能になり、広大な市場が開かれた影響が出ている。
これでも生産が追いついていない。
玻璃は60,000貫。
こちらも明の市場が解放されたことで、需要が爆上がりしている。
鉄砲は2,000挺を生産し、20,000貫を支出。
これほどの生産体制を作ってくれた土橋氏康には感謝だ。
土橋氏康自身は東部方面軍の副将として前線に出ているが、生産体制はその配下が維持してくれている。
走破船は0隻。
疾風船は2隻建造し、2,800貫の支出。
韋駄天船は20隻を建造し、16,000貫を支出。
造船のほうも順調だ。
造船所の増設、船大工の育成、利益の分配と貞安はよくやってくれている。
硝石は1,000斗を生産し、20,000貫を支出。
宗像領内の複数個所で硝石を生産することで、効率的に生産できている。
明・朝鮮・澳門交易は300,000貫。
明の市場が開かれたことで、博多の商人たちが色めき立っている。
交易の手間賃2割で、60,000貫の支出。
硝石購入(博多商人)は5,000貫の支出。
水あめ菓子(新製品)は3,000貫。
常備兵は20,000人で、500,000貫の支出。
シャボンは35,000貫。
俵物三品(鮑、海鼠、フカヒレ)は50,000貫。
生産分配(鉄砲生産、硝石生産、造船、農業振興、大筒生産、石炭採掘、蒸留酒醸造、鉱山開発3カ所)は20,000貫の支出。
余剰米販売は100,000石で、200,000貫。
余剰雑穀販売は30,000石で、45,000貫。
津料などの税は200,000貫。
戦費は40,000貫の収支。
領内の整備(治水工事、街道整備、開拓・干拓事業)は30,000貫の支出。
綿布は7,500反を生産し、7,500貫の支出。
船の帆はとにかく綿布が大量に要るが、ここまで生産してくれると、転売が可能になってくる。
今年あたりから、転売を考えようと思う。
蒸留酒(2種類)は20,000斗の生産で、14,000貫。
大筒は25門生産で、30,000貫の支出。
銀10,000貫(重さ)を出荷し、最終的には銭2,500,000貫になって返ってきた。
銀1匁(3.75グラム)で銭100文くらいだと思ってもらえばいい。
つまり銀1貫で銭100貫(100,000文)だ。
銀を交易品に替えたり、南蛮との金銀相場の差を利用し、多くの儲けが出た。
元はガチャの景品の銀なだけに、こんなに儲けていいのかと思うほどだ。
石見銀山を手に入れた毛利が、強かったのも理解ができる経済力だ。
もっとも、毛利は銀を銀として扱ったが、儂は銀を商品として扱う。
だから、その差が儂を上に押し上げてくれる。
昨年の最終収支は2,544,100貫のプラスになった。
すっげー気持ちが大きくなった気分だよ。
外洋航海ができる船3種が、合計で100隻以上になっている。
宗像水軍の船を旧式から全て新造船に置き換えることができる。
置き換えで不要になった船は、松浦、天草、豊後の海賊たちに与えられる。
ただし、新造船の全てを貿易に使うことはできないし、その逆に軍事利用にも全隻を回すことはできない。
それに、走破船の1番艦はそろそろ10年選手になるため、あと何年使えるか分からない。初期型は漆を塗っているし、最近はタールを塗っているから和船よりは長持ちすると思うが、どれほど長持ちするかはこれから分かる感じだ。
だから、これからも建造を推し進め、いつ初期型が廃船になってもいいようにしておく。
永禄8年3月。
西部方面軍が薩摩の島津と激突した。
そして西部方面軍は、敗退した。
預けてある常備兵にも500人の被害が出た。
釣り野伏せにかかったのだ。
さすがは島津だ、強い。
とはいえ、後退する西部方面軍への追撃はなかった。
する余裕がなかったのだろう。
島津は大隈に勢力を伸ばしており肝付と激しく争っているが、伊東とも争っていた。
その伊東が降伏し、東部方面軍が出張ってきた。
これを押さえる軍も必要だったことから、西部方面軍を追い返すだけで精一杯だったのだろう。
儂はすぐに築後勢に出陣を命じた。
西部方面軍が負けたことで百姓兵は離散した。
全員が再集結することはないだろう。
だが、常備兵は違う。
彼らはすぐに再集結する。
だから、築後勢に5,000の兵を率いて西部方面軍に合流せよと命じた。
さらに、薩摩に再侵攻を命じた。
島津が体制を整える前に、侵攻させた。
そんなことしていたら、綾瀬が女の子を産んでくれた。
永禄8年5月。
肝付兼続は戦わずに降伏した。
だから、大隅郡、肝属郡、囎唹郡105,000石は安堵した。
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