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厄介な世界。最低な結婚。最高の人生。  作者: 空琴累音


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ep.40 家

 昼食のあと、私たちはすぐに作業へ戻った。


 厩舎は、もう柱と横木だけのものではなくなっていた。三方に板が渡り、奥には少しだけ深い影ができている。まだ隙間は多いし、板の高さも揃いきってはいない。だが、風を受け流す向きだけはどうにか形になっていた。


「こちら、もう少し詰めますか」


 レディヴィアが板を支えたまま尋ねる。


「ええ。少しだけ詰めましょう」


 私が答えると、彼女は素直に板をずらした。私は風で細い穴を通し、木杭を差し込む。湿った木が低く鳴り、板が柱へ留まる。


 それを何度も繰り返した。


 レディヴィアが持ち上げ、私が合わせる。

 レディヴィアが支え、私が留める。

 位置がずれれば二人で少し戻し、傾けばまた直す。


 最初は何度も板が浮き、杭が浅く、柱がわずかに傾いた。

 そのたびにやり直した。

 嵐に耐えられる家を作るのだから、手は少しだけ慎重になる。


 途中から、ルルティナも加わった。


 彼女は大きな木材には触れず、厩舎の内側へ入って、床の具合を確かめていた。泥の深いところへ石を寄せ、へこんだところへ古い板を置き、奥へ乾いた藁を運び入れる。


「入口に近いところは薄くしておきます」


 ルルティナは藁を広げながら言った。


「奥のほうを厚くしたほうが、休むにはよろしいかと」


「なるほど」


「水桶は、入口の近くがよいと思います。奥へ置くと、蹴って倒した時に寝床が濡れます」


 私は思わず手を止めた。


「そこまで考えるのですね」


 ルルティナは少しだけ目を瞬かせ、それから視線を落とした。


「……馬の世話をする者たちから、少し聞いておりましたので」


「助かります」


 そう言うと、彼女は曖昧に笑ったまま浅い礼を返した。その後で、持っていた藁をもう一度抱え直し、奥へ丁寧に敷いた。


 屋根は、完全なものにはならなかった。

 板材の長さも厚みも揃っていない。隙間もある。まだ完全には雨を防ぐことはできないだろう。


 それでも、奥の藁へ直接落ちる水だけは避けられるはずだった。


 最後の横木を渡し、入口の上へ短い板を重ねる。

 レディヴィアが両手で押さえ、私が木杭を二本打ち込む。ぐ、と鈍い抵抗があって、板は動かなくなった。


 私は一歩下がった。


 厩舎は、立っていた。


 立派なものではない。

 壁は粗く、屋根の縁も不揃いで、柱も少しだけ太さが違う。

 それでも、風を遮る壁があり、雨をしのぐ屋根があり、奥には藁が敷かれ、水桶も置かれている。


 ルルティナが藁の端を整え、最後に桶の位置を少しだけ入口側へ寄せた。


「……これで、ひとまずは」


 彼女がそう言う。


 私たちは三人並んで、できあがった厩舎を見た。


 しばらく、誰も何も言わなかった。

 木と藁と濡れた土の匂いがある。まだ新しい木肌の色が、ところどころ明るく覗いていた。


「城の中だけではなく」


 私は、厩舎を見たまま呟く。


「外にも、私たちの家ができましたね」


 レディヴィアはすぐに答えた。


「ソルとロアの家です」


「ええ」


 ルルティナは一度だけ厩舎を見上げてから、こちらに振り返った。


「では、早速、ソルとロアを呼んで参ります」


「お願いします」


 私がそう言うと、ルルティナは頷き、前室のほうへ向かった。


 その背を見送ってから、レディヴィアが厩舎へ近づいた。柱の一本へ手を触れ、厩舎を見渡す。


「嵐に耐えられるでしょうか」


 私は彼女の横へ立つ。


「たぶん大丈夫、では困りますから」


 そう言って、右手を上げた。


 いきなり強くはしない。

 まず、入口へ風を通す。厩舎の奥へ流れた風が藁を少し揺らし、水桶の表面に細い波を立てた。壁は動かない。


 次に、横から押す。

 板の継ぎ目が、こ、と小さく鳴った。

 レディヴィアの手が、わずかに柱へ添えられる。


「もう少し強くても大丈夫そうです」


 私は風を少し強めた。


 屋根の端が一度だけ低く鳴る。

 だが、柱は沈まない。横木も抜けない。板の隙間から風が逃げるだけで、厩舎そのものはそこに立ったままだった。


 最後に、屋根を押し上げるように風を当てる。

 不揃いな板が一斉に鳴った。まるで厩舎自身が、少しだけ不満を漏らしたみたいだった。


 けれど、それだけだった。


 私は手を下ろす。

 知らないうちに止めていた息を、ゆっくり吐いた。


「……大丈夫そうですね」


 レディヴィアも同じように、少しだけ肩の力を抜いた。


「はい。ちゃんと立っています」


 その声には、控えめな安堵があった。

 私たちは顔を見合わせる。

 どちらからともなく、ほんの少しだけ笑った。


 そこへ、蹄の音が近づいてきた。


 ルルティナが、ソルとロアを連れて戻ってくる。

 二頭は新しい匂いに気づいたのか、少し首を高くしていた。ソルは入口の手前で足を止め、耳を前へ向ける。ロアはその横から、先に鼻先を伸ばした。


「こちらです」


 ルルティナが静かに促す。


 ロアが先に一歩を踏み入れた。

 藁を鼻先で嗅ぎ、前脚で軽く踏む。敷かれた藁が沈むと、もう一度踏み直し、それから低く鼻を鳴らした。


 ソルはまだ入口にいた。

 じっと中を見ている。壁、屋根、水桶、奥の藁。ひと通り確かめたあと、ようやくゆっくり入ってくる。


 二頭が並ぶと、厩舎は思ったより広く見えた。

 いや、実際にはそれほど余裕があるわけではない。ただ、二頭が身体を向け直せるだけの幅はある。奥で休むこともできる。


 ソルは首を伸ばし、壁に頬を擦りつけた。

 ロアは水桶に鼻を寄せ、すぐには飲まず、表面を揺らすだけにした。


「気に入ってくれたのでしょうか」


 レディヴィアが真面目に言う。


「たぶん」


 と言いかけて、私は口を閉じる。

 それから言い直した。


「気に入ってくれたように見えます」


 ルルティナが少しだけ目元を和らげた。


「ええ。嫌がってはいないと思います」


 私たちは厩舎の中へ入り、二頭のそばへ寄った。

 私はソルの首筋を撫でる。毛は少し湿っていたが、前室にいた時より落ち着いている。ソルは一度だけ鼻を鳴らし、私の肩へ鼻先を近づけた。


 レディヴィアはロアを撫でていた。

 ロアは彼女の手に首を預けるようにして、目を細める。


「よかったです」


 レディヴィアが言う。


「はい」


 ルルティナも、ソルの鬣をそっと整えながら頷いた。


「今夜から、ここで休めますね」


 その言葉を聞いた時、ようやく完成したのだと思えた。


 柱を立てた時でも、屋根を張った時でもない。

 形が出来て、住むべき者がいて、そうして初めて家は完成なのだろう。


 その時、入口の外で、草を踏むような小さな音がした。


 三人とも、そちらを見る。


 ノクトがいた。


 いつから見ていたのか分からない。

 入口の横に立ち、黄みがかった目でこちらを見ている。濡れてはいない。どこかで雨を避けていたのだろう。鉄色の毛は少し乱れているが、昨日よりずっと落ち着いていた。


「ノクト」


 レディヴィアが呼ぶ。


 ノクトは返事をしない。

 ただ、当然のように厩舎へ入ってきた。


 ソルが耳を動かす。

 ロアが鼻先を向ける。

 ノクトは二頭のあいだを避けるように歩き、壁をひとつ嗅ぎ、藁を踏み、水桶をちらりと見た。首をゆっくり巡らせて、厩舎の中を確認する。


 それから、入口から少し離れた端へ行き、身体を丸めた。


 あまりに自然だった。


「……使うようですね」


 私は小さく言った。


 ノクトは目だけをこちらへ向ける。

 許可を求めている顔ではなかった。むしろ、もう決めた後の顔だった。


 レディヴィアはノクトを見つめたまま、少し考えるように言った。


「ノクトにも、家が必要でしょうか」


「住む気があるなら、必要になるかもしれません」


 私が答えると、ルルティナが厩舎の中を見回した。


「厩舎は、思ったより広くできております」


 彼女は入口側と奥を見比べ、それからノクトが丸まっている端へ視線を向ける。


「ひとまず、仕切りだけ作ってはいかがでしょう。ソルとロアが休む場所と、ノクトが伏せる場所を分けておけば、お互い落ち着くかと」


 レディヴィアが頷いた。


「仕切り」


「はい。完全な部屋でなくても、板を数枚立てるだけで違うと思います」


 私はノクトを見る。

 ノクトは聞いているのかいないのか、尾の先だけを一度動かした。


「では、そうしましょうか」


 私が言うと、レディヴィアはすぐに厩舎の外へ向かった。


「板を持ってきます」


「私は藁をもう少し」


 ルルティナも続く。


 私は厩舎の中に残り、ソルとロアの首を順に撫でた。

 ノクトは端で丸くなったまま、薄く目を開けている。


「あなたの場所も、作りましょうね」


 そう言うと、ノクトは短く喉を鳴らした。

 返事なのか、ただの息なのかは分からない。


 けれど、満足そうに尾を揺らした。

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