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厄介な世界。最低な結婚。最高の人生。  作者: 空琴累音


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ep.37 それぞれの作業

 まずは、それぞれの支度を整えることになった。


 ルルティナが物置から厚手の外套を二着取り出してくる。どちらも普段のものより丈が長く、肩から背へかけての布が多い。襟の内側にはまだ乾いた獣毛のぬくもりが残り、畳まれていた折り目がきちんと残っていた。


「こちらのほうがよろしいかと」


 ルルティナはそう言って、片方を私へ、もう片方をレディヴィアへ差し出した。


 広げてみると、どちらもフード付きだった。雨の中で動くことを前提に作られたものらしい。布地は重いが、そのぶん目が詰まっていて、肩へ掛けるだけでも普段の外套よりずっと頼もしく感じられる。


「助かります」


 私が言うと、ルルティナは小さく頷いた。


「今日は風もございますので、首もとまで閉じてくださいませ」


 その言い方に、私は目元を和らげる。

 もう侍女ではないと言ったばかりなのに、こういうところは自然に出るらしい。けれど今は、それをいちいち正さなかった。たぶん、それでよかった。


 私は実用着の上から外套を羽織り、肩を揺らして具合を確かめる。重さはあるが、動きにくいほどではない。フードを上げてみれば、頬の横まできちんと覆ってくれた。雨を受けるなら、このくらいでちょうどよい。


 レディヴィアもまた、静かに外套へ袖を通している。

 黒髪をひとつへ寄せ、角へ布が引っかからぬよう少しだけずらす。その仕草はぎこちなくはないが、慣れているわけでもない。私は近づき、フードの縁をそっと持ち上げた。


「少し、失礼します」


「はい」


 角の根元に布が当たらぬよう左右を整え、顎の下の留め紐を結ぶ。


「これで大丈夫です」


「ありがとうございます」


 レディヴィアはそう言ってから、自分の袖口と胸元を見下ろした。


「ちゃんと、雨の日の人みたいです」


「ええ。今日はちゃんと、そうしないと困りますから」


 レディヴィアは小さく頷き、それからルルティナのほうへ向き直る。


「行ってきます」


 それだけの短い言葉だった。

 ルルティナが目を上げ、ほんの少しだけ表情をやわらげる。


「……お気をつけて」


 私はそのやりとりを見てから、レディヴィアへ小さく頷いた。


「無理はなさらないでくださいね」


「はい」


 そう返して、レディヴィアは扉へ向かう。

 開けた途端、湿った空気がすぐに流れ込んだ。細かな雨がまだ落ちているらしい。


 私はその背を見送り、扉が閉まる音を聞いてから、ルルティナへ振り返った。


「私は沢を見てきます」


「水路ですね」


「ええ。嵐のあとですから」


 ルルティナは頷き、すぐに言う。


「戻られたら、濡れた外套は火の近くへ広げてくださいませ」


「はい」


 それだけ返して、私も外へ出た。


 城の外は、雨こそ本降りではなかったが、どこも昨日の嵐の名残を抱えていた。

 白かった雪はほとんど溶け、石のあいだには黒い水がたまっている。地面は柔らかく、踏めば湿った音が返った。空はまだ低く、灰色の雲が動き続けている。


 沢のほうへ向かう道も、ところどころで小枝や葉を流していた。

 私は裾を泥へつけぬよう少し持ち上げ、黒い土の上を慎重に進む。


 ほどなく沢へ着く。


 水は昨日より明らかに増えていた。

 流れそのものは暴れていない。けれど、石と石のあいだに、嵐が運んできた草葉や細枝が引っかかっている。浅いところほど溜まりやすいらしく、水の筋が何本か妙に歪んでいた。


「……やはり」


 そう呟き、私は沢の縁へしゃがみ込む。


 このままでは困る、というほどではない。

 けれど、放っておけば次の雨で土まで寄せてしまうだろう。そうなれば、城へ続いている水路のほうにも影響が出るかもしれない。


 私は片手を上げる。

 風ではなく、もっと軽いものを拾い集めるような力で、沢の縁へ意識を滑らせる。


 草葉が、ひとつ、ふたつと水面から持ち上がる。

 細枝も、泥をまとったままゆっくりと浮いた。濁りだけを掻き立てぬように、水の下へ細く力を通して、引っかかっていたものだけを掬っていく。嵐の残したものは思ったより多い。けれど、ひとつひとつは軽かった。


 それらをまとめて岸へ寄せる。

 雨に濡れた草葉の塊が、音もなく泥の上へ積もった。


 もう一度、水の流れを見る。

 さっきまで少しよどんでいたところが、今は素直に石のあいだを抜けていく。


「ひとまず、これで」


 誰にともなく言って、私は立ち上がる。

 フードの端から落ちた雫が頬をかすめた。冷たいが、気になるほどではない。


 そのまま今度は外庭のほうへ戻る。

 厩舎を立てるなら、まず木が要る。薪へ回した大木とは別に、柱へ使えそうなものを選ばなければならない。雨に濡れたまま削るのはよくない。

 今日は、伐って、分けて、運ぶところまでだ。


 私は外庭の端で足を止め、木々を見渡した。


 太すぎれば持て余す。

 細すぎれば柱にならない。

 真っ直ぐで、枝分かれの位置が高く、芯がまだしっかりしていそうなもの。


 しばらく見て、一本を選ぶ。

 雨を受けた樹皮は黒く濡れていたが、幹の立ち方は悪くない。根元の周りも崩れていない。風にやられた様子も薄い。


「……これにしましょうか」


 私は木の前へ立つ。

 手を当て、ひと呼吸ぶんだけ目を閉じた。


 斧はない。

 けれど斧でなくても、木を倒す方法はある。


 指先に風を集める。

 だが刃のようにはしない。

 細く薄く円にして、繰り返し同じところを削る形へ整える。


 最初のひと筋が入る。

 濡れた樹皮が裂け、下の白い木肌が覗いた。回転する円状の風が、雨音に紛れるほど小さな音で木を削っていく。


 やがて幹の奥で、低い軋みが生まれる。


 私は一歩だけ下がり、倒れる先の地面を見る。石はない。潅木も少ない。あとは余計な枝葉を軽く払ってやればいい。

 掌を軽く返すと、枝先の重みが片側へ寄る。


 次の瞬間、木がゆっくりと傾いた。

 急には落ちない。じわりと重心が移り、それからようやく、濡れた空気を切るようにして倒れていく。


 地に着く直前だけ、私はもう一度力を添えた。

 衝撃が散りすぎぬよう、落ちる速さを少しだけ奪う。木は大きな音を立てず、湿った地面へ重く横たわった。


 私は小さく息を吐く。


「……ひとまず一本」


 倒した木の幹へ近づき、私は節の位置を確かめた。


 柱に使うなら、まずは余計な枝を落とさなければならない。枝分かれの低いところは避け、なるべく真っ直ぐな部分を残す。幹そのものも、長すぎれば運びにくい。

 短すぎれば柱にならない。

 厩舎の骨組みを頭の中でざっと組み立てる。


 木の枝を払い、柱に使えそうな太さを見ながら、私は幹へもう一度だけ手を当てた。濡れた樹皮の下に、まだしっかりとした芯がある。


 ここから先は板にするのではなく、運べる長さへ分けるだけでよい。木口を開いたまま雨へ晒したくはなかったし、厩舎に要るのはいまのところ、壁や屋根を細かく作るための材ではなく、まず骨組みになるまっすぐな木だった。


 私は指先に風を集める。

 今度は円ではなく、もっと長く、鋭い刃に近い形へ整える。

 一息に斬り落とせるだけの、強い風の刃。


「……ここで」


 小さく呟き、刃を振り下ろす。

 幹が、鈍い音を立てて切断された。


 柱にちょうどよさそうな長さへ分けたものを、さらに二本、三本と作っていく。枝分かれのある部分はあとで薪へ回せばいい。いま必要なのは、真っ直ぐな材だった。


 分け終わったところで、私はひとつ息を吐く。

 見下ろせば、湿った地面の上へ、太い木がいくつも横たわっていた。一本で足りるかと思ったが、厩舎をそれなりの形へするには、やはりもう少し要るだろう。屋根を支える分まで考えれば、なおさらだ。


「……まずは運びましょうか」


 私はそう言って、手をかざした。


 木が静かに持ち上がる。

 地面すれすれに浮かせ、幹が揺れすぎぬようにして城のほうへ戻る。雨は細かいままだったが、風は朝よりずっとましだった。濡れた外套の端が脚へ当たるたび、冷えた水気が布越しに伝わる。


 前室へ運び込み、壁際へ積み重ねる。

 一本。二本。三本。


 薪の山とは違う。柱になる前提の長い材は、ただ置いてあるだけで場所を取る。馬を入れた時に狭いと思ったのは本当だったが、こうして見ると、前室はもともとそれほど余裕のある場所ではなかったのだと分かる。


 私はまた外へ戻る。

 同じことを何度か繰り返した。


 雨に濡れた黒い木を分割し、浮かせ、城へ運ぶ。

 前室へ並べる。

 また戻る。


 三往復目の頃には、壁際の空きがほとんど消えていた。

 ソルとロアを戻すには、これではさすがに窮屈だろう。ノクトならまだ隙間へ入り込めるかもしれないが、馬にそれを求めるのは気の毒だった。


 四往復目で、私は前室の扉口で立ち止まる。

 木はまだ残っている。けれど、もうここだけでは収まらない。


「……広間ですね」


 誰にともなくそう言って、私は材を広間へ運ぶことにした。


 正門を入ってすぐの片側へ、濡れた木を順に寝かせていく。

 広間は人の出入りをさばくための空間だけあって、前室よりずっと広い。だが、そこへ柱用の大木が何本も並ぶと、それはそれで妙な景色だった。城の広間なのに、急に材木置き場のように見える。


 それでも、仕方がない。

 厩舎ができるまでのあいだだけだ。


 私はもう一度外へ出て、残りを運んだ。

 濡れた幹は重く、掌へ返る力もだんだん鈍くなる。魔術で浮かせてはいても、扱う意識までは省けない。細い力をずっと維持しているせいで、肩の奥が少しずつ疲れてくるのが分かった。


 最後の一本を広間へ並べ終えたころ、ようやく私はひとつ大きく息を吐いた。


 その時だった。


 広間の入口に、ルルティナが立っていた。

 両手には濡れた雑巾と桶。どうやら広間の掃除へ来たらしい。けれど、その視線はすぐには私へ向かず、床に沿って並べられた大木の幹をひとつひとつ追っていた。


「……まあ」


 小さな声だった。

 驚いているのに、その驚きを大きな声へしないあたりが、いかにもルルティナらしかった。


 私は少しだけ苦笑する。


「前室だけでは足りなくなってしまいまして」


 ルルティナはようやくこちらを見る。

 それからもう一度、広間へ並ぶ木の列を見る。雨に濡れた黒い幹が、床の半分近くを占めている。掃除どころではないだろう。


「……広間の掃除は、後回しでお願いします」


 私がそう言うと、ルルティナはすぐに頷いた。


「はい」


 雑巾を持ったまま、彼女は木の列を避けるようにして少しだけ横へ寄る。


「こちらは、厩舎用でいらっしゃいますか」


「ええ。骨組みになるものを先に集めておこうかと」


 そう答えながら、私は広間に並んだ材を見回した。

 厩舎に要る分としては、ひとまず十分だろう。これ以上運び込んでも、今度は本当に人の暮らしのほうが押しやられてしまう。


「木はいったん、これくらいでいいでしょう」


 私がそう言うと、ルルティナも静かに頷く。


「それがよろしいかと」


 広間に並ぶ幹は、雨の日の城の中ではずいぶん場違いだった。

 けれど、場違いであることそのものが、いまこの城塞がただの廃墟ではなくなりつつある証拠にも思えた。使うための材が、生活のただ中へ入り込んでいる。整う前の雑然は、むしろ暮らしが始まっている証だった。


 私は外套の濡れた裾を軽く払い、それからルルティナへ向き直る。


「次は、外庭そのものを少し片づけてしまいます」


「外庭、ですか」


「ええ。厩舎を立てるなら、周りも見ておかないと」


 ルルティナは桶を抱え直し、少しだけ考える顔をした。


「お気をつけて」


「はい」


 それだけ交わして、私はまた外へ向かった。


 外庭は、嵐のあとで見れば、昨日よりもっと荒れて見えた。

 厩舎の残骸はそのままでも、ほかに目を向ければ、城塞らしい機能の跡がいくつも残っていた。


 崩れた兵舎。

 倒れた木柵。

 石で囲っただけの小さな畑らしき区画。

 半ば埋もれた水桶。

 どれも、かつて人がここで一定の暮らしをしていた証だ。兵だけの城ではない。長く留まる前提で作られた痕跡が、まだあちこちに残っている。


 私はそのうち、木造の兵舎の前で足を止めた。


 骨組みはもう傾ききっていた。

 板壁は剥がれ、屋根も半分以上落ちている。濡れた木は黒ずみ、踏み込めばどこから崩れてもおかしくない。直すというより、持ちこたえている残骸をどう扱うか考えるべき状態だ。


「……これは」


 ひとりごちて、私は周囲を見回した。

 使える材がまるでないわけではない。だが、選り分ける手間と危険を考えれば、新しく組んだ方が早い。いま必要なのは、古い形を延命させることではなく、ソルとロアが風雨をしのげる場所を作ることだった。

パソコンが壊れたので、不慣れながら携帯で書いています。読み辛かったり、更新が不定期になってしまいましたら申し訳ありません。

引き続き応援していただけますと幸いです。

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