第七百二話「魂を吸う壁と、姫殿下の『お星様のあしあと』」
王城の地下、かつて監獄として使われていたという「影の回廊」には、不気味な噂が絶えませんでした。窓一つないその場所を深夜に通ると、松明の明かりが消えたあとも、壁に白くぼんやりとした「人の形」が浮かび上がり、こちらを見つめているというのです。
騎士団の間では「無念を残した囚人の魂」だと恐れられ、夜回りの者たちもこの廊下だけは足早に通り過ぎていました。
そこへ、大きな懐中電灯代わりの光石を持ったシャルロッテが、モフモフを散歩させながらテトテトと現れました。彼女の後ろには、興味半分と恐怖半分で震えているフリードリヒ王子が、腰の剣をガチャつかせながら付いてきていました。
「シャル! ここは戻ったほうがいい。さっき壁の向こうに、白い人影が動くのを見たんだ。あれはきっと、この世の者ではない……」
「兄様、お膝がガクガク鳴ってるよ? 大丈夫だよ、あの白い人たちはね、とってもお洒落な『お写真さん』なんだから!」
シャルロッテはにっこりと笑い、光石の明かりを一度強く壁に当ててから、パッと手で覆い隠しました。
すると、真っ暗な闇の中に、今しがた光を遮っていたモフモフの丸い影が、壁の上にぼんやりと青白く浮かび上がったのです。フリードリヒが悲鳴を上げそうになった瞬間、シャルロッテは前世の化学知識を教えるように、その壁の秘密を解き明かし始めました。
この回廊の壁には、偶然にも大量の硫化亜鉛などを含む鉱石が塗り込まれていました。蓄光という現象によって、強い光を浴びた壁はエネルギーを蓄え、暗闇の中でそれをゆっくりと光として放出するのです。遮られた影の部分だけが光らず、周りが光ることで、まるで影がそこに「焼き付いた」かのように見えるのでした。
「見て、兄様。この壁さんはね、お外の景色をギュッて抱きしめて、忘れられないように頑張っているだけなの。だからね、怖いおばけじゃないよ。世界で一番大きな『思い出の画用紙』なんだよ!」
シャルロッテは壁の前に立ち、決めポーズをとると、フリードリヒに「光石を当てて!」とせがみました。言われるがままに王子が光を当てると、暗闇の中に「決めポーズをしたシャルロッテの影」が、完璧な輪郭で壁に残されました。
「わあ、すごーい! ねえ、兄様も一緒に写ろうよ。モフモフも、ここにおいで!」
シャルロッテに手を引かれ、フリードリヒも次第に恐怖を忘れ、壁に向かって剣を構えたり、おかしなダンスのポーズをとったりし始めました。光を当てるたびに、不気味だった影の回廊は、王族たちの愉快な「影絵の展覧会」へと塗り替えられていきました。
「……。ふむ。光を食べる壁、か。怪異だと思っていたものが、実は一瞬の輝きを記録するための魔法の装置だったとはな。これなら、夜の巡回も退屈せずに済みそうだ」
フリードリヒは、壁に残った自分の凛々しい騎士の影を見て、満足げに笑いました。
「えへへ。だって、暗闇を怖がって走って逃げるよりも、壁さんと一緒にお写真を撮るほうが、絶対可愛くて楽しいんだもん!」
翌朝、影の回廊を通った騎士たちは、壁に残された「抱き合う少女と子熊と、ピースサインをする王子」の白い残像を見て、腰を抜かすほど驚きました。しかし、その影が放つ不思議な温かさに、彼らの心からは奇譚への恐怖が、朝日と共に消え去っていったのでした。




