第七百一話「硝子の広間と、姫殿下の『お日様のお持ち帰り』」
王城の裏手、一年中冷たい影が落ちる「氷の入り江」と呼ばれる中庭がありました。石壁に囲まれたそこには冬の残り香がいつまでも澱み、春になっても花が咲くことはありません。
そこでは、第一王子のアルベルトが分厚い外交記録を読み耽っていましたが、寒さに指先をかじかませ、何度も白い息を吐き出していました。
「……。この場所は、平和の停滞の象徴のようだ。光は届かず、ただ静かに冷気だけが堆積し、沈殿していく……」
そこへ、モフモフの背中に巨大な硝子板を何枚も積み上げたシャルロッテが、鼻歌を歌いながら現れました。彼女の後ろには、困り顔の職人たちがさらに多くの硝子を運んできています。
「アルベルト兄様! ここで一緒にお日様の『お洗濯』をしようよ!」
「シャル? 何を始めるつもりだい。こんな日陰で硝子を並べても、光は集まらないよ」
シャルロッテはにっこりと笑い、職人たちに指示を出して、中庭の中央に巨大な硝子のドームを組み立て始めました。彼女は前世の物理学の記憶を呼び覚ましていました。太陽から届く短い波長の光は硝子を通り抜けますが、地面や壁に当たって温められた熱……長い波長の赤外線は、硝子を通り抜けることができずに室内に留まるのです。
「ううん。光はね、一度お部屋の中に入ると、お外に帰るのを忘れちゃうんだよ。これを『温かい内緒話の魔法』って言うんだもん!」
シャルロッテは光属性の魔法をごく微細に解放し、硝子の継ぎ目を密閉していきました。
ドームが完成した瞬間、不思議なことが起きました。空から僅かに降り注いでいた冬の弱い日差しが、硝子のドームを透過して中の石畳を温めます。すると、その熱がドーム内に閉じ込められ、数分もしないうちに、中の空気は春の野原のような柔らかな温かさを帯び始めたのです。
「見て、兄様。お日様を捕まえちゃった! ここにだけ、お空の未来があるんだよ!」
アルベルトが驚いてドームの中に足を踏み入れると、そこには別世界が広がっていました。外では冷たい風が吹いているのに、硝子の壁の内側だけは圧倒的な多幸感に満ちた熱気が満ちています。シャルロッテはそこに世界中から集めた不思議な機械や、珍しい植物の鉢植えを並べ始めました。
「……。信じられない。ただの硝子の囲いが、自然の理を書き換えて、永遠の春を創り出したというのか。これはまさに、未来を展示する光の宮殿だね、シャル」
アルベルトの冷え切っていた知性は、この「温室効果」という名の物理現象が生み出した奇跡に、これまでにない希望を感じていました。彼は書類を閉じ、暖かいドームの中でシャルロッテが淹れてくれたお茶を一口啜りました。
かつて死んでいた影の庭は、一人の少女の創意工夫によって、王国で最も新しく、最も眩しい「光の博覧会」へと変貌を遂げたのでした。
「えへへ。だって、震えて我慢しているよりも、お日様をギュッて閉じ込めて笑ってるほうが、絶対可愛いんだもん!」
巨大な硝子のドームは、夕暮れの光を反射して、城下町の人々が「あそこに地上の星が落ちた」と噂するほどに、いつまでも輝き続けていたのでした。




