第四百七十六話「船頭多き凧揚げ大会と、姫殿下の『空飛ぶお祭り騒ぎ』」
風が強い、晴れた日。
シャルロッテは、一枚の紙と竹ひごを持って、庭園の真ん中に立っていた。
彼女の願いはシンプルだった。
「今日は風がいいから、この凧を揚げて遊びたいな」
しかし、王城において、シャルロッテの願いが「シンプル」に終わることはまずない。
彼女が庭師のハンスに紐を結んでもらおうとした瞬間、その情報は光の速さで王城中に駆け巡ったのだ。
「姫殿下が凧揚げをご所望だ! 最高の凧を用意せよ!」
わらわらと集まってきたのは、それぞれの分野のエキスパートたち(つまり、過保護な家族)だった。
まず、第一王子アルベルトが、設計図を広げて介入した。
「待ちなさい、シャル。その形状では揚力が足りない。流体力学に基づいた、完璧な翼型構造にするべきだ。骨組みはカーボン素材、形状はデルタ翼に変更する!」
次に、第二王子フリードリヒが、鉄板を担いで現れた。
「兄上、甘い! 上空には強風が吹いている。敵の矢……いや、突風に耐えるには、装甲が必要だ! 表面をミスリル銀でコーティングし、耐久性を上げるぞ!」
さらに、マリアンネ王女が、怪しげな魔導エンジンを運んできた。
「風任せなんて非科学的だわ。自律推進型の風属性ブースターを搭載しましょう。これで無風状態でもマッハで飛べるわ」
そして、イザベラ王女が、大量のレースと宝石を持ってきた。
「あなたたち、機能ばかりで美しくないわ! 空に揚げるなら、地上から見ても優雅でなければ。尾翼にはシルクのリボンを三百本、本体にはスワロフスキーを埋め込むわよ!」
最後に、ルードヴィヒ国王が、巨大な黄金の王家の紋章を持って現れた。
「うむ! これを真ん中にドーンと貼れば、空の覇者たる威厳が出るであろう!」
……こうして、一時間後。
庭園には、もはや「凧」とは呼べない、異形の物体が鎮座していた。
それは、金属と宝石でギラギラと輝き、魔導エンジンが唸りを上げ、王家の紋章が威圧感を放つ、重量数百キロの「空飛ぶ要塞」だった。
「ねえ、モフモフ。これ、凧揚げかなあ?」
シャルロッテは首を傾げたが、兄姉たちは満足げに努力の結晶である汗を拭っていた。
「よし、準備完了だ!」
「紐は俺が持つ! この重量、普通の人間には支えきれん!」
フリードリヒが、鎖のように太いロープを腰に巻き付けた。
「点火!」
マリアンネがスイッチを入れる。
ズゴゴゴゴゴ……ッ!
ブースターが火を噴き、爆音と共に「それ」は垂直に離陸した。
もはや風など関係ない。力づくの浮上だ。
「うおおおおっ! 重い! だが、上がるぞ!」
フリードリヒが地面を引きずられながら耐える。
しかし、設計が過剰すぎた。
アルベルトの計算した揚力と、マリアンネの推進力が合わさり、さらにイザベラの装飾が太陽光を反射して目くらましとなり、物体は制御不能の回転を始めたのだ。
ギュルルルルル!
空中で高速回転する黄金の塊。
それに振り回されるフリードリヒ。
「目が! 目が回る! シャル、助けてくれーっ!」
庭園は阿鼻叫喚の嵐となった。
回転する凧(?)が起こす竜巻で、テーブルセットは吹き飛び、護衛の騎士たちは帽子を飛ばされ、ハンスは大事な植木鉢を守って伏せている。
そんなカオスの中で、シャルロッテだけが、楽しそうに空を見上げていた。
「わあ! すごい! フリードリヒ兄様が、空でダンスしてるよ! それに、キラキラしてまるで花火みたい!」
彼女は、この大失敗を壮大なアトラクションとして受け入れたのだ。
シャルロッテは、風属性魔法を少しだけ足して、回転するフリードリヒの軌道を、安全な(しかし派手な)宙返りコースへと誘導した。
「いけーっ! スーパー・モフモフ・号!」(※勝手に名付けた)
結局、その物体は、王城の上空を三周し、最後は城の池に「バッシャーン!」と豪快に着水した。
ずぶ濡れになったフリードリヒが、巨大な金属の残骸から這い上がってくる。
普通ならお説教の時間だ。
しかし、シャルロッテが手を叩いて大喜びしていた。
「あははは! すごかったね! お船が山に登るって言うけど、お船が空を飛んで、池に落ちちゃったね! 最高のお祭りだったよ!」
その無邪気な笑顔を見たら、誰も怒る気になれなかった。
泥だらけのフリードリヒも、計算を間違えたアルベルトも、美学を貫いたイザベラも、みんな顔を見合わせて、大笑いした。
「……まあ、シャルが喜んでいるなら、成功と言えるか」
「そうだな。次は、もう少し軽量化を検討しよう」
「船頭多くして船山に登る」というが、この王城では、「船頭多くして、船は空を飛び、みんなを笑顔にする」という新しいことわざが生まれたようだった。
シャルロッテは、池に浮かぶ残骸の上で休憩するカモを見ながら、モフモフと一緒におやつのクッキーを食べ始めた。平和で、騒がしい休日の午後のことだった。




